2004/10/03

いまさら「めぐりあう時間たち」しかも途中

東京の下高井戸に小さな映画館がある。小さいと言っても比較的新しく清潔で設備も整っているので、気持ちよく映画鑑賞が出来る。僕のお気に入りの映画館でもある。上映する映画も選別された良質の映画が多いし、ロードショーが終わった映画を再上映するので見損ねた映画を見れるのも良い。

下高井戸シネマ:http://www.shimotakaidocinema.com/


少し前に、その下高井戸シネマで「めぐりあう時間たち」を見た。
この映画はアカデミー賞をいくつか取り話題性も高かった映画なので、多くの人が様々な切り口で語ってもいる。Googleで検索すると約1万件以上もでてくる。

何を今更と思うかもしれないけど、僕にとってこの映画の位置づけが未だになされていない。僕はこの映画を見て感動したけど、感動の理由が見えないのだ。それ で未だにこの映画を引きずっている。1回だけ見た映画なのに、結構細部まで鮮明に覚えている。DVDで発売された時に、購入もしくはレンタルで再度見よう かと思った時も何回もあるけど、一度も行動してはいない。買う寸前、もしくは借りる寸前で自分を押しとどめるなにかがあるのだ。そのなにかは、最初に下高 井戸シネマで見終わった時に感じた「得体の知れぬ何かの重さ」を再び感じたくないと言う保身の心境に近い物がある。その「得体の知れぬ何かの重さ」がわか らぬまま今に至っていて、気になる映画の一つになっている。勿論日々の生活の中では忘れている事でもあるのは事実だけど。

先月本屋で別の本 を探しているときに、たまたま偶然に「めぐりあう時間たち」の訳本を見つけ購入してきた。それを昨日から読み始めた。読了まで少し時間がかかるかもしれな いけど、読み終えたら感想はここに書くつもり。読み終えたら再度映画を見てみようかなとも思っている。そしたら別の視点で見る事が出来るような気がするのだ。

ちなみに映画について、登場する俳優達は誰もが素晴らしかった。この映画には僕の好きな俳優達が多く出ている。筆頭はやはりニコール・ キッドマン、メリル・ストリープ、それからエドハリスも大好きだ。内容について言えばヴァージニアウルフが登場するだけでもわくわくする。キャストも素晴 らしいしカメラワークも素晴らしいと思う。でも特に素晴らしいと思ったのは音楽だ。音響担当はフィリップ・グラスという人で、とても有名な人らしい。実は この映画を通じて初めて知った。

「めぐりあう時間たち」公式ページ:http://www.jikantachi.com/home.php
公式ページに載っていた原作者のインタビュー「なぜヴァージニア・ウルフなのか」は時間があったら読んでみて欲しい。少なくとも僕は共感しました。(本ブログの下に掲載)

フィリップ・グラス:http://www.philipglass.com/

まだまだ僕はこの映画で色々と楽しむ事が出来そうだ。

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なぜヴァージニア・ウルフなのか? マイケル・カニンガム(原作者)

「なぜヴァージニア・ウルフなのか?」 私は幾度となくこの質問を受けた。「現代小説を書くのに、なぜヴァージニア・ウルフのように硬派で近寄りがたい、シリアスな人生と作品をモチーフに選んだのか?」ということである。肩をすくめるだけのときもあった。小説に何を書こうといいじゃないか? 余裕があるときはこう答えた。「ヴァージニア・ウルフは天才で、先見の明があったから」、「ロックスターのような存在だったから」、「小説界の画期的な存在だから」、「大好きな作家だから」、「彼女は誰もが私小説の主人公であることをわかっていたから」という具合に答えを用意した。

人生に対する見方が違うだけで、平凡な人生など一つとしてない。そう主張するウルフに、彼女の偉大さを感じた。ほとんどの人生が、表面的には平凡に映るかもしれない。でも、内実は違うことを、ウルフはわかっていた。たとえ仕事と雑務に追われながら、食べて眠るだけの毎日としても、本人にとっては、人生は偉大で魅力に満ちているものだ。ヴァージニア・ウルフは生涯、特異なことをするわけではない人々を見事に描いた。もし偉大な作家たちを、大きな宇宙を観察する天体物理学者に例えるなら、ウルフは微細な部分を鋭く見抜く微生物学者のようだ。彼女の著作を通し、素粒子の働きはどの観点でみても銀河の働きと同じように不可思議で巨大であることを、私たちは教わるのである。

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毎日の生活のすばらしさ スティーヴン ダルドリー(監督)


デイヴィッド・ヘアの脚本を読んだ時、最初に感じたのは、時代と女3人の人生の間をスムーズに流れていく展開に非常によくできた脚本ということ。原作と脚本どちらとも、人生と死、母と息子、芸術と狂気、記憶と後悔といった多様な面を豊穣に含んでいた。死にゆく者に尊厳を与えようとする介護者、人生を変えるしかない母親、創作のために精神を病む危険を犯す作家……そのような人が下す様々な選択の代償と、その選択の意義の重さを描いた物語であることがよくわかった。

3人の女の人生のたった1日を探っていくのが面白い。一瞬一瞬、彼女たちが選ぶ人生の旅が勇気あるものに思えた。女性が人生で見せる勇敢な行為は伏せられているか、背後に隠れて見えないか、男性の公の活躍のために影が薄くなるかしかないような気がする。それでも、女性も思いっきり勇気を振り絞って生きてきたことは男と同じである。

撮影中に留意した点は、原作にも脚本にも通じて流れるヴァージニア・ウルフ魂から逸れないこと。もちろんウルフや小説『ダロウェイ夫人』に触れたことがない人でも、映画が楽しめることに変わりない。しかし、『ダロウェイ夫人』を読んだ人なら、小説の奥深さはわかっているし、それを別角度から捉え直した映画を私たち同様に楽しんでもらえるだろう。
そして、素晴らしい役者たちがこの物語に魂を吹き込んでくれた。そのプロ意識、努力、気遣いには、目を見張るものがあった。メリル、ジュリアン、ニコールを迎えられただけでなく、並はずれた技量と才能を持った脇役たちにも恵まれた。それぞれまったく異なる演じ方が一つにまとまっていく様は見ていて楽しかった。いわば、参加者全員が深く関わり合ったプロセスといえる。

もっとも苦労したのが、ウルフの溺死シーンの撮影だ。かなり危険を伴う撮影だったが、ニコール本人に代役を立てるという考えはなかった。ウルフの死体が川底で流れに引きずられるシーンも含め、撮影には数日を要した。その場面を見ると、しっかりニコールが映っている。渾身の演技だ。

本作は複雑で色々な感情を呼び起こし、それぞれのストーリーに違う反応が出ると思っている。ローラ・ブラウンの物語では、母と息子の関係に誰でも何らかの意見はあるだろうし、母子関係の強さを再確認し、さらに興味を惹かれることだろう。

他にも、多くの観客が語りたくなる役にクラリッサ・ヴォーンがあるだろう。他人を幸せにすることがひいては自分の人生に意義をもたらすと期待しつつ、他人の面倒をみる女性である。多くの人がクラリッサやその選択の結末に、強く心を揺さぶられるに違いない。それからもちろん、ヴァージニア・ウルフも登場する。彼女は創作過程に避けられないものとして、精神が壊れる覚悟で狂気に足を踏み出すが、その選択には議論や異なる反応が出てきてもおかしくない。

こうしたことから、本作はまさしく20世紀の女性がときに断腸の思いで下すしかなかった難しい選択を追究していく。ローラ、クラリッサ、ウルフにとって、選択とは、他ならぬ死と謳歌すべく生とを賭けたものだったのである。

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