2004/10/15

青木繁の未発表作発見


明治を代表する洋画家の一人、青木繁(1882-1911)が28歳で亡くなる前年に描いたとみられる未発表の油彩画が見つかり、代表作の多くを所 蔵する石橋美術館(福岡県久留米市)が真作と確認した。同美術館の担当者は「油彩は100点ほどしか残されておらず、貴重な作品。放浪していた晩年の足跡 を知る手がかりになる」と話している。作品は長野県東御市の梅野記念絵画館で展示されている。(asahi.comから抜粋)

青木繁の絵を始めて見たのは東京の「ブリジストン美術館」に展示していた「海の幸」でした。元々この絵は九州の「石橋美術館」所有の絵だけど、「ブリジストン美術館」とは姉妹美術館なので時折絵の交換展示を行っていたらしく、たまたま僕はその時期に訪れたというわけです。

勿 論、青木繁と代表作である「海の幸」の名前くらいは知っていましたし、写真で見た事もありました。でも実際に見る「海の幸」は僕が知識としてイメージして いた物とは何もかもが違っていました。ブリジストン美術館が所有する名画の中でもこの絵は圧倒的な存在感をもって光っていた様に見えたのです。特に、収穫 である魚を持って行進する男達の間に、こちらを眺めている顔が印象的でした。その顔は僕には女性の顔にみえたのです。男性の行進の中にある生々しい女性の顔。

後から青木繁の生涯をしった僕は、その顔が青木繁の伴侶であった女性の顔である事をしりました。それと同時に、彼の波乱に満ちた(本当に言葉通りの)短い人生の中で幸福だった一瞬の時にこの絵が描かれた事も知ったのです。時に青木繁22才の夏のことでした。

まだ僕はかれの作品をそんなに多く見てはいません。観賞出来た作品は、「わだつみのいろこの宮」「大穴牟知命」「男の顔」くらいなものです。正直言って今回 彼の絵が発見されたとの新聞記事は驚きました。彼が病死する迄の2年間は放浪生活だったと聞いています。その時の一枚の絵だったとの事ですが、故郷をすて 家族を捨てた彼がどんな気持ちでその絵を描いたのかとても興味はあります。

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安房文化遺産フォーラム:2009-02-08 (日) 02:20
●青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会● 1904(明治37)年夏、青木繁が滞在し、《海の幸》を描いた房州布良(館山市富崎地区)は、神話のふるさとです。この地でも古事記を読みふけっていたようです。 このとき、青木が滞在した漁家・小谷邸は100年を超えた今、明治の漁村を代表する住宅として市の指定文化財の審議がすすめられています。 青木没後50年に建立された《海の幸》記念碑は、平成10年に地元住民の強い熱意により撤去の危機を免れました。設計者は、近代建築を翻訳紹介した東大教授の生田勉です。隣接していた同氏設計の館山ユースホステルが解体されてしまったことは悔やまれてなりません。 私たちは2つの文化遺産の保存・活用を通じて、教育と地域づくりをすすめています。ぜひ一度、ご来訪ください。お待ちしています。

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