2004/12/04

死刑制度についての拙い考え

僕はもともと死刑制度に反対する考えを持っている。ただアムネスティのサイトを見れば死刑制度を続ける根拠が少ない事がわかるが、逆に廃止への説得力も強いとも思えない。死刑制度に関する議論は、死刑制度を他国で廃止の方向に動いているという事実を除き、アムネスティでは次ぎの3点になると思う。

1.犯罪抑止論議
2.死刑廃止の犯罪率への影響
3.無実の者に対する執行の可能性

上記1と2に関しては今までに説得力のある科学的根拠は提示されていないと言われている。3に関しては確かにその通りだと思う。
ただ、個人的にはアムネスティが述べている事だけでなく、幾つか考えなくてはいけない事があると思っている。それは被害者家族と関連する人達の気持ちのケアであり、実際に刑務所で死刑に携わる刑務官の実態である。

前者は「犯罪被害者等基本法」が成立したことにより、この基本法で適切な運営が行われるか見ていく必要があると思うが、まだまだ不十分であるとの意 見も多い。さらに実際に被害者家族の気持ちが「気がすむ」ためには、加害者である犯人の死か激しい懺悔の気持ちでしかないのかもしれない。

後者については、あまり話題になっていないと思う。職業なので嫌であれば退職する自由もあるが、再就職も難しい時代なので、無理をして続ける人も多 いのではないかと思う。ただ公務員として本人の意志ではなく刑務官に配属され、死刑に携わる人がいるのは紛れもない事実だ。法律上では刑務官に死刑執行の 職務規定は無いと聴いている。でも刑務官の仕事の延長線でやらされている。ボタンを押す人、縄を首にかける人、執行文を読む人、それぞれの立場で、仕事と 割り切れるほど人の精神は単純には出来ていないと思う。だから彼らの心情としては死刑は行って欲しくはないというのが本音だと思う。

死刑制度について良く言われていることに、応報刑としての役割がある。所謂「目には目を」の考え。映画「七人の侍」では、野武士集団との戦いの時、 落馬して動きがとれない野武士に老婆が鍬を打ち下ろし殺す場面がある。被害者である老婆が野武士を殺す時、だれも老婆を止めることが出来なかった。そうい うものだろうと思う。
映画で良く見るのが、西部劇での公開絞首刑のシーンとか、フランスでの公開ギロチンでのシーンだ。日本でも同様だった。公開処刑では様々な人々が見物に集 まり、一種の興奮状態の中で刑が執行される。それにより被害になった家族を含め社会を構成する人の気持ちがある程度浄化されてもいた様な気がする。

死刑執行人は公開処刑時代には賤しむべき職業の1つであった。日本の場合は最下層の人達がそれに携わり、同情を受ける者の刑の執行の時は、その最下層である死刑執行人に恨みを持って行くようにしたのだと聞いたこともある。
勿論現代では全く違う、刑務官としての普通の公務員がそれに携わっている。

現代では刑の執行は密室で行われている。公開処刑から密室処刑への変化は時代の変化だろうが、逆に応報刑として「気がすむ」事も出来なくなっている部分もあるかもしれない。また同時に死刑の残酷さも覆い隠す事にもなっているように思える。
ただ、勿論近世の様に公開処刑が現代で出来るかと言えば、間違いなく無理だと思う。

たしかにアムネスティが述べている死刑廃止の考えは正しいと僕は思う。でもいくら統計値をだしても、科学的根拠が薄いと述べても、それだけで死刑を 廃止する事は難しいかもしれない。逆に死刑廃止を行った多くの国が、被害者達の「気がすむ」為に何をしてきたのかを考え、それを実行する事が結果的に廃止 の方向に向かうのではないかと考える。

刑務官達についての待遇が現在どうなのか、実際の所は僕は知らない。ただ異動サイクルを早めるとか、様々な待遇上の処置を講じていて欲しいと思っている。

これらを考えていけば、僕にとっての死刑廃止は条件付き賛成となるように思えた。

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