2004/12/05

貴方は血液型による性格を信じますか?

僕は占い、星座、血液型等による性格判断とかが大好きだ。自分が判断に迷うときとか占いで決めるときもあるくらいだ。それに血液型判断はコミュニケーションの道具として有効だと思うし。
ところが血液型の性格判断もテレビなどで多く取り上げられると、懸念を表明する人も多いようだ。
(毎日新聞 「性格決めつけ」視聴者から抗議相次ぐ」)

その記事にあるように、子供らの中で不当な差別につながる事は避けなければならないと思うが、それは血液型の番組が問題なのだろうかと、つい思ってしまう。

人が生活すると、自分にとって嫌な奴と一緒に仕事をする事も出てくる。もしくは、好きな人でも嫌いな部分もあると思う。その時に、血液型は自分を「とりあえず納得させる道具」になっている。少なくとも僕の場合はそうだ。
また、僕はしないけど、人から「B型のこの部分が嫌い」と言われる場合も、血液型を緩衝させることで、言いたいことをソフトにさせる効果があるように思える。

しかし記事に書かれていた社会心理学教授の「大衆の常識のように定着してしまった」には思わず笑ってしまった。思わず言いたくなった言葉。

「先生方は大学の中だけでしか社会を見ていないのかもしれませんが、一般の人達は貴方が思っている程愚かではありませんよ。誰もが科学的根拠がない ことは知っています。多くの人達はそれらの話をコミュニケーションを潤滑に行うための道具として活用しているだけです。先生はその様に言うことで、ご自身 の生活の糧の領域を増やそうとされているのかもしれませんが、心配には及びません。先生方が活躍する場所は、世の中いくらでもありますから。」

僕は血液型による不当な差別が実際にあったとしても、それは単なる「引き金」でしかないと思っている。引き金を安易に提示すること自体が悪いことだ と言われればそれまでだけど。ただ差別したい対象がいる場合、する側はなんでも利用するのではないかと思ってしまう。問題は別の所にあるのではないのだろ うかと思う。それに必要なのは、差別を生む社会学的、心理学的な見地からの提言であり、それに基づく対応の検討だと思う。その為には、局所の対応でなく、 社会全体を捉えて、その中から本質を見抜く必要があるのではと、愚考している。

それが社会学者・心理学者の役目だと思うのだが・・・どうなのだろうか?

ただ、メディアが人に与える影響力に対して、僕自身が過小評価しているのが、この僕の記事の根底にあるかもしれない。もし血液型の番組の問題が、メディアにおける影響とその背景であれば、この記事では網羅できないし、荷が重たすぎる。

ちなみに、僕はB型、射手座です。
この組み合わせは、射手座の自由奔放な部分と、B型のマイペースが重なり、友人から言わせると最悪だそうだ。でもこれは誉め言葉として僕は受け取っている(笑

0 件のコメント: