2004/12/26

鉄腕アトムとクローン猫

天馬博士は愛息トビオを事故で失ったときに、クローン技術を使って息子を再生しようとは考えなかった。その代わりに彼はトビオに瓜二つのロボット(鉄腕アトム)を製造した。
医学博士でもある手塚治虫が鉄腕アトム執筆当時にクローンの可能性につい知識がなかった訳ではないと思う。それなら何故天馬博士はクローン技術を使わなかったのだろうか。

天馬博士はクローン技術を使って息子を再生したとしても、自分がかつて愛し事故で失ったトビオと全く同じトビオが出来ないことを知っていたと僕は思う。人が育つには遺伝子情報だけでなく環境も等しく重要なのは言うまでもない。クローン再生した場合、天馬博士は以前にも増してトビオを可愛がり側に置くことになるだろう。その結果、天馬博士が見知っているトビオとは全く違った性格が形成されていくことになる。

また天馬博士は時間が惜しかった。即座に事故死したトビオと出会いたかった事が、ロボットとしてトビオを再生した最大の理由かもしれない。
ただ総じて言えば、天馬博士にとってクローンかロボットかの選択における葛藤があり、メリットとデメリットを判断した結果、ロボットでの再生となっていったのではないかと思う。しかし彼には、判断した時点で見えていない最大の問題があった。ロボットであるトビオは肉体的に成長しないと言うことだった。

つまりは、天馬博士にとってトビオの再生は、クローンとロボット技術を使っても、願いは叶わなかったと言うことになる。
CNNのニュース記事「「愛猫そっくり」 米企業、クローン猫を5万ドルで販売 」を読んで僕はそんなことを考えてしまった。

家には2匹の猫がいる。名前を「ジュニア」「レオ」といい、雑種の雄猫だ。猫の寿命は人間に較べて遙かに短い。でも猫には猫の時間があり、その中では人間の一生と同等の命の重みがあると思う。寿命の短さを人間である僕が嘆いたとしても、それは猫達にとっては余計なお世話なのかもしれない。

最近初老に至ろうとしている「ジュニア」は、季節が冬と言うこともあり、さらに寝てばかりいる。時折この2匹がいなくなった世界を考えると、勿論悲しいことではあるが、僕の暮らしは普段と変わりなく続いていくのだろうと思う。その時は、彼らが自分の「生」を全うした事を、思い出と数々の写真によって、懐かしむことだろう。僕は生前に彼らに癒され、死後に懐かしむことで再び癒される事になる。それは唯一無二の存在としての「ジュニア」と「レオ」がいたからこそだ。唯一無二とは、遺伝子情報だけの話でないことは、人間以外の命と暮らしたことがある方なら実感できると思う。

仮にクローン技術によって遺伝子情報が継続した場合、僕は果たして「ジュニア」と「レオ」の命の重みを、共に生きる日々の暮らしの中で、オリジナルとクローンを同質に感じる事が出来るのだろうか。結果は僕にとっては明らかだ、遺伝子情報の継続だけでは彼らが生き返ったとは思えない。

勿論、クローン猫として再生を願ったテキサス州の女性の気持ちはよくわかる。クローンにおける倫理問題は別にして、僕は彼女に願うことは、天馬博士の二の舞だけはなって欲しくはないと言うことだけだ。

話は若干変わるが、人工知能研究をされている方々にとって、人の脳を人工的に作る事は可能と考えていることだと思う。その結果、ロボットが数多くの映画にあるように、人間と同等の感情を持ち、何かを創造する能力も持つことになるのかもしれない。
そうなると「天馬博士の悩み」は既に人ごとではないようにも思えてくる。クローンとロボットの双方の問題は早々に一定の基準を設ける必要があるのを感じる。それと同時に、何らかの法制化が為された際に、裏での取引が行われる状況も出てくるに違いない。それの対策も同時に検討する必要があるとも思う。

関連サイト:
・クローン猫、外見も性格もオリジナルとは「別の猫」(WIRED NEWS)
・研究報告「クローンには、ほぼ確実に異常が発生する」(WIRED NEWS)

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