2005/01/01

雑文 「12」にまつわる事から干支に続く話

hououあけましておめでとうございます。

昔から妙に数字に対するこだわりがあった。特に僕が12月産まれと言うこともあり、「12」という数字にこだわりをもっていた。今の言葉を使えば「数オタク」と言うのかもしれない。以下に「12」に関するオタクとしての妄想を少し書く。
 

「12」を使っているものは意外に多い。思いつくまま列挙すると。
1年の月数、1日の時間数は12時間かける2、十干十二支、キリストの使徒は12人、十二単(ひとえ)、ローマ最古の法典は12表法、聖徳太子が作ったと言われる日本最古の冠位制度は冠位十二階、古代の日本政府が発行した銅銭の総称を皇朝十二銭、星座占いの元になったのは黄道十二宮、薬師如来を護るのが十二神将、仏教の教えである十二因縁、人の身体の中にも十二指腸がある。

何故人は「12」を多く使うのだろう?これらは総て偶然の産物なのかもしれない。でも僕はそうは考えていない。それぞれに何らかの繋がりがあるように思えて仕方がない。人には昔から特定の数を神聖な物として考えてきた。勿論これは総ての地域の人に当てはまる事ではないが、古代のある地域の人は「3」を最も神聖な数として扱った。理由は奇数は半分に割り切れず、必ず1余る。昔の人はその「1」に神が宿ると考えたらしい。「3」は「1」を除き奇数の中で最小の数である。そこから「3」が特別な数として扱われたらしい。「12」が「3」と同等の神聖さを古代の人が感じていたとは思えないが、特別な数字だと思っていたのではないかと、僕は思っている。

「12」の中で一番古いものはやはり「暦」としての12ヶ月だと思う。暦が最初に作られたのはメソポタミア文明の太陰暦となっている。太陰暦は月の満ち欠けを日付にあわせる暦なので、1ヶ月は30日となる。1年が何故12ヶ月なのかは、1年の長さを自然発生的に365日と知っていた事から、これも単純に30日で割ることで、そうなっていった様に思える。

1年を365日と自然にわかる事は、例えばエジプト文明を考えると理解しやすいように思う。エジプトではナイルの氾濫から次のナイルの氾濫まで日数を数えると約365日だった。農耕は暦と天文の知識を必要とする。つまり、ある日を特定する状況を定点と決め、次に全く同じ状況になる時までの日数を数えれば、自ずから1年の日数がわかる。

1年が12ヶ月であることが、「12」を意識した最初だったように思う。またこれも想像だが、1日を12に分けたのも、1年を12ヶ月で分けた事により、「時」のサイクルとして12に分ける考えが、そこに芽生えたからではないかと考えている。

ちなみに、メソポタミア文明では「60進数」が使われた。これは現在の1時間が60分であるとして今でも使われているが、「60」の理由はわからないが、僕は何故かそこにも「12」の影を見てしまっている。

話を「12」に戻すと、1年は繰り返しとしての1つのサイクルでもある。ある点から始まり、またその点に戻る運動は、1つのサークル(円)を作ることでもある。そのサークルを12分割する考えが、1年を12ヶ月に分割する事から始まった様に思えてくる。

例えば「黄道12宮」の事を言えば、最初に星座があったのでなく、12分割が最初にあって、あとから星座と関連つけられたのではと、僕は思っている。

「黄道12宮」は、春分点からはじまり、黄道にそって東まわりに、白羊宮(おひつじ座)、金牛宮(おうし座)、双子宮(ふたご座)、巨蟹宮(かに座)、獅子宮(しし座)、処女宮(おとめ座)、天秤宮(てんびん座)、天蠍宮(さそり座)、人馬宮(いて座)、魔羯宮(やぎ座)、宝瓶宮(みずがめ座)、双魚宮(うお座)と並んでいる。

「黄道12宮」は既に紀元前2000年頃にメソポタミア文明で作られたとなっている。12分割の考えは、メソポタミアを通じて世界中に広まった。ただし、ギリシャ、エジプト、そして中国と、伝わる場所によりシンボルは変わっていった。

中国にも12分割が伝わり十二支となっていく。十二支は十干十二支として、元々中国の思想としてあった陰陽五行説の十干と結びついた考えとなる。

十干と十二支はいわば「記号」としての文字の集まりとなっている。
十干は甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)。
十二支は子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・未(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゅつ)・亥(がい)。

シンボルとして、上記の文字が選ばれた理由と、配列順の理由は不明らしい。十干と十二支は元来は別の物だった。十干は陰陽五行説からきている。十二支は、そもそも年月日時間と方位に関する事に使われていたらしい。そこからも、12分割が「時」を中心に使われていったのがわかる。

学生の頃、十二支と動物たち(十二支獣)の関係を調べたことがあった。図書館を使って探求する事はとても楽しかった。十二支の「記号」としての漢字と動物達は後から関係づけられている。その動物たちが選ばれた理由が知りたかった。調べていく内に、仏教の経典に12匹の動物が釈迦の教えを順番に受けた話を見つけた。

その経典によれば、12の島にそれぞれ一種類の動物が住んでいた。ある時釈迦の説法があるので、まずネズミの島からネズミたちが、次ぎに牛の島から牛たちが、と言う風に順番に別々に説法を聞きに行ったという。くしくも、その教典に書かれた動物と、説法を聞きに行った順番は十二支の順番と重なった。この教典を偶然に見つけたときは本当に嬉しかったが、今では十二支の動物たちが確定した後に書かれた教典の様に思っている。

実際は十二支に選ばれた十二支獣の理由もわかっていないそうである。ただ、一部の意見としては、「黄道十二宮」も多くの獣を使われていることから、12分割の考え方と同様に、十二支獣との関連性も指摘する声があるらしい。

薬師如来を護る「十二神将」の1人1人には十二支獣と関連づけられている。関連づけが元々なのか後なのかはわからないが、仏教が中国に伝来してからの後付が正しいのではないだろうか。ただ何故12人なのかの理由は、十二支と同じ理由に思える。その理由は、薬師如来を中心とした全方位の方角を十二神将は現しているように思えるからだ。そして、方角も中国では12分割されている。

繰り返すが、時を現すサークル(円)を12分割する考えがあると思う。サークル(円)は1つの完全な形を表しているとも言える。12はそこから「完全」「完成した1つの世界」を現す数字として、伝わっていった様に思う。方角の12分割が後から中国で含まれたのは、方角もサークルの1つと考えられたからだと思っている。

「12」という数字が、完全を表す数字と仮定するのなら、色々な事項が12分割されているのも、何となく見えてくる。例えば、仏教の十二因縁もその影響を受けているのかもしれない。さらに、キリストの12使徒も、実際に12人だったのかは別として、キリストの「完全」をイメージする事から12人必要だったのかもしれない。例えば薬師如来の十二神将の様に。

キリストの使徒が12人であることと、薬師如来の護衛が12人であることは、僕にとっては、そこから繋がってくる。キリストの場合13番目の男ユダは、その意味からすれば、「完全」を崩す男として象徴的な気さえする。

冒頭にも話したが、これらの意見は僕の想像の産物でしかない。今まで上記の内容中心に「数」にまつわる書籍を探してきたが、合致する内容のものには遭遇したことがない。

今年は干支で言えば酉年となる。総務省は2005年1月1日現在の推計人口を発表した。それによると、今年の干支である酉年生まれの年男・年女は計943万人(男性457万人、女性486万人)。 総人口(1億2759万人)に占める割合は7・4%との事。

昨年の漢字は「災」だった。今年は「災」に見舞われた多くの人が、不死鳥の鳥の如く「災」からあらたな姿で蘇って欲しいと強く願う。

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