2005/01/09

ピーター・セラーズのチャンス

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ピーター・セラーズの伝記を元にした映画「ライフ・イズ・コメディ」が1月29日からシャンテ シネ、ヴァージン TOHO シネマズ六本木ヒルズで公開が始まる。

主演は、あの「シャイン」のジェフリー・ラッシュ。「シャイン」での演技は素晴らしかった。彼のことだからきっとピーター・セラーズの事もきちんと表現してくれるのであろう。

ピーター・セラーズのなかで一番好きな映画は「チャンス」だ。有名な映画なので、観られた方も多いと思う。僕はだいぶ前にレンタルビデオで観たが、今でも心に残る味わい深い映画の1つだ。

「世間知らずの庭師のチャンスが、主人の死をきっかけに外の世界へ。そこで政界の人物と知り合い、人々の勘違いから、何も知らないチャンスが政界へと進んでいく姿をシニカルなユーモアたっぷりに描いたハル・アシュビー監督作。
庭のこと以外、何もわからないチャンスの素朴な発言を、政界の人物たちがこれまでにない斬新な発想だと重要視し、チャンスを政界入りさせようと躍起なる様が可笑しい。」
アマゾンドットコム のレビューから)

アマゾンのレビューが端的に映画の内容を示している。ただ、勿論この映画はこのレビューだけに止まらない。この映画の企画を長年温め続けてきたのは、他ならぬピーター・セラーズ自身だった。彼はこの映画で何を言いたかったのだろう。それは映画の主人公でもある「チャンス」自身にそれが現されていると思う。

チャンスには人が生き生活するときに発散する汗(匂い)が全くない。常に清潔で、身なりも正しく、少しも乱れる事がない。いわばチャンスは浮世離れという以前に、人間離れしている存在だ。彼は自分を持っていない。多分中身は何もない存在なんだと思う。

その中身は、彼と接する人が、自分の持っている物で埋めていく事になる。だから人によってチャンスの見方は大きく変わる。つまり人はチャンスを見ることで、逆に自分をそこに投影している。そんな風に僕はチャンスの事を観ている。

チャンスは一体何処から何のために来たのだろうか。それはピーター・セラーズ自身にとっても一番知りたいことのように思える。何故なら、僕にとってチャンスとはピーター・セラーズ自身の事に他ならないと思うからだ。いくつもの顔を持つ男、と言われたピーター・セラーズ自身が、自分の本来の顔を忘れている様に思える。中身は空虚で、それを埋めるために映画と女性に没頭する。そんな彼の人生が映画となって僕らの目の前に差し出される。今度はその映画を通じて、僕らが自分の事を観る番なのかもしれない。

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