2005/01/15

タイタン調査と二十億光年の孤独

「欧州宇宙機関(ESA)の小型探査機ホイヘンスが米東部時間14日早朝(日本時間同日夜)、土星最大の衛星タイタンの大気圏に突入し、約2時間半後に人工物体として初めて凍える地表に着地した。」(朝日新聞から

僕がこのニュース記事を知ったときに、何故か思い出したのは谷川俊太郎さんの詩「二十億光年の孤独」だった。

「万有引力とは
ひきあう孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う」
(谷川俊太郎 二十億光年の孤独から)

それは、NASAの科学者の言葉から誘われた思いだった。
「タイタンは予想以上に地球や火星に似ている。地球だけが特別な星ではなかった」(読売新聞から

以前にNHKで宇宙をシリーズ化して放映していたと思う。その中の1つに「地球を探せ」みたいなタイトルの番組があったように覚えている。
宇宙の中で地球と同じ惑星を探すといった内容だったのだけど、これが案外難しい。難しいどころでなく、その番組では「地球はもしかして全宇宙の中で特別なのでは」などと言う科学者まで番組の後半に現れたくらいだった。

地球に似た環境の惑星を探す科学者達を「惑星ハンター」と言うらしい。その惑星ハンター達も最初は簡単に考えていたようで、宇宙はこんなに広いのだから、地球と同じ様な惑星は何個か見つけることが出来るだろう、と思っていたようだ。

基本はまず太陽系と似たような恒星系を探すことから始まるが、これがまず少ない。その少ない恒星系を見つけたとしても、そこに地球と似たような、大きさと位置そして公転をしている惑星がなければならない。

僕にとって、放映時期もタイトルも全て曖昧になってしまった番組なので、信頼性に欠ける話なのは間違いないが、「地球は全宇宙の中で特別なのかもしれない」という思いが、その番組をして記憶に残らせたのだと思う。

僕らは地球上で案外忙しく動き回っている。だから、この宇宙に僕らの他には誰もいないとなっても、暮らしに何の変化もないのは事実だろう。ただ、番組を見終わった僕の心に去来した物は、とてつもない孤独の大きさだった。僕の想像を遙かに超える宇宙の大きさの中で、生命はここにしかないという事は1つの恐れさえ感じる。今回のタイタン調査の目的は、地球誕生時のメカニズムを調べることが大きいかもしれない。でも人が宇宙を調べる背景として、この「孤独でいたくない」という気持ちがあるのでないかと、僕は勝手に思いこんでいる。

NASAの科学者のひと言で、彼ももしかして似たような事を感じていたのかもしれないと思ってしまった。新聞記事にあるように、「気温が低いため液体の水はなく、生命そのものも存在しないとみられる」が、そこには地球誕生時の姿があるのかもしれない。
惑星ハンターが見つけることが出来なかったとしても、それは時間軸が違う事が理由だった様にも今では思う。
誰もが言うことだが、確かに宇宙に生命が地球だけだとしたらスペースがもったいない。そんなことをタイタン調査で思ってしまった。

いずれにせよ土星衛星のタイタンまで人の思いは直に到達した。でも僕らが到達させたい思いは、地球上にもまだ沢山あると思う。それは地球規模の問題から、果ては個人が抱える問題まで。それらが解決へと到達する事は、地球からタイタンまでの距離より遙かに遠く感じてしまうが、それに向かって歩いていく事が必要なのかもしれない。

記録としてホイヘンスが送信したタイタン画像を載せます。全て朝日新聞からの抜粋です。

「土星の衛星タイタンに探査機が初着陸 素顔明らかに」

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土星の衛星タイタンに着陸したESAの小型探査機ホイヘンスが送ってきた着陸後の画像=AP
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土星の衛星タイタンに着陸したESAの小型探査機ホイヘンスが送ってきた降下中の上空16.2キロからの画像=AP

t01 土星の衛星タイタンに着陸したESAの小型探査機ホイヘンスが送ってきた降下中の上空8キロからの画像=AP

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