2005/01/31

内田さんのブログ記事「止まらない大学の凋落」を読んで思うこと

ビジネスで使われる理論とか手法とかを使って企業が成功したからといって、全ての企業に同じことが適用できるかといえば、間違いなくそんなことはない。理論とか手法は、単なるフレームワークに近いもので、それだけでは何の役にも立たないとさえ思う。実際にその企業に合う形を構築し、そして運用するのは人だから、担当となった人の資質というか人間性が重要になると思う。

そのうえでさらに思うことは、それらの理論手法はあくまでビジネスの世界でのみ適用すると思ったほうが間違いない。ビジネスの各種理論手法は以前にはなかったし、必要もされていなかった。それは、あれこれとかんがえなくても商売ができたからだと思う。商店街に来る人はいつもの見慣れた人だったし、大企業になればそれはそれで大雑把に力を押していけば売れたような気がする。

理論手法が登場したのは、競争が激しくなり、普通にやっては売れなくなったからだろう。つまり人の出し抜き方として登場したのでないかと思う。また戦略、組織とか運営については軍事面をビジネスに応用したかもしれない。しかしそれぞれの研究が進み、今ではビジネスとして独自に発展しているように思う。ただ、ひとつの企業がそれで初めて成功すると、他の企業も真似をしだす。そうこうしているうちに、大体の企業が同じことをやり始める。こうなると理論手法なんてあまり意味がなくなってくる。

今はそんな時代のような気がする。それに加え、多様化と不透明な時代で、ヒット商品は当たるも八卦当たらぬも八卦と占い状態のようなものだ。ますます理論手法は使えない。でも逆にそうだからこそ理論手法にこだわる人もでてくる。そういう人たちの概ねは、社内内部で上層部に説得するか、株主宛ての魅力ある資料を作るために道具として使っていることが多いようだ。つまりは誰も実際面で役に立つとは思っていない、もしくは非常に少ないと思っている。

つまりは、現在大手を振って歩いているビジネス理論は、いわば建築の設計図の作り方と同じ者の様な気がする。設計者はあらかじめ何を作るか知っているし、そのための部材をそろえることも出来る。でも現在は誰も何を作って良いかわからない。でもとりあえずこんな感じでと作り始める。部材も資本が有限である限りは、そこら辺にある部材を適当に使って作っていくしかない。だからできあがりの姿は誰にもわからない。そういうビジネス理論が実は現状にあっているような気がするが、誰もそんな理論を言う人がいない。

僕の勝手な意見を言えば、顧客優先主義とかお客様第一主義なんて嘘っぱちだし、それが企業にとって一番の優先順位ではないと思っているし、理論手法を駆使して商品を作ったとしても、売れる保障はまったくない。たとえばマイクロソフトが顧客第一主犠だなんて言ったことは一度もないと思う。彼らの商品は常に封建的で、上から与えられ、ユーザは自分がその商品に合わせるしかないと思う。それでも彼らの商品は売れている。

今までにヒットした商品を企画販売した企業の担当者の話を聞けば、大体最初に出るのが「信じられません」だと思う。マーケティング理論は、結局のところ売れれば良いわけだし、売れるために顧客に少しでも迎合しましょうと始まったのが、「お客様は神様」理論だった。でも一人のお客様のために10億円もシステムを構築することがないのは誰でも知っている。もちろん、その一人のお客様で15億円くらい買ってくれるんだったら、喜んで作るとは思うけど、そんなお客様は少ない。

内田樹さんのブログを読むと、大学の経営状況は年々悪くなっていっているらしい。大学は確かにビジネス面とアカデミックな面との両方を持っていると思うが、ビジネス面よりはアカデミックな面のほうが目的として重みがあるように思っている。つまり「知」を産み育てる場所としての組織で、その維持費分を得るための経営となる印象に近い。

企業の目的は、利益追求と成長にあるのは間違いない。さらに経営者は企業価値を高めたいと願っている。企業価値とは、株相場とかが主だとは思うけど、今ではそのほかに社会貢献とか環境貢献なども評価対象になっているようだ。それでも、やはり企業の目的は利益追求が第一だと思う。

大学の場合は良くわからないが、利益追求と臆面もなく言っている大学は聞いたことが無いので、多分それが一番ではないのだと思う。そうであれば、大学経営者がビジネス理論手法を駆使して、今後の経営に利用するのであれば、それは止めたほうが良いかもしれない。

何でもそうかもしれないが、理論手法には生れ落ちた場所と理由があって、その理由が範囲を決めるし、また場所から逃れることもできないように思う。経営理論、戦略計画、マーケティング理論、運用手法、組織論などなど、ビジネス理論手法は他の業界から見ると、具体的で魅力的なものが多いかもしれない。でもそれらはあくまでビジネスの限定された世界でのみ適用されるもので、ビジネスの世界とは利益第一主義だから、すこしでもそれにそぐわない場所では、逆に弊害のほうが多くなってくるような気がする。

以前に民間の優秀なビジネスマンを学校の校長に抜擢し、その方がかなりのご苦労をされた話を聞くし、苦労だけならまだしも、場合よっては悲しい結末になってしまったこともあったと思う。それらの一因として、小さいかもしれないけど、学校(特に小中学校)の運用と企業の運用とは本質的に違うことに気がつかなかった点があるのではないかとも思っている。

でも残念なことに、学校の運営とか、大学組織の作り方とか、非営利団体向け会議のまとめ方とか、そういう理論手法及び具体的な経験談の書籍って少ないように思う。多分それは書いても売れないからだとも思うが、それ以前にビジネス向けで適用可能との気持ちが背景にあるような気がしている。

つまり僕の意見をまとめると、ビジネス理論手法はかなり怪しげなものが多く、しかも適用範囲はビジネス面に限定される。ビジネスとは、あくまで利益追求を目的としているので、それに少しでもそぐわない場所で適用すると、逆に弊害が多くなると思う。

ではどうすればいいのだろう。僕の意見だと、やはりまず外部と内部からみた強みと弱みを洗い出し、強みを特色として育てる方向に向かうことだと思う。世の中のトレンドを追求する考え方は、学府には似合わない。家電商品のように、A機能がライバルにあって自社には無いから設ける考えでなく、やはり従来のアカデミックな分野に大学経営資産を多く分配することだと思う。

大学に入る人は多く分けて3種類の人がいると思う。まず高校から大学に進学する人、時間が取れたので再度勉学のために入学する人、そして企業から専門知識理論を学ぶために入学する人。それぞれの状況によって選ぶ大学も違うだろうけど、大体の人が選ぶ場合、やはり得たい知識がえられる場所かどうかだと思う。でもこの3種類の人を全て満足できる大学は少ないように思える。

僕は今後の大学が注目する人は、再度勉学の人と企業からの人の事だと思っている。企業定年者は、今まで企業でお金儲けを考えてきたから、その反動で純粋な学問をやりたい人が多いような気がする。
企業が年間に費やす企業内人材育成を大学が肩代わりする事もいいかもしれない。ビジネススクールとまでいかなくても、理論より実際に企業が抱えている問題を解決するために、実践的な講義を行うとか。もしくは新製品開発に大学の持っているリサーチ能力と分析能力を提供し、見返りとして商品売り上げの数%を受け取るのもいいかもしれない。

これらの人を大学に入ってもらうには、問題は新学科をむやみに増やすのでなく、いかに入りやすく、かつ受講料を払いやすくする仕組みを作るのが大事だと思う。だから受講料も細分化することが必要だとおもう。まら新学科を増やすにしても、やはり強みを延ばすために行うべきだとも思う。

新学科を増やした時、先生の補充は、大学間でそのための提携を行って、出向などの形で来てもらうのはどうだろう。ただしその場合、先生方の評価測定に不利にならないような仕組みを作る必要があるとは思うが。

いずれにせよ、僕の意見としては二つの方向で、一つは純粋学問への強化、もうひとつは、より実践的な学問へのシフトと、実績を積むことによる企業連携への道を開くこととなる。

とここまで書いて、ビジネスの考え方は怪しいと良いながら。それを中心に考えているのに気がついた。いやはや育った環境とは恐ろしい。それに学府の事を何も知らずに書いている。まったく無知な者は怖いと我が身のことを思う。それに積み木理論(勝手に命名)の方が、仕方として学府には適していると思うが、今のところ単なる思いつきなので、話にならないのが残念でもある。

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