2005/02/18

サザエさんとサーバ型放送

『「サザエさん」の視聴率が上がると、株式市場が低迷する--。大和総研が、国民的人気アニメの視聴率と株式市場との意外な連動性を示すこんなリポートをまとめた』
CNET JAPANより引用

「サザエさん」というと最初に思い出すのが「サザエさん症候群」だ。日曜日の夕方の丁度「サザエさん」が始まるその時間に、明日の月曜日から始まる仕事を思い憂鬱になる現象をそう称していた。同じ時間帯にある番組はそれこそ沢山あるけど、その中で特に「サザエさん」が選ばれたのは、勿論視聴率の高さといえる。

今回の調査もそんな視聴率の高さが大和総研の目にとまったのだろう。例えば、誰も「サザエさん」と同一時間帯に放映しているBS1番組「週間 経済羅針盤」の視聴率と較べたり何かしない。

そう考えると、「症候群」とか「株式市場低迷」にリンクして考えられてしまう「サザエさん」は偉大な漫画である事を証明していることになる。勿論それは視聴率というものがあっての話と言うことになるが。それに「サザエさん」の視聴率が高いのは、番組編成で日曜の夕食時間帯に持ってきた功績が大だと思う。仮に月曜日の夜10時から始まれば、誰も「サザエさん」でなく「SMAP×SMAP」の方を見ると思うのだ。(そんな時間帯に「サザエさん」を移す事自体、仮定にもならないですね・・・すみません)

テレビというものは、与えられているものをただ僕らは黙って観ている。黙ってと言うのはテレビ局に対して言っている。
人によっては、「アナウンサーのネクタイが気にくわない」とか「カツオの言っていることは差別的で教育上悪い」などと、テレビ局に文句を言っている人もいるかもしれないが、番組編成については与えられるだけだと思う。

人によってテレビの欠点は、上記の様に片方向でしかないと事だと言っている。だから、これからのメディアは視聴者と双方向で無ければならないなどと高説を述べて、地上波デジタル放送では何か装置を使えば簡単な意思表示が出来る様になった。(持っていないので、わかりません・・)
ただそれでも、地上波デジタル放送もやはり、放送局が決めた編成と内容でもって僕らは番組を観ているのには変わりがない。

このことに対し僕は異議を申し立てるつもりは全くない。逆にこれは楽である。つまらなければ観なければいい。もしくは「つまらない番組を放送しやがって」などとテレビに向かってくだを巻けばいい。誰も傷つかないし、「アホ番組」を「アホ番組」として観ることが出来た自分に対し自己満足も得られる。

それが、先々崩れることになる。「サーバー型放送」がその始まりとなると思う。サーバー型放送については少し前の記事にも触れたけど、つまりは一旦大容量のハードディスクに番組データ(メタデータ)を転送し、後から自分の好きな番組を好きな時間に見る事が出来る放送のことだ。この放送が主流になれば、視聴率という魔物に縛られることは無くなる。

つまりは「サザエさん症候群」も「サザエさんのみんなが見れば株式市場が低迷する」などの調査自体も意味が為さなくなる。 そうなったら、大和総研さんも研究対象が1つ無くなるのだから、少し困るかもしれない・・・

「サーバー型放送」と現在売れている「ハードディスクレコーダー」との違いは何?と聞かれたら、見る側からしてみれば同じものと答えるしかない。
ただ、新聞に掲載している番組表が無くなり、見る人は自分で番組編成を考えることになっていく。

「ハードディスクレコーダー」の場合は、とりあえず好きな番組を、その時間帯にいないから、もしくは繰り返し見たいから、等で録画するのだと思う。
「サーバー型放送」の場合、利用者から言えば「その時間帯にいないから、とりあえず一週間分のNHKとフジテレビ全番組を録画しておきましょう」のイメージに近い。

とりあえず録画したけど、勿論全ての番組なんか見ていられない。人間には1日24時間しか与えられていないのだ。それに会社にも行かなくてはいけないし、食事も眠らなくてはいけない。だから、録画した番組の中で優先順位を付け、高い方から見ていくことになる。見る時間は勿論放映したリアルタイムではないから、視聴率はその時点で意味をなさない。

でもこれって、慣れないと見る側には(特に僕には)すこし辛い。今まで与えられていた番組を、食事の合間に「くだらないこと放送するな」などと、日頃の憂さをはき出す手段に使っている輩としては、自分で優先順位を付けて番組編成をして・・・などと膨大な番組データの中から考えること自体、想像するだけで億劫でもある。

それに、作る側にしても大変なのではないだろうか。今までだと、これは早朝に放映する番組だからと、なんとなく朝の清々しさを画面に出そうと配慮していたものが無意味になってしまう。
それに、番組に対し優先順位が付けられると言うことは、そこに厳しい競争原理が働くから、番組制作もさらに厳しくなるような気がする。
さらに、一部受けする番組も特化してさらにとんがった内容の番組になっていくかもしれない。

いずれにせよ、その時の状況を想像するだけで、何かしら少し疲れる。
でも多分、こういう僕の様な輩の為に、しばらくの間は従来の放送も残っていくのも間違いはない。何故なら、災害時などの緊急対応のためには、現行の仕組みは間違いなく必要だと思うからだ。

そう考えると、「サーバー型放送」について、それほど過敏になる必要もないのかもしれない。物事はなだらかに(それだって江戸時代に較べれば、光速並みのはやさかもしれないが)変わっていくのだと思う。勿論、新技術を使う者と、旧技術のまま過ごす者とでは、そこに自ずから何か見えない線が出るかもしれないが、それもいずれの時代にも起こっていたことだから甘受しなくてはならないのかもしれない。

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