2005/02/25

「ドリームタイム」読み始める

▼ランディさんの書籍「ドリームタイム」を読み始めた。図書館に予約していたのだけど、僕より先に予約者がいたので少し待った。発売前から予約していたので、図書館での新刊本としては今までになく早く読むことができる。今の時点で「ドリームタイム」の予約待ち人数はどのくらいなのだろう。多分20人以上はいると思う。そんなことを想像し、少し自己満足に浸る。

▼僕にとって初めてのランディさんの小説だ。実は凄く期待している。そしてその期待は裏切られることはないだろう。理由はランディさんの文章が好きだと言うこと、これにつきる。僕にとっては、はずれることのない宝くじみたいなものだ。図書館で書籍を受け取る段階から既にわくわくドキドキしている。

▼手にした「ドリームタイム」をみてまず思ったのは、装丁が綺麗だって事。薄いブルーに白い雲の模様。このブルーの色合いがとても綺麗なのだ。って・・・じっくり見て気が付いた、この白い雲って核爆発のキノコ雲ではないか。うぬ。でもこの装丁の理由は小説を読み始めてからすぐに氷解した。

▼帰宅途中の「モスバーガー」でコーヒーを飲みながら、早速読み始める。「ドリームタイム」は全13編の短編小説集だ。続けざまに初めから4編の小説を読む。読みやすいし、とにかく面白い。それに最初の数編はブログのランディさんそのものではないか。ブログで馴染んだランディさんの語りが、小説になっている感じに近い。これが第一印象。最初としては、まずまずの出だしだと思う。

▼小説っていいなぁ、ランディさんのブログでの口癖が僕にも伝わる。実は僕にとって久しぶりの小説でもある。こんなにも小説って楽しかったっけ。本当にランディさんの小説の中にずぶずぶ沈んでいく自分がわかる。ああ、あと9編で読み終えてしまうのか、早く読み終えたら再読してしまおうか、そんなことも考えている。

▼ブログでのランディさん、小説でのランディさん、実は僕には区別が付かない。「全て私なのよ」とランディさんが傍にいたら言うのかもしれない。そういえば、久しぶりにランディさんのブログに記事が掲載していた。1週間の北海道旅行から戻ってきたのだ。記事の中に、何故自分はブログを書くのかの自問にこう答えている。

▼「実は、私は生きています……という、そういう手触りだけを、伝えたいがためにこんなにまわりっくどく書いているんじゃないか……と思った。」
(田口ランディ 「大雪」から引用)
もしかするとこれはブログだけではないのかもしれない。小説もランディさんにとっては同様なのかもしれない。そんなことを思った。この自答は素朴だけど本質的だ。

▼ランディさんはよく多様性の事を記事に書く。読み終えていない「ドリームタイム」も短編小説に仕立てたのは多様性の1つの表現かもしれない。その中には、いつもの語りの様々なランディさんがいる。それらの1つ1つのランディさんが、生きている、存在していると伝えたいのかもしれない。その中には理解できない話もあるかもしれない。でもそこに在るのだ。「理解しなくても良いから、在るのを認めてよ」そんなふうに言っている様にも思った。

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