2005/04/30

下北沢問題

東京の下北沢という町は僕にとって馴染みが深い。まず友人の親がそこで時計店を営んでいた。学生時代に友人が下北の喫茶店でバイトをしていて、毎日のように遊びに行っていた。目当ては、勿論友人ではなく、同じようにバイトをしていた女の子たちだ。何回か一緒に飲みに行ったし、何人かとはデートもした。計画性のない僕は、気に入った女の子にデートを申し込んで、それが短い時間帯に3人とトリプルブッキングしてしまい、下北沢の中で待ち合わせ場所に行くのに、駆けずり回ったこともある。様々なライブハウス、ジャズ喫茶にも行った。下北野外コンサートにも行ったこともあるし、先輩に強制的に参加させられた素人演劇集団の初舞台が下北沢の場末の劇場だった。いつも友人と一緒だった街であり、飲んで騒いだ街でもあった。しかし、少しでも駅から離れると、そこは閑静な住宅地であり、所々に落ち着いた喫茶店とバーが彩りを添えていた。何人かの友人は下北沢に一度住むと離れ難しと言っていたが、その気持ちは僕にもよくわかった。

下北沢の街は、小田急線と井の頭線により分断され、東西南北それぞれに街の雰囲気が変わる。また、もともと住宅地を基盤にして商店化していった背景から、道が細く、かつ入り組んで、まるで迷路のようだ。そこが下北沢の魅力の一つでもあるのだが、その街の状態が、下北沢を下北沢らしくしているのも事実だと思う。それは近くの三軒茶屋とも自由が丘とも違う。特に三軒茶屋は下北沢と同じ下町の良い雰囲気を持っていたが、玉電廃止から首都高建築、246号線、世田谷通りを含む三軒茶屋付近の再開発で、徐々に以前の街が様変わりしていった。

その下北沢が大変なことになっているらしい。といっても僕は今日知ったばかりなので、詳しいことはわからない。問題を扱ったサイト「Save The 下北沢」には以下のように書かれている。

「今、下北沢の街を根底から破壊するような大規模な道路建設計画が動き出そうとしています。2003年2月に、東京都と世田谷区は環7(幅25m)と同等の幅を持つ“都市計画道路補助54号線”と「駅前広場」を含む “区画街路10号線”の都市計画決定を行ないました。この補助54号線とは昭和21年の都市計画決定を前提とした道路であり、現在の世情においてやっと始められた都区部の都市計画道路の見直し作業を待たずに、今、駆け込み的に推し進められようとしています。」

上記サイト記事の54号線は下北沢の北側商店街の中央を通ることになり、既存の街を破壊分断することになる。何故今頃になり、この計画が浮上したのだろうか。僕にとっても少し勉強が必要なようだ。知ったばかりのことなので、現状、賛成でも反対でもない。ただ、今のところ心情的に、計画反対なのは間違いない。とりあえず今日は下北沢心情を吐露した。では

2005/04/29

風を撮りたい

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風を撮りたい。風の強い日にそんなことを思う。カメラを持って表に出る。晩春の風は、身を切られるような痛みは感じないが、それでも十分に圧迫を受ける。木々は先端になる程、風で大きくたわむ。マンションの鯉のぼりの矢車がカラカラと音を立て、まるでちぎり飛ばされそうな勢いで回っている。

季節毎に風が違うように。僕は晩春の風を撮りたいと思う。風の重さを撮れるのだろうか。風の匂いを撮れるのだろうか。風の息吹を撮れるのだろうか。海に出れば風の様子は波の状況でわかる。海面の色で季節も解るだろう。でもそれだけでは風を撮ったことにはならない。それは海面を撮ることでしかない。しかし、それさえも都会に住む僕にとっては難しい。

風を撮ることはブレを撮ることでもあると思う。ピントは合っているがブレている。ブレとは「ずれ」でもある。
昨日僕は、微妙にズレて別の自分がいて、そのズレに気持ちが妙に落ち着かなかった。自分とのズレは、なにも本来の自分というものがあると言うことではない。風に吹かれる末端の枝葉のように落ち着きがない、そんな感じに近いかも知れない。風を撮りたいという気持ちは、単にその時分の僕を撮りたいと言うことだと思っている。でもその時、誰かが僕を写したとして、どうやってもピントを合わせることが出来ないかもしれない。
僕は自分が写った写真を見るのは好きではないが、多分、自分が写った写真を見るときに、僅かに沸き上がる怖さがあって、その怖さは、ブレが写っているかも知れないという気持ちを持つからだと思う。

映画「リング」では、ビデオを見た人たちを写真に撮ると、画像がゆがんでいた。それは単に死に急速に向かう現在の姿を現しているに過ぎないとは思うが、そうであれば、映画でのゆがんだ写真は的確にその人を写していたことになる。あの映画でゆがんだ写真を見たときの恐怖は、本来の自分を見たときの恐怖に近いかも知れない。

ロバートキャパの「ちょっとピンぼけ」では、ノルマディ上陸のさいキャパが撮した連合国兵士の姿がピントが甘く、かつぶれていた。それはキャパ自身の手が震えていたからだが、逆にだからこそ、あの写真は上陸の模様が的確に撮されていたように思う。それは戦場での恐怖と言うより、生と死の境界線上で行動する人間が持つズレのようなものが現れていたと僕は思うのだ。

本来の僕が、ズレのある僕であるのかもしれない。そのズレは二重三重になり、微妙に重なったり離れたりしている。そのズレは時折「吐き気」をもよおす気分になるが、それ以上に、不安定さから、気持ちの中で、強い言葉を吐いたり、なじったりするようになる。なじる相手は自分だったり、他人だったり、社会だったりするのだが、多分それらの行為は自分のズレをなんとか一つに収斂させたい衝動が元にあるように思える。そう言う意味では全くサルトル的ではない。

都会に住む僕にとって、風の方向は前か後ろしかないように感じる。日本では土地毎に風の言い方が違う。誰かが調べたのかは知らないが、全国で約2300種類以上もの「風の言葉」があるそうだ。僕らは風を意識し、風と共に暮らしてきた、そういえるかもしれない。
オートバイで走るとき、当たり前だが風は常に前方から来る。風当たりが強いと感じるとすれば、それは自分が走っているから、ということを時折忘れるからだと思う。止まると、風は季節、雲行き、地形、気圧、天候、等々の状況により千差万別の姿をしていることに気が付く。2300種類の風の言葉を知りたいと僕は思う。

2005/04/28

ウェブログの心理学

書籍「ウェブログの心理学」を読んで漠然と思ったことは、ここに書かれていない事でもあった。この書籍はあくまで一般向けに書かれている。でも残念なことに、恐らくブログを書き続けている多くの人は、この書籍の先を歩いているように思う。それは「ウェブログの心理学」の著者たちが時勢に疎いと言うことではなく、書籍にするさいのタイムラグに近いように思う。この書が無駄だと言いたいのではない。テーマとしては十分に存在価値があると思うし、ある時点で状況を整理することは必要だと思うからだ。つまり、ブログのことを書籍化するのは難しいということだろう。やはりブログのことはブログで書かなくてはならない。そんな気がしている。

では具体的に何処がと問われれば少し困る。読んで特に反論もないし、意見もない。逆にこの意見が出ないこと自体が、僕にとっては何処という証左とも言える。例えば、考えを提示するとき、様々な文体があり媒体があるが、それらを選ぶことも大事だと思うし、全体が一つになって、考えが説得力を持つのだと思う。書いてある内容は間違ってないと思うけど、全体から受ける印象が現在のブログに合っていないような印象を持ってしまった。少し無茶苦茶な意見かも知れないが、それが「ウェブログの心理学」を読んでの感想だった。

ウェブ日記とウェブログが認識として同じか違うかは僕にとってはどちらでも構わない。同じと言えば同じなのだと思うし、別に両者の違いにこだわるつもりもない。ウェブ日記もブログが広まる前には、利便性が高かったように思えるので、ブログがウェブ日記より、サーバ側のアプリとして広まったのは、単にサービスを提供する会社のコストの問題だけのようにも思えるのだ。何が言いたいかと言えば、アプリが使いやすくなったので広まったのでなく、逆に広まったからより便利なアプリに移行したように思うし、ブログ利用者が広まった必然性が、社会の中でのどう位置づけされているのかが大事なように思えるのだが、それが薄いような感じがした。でも心理学にそこまで求めること自体酷なのかも知れない。

なんか感想になっていない・・・

ついでに言えば、「ブログブーム終わり」がブログないで話題になっているようだが、個人的には全く興味がない。興味がないと、ここで書くこと自体、少し矛盾する話だが、もともとブログから新たなビジネスモデルが登場するとも思っていなかったので、そう言う面では、終わりもなければ始まりもない。

2005/04/27

宛先のない手紙

拝啓
いかがお過ごしですか。僕は意外に元気で過ごしています。二匹いた家猫のうち、一匹が行方知れずになってしまいました。それ以外は特に変わりないです。

そういえば、先日警察署に行き盗難にあったバイクを引き取ってきました。そのままバイクの修理工場に直行で、現在組み立てと、丁度車検が切れていたので、車検の両方を一緒におこなっています。随分とお金がかかったと心配されている顔が浮かびます。でも大丈夫です。なんとか保険とかで、こちらが払う金額は少なくてすみそうです。

実は、ぎりぎりGWまでにバイクは元通りになると思っていたのですが、どうも間に合わなそうです。ということで、久しぶりのバイク無しのGWとなります。
間に合わなくなると思ったのは、ナンバープレートの再発行のさい、陸運局で未だに盗難バイク扱いになっていることがわかったときです。そのためにナンバープレートの再発行が出来ない状態です。警察からの返却連絡が陸運局に届いていないようなのです。

といっても図書館から読めそうもないくらいに沢山の本を借りてきているので、多分読書のGWになりそうな感じです。貴方はどんなGWを計画されていますか。

そういえば、警察署で分解されたバイクを前に、証拠写真を撮られたのですが、その際にどういう表情をしたらと良いのかわからなくて、本当に困ってしまいました。笑うわけにはいかないし、かといって怒るのもなんだし。かなり複雑な表情になっているように思えます。
考えてみたら、僕は写真を撮られるのが苦手で、学校などの記念写真では、いつも表情が途方に暮れた感じを出しています。それをみると、撮されるたびに、余計に自分の表情が気になり、どうもみっともよくありません。だから進んで撮す方になるんでしょう。それって、下戸がお酌専門になるのと同じですよね。

バイクが戻ると言うことで、実は年々の計画が今年も実行できるのだと喜んでいます。それは上高地訪問です。盗難にあったとき、まず考えたのが、「これで上高地に行けなくなるのか」、でした。
勿論GWにバイクが間に合っても、上高地に行くつもりはありません。逆にGWこそ、地元は人が少なく落ち着いた日々が過ごせるかも知れません。そう考えて、読書計画を考えています。

最近あいも変わらず嫌な事件が続きます。特に先日の列車脱線事故の凄惨さに驚きました。
貴方は感受性が強く、それが逆に人の悲しみに飲み込まれやすくなっているように思えます。確かに列車事故で、事故に遭われた方の顔が見えてくると、余計に身につまされてしまうものですよね。その気持ちもわかりますし、だから平静にって言うつもりもありません。心って難しいですから、流れるまま漂う時もあると思うのです。でも出来れば、漂っても最後は落ち着くところに戻って欲しいのです。老婆心ながら、それが僕からの精一杯のお願いです。

梅雨入る前、油断すると体調を崩してしまう事もありますので、くれぐれもご自愛していただきたくお願いします。そして、貴方の愛する人たちにもよろしくお伝え下さい。
敬具

心を込めて。 Amehare

2005/04/26

JR福知山線 列車脱線・転覆事故

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兵庫県尼崎市のJR福知山線で起きた列車脱線・転覆事故は通勤、通学客に多数の死傷者が出る大惨事となった。どうしてこのような最悪事態を招いたのか、脱線の原因はどこにあったのか。JR西日本や国土交通省、警察当局は徹底した事故原因の究明が必要である。
(産経新聞 4月26日 社説から引用
当然のことを言わなくてはならない時と場面がある、今回はまさにそういう時だと思う。
なによりも、73名(26日 8時55分現在)の犠牲者に哀悼の意を捧げ、生存者の救出を願わずにはいられない。

多くの場合、事故は予想する場面に起きているような気がする。例えば、「いつかおきると思ってましたよ」といった言葉に代表されるような。その場合、問題は既に現出していた、ということになるのだろう。

勿論、問題が現出していてもいなくても、真の原因は別の所に横たわっている場合が多いし、問題の組み合わせと連鎖の中で、最悪の場合、重大事故に発展していく。でもそれさえなければ、といった原因はそこに在るように思う。

しかし、今回の事故は謎が多いように思う。最初、事故を聞いて信じられなかった。地図で福知山線の経路を追ってみた。近郊都市間の連絡用として使われるだけあり、少なからずカーブが連続する。また、今回事故があったカーブはRがきついとも思えない。事故が起こる場所というのはあると思うが、どうもそのイメージに今回の場所が合致しないのだ。

手前に石の粉砕痕があるとのことだが、どれほどの石なのかは不明だが、それが脱線に繋がるような石だとすれば、明らかに脱線を意図するような目的があることになるが、石の運搬、他の人(例えばマンションの住民)に見とがめられる恐れもあることから、脱線に値する大きさとも思えない。レール上に何らかの細工が為されていたとの報道もない。

報道される事実は、130Km以上であれば脱線する可能性が大、当該電車は120Km以上の速度は出ない(設計上)、前の駅でオーバーランしている、乗客はいやにスピードが出ていると感じていた、事故目撃者も同様に速度が出ていることを指摘している、運転手は11ヶ月目、ジュラルミンの軽い車体、1分30秒の遅れ。

速度というのは感覚的なものなので、実際は不明だが、証言から時速70Km以上であったのは間違いないように思える。しかし問題は70Kmの持つ意味である。
運転手が教育などで、時速130Km以上であれば脱線すること、車両は時速120Km以上出せないこと等を、事前に情報として知っていれば、70Kmの走行理由は単に時刻通りに運行するための情報に過ぎなくなるのでないだろうか。
今回の事故を新聞などの報道記事で思うことはそういうことだ。

まず、ジュラルミンの軽い車体で、130Kmでの理論的検証は行っているのだろうか、その軽さと諸条件(坂・加速・風向き等々)で、設計上の制約である時速120Km以上出るというこことはないだろうか。さらに、オーバーランと定刻を過ぎての運行に対する罰則規定は運転手にどう影響を与えているのだろうか。

つまり、今回の重大事故で報道記事により浮かび上がるのは、JR西日本の企業体質と言うことになる。それは安全管理とかの問題ではなく、もっと本質的な企業文化としてのことである。そしてそれが、運転手の身体にどう影響を与えていたのかということだと思っている。

2005/04/24

永遠のファシズム

今時ファシズムを持ち出すのもどうかと思うが、たまたまウンベルト・エーコ「永遠のファシズム」を読んだ。この文は1995年4月25日にヨーロッパ解放記念行事として、コロンビア大学が主催したシンポジウムにおいて、米国青年向けに英語で発表したものが基になっている。その中で、ファシズムを、いかなる精髄もなく、単独の本質さえなく、ファシズムはファジーな全体主義であり、多様な政治・哲学思想のコラージュであり、矛盾の集合体としたエーコの言説に同感した。また原ファシズムの芽吹きとして幾つか箇条書きで載せている。確かにナチズムは原ファシズムのから派生した一つの形にしか過ぎない。
以下にウンベルト・エーコにおける原ファシズムの典型的特徴の要点を備忘として残す。10年前の意見だが、今でも十分に面白い。

1.伝統崇拝により知の発展を押さえる
『ニューエイジと書かれた本屋のコーナーに聖アウグスティヌスとストーンヘンジが一緒に並んでいることこそ原ファシズムの兆候なのです』

2.非合理主義
『ナチズムが産業振興を誇っていたとしても、その近代性賛美は「血」と「土」に根ざしたイデオロギーの表面的要素でしかない』

3.非合理的主義は「行動のための行動」を崇拝する
『思考は去勢の一形態』、『知的世界に対する猜疑心』

4.意見の対立は裏切り行為
『いかなる形態であれ、混合主義というものは、批判を受け容れることが出来ません』

5.人種差別主義
『意見の対立は、異質性のしるしでもあります。原ファシズムは、ひとが生まれつきもつ「差異の恐怖」を巧みに利用し増幅することによって、合意をもとめ拡大する』

6.個人もしくは社会の欲求不満から発生する

7.陰謀の妄想(敵を作る)
『社会的アイデンティティももたない人びとに対し、原ファシズムは、諸君にとって唯一の特権は、全員にとって最大の共通項、つまりわれわれが同じ国に生まれたという事実だ、と語りかける。 (略) この陰謀を明るみに出すいちばんの手っ取り早い方法は「外国人ぎらい」の感情に訴えること』

8.敵に豊かさや屈辱を憶える
『ファシズムがきまって戦争に敗北する運命にあるのは、敵の力を客観的に把握する能力が体質的に欠如しているから』

9.平和主義は悪
『闘争のための生』、『平和主義は敵とのなれ合い』

10.大衆エリート主義
エリート主義は弱者蔑視を伴う以上、原ファシズムは大衆エリート主義を標榜しないわけにはゆかない。
『市民はすべて世界最高の人民に属し、党員は最良の市民であるわけですから、あらゆる市民は党員であるはず』

11.一人ひとりが英雄になる教育
『英雄主義は規律なのです。その英雄崇拝は「死の規律」と綿密にむずびついています』
『死こそ英雄的人生に対する最高の恩賞であると告げられ、死にあこがれるものです』

12.潜在的主義を性の問題に擦りかえる
『女性蔑視や純潔から同性愛にいたる非画一的な性習慣に対する偏狭な断罪』
ただ、性への擦りかえも困難なので、『原ファシズムの英雄は、男根の「代償」として、武器と戯れるようになる。』

13.質的ポピュリスム
『個人は個人としての権利を持ちません。量として認識される「民衆」こそが、結束した集合体として「共通の意志」をあらわすのです。人間存在をどのように量としてとらえたところで、それが共通意志をもつことなどありえませんから、指導者はかれらの通訳をよそおうだけです』
民衆の声を聞いていないといい、議会に反旗を翻す。

14.新言語を話す
『ナチスやファシズムの教科書は例外なく、貧弱な語彙と平易な構文を基本に据えることで、総合的で批判的な思考の道具を制限しようと目論んだものでした』

原ファシズムは時として何気ない装いで身近にいるかもしれない。過激な発言をする右翼や左翼、もしくは反日を叫ぶ人たちは、逆にその存在だけで、救いがあるのかも知れない。

2005/04/23

UNO(ウノ)の必勝法

親戚にやたらとウノが強い奴が居る。そいつにUNOの必勝法を聞いたら「場を読む」ことだという。具体的に言えばどういう事なのさと聞き返すが、彼はニヤニヤしてそれ以上答えようとしない。

彼の戦い方を見てみると、Draw Two とか Draw Four とかのカードを序盤から使わない。それに戦端を開くのも自ら行わない。
出せるカードを持っているのに、出さずに引くときもある。それに相手のカードを引くのをつぶさに観察もしている。
しかも巧みな言葉の誘導で、自分以外のプレイヤーに行動をとらせてもいる。例えば何気ない一言、「あ、あいつあがりそうだなぁ」で注意をそらし、かつ自分以外に行動をとらせる。

僕の場合、人数が多くなると負ける率が高くなる。やはり把握できる人数の壁があるようだ。連鎖反応が見えなくなるし、見て予想しても、相手は常にそれを覆す。
逆に言えば予想外を予想すれば良いのだけど、予想外だからこれは難しい。順当というか、手順を無視するところに勝機が出てくるのは間違いない。

勝負の綺麗と汚いの線引きは難しいが、大抵は負けた奴が勝った奴に「汚い」と告げる場合が多い。でも勝てば何をしても良い等とは全く思わない。つまりは、ゲームは参加する人で造り上げていくというものなのだから、やはり美しいゲームにしたいと心がけている。それは勝つことより優先する。

西脇順三郎の詩論について、もしくは界面

萩原朔太郎は西脇順三郎の私論について以下のように語っている。
『人生に於いて、詩が要求されることの必然性と、詩を歌はねばならない生活の悲哀や苦悶(それがポエジーの本質である)を知らない』
(萩原朔太郎 「西脇順三郎氏の詩論」から)

詩は生活の中から産まれる。その点においては僕も同意する。ただ、萩原朔太郎が言うように詩を産む生活とは悲哀や苦悶であることに同意できない。それもあるとはおもうが、それだけでもない。西脇順三郎の詩集「近代の寓話」の冒頭文で、彼は詩について以下のように語っている。

『私の考えでは一つの作品は与えられた瞬間に於いては唯一つの形容をもっているが、それは常に変化して行くべきところを知らないのであって、決して定まるところが無いのだと思う。私の詩などは現代の画家と同じく永久に訂正しつづけるのであって、それは画人も詩人も同じことだ。一つの詩の存在は遂に無になるまで変化しつづけるのである。詩の生命はパラドックスでなく理論としては無であると思う』
(西脇順三郎 「近代の寓話」から引用)

確かに西脇順三郎の詩は萩原朔太郎から見ると、主知主義に偏る傾向があるかも知れない。ただ、それは見方を変えれば生活に対する見方の違いに過ぎないのではないだろうか。西脇順三郎も彼の詩に於いて常に生活を現しているのは間違いない。それであれば、西脇が考える生活とは、上記の言葉のように、永久に訂正し続け、その結果無になるまで変化をし続けるものと同義であることは間違いないと思う。

『アメリカのレイチェル・カーソンが言うように、浜辺のかたちは一瞬にして同じことはない。 (略) 「海と陸の接点はつねにとらえがたく、はっきりと境界線を引くことができない」 (略) そんな浜辺は日々の生活に似ている。小さく閉じながらもさまざまな情勢へと開かれ、単調な反復に見えながらも歴史の不可逆的な変動に左右され、微温的だが数多の情念の激高を惹き起こし、残酷なまでにしたたかでありながらも極度に脆い生活に』
(合田正人 「レヴィナスを読む」から引用)

上記の合田正人の一節と西脇順三郎の言葉とどこか相通じるものがあるように思う。それは、寄せては返す波のように、自分の詩を無限に訂正し続ける作業であり、境界線という無に向かう作業でもあるような印象だ。
盤石に思える生活も一瞬の出来事で足下からすくわれる思いを持たれた方も多いことだろう。それはやはり何かの境界線上に僕らの生活があることの証左のように思える。そして、生活だけでなく、「ある」と「ない」、「好き」と「嫌い」、「出来る」と「出来ない」等の狭間の中で僕らも揺れ動いているのではないだろうか。
萩原朔太郎の詩論は、どちらか一方に振れたときの感情がポエジーであるかのように聞こえてしまう。でもそうではなくて、ポエジーは僕らが普段の脆い日常の中にこそ存在しているのように思う。それは綱渡りの日常でもある。その境界を感じる中に、それを表現する中にこそポエジーはあるように思うのだ。

勿論、それを詩作する場合、それだけではなく詩においても、詩と詩でないものの境界線が存在している。詩は詩作するものであって、その点において小説とは違う物だと思うからだ。(小説は書くといい、詩は作るという)

『大げさに言えば、物質文明の管理社会は、詩に限らず芸術の毒は簡単に見抜いて、溶かしてしまうから、詩人という軽蔑以上に、詩人という賞賛をより警戒しなくてはならない。 (中略) 詩と詩でないものとのスレスレでなくてはならない。これはあまりにもむずかしいから、結局は詩でない危ない方へかたむくよりも、詩である安全な方へかたむいたとは思うけれども、わたしが一人の読者、観客となる時、たいてい、スレスレでそのものではない方へかたむいたものをおもしろいと思うのである』
(富岡多恵子 「詩と詩でないもの」から引用)

僕らのまわりには常に境界線が存在していると思う。漫画「プラネテス」の中でユーりーがハチの弟キュータローに、宇宙と地球の境界線はないと宣言する。確かにアナログ的な状況下でそれを明示的に線引きするのは不可能だと思うが、宇宙からと、地球からのせめぎ合いの中で、人に知覚できない中で境界線はあるのでないだろうか。それは厚みがなく、多くの方が言うように界面という名の境界線だと思う。
詩と詩でないものの境界線上に詩の生命はある、という富岡多恵子氏の言葉は西脇順三郎の言葉と同じ意味を持っていると思う。そしてそれはあらゆる芸術に対し言えることでもあるように思うのだ。

富岡多恵子のいう「詩である安全な方」とは、詩としてのイメージに合致した比喩としての言葉の羅列のような気がする。具体的には、巷に氾濫するJーPOPの歌詞がそれに相当するのでないか。中には詩として面白いのもあるが、多くはそうではない。ただ、それらは歌詞だけでなくメロディとの総合性で判断するものなので一概には言えないとは思うが、日本における詩の衰弱(もしくは死)の要因の一つだと僕は思う。ただしそれは原因では勿論ない。JーPOPの歌詞の多くが、萩原朔太郎の詩論の呪縛「生活(恋愛)の悲哀や苦悶」が未だに覆っているかのように思えて致し方ない。勿論それは悪くはないが、詩というイメージを固定化させることに僕は抵抗を感じる。それに、萩原朔太郎の呪縛は「詩である安全な方」により近いのではないだろうか。ただ、萩原朔太郎の天才があったからこそ、その中で彼は詩を作ることが出来た、そんな印象を持っている。

西脇順三郎の詩を語るとき鍵語として「淋しさ」が強調される。それは「存在の淋しさ」というものでも「淋しい存在」というものでもないように思える。これはあくまで僕の直感で根拠がないのだが、境界線上での日常の脆さの中で、言葉を選び綴った結果、淋しさが表出したような、一つの結果としてそれが現れたような気がしている。それをなんと言えばよいのだろう。この場では上手い言葉が見つからないが、浜辺で佇む淋しさに近いもののような感じに近い。

2005/04/21

ブラフ・シューペリア

ブラフシューペリア

T.E.ロレンスはモータサイクルが大好きだった。彼が乗るバイクは決まっていた。1921年に操業開始したブラフ・シューペリアである。バイクのロールスロイスとして名高いこのバイクを彼はこよなく愛した。

ブラフ・シューペリアの歴史は1908年イギリスのノッチンガムから始まる。父であるW.E.ブラフが始めたモータサイクル事業を息子であるジョージが引き継いだのである。別途会社を興したのは、一族の不和が原因とされている。

バイクのロールスロイスと宣伝した理由の中で最も大きいのは、値段が高いことだった。勿論、高品質でありスタイリングも良いことから、高くてもこのバイクは売れた。ブラフ・シューペリアがその歴史を閉じたのは、第二次世界大戦で戦時協力としてバイク製造を辞め、1940年に航空機部品の製造に転換した事による。その後二度とバイク製造に戻ることはなかった。

T.E.ロレンスはブラフ・シューペリアのSS100シリーズの全シリーズを購入して、友人であるジョージの名前を付けた。ご存じの通りにロレンスはバイク事故が原因で亡くなるのだが、その時に乗っていたのはジョージ7号であった。実はジョージ8号を既に購入済みで納品の為の整備中でもあった。最後に乗っていたジョージ7号は現在英国「The National Motor Museum 」で展示している。

T.E.ロレンスが「アラビアの」と形容詞を付けて紹介されたのは映画による功罪が大きいだろう。功としてみれば、この極めてユニークな男が認知されたということ、罪で言えば、ロレンスがその時点から面々と続く中東問題の一つの責任を担っていると誤解されたことである。

ロレンス研究でも明らかなように、ロレンスに現在の中東問題における責任は一切ない。
そのロレンスの言葉に「スピードの向こうに永遠が見える」がある。本当にこのような言葉を彼が語ったのかは真偽の程は僕にはわからない。ただ、彼の言葉としてふさわしい印象を受ける。実はこの言葉は漫画「ケンタウルスの伝説」から知った。以前に(今でもあるかわからないか)「ミスター・バイク」という月刊雑誌があり、そこに連載されていた漫画だった。

横浜にあるバイク屋「ケンタウルス」のマスターとそこに集まるライダーの物語であり、登場する男たちは殆どが中年だった。バイクという乗り物の一つの姿をそこに僕は見た。
その漫画で、ある時コーヒーを飲みに行くことになった。行くべき珈琲屋は神戸にある。それを日帰りで飲みに行くのだ。横浜から神戸まで。漫画の中では「600マイルブレンド」と称していた。チーム・ケンタウルスとは実在するバイク屋なので、この話も実際にあった話だとおもう。馬鹿な男たちだが、格好が良いのだ。

今から考えれば、その珈琲屋は「茜屋珈琲店」ではないかと想像する。神戸三宮に昭和41年に船越さんが開いた「茜屋珈琲店」は、船越さんが軽井沢に転居することより、店を軽井沢に移した。家の近くに暖簾分けした「茜屋珈琲店」がある。そこのカレーが美味である。

1935年5月13日、肉屋の店員バート・ハーグレーブスと友人のフランク・フレッチャーは、商品の配達のため、自転車で走っていた。後方からブラフ・シューペリア(ジョージ7号)に乗っていたロレンスが近づくが、道は見通しが悪く、避ける間もなくバートの自転車と衝突してしまう。ロレンスは投げ飛ばされ頭を強く打ち意識不明となる。そのまま病院に運ばれるが6日後の19日の朝死亡する。46才であった。映画では自転車を避けるための単独事故と扱われたこの事件は、ロレンスの英雄像を造る意図がそこにある。ロレンスは少なくともステレオタイプに語られる英雄ではないと僕は思う。でも何故か、リンドバーグと共に惹かれる。

ブラフ・シューペリア SS100
エンジン:OHV 2気筒
ボア・ストローク:80×99mm
排気量:998cc
推定最高出力:45馬力
気化器:ブラフ・ダブル・フロートチャンバー
点火方法:マグネト?発電機
変速機:4速手動変速
フレーム:チューブラークレードル
ブレーキ:前後ドラムブレーキ
重量:181kg
最高速度:161km/h

ロレンス参考サイト:「アラビアのロレンスを探して
ブラフ・シューペリア参考サイト:ブラフ・シューペリア

画像はロレンスが最後に乗っていたジョージ7号

2005/04/20

Newsweekの記事に掲載している写真

あらかじめ述べるが、この記事には政治的な意図は何もない。ただNewsweek日本語版に掲載していた記事「イラクに散った親子のきずな」の写真が気になっただけである。実を言うと記事も読んでいない。掲載していた写真がインパクトがあり、記事を読む気がしなくなったのだ。
該当の写真はイラクで亡くなられた陸軍スティーブン・バートリーノ2等軍曹の家族の写真である。写真の構成を文章で語ると以下のようになる。

1.場所は郊外の住宅地にある、何かの運動場。家族の足下はまばらになった芝生の上に立っている。運動場の垣根とそのむこうには家々が立ち並ぶ。上空は雲がかかり、少し暗い。
2.家族は母親を入れて5人。中央に赤いセーターを着た軍曹の奥さん。すこし顎をあげて視線を上に向けている。彼女の両手は末っ子の男の子を背中から抱くような感じで、男の子の胸あたりで交差している。
3.末っ子の男の子は父親に与えられた勲章を両手で少し持ち、それを正面に見せている。
4.奥さんと末っ子の両脇には長男と次男らしき男の子が立っている。男の子たちは中学か高校生くらいで、二人とも両手をポケットに入れている。
5.この4人の頭を結ぶと綺麗な菱形となるような位置関係となっている。
6.4人に少し離れて右側に少女が一人立っている。小学生の少女で少し暗めのブルーのセーターを着ている。少女の距離は少し遠く、遠近感により、かれら4人と較べてかなり小さく見える。

Newsweekはムック形式の雑誌で薄いこともあり、読むときは多分半分に折って読むことだろう。そして半分に折ったとき、この4人と少女は綺麗に別れる。
この写真だけを見ると、健気に父親の勲章を持っている男の子と、これから頑張って生きようとする母親、そして二人を守っている兄弟の印象を受ける。彼らと離れ、一人少女が父親の不在を悲しんでいる。

僕は、この写真の見方に、自分の解釈を入れないように努力して書いたつもりだ。見ればわかるが、その様に写真が撮られているのだ。Newsweekのような一般向け雑誌であれば、このような商業的な撮り方をするのは理解できるが、でも少しやりすぎではないかと僕は思った。あまりにも意図的な構図に、少し嫌な印象を持つ。

このような構図の写真が、記事「イラクに散った親子のきずな」には到る処で使われている。
スティーブン・バートリーノ2等軍曹が、どのような状況で亡くなられたのか僕は知らない。勿論、彼の人となりも知るよしもない。ただ役割を担い、その役割に殉じて亡くなられたことだろう。その役割が彼本人の望むところでなかったにせよ、彼は一陸軍兵士として死んでいった。それについて、僕はなんの感慨も持たない。

ただ、この写真で彼は再び別の役割を担う事になるのかもしれない。しかもそれを家族が後押しするのである。それをなんと言ったらよいのであろうか。

人は他人を見て「誰」と聞く前に「何」と聞く。あなたは何者?そう多くの人は、お互いに聞き合うことだろう。「何」とはその人の社会的な役割を指し示しているように思う。「誰」から「何」への還元は「殺人」に等しい行為と見なしたのはレヴィナスだった。だとすると、スティーブン・バートリーノ2等軍曹は家族の手で2度目の死を迎えることになる。

僕がこの写真に感じることは、そういった残酷性だった。これは報道写真ではない。もし普通の感覚を持ったカメラマンであれば、このような構図を意図的には造らないはずだ。そう思う。
Newsweekのような雑誌であれば、商業性から見て当然の構図かも知れない。掲載すべき写真はこうあるべきなのだろう。でも正直言って僕はこの写真の構図に少し吐き気を感じる。

翻って自分のことを考える。最近の僕はワシリー・グロスマンの死に方が気になって仕方がなかった。脱稿後即時KGBに押収された小説「人生と運命」を書くような作家である。しかも執筆後から近い年に亡くなられている。僕はそこに何らかの事態が起きたのだと感じている。
しかし、さらに考えてみれば、僕にとって、スターリニズム批判を行うような作家は、あの時代において無惨な死を迎えなくてはならない、という思いが底にあるのも事実だった。

逆に言えば、僕はワシリー・グロスマンに何らかの役目を背負わせたかったのかもしれない。それは、僕の中で彼の二度目の死を迎えさせることに繋がる。
今回このNewsweekの写真を見て、僕はそんなことに気が付いた。だから、ワシリー・グロスマンの死のことはこれ以上詮索するつもりはない。

正直言えば、今回ブログにNewsweekの写真の事を書くかどうか少し迷った。書き方を誤れば、僕の中でスティーブン・バートリーノ2等軍曹に対し3度目の死を与えてしまうからだ。それは僕の望むところでは絶対にない。少しわかりづらい文章になったとしたら、それはその配慮からだと思って欲しい。

ワシリー・グロスマンを探して 続き

帰りに図書館に寄った。目黒区の図書館は夜9時まで開館しているのでとても便利だ。
図書館に入りしばらくして女性の相談員の方に声をかけられた。

「すみません、ワシリー・グロスマンの事で調査を依頼された方ですよね」

僕が相談をしたのは男性だったので、見知らぬ女性の相談員の方より声をかけられるとは思っても見なかった。

「え、あ、はい。そうです。でもよく僕だとわかりましたね」

「あ、調査を依頼された方より話を聞いていたもので・・・」

答えになっていないと思ったけど、彼女が僕を見つけたのは事実だ。それに僕は人から言わせるとかなり目立つらしい。外見がそうさせるのか、挙動が不審なのか、どちらななのかは今もってわからない・・・

彼女の手には調査の内容と思われるファイリングケースと書籍を1冊持っていた。一瞬、「人生と運命」かと思ったが、背表紙に書かれていたのは「万物は流転する・・・」だった。

でもあれから、図書館員さんたちは調べてくれたらしい。その調査内容は、僕がネットで調べたのと同じであったが、その誠意に自然に頭が下がる。
一つの小論文が今のところ唯一の手がかりらしいが、その小論文を掲載している冊子は既に出版元では在庫切れで、ただ唯一国会図書館で資料閲覧が可能らしい。

後日に自分自身で行き、コピーをとることで話を終える。調査内容の深さでなく、その行為自体に感謝する。とてもありがたいと思う。
ところで、「万物は流転する・・・」の後書きに、ワシリー・グロスマンの事が少し載っていたが、モスクワで亡くなったらしい。でも死因についてはまったく記述がなかった。気になる。

2005/04/19

映画「LOVE LETTER」小考

loveletter

映画「LOVE LETTER」は1995年に公開された。監督は岩井俊二さんで、彼にとっては初めての長編映画となる。
山で遭難死した恋人宛てに出した手紙が、偶然にも同姓同名(藤井樹)の女性に届き、そこから恋人の中学校時代の思い出を語ることで、現在の恋人でもあった女性の心情と、過去においての少年少女の淡く不器用な思いが抒情味豊かに語られていく。
今でもこの映画に共感する人も多いと思う。この映画は韓国でも大ヒットし、一時は舞台となった小樽に韓国旅行者が多く訪れたと聞いている。
この映画で言う、ラブレターとは一体何なのか。それは神戸の女性が亡くなった恋人に差し出す手紙のことであり、中学時代の思い出の中で少年「樹」が少女「樹」の名前を図書カードに書き綴ることでもある。

初めに恋人に差し出す手紙の宛先は届くはずのない宛先であり、いずれは自分の所に必ず戻る手紙でもあった。つまりは自分宛に出した手紙でもある。また少年「樹」が綴る名前は、少女「樹」の名前だけでなく自分の名前でもある。つまり、この映画は愛する者を自分の中に取り込みたいという同一性が底に流れているともいえるかもしれない。

ただ、そうはいっても僕はこの映画が好きである。最後の「失われた時を求めて」の図書カード裏面に描かれた少女「樹」の似顔絵をみて、大人になった「樹」が自分の幼い恋心を自覚して涙ぐむシーンが、それまでの閉塞感を打ち消すさわやかさとなって気持ちが良く、とても好きだ。

最初の手紙の内容は、「拝啓、藤井樹様。お元気ですか? 私は元気です」だけとなっている。これは手紙の冒頭に過ぎない。亡くなった恋人に対し、言いたいことは色々とあるだろう。何故この手紙の内容は挨拶だけだったのだろうか。それは、前段の映画のあらすじと異なるが、返事が必ず来るはずの手紙だったからのような気がしている。挨拶は反復される。映画の終盤近くに、神戸の女性が山に向かって「お元気ですか」と呼びかける。それは木霊と現在の恋人の掛け声、さらには小樽の病室での女性の言葉によって反復される。反復されることにより、お互いが認証し合う。しかしこれは映画全般を通じて思うことだが、そこには成人となり亡くなった男性「樹」の存在はない。中学時代もそうだったが、成人となり亡くなった「樹」の存在は、この映画では果てしなく薄い。ただ、唯一彼の存在を強く想像出来たのは、山での遭難時に歌う松田聖子の歌詞によってだった。

ただ映画評論家からの視点はこの映画に対し厳しい。
『回想シーンで素晴らしい抒情味を湛えたこの映画は、構造としては回想が主体、その限りで明瞭な中心性を貫いているのだが、それは自己愛的中心性が、作品構造に反映しただけともいえる。この作品には同一性だけがある。その意味ではこれは映画ではない。他者の身体の傷跡が過剰に観客に貫入して感動を与えるのが映画だとすれば、この作品では構造的な自己愛が鏡面反射のかたちで観客の自己愛に点灯させ、それが疑似感動になっているだけだ』
阿部嘉昭 「Love Letter」は映画ではない から引用)
確かにこの映画には多くの類似とも同一性とも言えるものが登場する。同姓同名、瓜二つの女性、小樽の女性の父親が風邪をこじらせ死んだ状況の繰り返し、白樺の名前「樹」等々。少年少女の淡い恋心がわかるだけに、阿部さんの評論に対し抗う強い言葉を僕は持っていない。しかし、この映画に対する評価は微妙なところで違うのも確かだ。(例えば、阿部さんの評では山での呼びかけはあざとくて嫌いだと宣言している。)
でも阿部さんが評されるように、この映画と少女漫画の世界観は同根かも知れないとは思う。
『つまり、「自分に似ているものは世界に無限にあり、それら相似物の存在により世界は穏やかに連鎖している」とでもいうような。これは読者~描き手の関係を考えれば、少女漫画の根幹にある世界観だとも理解できるだろう』
(阿部嘉昭 「Love Letter」は映画ではない から引用)
『ヒロインの古層にあった、けっして意識化できない、浮遊する恋情が、時間を超えた得恋体験として書いて側から照射されるこの作品のラストシーンは、確かに観客にとっては癒しの瞬間である。 (中略) これらにあっては観客は画面を観るという行為を貫徹できない。つまりは観客は画面の代わりに自分自身を否応なく見てしまうからだ。それらの画面は実は観客を愚弄している。つまり、「Love Letter」はポルノグラフィの亜種なのである』
(阿部嘉昭 残酷もまた「私」を癒す から引用)
ただ、阿部さんはこの映画をテクストとしての限定した世界観でのみ評しているように見受けられる。それであれば、何故この映画が日本と韓国において多くの共感を得られたのかの説明に続かない。つまりこの映画評は、「ふーん、それで何?」といった感想しか持ち得ないのも事実のような気がする。それは、テクストとしてのみこの映画を捉え、全体の流れの中で評していない視座がそこにあるからではないだろうか。ただ、映画公開時に発表したこの評にそこまで求めるのは酷なのかもしれない。

さらに、この映画は現在韓流と呼ばれる韓国で制作された様々なドラマと映画の一つの型になっている印象を受ける。だとすれば、この映画を再度評論することで、韓流ドラマが何故日本で受け容れたれたのかの新たな視野もそこに見つかるかもしれない。例えば、少女漫画的世界観を根底においての日韓の文化論など。そんなことを、久々にこの映画をDVDで見て思った。

2005/04/18

ワシリー・グロスマンを探して

1.発端
発端は合田正人さんの「レヴィナスを読む」(NHKブックス)の一文(下記)からだった。

『レヴィナスが世紀の証人と挙げている人物がいる。ロシアの作家ワシリー・グロスマン(1905-1964)の遺作「人生と運命」の登場人物のひとり、イコニコフである。「人生と運命」はスターリングラードの攻防を中心にナチズムとスターリニズムとの双生児的相似を描き出した衝撃的な大作で、KGBによって1960年に没収された草稿が奇跡的に国外に持ち出されて、80年にスイスの「人間の時代」社から出版されたのだった』

僕はこのワシリー・グロスマンの「人生と運命」を無性に読みたくなった。もとよりロシア文学に明るいわけではない。読んだ小説もたかが知れている。しかし上記に続く合田さんの文章が読書の意欲をもり立てる。

『イコニコフはむしろこの作品では脇役的な存在で、しかも、才気に乏しい人物として描かれているのだが、レヴィナスは、そのような冴えない人物だからこそ時代の本質を看取することができたのだという点を強調している』

実を言えば僕もこの考えに同感する。無論僕には才気の有無を判定する能力も資格も持たないが、自分がそのどちらにはいるかくらいは知っている。それであれば僕自身も「時代の本質」という眩しい言葉の幾つかを語ることが出来るはずだが、悲しいことに才気乏しい人は自分が何を語っているかを識ることが出来ない。イコニコフも同様であろう。その脇役的なイコニコフに僕はある意味同一化して、彼がナチズムとスターリニズムの中でどのような行動をしているのかが気になったということなのだ。これは是非とも読みたいと僕は思った。

もう一つの視点は、所謂日本の一般新聞紙としての目線における新たな見方の模索でもある。イコニコフと同様の目線で一般紙が記事を扱っているのであれば、連続する歴史の一こまとしてそこに知識人層が語れぬ「時代の本質」が隠されているかも知れない。そんな気持ちが僕によぎったのも実はある。

さらに本音を言えば、「時代の本質」なんて特に知る必要もないのかもしれない。イコニコフも時代の本質など知ったところで、彼はナチズムとスターリニズムの渦から逃れる事はできなかったはずだ。それは俺の力なんてたかが知れているという、ある意味決定論の波に飲み込まれ、単に愚痴の一つでの言いたくなったその中に、後の人がその愚痴を見つけ解釈の中に無理矢理定義づけたのかも知れない。つまり、「時代の本質」なんかを語る前に、彼は家族とか愛する人を連れてどこか遠くに逃げれば良かったのでないか。そんな思いも持っている。でも何処に逃げるというのだろう。

多分「人生と運命」を読む以前に、現在の日本では、才気云々に関係なく「時代の本質」は到る処に転がっている。例えば、様々な漫画の中にそれらは隠れているかもしれない。売れる漫画から同人誌の内輪の漫画まで、その中で多くの読まれる理由は「時代の本質」ではなく、たんなる時代のムードかもしれない、でもそのムードとして要請される中に「時代の本質」は隠されているような気もする。

なんだかんだといっているが、僕はこの本を本当に読みたいのか。一種のノリに近い勢いで読もうと思っているのは事実だ。でも本を読む時、そう言う気分も必要な場合もある。その気分は大事にしなくてはならない。

2.図書館にて
返却すべき書籍が10冊近くあり、目黒区八雲中央図書館に行ってきた。その際に、図書館員の方にこの「人生と運命」を相談しようと思っていた。後から考えると、まずはインターネットでの検索を行うべきであった。ただ、僕は日本において、すべからく著名な小説は和訳されていると思いこんでいたから、直接図書館員の方に相談することが近道だと思った。

対応してくれた図書館員さんは50代くらいの男性で、頭が8割くらい白髪でメガネをかけた気のよさそうな人だった。実を言うと図書館の相談コーナーに座っているのが男性だったのが良かった。女性であれば僕は男性に替わるのをしばし待ったことだろう。以前に何回か女性の相談員で、なにかつっけんどんな対応をされたので、少し閉口していたのだった。つっけんどんと言っても横柄と言うのではなく、勿論彼女の仕事はキチンとこなしていたのだけど、対応が事務的すぎるのだ。本を探す楽しみというのがあって、できれば少しの時間でも共に語り合いながら楽しみたいと思う。勿論本を探すのが目的であって、探す行為自体が目的ではないのはわかるが、そこに楽しみを持つのとそうでないのでは、得られる結果は間違いなく違う。

その男性の相談員に合田正人さんの本「レヴィナスを読む」を見せて、ワシリー・グロスマンの本を読みたいと告げる。彼にとっても初めて聞く作家だったらしい。まずは都立図書館で検索する。ヒット無し。続けて国会図書館。そこもヒット無し。彼の著作としてあるのは「万物は流転する・・・」のみであった。そのタイトルであれば僕もきいたことがあった。ああ、同じ作家だったのかと、以前に比べ少し親近感を憶える。といっても僕は「万物は流転する・・・」も読んだことはないのだが。

もしかすると「人生と運命」というタイトルでは無いのかもしれない。相談員は少し待っててくださいと僕に告げ、少し離れた百科事典の棚から集英社の文学事典を取り出し、ワシリー・グロスマンの事を調べ、僕に見せてくれた。その事典にはこう書いてあった。

『グロスマン ワシーリー・セミョーノヴィチ 1905・11.29?1964.9.14 ロシアの作家。ウクライナ共和国ペルジチェフ市のユダヤ系科学技師の家庭に生まれる。 (中略) 第二次世界大戦中は赤軍機関誌「赤い星」の通信員として従軍、多くのオーチェルクを執筆。43年頃より二部からなる大河小説に着手。スターリングラードの攻防戦を軸に現代史の一断面を一家庭の様々な人物を通して描き出そうとするもので、その第一部「正義のために」は52年に上梓された。 (中略) 当時ソ連で猖獗を極めた排外主義と反ユダヤ主義キャンペーンを契機に作者の歴史観は一変し、続いて着手された第二部「生活と運命」においては、ナチス・ドイツとソヴィエト・ロシアを同じ強制収容所へ行き着く同質の2つの体制と見る視点が確立している』

「生活と運命」と辞典では書いてあるが、これは間違いなく「人生と運命」の事だ。なるほど二部からなる大河小説だったのか。相談員の方と僕はお互いに顔を見合わせ、同じ思いをもった。それでは今度はと「生活と運命」で検索をし直す。でも、結果はヒット無し。
ここで無茶苦茶な推理が出てくる。それは「万物は流転する・・・」が、実はこの「人生と運命」の事ではないだろうか、ということ。人生と運命は流転するものだ。でも当然にこの案は即時却下。
うーむ、和訳はないかもしれない・・・・

ただ、相談員はやる気になっている。見せかけかも知れないが、僕からはそう見える。1週間ほど時間を下さいと云われ、お願いすることにした。相談を始めてから、ここまでやく30分間くらい。楽しかった。

実を云えば、この探す過程の中で僕の興味は、「人生と運命」という書籍から作家個人への興味に繋がっていった。考えてみれば、「時代の本質」という訳のわからぬものから、書籍の興味になり、作家自身への興味に変わっていったことにある。まぁそういうものかもしれない。

3.インターネットで
家に帰ってからネットでワシリー・グロスマンの事を検索する。思った以上に良いサイトが見つかる。しかも彼の短編小説も翻訳されて3編載っていた。こんどじっくりと読んでみよう。特に記事である、「ワシーリー・グロスマン(1905-1964)の人生と運命」は良質な情報だと思う。ただ気になったのは、彼の死についてであった。今のところかれがどういう死に方をしたのかがわからない。無惨な死に方をしてなければよいが、ふとそう思う。

さらにネットでわかったことは、「人生と運命」は翻訳されていないということだった。少し残念だとは思うが、それと同時に、もしかして今でも気にしているかも知れない図書館の相談員のメガネをかけた姿を思い出す。

でもこういう本は翻訳されることはないんだろうなぁ。
「人生と運命」について、合田正人さんの書から少し掲載する。

『強制収容所の中で、イコニコフは書き記している。「今や、ドイツおファシズムの恐怖が世界を覆っている。死にゆく者たちの叫びと涙が待機を満たしている。空は暗く、焼却炉の煙が太陽をかき消してしまった。しかし世界では類を見ないこの犯罪、地上の人間たちが目にしたことのないこの犯罪は、善の名において犯されている」と。』

『イコニコフの手記はさらに続く。「かくも恐ろしき巨大な善とは別に、日々の生活のなかで発揮される人間の善意が存在する。それは、道行く徒刑囚に一切れのパンを与える老婆の善意であり、傷ついた敵に自分の水筒を差し出す兵士の善意であり、老人を哀れむ若者の善意であり、老いたユダヤ人を納屋に匿う農夫の善意である。他の個人に対する個人のこのような善意は、証人なき善意であり、イデオロギーなき善意である」』

合田正人氏はこの善意に対し疑問を呈している。果たしてそうであろうかと・・・。巨大な善から強制収容所が産まれたのであれば、小さな善においても小さな悪意が産まれるのではないだろうか、そう彼は述べる。

『イコニコフの手記を読了した別の登場人物は、「こいつは愚かにも全世界の火災を洗面器の水で消そうとしている」と愚弄する。大事と小事。マクロなものとミクロなものとの混同が糾弾されているが、レヴィナスは逆に、「取るに足らない私の行為で世界の何が変わるというのか」などと言わないように、という』

僕らの生活の中から平和は生まれると思う。

2005/04/17

ジュニアとレオの表札

表札

以前にジュニアとレオのために深大寺境内にある焼き物屋で作成しました。
しかしレオは何処に行ったのか・・・
元気でいれば嬉しいのですが。

2005/04/16

多少照れながら、キースヘリングから文学のことを思う、あるいは一つの失恋を語るときの感傷

200504161198a2b4.jpg小林秀雄の対談集に面白い話があった。確か湯川秀樹との対談のなかで話されたように記憶している。だいぶ記憶が薄らいでいるので、確かではないが、小林秀雄は実際に出会って話が面白い作家と、まったくつまらない作家がいると言っていた。そして、大抵の作家は実際に会って話をすれば、彼が書いた小説以上に面白いのだとも言っていた。その際の彼の言葉が印象的だった。

「だって、誰もドストエフスキーに会いたいなんて思わないでしょ」

ドストエフスキーに会っても、彼の作品以上のものが話の中に出るとは思えない。なぜならドストエフスキーは彼の小説の中において、それこそ全てを書き表しているからだろう。
そうなると、小林秀雄のいう会って話が面白い作家とは、幾分皮肉が込められているのは間違いない。

作家といえども、この厳しい競争の中で生きていくために、様々な営業活動を行う他はない。彼らは、書店でサイン会を開き、トークショーに出演し、もしくはテレビ出演を行う。ただ、それらの営業活動が、かつてあったであろう作家の神秘性を堕としているのも事実だと思う。彼らは、既に我ら読者と同じ人になってしまった。読者と作家の境界線は今では何処にもないのかもしれない。

僕自身が作家が登場するそれらの場に興味がもてないのが、これらの意見の根底にあるのかも知れない。それでもそういう場に1回だけ行ったことがある。ただし、会いに行ったのは作家ではない。
本当に昔の話だ。まだ子供だったころの話。キースヘリングが日本に始めて来たときのこと、青山のギャラリーで行われた歓迎パーティに参加したのだ。そのパーティはオープンだから誰でも参加できた。50~60名くらい集まっていたと思う。今から思うと少ないが、その頃は誰もキースの事なんて知らなかったから、僕にとっては逆に随分と大勢に思えたものだった。

素敵なパーティだった。食べ物と飲み物は豊富だったし、それぞれが和気藹々と談笑していた。当然にその中にキースもいて、常に誰かと話をしていた。
彼が話をするというのは、それは絵を描くと言うことだ。彼の挨拶は絵であり、常に何かに描いていた。僕も挨拶を交わした。キースにとっては、多分年少者と思われる僕が近づいてきて、「あなたの絵が大好きなんです」と言われたことにとても喜んだ事だろう。メガネの奧のあどけない瞳がそれを語っていた。
僕の持ち物にも絵を描いてくれた。布製の財布には狼を描いてくれた。ハンカチには赤ん坊の絵を描いてくれた。手帖には人を描いてくれた。それはまさしくキースにとっては証をつけることであり、挨拶だった。

キースヘリングは1990年2月16日にエイズで亡くなる。享年31才の若さだった。

小野ヨーコはキースヘリングの立ち位置がビートルズのそれと同じだったと言っていた。ビートルズが音楽という芸術の外に立っていたように、キースは絵画という芸術の外に立っていた。しかしそれは完全に僕らの側にいたというのでなく、芸術と僕らの間に立っていたような、そんな印象を僕は持っている。

マドンナはキースの絵に皮肉が込められていると解釈しているように、それぞれの人にとってキースはそれぞれの姿で今でも存在している。僕にとってはキースの絵は、コミュニケーション言語だし、特に「こんにちは、今日は良い天気ですね」と同じ挨拶の言葉だと思うのだ。全ての人が気持ちを込めて挨拶をし合えば、きっと平和な世の中になる。僕の中のキースはそういつも語っている。

作家たちの中でビートルズ、キースと同じ立ち位置の人はいるだろうか。小林秀雄が提示した凡庸とそうでない作家の基準と共に、僕にとって一つの基準になっている。それらは作家の様々な営業活動の事をさすのではない。作家のテクストと行動の中にそれは存在している。
最近文学という何かを、作家は自ら貶めているように思えて致し方ない。貶めることは僕らに近づくことではない。それは決して違うとおもう。

キースヘリング公式サイト

キース

2005/04/15

「お風呂で読書」のアイデア商品

200504153fc9ca47.jpgニューズウィーク(日本語版)から見つけた興味深い読書アイテム、風呂で読書をする僕としては是非とも試してみたい。

『大空を舞うカモメを正面から見たような形で、胴体部分が筒状になっている。ここに親指を入れ、腹側のとがった先端を本のノドに押し当てると、翼の部分が左右のページをしっかり押さえてページを開いてくれる。なかなか快適。力はいらない。これならぬれてないほうの手で、開いたままの本を支えられる』
(Newsweek日本語版から引用)

筒状の直径の大きさがSサイズからXLサイズまでの4種類あり、かつ色は6種類ある。この6種類はたぶんに虹の色数と同じ感じを受ける。英米では虹の色数は6色だからだ。
サイトをみると、現在販売している書店には日本は含まれていない。また、オンラインショップでの販売も現在交渉中だとかで、Webサイトをチェックしていて欲しいと書いてあった。

Thumbthing HP
Newsweek日本語版紹介記事

2005/04/14

村上春樹「象の消滅」

「象の消滅」は不思議な物語だと思う。消滅した象のことを書いているにもかかわらず、象が主体的に出てこないのだ。ほとんどは象周辺の人たちの話で終始している。そしてその話題は中心にいる「象」に向かってはいない。その点において、もともと「象」はそこに「ある」ときから「なかった」のではないかと不思議な感覚を持ってしまう。つまり、象は消滅する前から既に消滅していたのではないかという事だ。象の消滅は二度繰り返される。

この物語は、以前にアメリカで出版された短篇選集『The Elephant Vanishes』のタイトル小説でもある。最近日本でも同じ構成で出版した。加筆修正したとの話もあるので、そこに掲載している「象の消滅」を読んでみたい気にさせられる。

僕が読んだ「象の消滅」は短編小説集「パン屋再襲撃」に載っている版でしかない。でも多分、加筆修正したとしてもやはり不思議な物語であることはかわりがないだろう。勿論、印象に残る物語だ。
読みとして、「象」とは何を象徴しているのだろう、などと考えてしまうと、おそらくこの物語の罠にはまってしまうような気がする。村上春樹にとっての「象」の意味はあるとは思うが、この物語では村上小説に出てくる「あちらの世界」に繋がる何かを「こちらの世界」の「僕」が見てしまうことで、「僕」の何かが変わってしまう。それを読み手も一緒になって追体験することとなる。そんな物語だと思う。

「二度の消滅」と僕は冒頭に書いた。なぜそう読めるのかについて、説明しなくてはならないかもしれない。でも今のところ巧く説明できないと思う。ただ、そう読めたとしか言いようがない。僕にとっては二度目の消滅よりも、消滅していながらそこにいる象の存在自体が、この物語をして不思議な印象を持ってしまうのかもしれない。

さらに、僕はどうも「象」ではなく「飼育係」の方も気になってしまう。第一、この飼育係は実に不思議な老人だ。まず言葉が少ない、というか彼はほとんど何も語らない。子供に不信感を抱かせている。普通だったら象の飼育係であれば象と同様に人気者になっても良いと思う。何か「あちらの世界」に繋がる鍵語として「飼育係」があるんじゃないかと、そんな気がしてくる。そう考える僕は、やはりこの物語の罠にはまっているのは間違いない。

2005/04/13

田口ランディさんブログ記事「中道」を読んで

▼田口ランディさんのブログ記事「中道」を読んだ。面白かった。彼女の以前記事「反日デモ」が掲載されたとき、こういうテーマは苦手なんだよなぁ、という思いの中でろくに読まなかったが、「中道」を読んで読む気になった。

▼最近自分のブログ記事に毒がないなぁとしみじみ思う。まぁそんなことを考えて書くことはないけど、でも笑いの中で毒を出す文体は確かにあると想うし、そういう文体に憧れを持ってしまうが、いかにせん僕には果てしなく無理だ。じゃあ、逆に「善いこと」を全面に出しているかと言えば、勿論そんなこともないわけで、要するに、どっちつかずの中途半端と言うことかもしれない。ただ、僕はそう言うのも嫌いではない。

▼僕も勿論だけど、人の記事、書籍とか映画等のテクストを解釈するとき、自分の読みたいことを読んで、語りたいことを語る。それはとても自然にその人をバイアスするので、自分にもわからないかもしれない。彼女がランディさんの記事を読んで得たことは、逆に言えばそれは彼女自身が願うことなのだと思うのだ。そう考えると彼女はとても善い人(皮肉ではなく)だと思う。

▼彼女は解釈した内容を、ただ私はこう思いました、と言えば良かったのかも知れない。その解釈をランディさんと同一化しようとしたことに、間違いがあったように思う。
『書かれたものをどう読むかは、読み手の自由だから、あなたがそう読んだのならそれはしょうがない』
ランディさんはこういって一種のあきらめの気持ちを持っている。これが「善いこと」の話だったからこれですむが、もし読み手が悪意をテクストからとってしまえば、「しょうがない」の一言で終わったのだろうか。多分、やはり「しょうがない」で終わるのだろう・・・

▼テクストにおいて正しい解釈とは一体何だろう。ランディさんが書きたかったことは、彼女が解釈したこととは違っていた。その時、彼女の解釈は違うとは誰が言えるのだろうか。違うのは、解釈を書き手に同一化しようとしたことであり、解釈自体ではないかもしれない。読み手は書き手が思いもしないことをテクストから発見する。たとえば、単語、トーン、助詞の使い方、文と文とのつなぎ、等々、そこから読み手は自分が欲しい情報を発見しようとするのだ。確かにそれはバイアスされた発見かも知れない。でもそれは時として、逆に書き手が気が付かなかった書き手の思いであることもあり得るかも知れない。つまりは何が正しい解釈かを言うのはとても難しいことだと思うのだ。ただ、それだとテクスト批評は不能になってしまう恐れも確かにある。

▼ところでランディさんのいう「中道」とは、微妙な天秤ばかりの振れのなかで、どちらに振れることなく、振れようとすると自分で戻すような、そんな感じでしょうか。そしてその振れを戻したりするのは、自分だけじゃなくて他の人とのコミュニケーションの場でそういうことが行われる。そんなふうに思えた。出来ればもう少し詳しく話を聞きたい。

2005/04/12

ビニールのバラン

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シンプル・イズ・ベストと言ったって、単純なものは世の中一つもない。少し前にビジネス書としてベストセラーになった本に「シンプリシティ」というのがあった。簡単に言えば、複雑に見えても絡まっているのを紐解けば単純なものの集まりだという考え方だと思う。その考え方はビジネスでは確かに役に立つ。でもどんな思想にも使用期間と範囲があるように、シンプリシティにも適用範囲が現に存在する。

いわばビジネスは簡単なのだ。ビジネス問題は必ず期間がそこに存在する。だから、ほっておいても時が解決してくれる。それに、えいやと答えてもそれが正しいかどうかなんて誰にもわからない。説得力のある仮説を唱える人の意見に従うしかないけど、それだって保証はない。でもそれも解決と言えば解決だと思う。

でもひとたびビジネスを離れ生活になれば、これは難しい。時が解決してくれることも確かにあるが、ビジネスと違い、自分とか、大切な人の命とか生活に関係するのだから、ビジネスと同じようには行かない。そう考えれば、ビジネスでも経営者になれば大変なのかも知れないが、最近の経営者のモラルをみてみれば、どうもそういう風には思えない。

「バカだなぁ、あれはあれじゃねえか」

などと簡単に言える人が羨ましい。何がって、その頭脳でなく、そのタフな精神に。

などという話をしたいわけではない。書きたい話題はもっと別のことだ。

稲本喜則さんの日記「風情」と「仕事の誇り」を読んで、「グリーンのビラビラ」の記事があったので、その事について書こうと思ったのだ。
稲本さんの文章はいつもの事ながら名文だと思う。これはいつも楽しませて頂いている感謝の印でもある。感謝の印だからといって、稲本さんのブログにトラックバックをするつもりもない。彼の名文を僕の悪文で汚してしまうように思えるからだ。ただ稲本さんに敬意を表し、今回の僕の記事は幾分彼のエクリチュールを採択している(つもりである)。

まず、「グリーンのビラビラ」とは多分「バラン」の事だと思う。お弁当のしきりと彩りの為に入れているあれのことだろう。
『寿司桶に入っている葉っぱを「バラン」または「ハラン」と言います。「葉蘭」というユリ科の植物があります。古来から大きな楕円形の葉っぱを食器としても用います。中国の原産で、元は「婆蘭」「馬蘭」と書いたようです。同じようにお寿司に食器として用いる「笹の葉」をバラン、ハランと呼んだのです。 (中略) いまは、大半がビニール製ですね。もちろん、殺菌作用はありません。仕切と飾りのためのものです。スーパーでも売っています。』
お寿司の美味しい食べ方 から引用)
今でも高級寿司屋に行けば、本物のバラン(葉蘭)をつかっての細工で楽しませてくれると思う。(僕は見たことがない・・・)
ちなみに葉蘭の効果としては、殺菌作用でなく防臭作用とのことらしい。

バランが本物からビニールに変わっていった理由として、稲本さんの言われるとおりに、『本物の葉だと高つくし、時間が経つと変色してくる』だと思う。さらに summercontrail さんがコメントに書かれているように、あるとないとでは売上げに響く結果もうなずける。僕としては、そこにもう一つの考えを付け加えたい。下記の文は、「寿司屋のかみさん おいしい話」(佐川芳枝)より抜粋である。
『夫があまり笹切りをしなくなったのは、7、8年前からだ。あるとき、エビ形に切ったヤマ(笹の葉)を入れて、出前の寿司を届けると、あとで、「笹の葉なんか入ってると、不潔な感じがするから、入れないでください」という電話がきた。ビニール製のバランに馴れた人には、笹の葉が、道ばたに生えている雑草と同じように思えたらしい。
私達には、5、6月の新緑のシーズンに出回る笹の葉は、緑が鮮やかでみずみずしく、季節を感じさせてくれるものだが、人によってはビニール製のバランの方が清潔に感じるのだろう。そう思っているのは、このお宅だけではないかもしれないと、夫と話しあって、出前に使うのはビニール製のバランに統一してしまった。』
この本は1996年の発行だから、ビニールのバランに変えてしまったのは1988年あたりのことになる。つまり、その辺(1980年代)あたりで、人々の衛生感覚が「本物のササは汚い」と変わってしまった感じもするのである。今ではおよびも付かない気持ちでだと思うが、人の世はうつろいやすいものなのだ。

ここで1980年代の時代背景を論じるつもりはない。それにビニールのバラン化は徐々になされたと思うから、起点はもっと古い話だと思う。ただビニール化になっていったのは、それを賛同する人(もしくは元々バランなんて意識しなかった人)がいたから、変わっていったと思うのだ。

バランの種類は豊富である。新ケミカル・オーナメント工業株式会社のサイトに、そこで造っているバランが載っている。特に「波に富士」などは銭湯の背景画にも似て、日本人である僕の心情に深く突き刺さる。

その他にも、スーパーなどでは、キャラクターを配した絵柄タイプが出回っている。キャラクターは、お弁当を一所懸命に造る時期でもある、お子さんが幼稚園児にあわせて選ばれているようでもある。

うーん、ビニールのバランは、旧来の形だけ受け継いでいるとはいえ、なかなか奥が深そうだ。ビニールのバランの美術館だってサイト上に作れそうな気がしてくる。今のところバラン収集家を宣言している人がいないから、意外に穴かもしれない。(って僕はしませんけど)

現在では、やはりビニールのバランに対する風当たりは強そうである。まずは、ゴミ捨ての問題。バランで検索すればわかるが、ゴミとしてのバランの処置について大抵書いてある。ちなみに「燃えるゴミ」としているところが多いようだ。
また堂々と地球環境の為に、バランを拒否しましょうと言っている方もいらした。まずは身近なところからとして、わかりやすい例として言っているのであろうが、バランが何かを知らなければ元の木阿弥でもある。
そう言えば昔テレビでビニールのバランの袋詰めを見たことがあった。袋詰めは内職による手作業のようだ。勿論手は洗ってからの作業となるが、バランと袋の大きさがほぼ同じなので、入れるのに苦労されていた。なかなか大変な仕事である。

下関の食堂「きんかん」の掲示板が面白かった。

『昨日、うな重とアイスクリームをいただきました、うな重はタレがあっさりしていて、くどくなくて美味しゅうございました。
追伸
うな重の紅生姜が載っているビニールのバランはコンビニ弁当みたいでチョット、イヤでした。』

面白かったのは、「アイス」と「うな重」を一緒に食べたと言うことではなく、追伸の所である。「ビニールのバランはコンビニ弁当みたい」と書いてある。しかも「ビニール」と「バラン」が他の文字と較べ4倍ほど拡大してあり、掲示板に書かれた方の並々ならぬ決意を感じてしまった。そうかぁ、そんなに嫌だったのか・・・と妙に納得させる迫力がここにはあった。

僕などはちっともコンビニ弁当は嫌だと思わないけど、ビニールのバランは今では「コンビニ弁当」を象徴させる記号でもあるのかと、この人の感覚の鋭さにただただ敬服するばかりである。しかし、ビニールのバラン危うしである。

たらこビニールのバランの使い方として極めつけを最後に紹介しておく。ああ、こういう使い方もあるのかと思うと同時に、ますますビニールのバランの地位を低める使い方でもある。これは「コンビニの弁当」ごときではすまされない。
上の写真が、開封前、下が開封後。これは上げ底ならぬ、バラン隠しである。皆様もくれぐれもご用心されたし。

なんか、バランの話だけ合ってバランバランの内容になってしまった。少しはバランすをもって書きたかったが、まぁざっくバランに書いたので、その点は許して頂きたい。

とここまで書いて、この記事全体が稲本さんの記事を弁当と見立てたとき、「ビニールのバラン」のような位置になってしまったかも知れない。たしか、稲本さんは「ビニールのひらひら追放運動」を展開していたっけ・・・この記事も追放されるかも知れない。まず稲本さんの名文に流れる遊びが少ないのが致命的かも知れない。まぁその程度の記事だと思って、あとは読まれる方の広い心に頼るだけである。

あ、最後に稲本さんのブログでは「ビニールのひらひら追放運動」を展開中である。彼の記事を読んで面白いと感じ、しゃれとしてご賛同して頂ける方がいらっしゃれば、是非とも稲本さんのブログ にコメントをしていただきたい。

2005/04/11

ドミニシ事件と毒ぶどう酒事件

1952年8月5日に南フランスにキャンプに来ていたイギリス人家族3人の遺体が発見された。その現場に一番近い証人がドミニシ家の人々だった。
当時この一家惨殺事件の報道は新聞を通じてフランス国内で注目されることになる。警察が犯人と思われる男を逮捕したのは1953年11月のことであった。その男はドミニシ家のガストン・ドミニシ老人(当時76才)だった。
ドミニシ老人は彼の二人の息子から告発されての逮捕だった。数々の曖昧な点や証拠不十分にもかかわらず、かつドミニシ老人の自己弁護が35語だけで、死刑判決が言い渡される。後日、ド・ゴール将軍により特赦が与えられ死刑は免れたが、ドミニシ老人は自分の名誉のために無罪を訴え続けた。彼の死後は義理の娘がそれを努め、今日では孫が引き続いている。

ロラン・バルトは「ドミニシあるいは<文学>の勝利」という短いエッセイでこの事件について語っている。以下『』内は全て本文(訳:下澤和義)からの引用となる。

『ドミニシ裁判は、それ全体が、或る一つの心理学に基づいて行われてきた。その観念というのは、まるで偶然のようだが、保守的な<文学>という観念である。この裁判では、物的証拠が曖昧だったり矛盾していたりしたため、精神面での証拠が持ち出されることになった。けれども、その証拠の出どころは、告訴する側の心理状態のなかでないとしたら、いったいどこだというのか。だからこそ、なんの準備もしないまま、一片の疑いも抱かずに、行為の動機と脈絡が再構成されたのだ。』

ドミニシ事件から9年後の1961年3月28日に日本の三重県名張市葛尾で「毒ぶどう酒事件」が起こる。もともと葛尾は一つの村であったが、三重県と奈良県に分割される。両村人有志があつまり生活改善と親睦を目的とした「三奈の会」の年一回の総会後の親睦会で出された白ぶどう酒を飲んだ女性17名が、会の途中で食物と血反吐をはき悶絶する。白ぶどう酒を飲んだ17名のうち、5名が死亡、12名が約一ヶ月の入院を余儀なくされる重傷となる。

警察による捜査過程の中で毒は有機リン性剤の農薬「ニッカリンT」であることが判明、ぶどう酒を飲まなかった3名にはなんの問題もなかったことから、ぶどう酒に毒が混入されたとした。
事件は4月3日に一応の決着を見せる。犯人として警察は「三奈の会」の会員の奥西勝(当時35歳)を逮捕したのだ。奥西被告は当初否認を続けていたが、尋問の末、三角関係のみつれからの解消から反抗に及んだとの自白を行う。

僕はこの事件とフランスのドミニシ事件が全く同じ様相を示しているとは思わない。ただ幾つかの共通点があるとも思う。それは、両者とも戦後復興後の事件であること、山間部の事件であり、それを裁く人たちは都市部に住んでいること、不十分な証拠で刑が確定したこと、逮捕後容疑者は否認しているということ、そして両者ともえん罪である可能性が極めて高いこととなる。
ドミニシ事件の場合、容疑者のドミニシ老人が言葉少なく、代わりに検事補と裁判官およびドミニシ老人弁護の作家の周囲にいる人々が多くの修辞法や語彙を駆使して語られる様が、「言語活動の不同性」をさらに浮き出させ、そこから裁判の持つ冤罪の可能性を現したのだとおもう。

『ドミニシ老人の「心理」についても、事情は同じである。それは本当に当人の心理なのだろうか。われわれには何もわからない。けれどもそれが、重罪院の裁判長とか、次席検事の心理だということには、確信が持てる。アルプスに住む年老いた田舎者と、独りよがりの裁判官、彼らの2つの心理状態は、はたして同じ仕組みをしているのだろうか。これほど不確かなことはない。それにもかかわらず。ドミニシ老人が有罪判決を受けたのは、「普遍的な」心理の名の下においてである。ブルジョア小説と本質論的な心理学という、魅力溢れる天上界から地上に降りてきた<文学>が、ひとりの人間に死刑を宣告したわけだ。』

「毒ぶどう酒事件」で語られる一つの物語は、「三角関係の清算」を軸にした自分勝手な男の行動だ。その物語は誰にもわかりやすく、そしてこのわかりやすさが事件の方向性を決めたのだろう。刑事が考え、検察が考え、一時は被告人も考え、裁判官がそれを正しい物語と認定する。
物語を完成する為に、刑事たちは日夜奔走したことだろう。その中で取捨選択が行われる。物語の筋は既に決まっているのだ。その筋に合わないものは捨てられ、合うものだけが組み込まれる。その構築された物語を途中から違うと容疑者が叫んだとしても、その時点では物語自身が持つ力に打ち勝てはしない。やがては容疑者も物語の渦に巻き込まれ、その物語を通してでしか自分が無罪を証明できなくなる。そしてついに彼は言葉を失う。

1964年12月23日、津地裁は証拠不充分で無罪を言い渡す。
1969年9月10日、名古屋高裁では、1審の判決を逆転させ、死刑の判決を下す。
1972年6月15日、最高裁では、2審の判決を全面的に支持、上告を棄却して死刑が確定する。
2005年4月5日、名古屋高裁は、第7次再審請求を認める決定をした。検察側は8日、同高裁に異議を申し立てる。

6回の再審請求を棄却し続けたのは、物語を守ろうとする心情が大きかったのではないだろうか。今回7回目の請求を受けた時に感じることは、この完璧な物語に対する哀惜である。それは世紀の傑作と思われた文学が、44年後に駄作だと批評されたときの作家の心境かも知れない。駄作と評されるまでの44年間は、ひとりの男が死と向き合った時間でもある。そしてその男が作品の主人公でもあるのだ。本人が望むと望まないとに関わらず。

「三角関係のもつれ」とはいかにも都会的な内容ではないだろうか。それはかつて金曜の夜にテレビで展開していたドラマのあらすじに重なる。都市化の波が山間部に押し寄せた結果の所作として納得するにしても、その物語作者の背景に都市が見え隠れしている印象を受ける。

この物語の完璧性は、現在の葛尾の人々の心にも深く根を下ろし支配を続けてきた。彼らは容疑者の自白時には容疑者家族にいたわりの言葉を投げかけている。「家族には関係ない」と。それが容疑者否認の後は、激しい非難を家族に投げかける。容疑者の先祖代々の墓は掘り返され別の場所に追いやられる。
物語の否定は、それを守ろうとする村人に混乱を与え、さらに混乱を収束させる為の力とその行使を村人に与えたのかも知れない。村人は自分たちを守るために容疑者の家族を村十分にした。行き場のない思いは容疑者家族に向けられる他なかった。そしてそれは物語を維持しようとする力でもあったのかもしれない。

『われわれは皆、殺人者ではなく、言語を奪われた被告という意味において、潜在的にドミニシなのであり、あるいはさらに悪い場合には、告発者の言語の下で、奇妙なレッテルを貼られ、貶められ、有罪宣告を受けるのだ。まさしく言語の名のもとにおいて、人間から言語を奪い取ること、あらゆる合法的な殺人が始まるのはそこからである』

奥西勝死刑囚(79)の再審開始を願う。それはひとりの命を救うことであり、幾多の者の不幸が再開することでもあるが、やはり願う。

MUを引退するかもしれないあなたに贈る言葉

こんにちは、仲春の頃、あなたはいかに過ごしていますか?
といっても僕はあなたと会ったことはありません。でも僕はあなたの事を少しは知っています。MUで一緒に遊んだだけで少しは知った気にならないで、とあなたは僕に言うかもしれませんね。その気持ちは本当によくわかります。確かに、MUでの僕も一つの役割があり、それにあわせてのキャラクターとして、まわりに認識されていたと思います。あ、キャラクターが先でしょうか。僕が知るあなたは、その役割分担を担っているあなたしか知りません。でもこれって、リアルの社会でも同じではないでしょうか。人と出会って「挨拶」をして「会話」をする。「挨拶」する人は知っている人です。そこに年齢とか性別は関係ありません。逆にリアルであれば、僕は知らないうちに様々な事に制約を受け、ある意味「自閉」してしまうかもしれません。でもMUであればその垣根は無くなります。勿論それがMUの強みでもありますが、弱点でもあるのも知っています。人は「顔」と「顔」を付き合わせて、初めて本当のコミュニケーションが出来ると思うからです。

でも僕は少しはあなたのことを知っていると言ったとしても、それはあながちウソでないこともわかってくれると思います。あなたとは色々な冒険の旅に出かけましたよね。未知なる場所への旅行はまさしく冒険と言っても良いと思います。その場所は同時に一人では危険な場所です。でもあなたと一緒だったから、僕は本当に心強かったです。そこでの経験は僕らを成長させました。成長と言っても目に見張る大きな事ではなく、技術的なことだったり、お互いの限界を知ることだったりするのですが、それでも新たに識ることと、それに対応できるようになることは、それ以前と比べて成長したと言えると思うのです。

冒険の最中も僕らは大いに会話を楽しみました。とるに足りない会話です。意味などそこにあるわけではありません。でも大事な会話ってそう言うものかもしれません。そういう普通の会話をすることで、僕は安心し気持ちが安らぎました。受け容れられているという気持ちは、何気ない会話を長く続けられることで得られると僕は思いました。それが人を認めることだと思います。それは何も大げさな言葉の羅列ではありませんよね。例えば「永遠に」とか、「決して」とか「もの凄く」などの言葉。「顔」と「顔」の対面の無いMUですから、言葉が少し大げさになるのは当たり前かも知れません。それらの不足を言葉で補うことになるのですよね。でもそれらの言葉は時に僕を困惑させました。

あなたは言ってました。MUって「クソゲーランキング」で3位だって。引退者がどんどん増えているんですってね。以前の僕はゲームなのだから「引退」を宣言する事にすこし違和感を憶えていました。MUはゲームであり、ゲームであれば、やりたいときにやり、つまらなくなったらやめればいい。そこに引退などという言葉は存在しない。そう思っていました。
でも今では「引退」を宣言する人の気持ちも少しはわかります。「挨拶」を交わし「会話」をする見知りあう仲ですから、きっとそれはリアルで言えば引っ越しの挨拶に近いかもしれませんよね。

でも「クソゲーランキング」3位は面白かった。人は始めるときもやめるときも、自分に納得できる言い訳を探すものだと思うのです。だから、やめることが出来る理由を作ってあげるサイトとして、それは存在価値が高いかも知れません。でもね、人によっては声高に悪い部分を叫び、その他の意見を殺そうとしますよね。あれって、どうよと思ってしまいます。声高の意見、声が小さい意見、どちらも等分に扱う世の中が望ましいのですが、やはりMUの社会においても、リアルの社会と同じなんだなぁと思ってしまいます。でも3位とは残念です。できれば1位になれば良かったのに。

声高の意見がその社会の世論を代表する意見とは思わない方が良いですよね。例えば韓国の話ですけど。「竹島」と「教科書問題」で反日感情が高まっていると新聞では報道されています。でもあれも声高の人たちを報道しているに過ぎないのではないでしょうか。ある韓国の人のメルマガに書いてあったことですけど、多くの韓国の方は、落ち着いているそうです。彼らは「教育」で「竹島」は韓国領土だと信じて疑いませんが、だからといって多くの人は威圧的に叫んだりはしません。落ち着いて友好的な解決が出来ればいいなぁと静かに考えています。確かに声高の人の意見は無視できないことはわかります。それに「竹島」の問題は、解決できるかと言えば、かなり難しいでしょう。でもそう言う問題って、何処の国にもありますよね。そう言う問題は問題として、早々に解決することを目指すのでなく、そこに問題として残すことのも有りなのかもしれないと僕は思います。こういう事を言うと「日和見主義」と言われますが。それって悪いことなんでしょうか?僕にはわかりません。ただ、声高に叫ぶ者同士でも何も解決しない事だけはわかります。

MUを引退するかもしれないあなたのことを、僕はどのくらい長く憶えているかはわかりません。1年も経てば日常でMUのこと自体忘れてしまうことでしょう。例えば小学校時代の親友のことを日常忘れているように、でもふとした瞬間に、それは写真とか遠足の思い出とかを通じて、思い出す事ってありますよね。そう記憶は蘇るものだと思います。その時にきっと僕は思い出すでしょう。あなたとMUのことを。でも引退するかどうかわからないあなたにむかって言う言葉ではありませんよね。今はお互いの時間のなかでたくさんのたわいのない会話をしましょう。お互いの存在のために。お互いを認め合うように。

2005/04/10

桜の写真

sakura

少し変わっている桜の写真かもしれない。近くに桜並木があり、満開だったので写真を撮りに行った。花見をしている方が多かった。その中で何枚か撮る。枝でなく幹に咲く桜が、何かのブーケのように見えて、春の贈り物という感じがした。

桜ではないが、近くの公園の入り口に見事なこぶしの木がある。桜が咲く前、まだ木々に緑がない時期に、白いこぶしの花が一面に咲く。見事としか言いようがない。そしてこぶしの匂い。傍を通るたびに気持ちが安らぐ。

桜が咲き、ケヤキに緑が多くなる頃、こぶしの木は後をそれらに任せるかのように、ひっそりと佇む。

映画「コラテラル」感想のための覚書

20050410122fb8eb.jpg映画「コラテラル」をDVDで見た。マイケル・マン監督、トム・クルーズ主演の1994年10月に日本公開した映画で、前評判が高かったため映画館で見られた方も多かったと思う。僕自身も映画館で見たかった映画の一つだが、機会を逸してしまい観賞できたのは一昨日のことだった。
以下にまとめるのは、先々感想を書くかも知れないこの映画の覚え書きとなる。少し無茶苦茶な感想ではあるが、まぁファーストインプレッションの位置づけなのでご容赦の程お願いします。

殺し屋ヴィンセント(トム・クルーズ)がタクシー運転手マックス(ジェイミー・フォックス)に語るロスアンジェルス地下鉄の逸話がこの映画の鍵であると僕は思う。その逸話とは、地下鉄で死んだ男が6時間放置され、その間電車に乗り合わせた人々が、男が死んでいることを誰も気が付かなかった話だ。

地下鉄を含む電車の記号性から僕らは様々なことを語ることが出来る。映画で中では、ロサンジェルスの象徴として「電車で死ぬ男」の話が出るが、「電車」はロサンジェルスを含む都市全てを現しているのでもなく、社会全体を象徴しているように思う。それは、オーム真理教がサリンをまいた場所が地下鉄であることと同じ意味の象徴性に他ならないと考える。

その他にもこの映画には電車のもつ象徴性が出てくる。一つはダンスクラブのシーン。密閉空間、触れ触られる空間、お互いが無縁の人たち、そこでは自分が夢中に踊り他の人は存在しない。それはまるで、満員電車のイメージもある。その中での銃撃戦。それでも気が付かずに踊る人々。その中で撃たれ死ぬ男は、電車で死ぬ男と同じ意味を持つ。さらに、ヴィンセントの最後は電車の中でもある。それはまさしく電車で死ぬ男だ。

「電車で死ぬ男」の例えは、都市における人間関係の希薄さだけでなく、それ以上に僕らの日常を語っているのでないだろうか。殺人、暴行、自殺、戦争、虐殺、等々の記事が新聞に掲載されない日はない。僕らの日常そのものが異常な出来事に満ちている。映画はまさにその事を、善意の人である運転手マックスに見せつける。映画では常にマックスの目の前で人が死んでいく。その死はある意味「電車で死ぬ男」と同一線上にいる。

殺人(つまりは異常なる日常)に対抗するマックスの論理は非常に乏しい。それはヴィンセントの人間的欠陥だったり、殺された男の家族のことだったりする。それに対するヴィンセントは60億分の1、ルワンダ難民の話をし、殺された男が見知らぬ人であれば気にすることがないと言い、現に世界中の見知らぬ人の死を無視しているではないかと語る。マクロとミクロの対話。

ヴィンセントとマックスのこの会話は、僕らの日常において時折行われている。数十万人規模の虐殺が行われているのに、目の前の殺人にだけ心を痛める事に対するヴィンセントの批判。それに答えられないマックスの姿。その姿は現実の世界を認識出来ない姿に通じる。

最初ヴィンセントの言葉と行動に対応できなかったマックスは、次の標的が自分が好意を寄せている女性であることを知り、ヴィンセントに対し反撃に出る。ここでもマックスは身近な人の危険で行動をとる。ただ、彼はヴィンセントと行動を共にすることで大きく変わっている。身近な人を助けるのは理屈ではないのだ。まずはそこから始めなくては社会は変わらない。それが今の社会が異常であることを受け容れたとしても。

最後にヴィンセントが電車の中で死ぬときにマックスは傍に座り看取る。そして彼を望み通りに電車の中に放置する。電車の中の男の死を知っているのは、マックス自身に他ならない。それは無関心の状況ではない。ヴィンセンが最後まで自分の考えを変えなかったが、彼の死は「電車の中の男の死」とはマックスがそれを認知している以上、質的な変化を遂げていると僕は思う。逆に言えば、マックスがヴィンセントを放置する行為が、現状を受け容れるが、それは自分の身近なな出来事に対応することでも世の中は変えられるというメッセージを送っているかのようだ。

とてもアメリカ的な映画かもしれない。まずヴィンセントの風貌からして記号性に満ちている。最初この映画を見たときに、あ、これはキリスト教における隣人愛の映画かもしれないと直感した。その方向でも解釈可能だが、僕には手に余る。ただ、最後のヴィンセントとマックスの顔と顔をあわせての対決により、彼らは電車の中の見知らぬ他人から、隣人へと昇格したように思えたのだ。人は隣人を殺す。最後の一瞬に彼らは分かり合えたのでないだろうか。そんな気もした。

こんな感じの感想をもう少し掘り下げて書くつもりではいる。その時は内容が変わるかも知れない。多分変わる。なにしろ1回しか見ていないので、もう何回か観てからと思っている。でもいつになる事やら・・・

2005/04/09

ククイオロノ・カクテルの作り方

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目黒区図書館の検索システムでリンドバーグ関連の書籍を検索したらヒットした「神々のハワイ」。リンドバーグはハワイを愛していたと聞いていたし、かれの墓は実際にハワイ諸島にあるので、リンドバーグのハワイでの姿が書き記されているのではないかと期待して読んだが、最後までリンドバーグは登場してこなかった・・・

ハワイ(オアフ島)に生まれ育った白人女性が1960年代頃の思い出を綴っている(16章「楽園」)。とても自然な文体で、当時の彼女の心情が、何のてらいもなく記されているのが逆に好感を持った。
『プナホウからかなり離れたところにあるカメハメハ・スクールは、わたしたちには憧れの学校だった。この学校は19世紀に、ビショップ・エステート財団によってハワイ人の血を引く子供のために創設された。カメハメハ・スクールの少年たちはみな美男子で、おいそれとは近づけないような、なんともいえない雰囲気を漂わせ、たくましい体はまぶしいようだった。白人の女の子には禁じられ何一つ知らされていない性のことに通じているのだろうと、わたしたちは想像した。繊細で美しいせいだったかもしれないけど、それよりも褐色の肌のハンサムだったからだろう。わたしたちはハワイ人をやみくもに仰ぎみていた。』
彼女たちが使っていたローカル英語がおもしろい。ピジン英語という。幾つか例が載っていた。

バブーズ(babooze):ばか、バンブチャ(bambucha):乳房、バムバイ(bumbye):あとで、コッカローチ(cockaroach):盗む、ダイコンレッグ(daikon-leg):白く太く短い足(大根足)、ファット(fut):おなら、ギリギリ(giri-giri):逆毛、ジャムアップ(jam-up):めちゃめちゃにする、モケ(moke):地元の少年、シャカ(shaka):こんにちは(親指と小指を立てていう)、シシ(shi-shi):おしっこ、スティンクイヤー(stink-ear):悪口や悪評ばかりに耳を傾けること、ティタ(tita):地元の少女もしくはおばさん、ワヒネシック(wahine-sick):性病、ゾリ(zori):ゴム草履(ちなみに厚底はカマボコフリップ)

さすがに様々な国の言葉が混じっている。気になったのは、性病のワヒネシック。ワヒネシックは昔農園で使われていた言葉がそのままピジン英語になったと書いてあったが、ワヒネとはハワイ語で「女、妻」の事だ。農園とはパイナップルかサトウキビかもしれない、だとするとそこで働いた移民たち、日本を含むアジア系女性への差別意識がそこにあるかもしれない。
この書籍で参考になり、今度作ってみようと思ったのが、ククイオロノ・カクテル。レシピが載っていたのでメモしておく。ちなみにククイオロノとはカウアイ島にある丘の名前。意味は「ロノ神の蝋燭」

ククイオロノ・カクテルの作り方
ジン1に対して
ピーチまたはリリコイの生ジュースを2の割合
砂糖 好みの量
ビター 1ダッシュ(ひとふり程度)
オレンジジュース こさじ1
材料をあわせ、氷を入れてよくシェイクする。
リリコイとはパッションフルーツのこと。

スザンナ・ムーアーが本書を通じて語りたかったことは、ハワイ人が数的に少なくなってもなお存在する神話のことだった。例えばナイトマーチャーのこと、彼らは山から一直線で海まで歩き続ける。
『ナイト・マーチャーがやってきそうな夜は、通り抜けやすいように表玄関と裏口のドアを明けておくのがよい』(1章「死者の夜行」)
トーテニズムは社会でなく「場」にも関係するのだろうか、などと愚考する。
ところで、「神々の島」から離れるが、リンドバーグの墓碑はキパフルというマウイ島の奥地の小さな教会にある。墓碑には聖書の詩篇139からの引用句が刻まれている。

「曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも あなたはそこで御手にてわれを導き右の手でわたしを支えてくださる・・・」

2005/04/08

「Finalventの日記」というブログ

Finalventの日記」というブログがある。メインブログは「極東ブログ」といい、かなり知られたブログだと思う。僕は「極東ブログ」はほとんど読まないが、「Finalventの日記」はほとんど毎日読んでいる。長文ではなく(極東ブログはきわめて長文)、その日の新聞各社の記事とか社説を読み短文で感想を述べているだけなのだが、これがなかなか面白い。今日などはたとえばこんな感じ。

「産経社説 韓国の対日姿勢 成熟した対応を求めたい」

「成熟した対応が通じないという現実。」
(Finalventの日記から引用)

上文が産経新聞の社説のタイトル、下文がFinalventさんのコメント。
「パス」とか「与太話」とかのもっと短いコメントもある。突っ込みの極意というものかもしれないが、短いコメントで笑いを誘う。これだけ短いコメントなので、Finalventさんが省略した部分を把握することは難しいが、でも気持ちはよくわかるし、この短さが日記らしいといえば日記らしい。

それに毎日「Finalventの日記」を読んでいると、なにかしら社会に対しコミットしたい気分にさせられてくる。これもこの日記の不思議なところだ。省略した部分を埋めたいという気持ちになるのもあるとは思うが、省略は省略でもって意味を成すと考えればそれは無粋というものかもしれない。でもその意欲も、コメントが「与太話」とか「パス」とか「掛け合い漫談」とかになってくると、逆にコミットすることが馬鹿らしくなるのも、これまたこの日記の不思議なところ。結局、僕自身が素直(愚鈍ともいう)だからかもしれないが、「Finalventの日記」のコメントの威力につい従う気持ちにさせられてしまう。

さらに、従う気持ちになったり、面白いと感じる気持ちは、上記以外のものが彼の文体にあるように感じるときもある。それを書きたくて今回の記事にした。

例えば、ある企業が倒産したとする、新聞各社は経営陣の無能を報じるが、その企業で数十年も働いていると経営者でなく一介の従業員であってたとしても、心情として一抹の責任を感じるものだとおもう。それはあの時あの新商品を強引に押しておけばこんなことにならなかったのかもしれない、などという個人毎に違うかもしれないが、そういう気持ちが頭をもたげ、経営者を無下に弾劾できないとなるような微妙な感情のことだ。勿論、対面的には経営者の責任を言うのであるが、そういう気持ちがあるとないとでは、全体を通しての「感じ」は違ってくる。

上記の例は「企業」を「社会」に置き換える感じ。まぁ、場の流れというのもあるし(最近は空気の方が適切なのかも)、あの時新製品を・・・と思ったとしても難しいとは思うんだけどね。

なんというか「Finalventの日記」を通して読むと、そういう心情が見え隠れしているような気がするのだ。先輩記者が後輩記者にたいし、「バカだなぁ」という感じにも近い。でもその後輩記者を自分が育てたのであれば、まぁこんなバカにしたのは少しは俺の責任もあるしなぁ、という感じを、この短いコメントの中に感じてしまう。勿論、この感触は僕の勝手な思い込みなのだが、僕自身がそう読むことで「Finalventの日記」を楽しんでいるのだから、少しは許してくれるだろう。

この感触って、多分Finalventさんの年齢によるところが大きいかもしれない。上記の例で言えば、新人記者であれば題材を掘り下げ徹底的に戦う、「貫徹せよ」みたいな、そういうノリを持つだろう、しかもその心情には「俺はまったく無関係」「正義は我にあり」みたいなものがあり、結果的にはFinalventさんと同じかもしれないが、全体を通して受ける印象は違う。それがジャーナリズムといってしまえばそれまでだが、なんかねぇ、と思ってしまう。

最近「Finalventの日記」で思うことは、メインブログである「極東ブログ」はもしかして、「Finalventの日記」を面白くするための方法論?っていうこと。そんなことを言うと怒られてしまうかもしれないが、確かに「極東ブログ」があってこその「Finalventの日記」だと思うし、だから短いコメントでも面白いとは思うのだけど、両者への好みで言えば、僕の場合、「Finalventの日記」のほうに軍配が上がるのだから、そんなふうに思ってしまう。

しかし、前回に続き今回も愚考してしまった。よほど会社で暇なんだって思っているだろうなぁ・・・そんなことないですから、息抜きです、はい(笑

愚考、極めて愚考

会社の何名かにブログをやっているかと聞いてみた。そしたら想像通りというか、聞いた全員がやっていないと答えた。彼らはネットサービスを企画開発している人達でもあるので、当然にブログについて仕組みを含めて周知している。興味を持っている人もいるが、多分やらないという。理由を尋ねると時間がないからだと答える。何らかのプロジェクトリーダを務める彼らの帰宅は深夜に及ぶ、かといって翌日の出社は定刻どおりだ。確かに彼らがブログを立ち上げ続けることは困難だろう。

勿論僕を含めたブログを立ち上げた人が暇だからと言っているのでなく、ようは空いている時間をブログに使う層を年代と職業を見たときに偏りがあるのではないかと思ったのだ。簡単に言えば、上記のような社会システムを動かす中堅どころの年代(30代から50代)の企業に勤める方はブログなどやっている人は少ないのではないかという事だ。
彼らにとって重要なのは、社会のことでなく企業での自分の仕事に他ならない。まぁそれだって十分に社会的なことなんだと思うが・・・って社会とブログを対比するような書き方をしてしまった、別にそういうつもりは全くないわけで(少しはあるかも)。

それがなんだと問われると、別にどうでも良いのだが、つまり彼ら(彼女ら)にとって、ブログで何かを語っていることは無いことに等しい(知らないんだから)、彼らの社会に対する情報源は新聞(特に日経)であったり、テレビのニュースだったりするわけで、先々この違いは色々な面で出てきそうな気がしている。だからといってブログでの情報が良質かといえばそんなこともなく、ただなんとなくそんな風に思うだけなんだけど・・・

こういう記事をダメというのだろう。ダメついでに先を続けると、ブログをビジネスで使う話題が以前にあったように思う。初めて聞いたとき、それってセス・ゴーディンの「バイラルマーケティング」と何が違うの?って素朴な疑問があったのは事実。セス・ゴーディンがあの本を出した当時でさえ、あの考え方は既に古く、読んだけど対して参考にはならなかった。彼のパーミッションマーケティングの仕方は大いに広まったけど、結局バイラルマーケティングはそんなに広まらなかったように思うのだけど、実際はどうだったんだろう。

パーミッションの場合は、その当時のマーケティングの主流だったワン・トゥー・ワンに載せることが出来て、しかも実質的な仕様としてのCRMの登場により、メーカーがシステム化して商売になったけど、バイラルマーケティングの場合は商売に成り得なかったのが敗因だったように思う。さらにバイラルマーケティングはコントロールが難しいのもあったかもしれない。だから、ブログをビジネスと言っても、それと同じであれば、まぁ主流にならないのは目に見えてわかる話。
ただ、上記のように企業で中堅となっている人たちが、ブログに興味を持っていないことが、そう言う話に逆に繋がったのではないかと思うんです。

結局マーケティングって、マスの方に戻ってきているような気がするけど、これって気のせいかな?

2005/04/07

物語「転生」について

▼以前にこのブログで田口ランディさんの初めての絵本「転生」の感想を書いたことがあった。その際に、僕は「転生」の中に他者性を観ていた。何度も生まれ変わるが、その世界は変わることがない。つまり自分の世界から逃れられない宿命をそこにあり、それ故に他者を見つけることが出来ない。最後の転生の時に主人公は他者を発見する。発見することが出来た力は、自分を再生する力でもある「愛」だった。そんなふうにこの物語というか、絵本の内容を読んでいた。

▼でも実のところ、この読み方に自信はなかった。人は自分の見たいものを見るし、語りたいことを語る。僕のこの読み方も、これに縛られているのは間違いないし、それはそれで構わないのだけど、何か無理があるような感じが、のど元に引っ掛かり、腑に落ちていかない妙な感触を残したままだった。

▼自分の読み方が間違っていることがわかったのは、ランディさんが2月に沖縄の平和記念イベントでこの「転生」を朗読したと聞いた時だった。その平和記念イベントは、祈り・音楽・スポーツで平和の思いをつなぐ主旨で糸満市の沖縄平和祈念堂で開かれている。当然にそのイベントの中で朗読される書籍の内容は「祈り」がふさわしい。

▼イベントの主旨がそうだから、僕の読み方が違っていたと感じたわけではなく、そこを起点にしてふたたび思い返してみれば、ランディさんが綴る物語は殆どと云っていいほど、そこには「罪」の意識があるように思ったからだ。僕はその事を思いだしたに過ぎない。「転生」において、問題になるのは何度も何度も輪廻転生を繰り返すことではないと思う。この物語は仏教的な輪廻転生の物語でなく、しかも僕が以前に思い描いていた「宿命」の物語でもなかった。そうではなくて、主人公が何度も生まれ変わっては、その生を全うせず、たいていは悲惨な最期を遂げる、まさにその点が重要だったように思うのだ。

▼「私は処女小説の「コンセント」で、兄はなぜ餓死したのか……?という問いに、全身全霊で自分なりの答えを出した。あの小説はそういう小説だったのだ。だけど、実は「兄はなぜ死んだのか……」に答えなどない。それでも問わざるえなかったのは、それが私の兄への鎮魂だったからだと思う。私は小説を書いて喪に服したのだ」
(田口ランディブログ 2005年03月08日「あわいを生きる」から引用)

「餓死」するというのは、食物を体内に取り入れないということであり、それは「生」への強い拒否がそこにあると思う。家族の一人がそのような仕方で死を選択した場合、ランディさんが発する問いは自然だろう。でも勿論答えはその問いでは得ることは出来ない。兄は既にランディさんの呼びかけに答える事が出来ない世界に行ってしまったからだ。

▼ランディさんの言うとおりに「コンセント」が個人的な鎮魂の物語だとすれば、これほど多くの読者から共感を得られたであろうか。勿論ランディさんの話を疑うつもりもない。それは事実だと思う。
また何故ランディさんはこれほど激しい感情で兄の鎮魂をしなければならなかったのだろうか。
それらについて、勿論僕にはわからないし、それこそ答えなどないと思う。僕に答えることができるとしたら、何故僕はランディさんの物語を読んで、そこに「罪の意識」を感じるのかということだけだろう。

▼これらの問いについて、僕は勝手ながらランディさんから受け取った僕への宿題とする。こういう問いに関して、僕は即時明快に答えるだけのものは持ってはいない。ただ、自分ではわからないと云うことだけを知っているだけなのだ。今僕の中にあるものは、有責性ということ、それに多分ランディさんは今でも答えを求めているだろうと云うこと。人は自分が行ってもいないことに対し、責任を感じなければならないのだろうか、と言う問い。
それらを気にすると云うことは、僕の問題でもあると思っている。

▼久しぶりに今まで書いてきた自分の記事を少し読み返してみた。当初、色々な問題に対し答えている。その答えが正しい問いから発しているかは別にして(多分問い自体が誤っているのだろうが・・・)、その姿が無知をさらけ出していて、とても恥ずかしい。でもそれは僕にとって大事なことなんだろう。そう思う。

2005/04/06

死ぬまで挑戦し続ける能力が人間にはあることを、若い学生に伝えたい

庭子の部屋」の庭子さんが母校である常葉学園大学構内にコンビニエンスストアを開業した。
大学側からの要請に1年間悩まれ、「学生の応援になるなら」と引き受けたとのこと。
庭子さんの思いが学生の皆さんに伝わることを切に祈ります。

以下は2005年4月6日静岡版朝刊からの全文掲載です。朝日新聞には現在掲載許可を打診中です。不許可の場合は、若干の削除を行い、引用の形に改めることになります。記事の著作権は朝日新聞が所有しております。

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ノウハウないけど なんとかなるわョ
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買い物に来た学生と談笑する池田庭子さん(中央)=常葉学園大学構内の「ヤマザキショップたぬき村」で

自然体験施設「たぬき村」の池田さん
「生涯学習」コンビニ開業

生涯学習について学び、55歳で常葉学園大学(静岡市葵区瀬名)を卒業した池田庭子さん(58)=葵区東鷹匠町=が、母校の構内でコンビニエンスストアを開店した。借金数百万円、経営ノウハウもないけれど、「死ぬまで挑戦し続ける能力が人間にはあることを、若い学生に伝えたい」と話している。

池田さんは3年前に同大教育学部生涯学習科を卒業。「ヤマザキショップたぬき村」を4月1日にオープンした。

実践的な社会教育活動の必要を学んだ在学中、同級生約20人と準備を進め、02年7月、同市葵区栃沢の古民家を無償で借り受け、自然体験施設を造った。子どもたちに「生きる力」をつけさせる試みだった。ギシギシと床が鳴る約100年前の木造平屋には、五右衛門風呂や囲炉裏などがあり、ガスもテレビもない時代の生活を体験できる。土日には宿泊体験も可能で、「たぬき村」と名付けた。

「コンビニをやってもらえないか」。昨年2月、同大の木宮岳志事務局長(53)に、学内コンビニの話を持ちかけられた。同大にあった購買所は品ぞろえの少なさ、値段の高さで学生から不満が出ていた。木宮事務局長は「普通のコンビニにはしたくなかった。学生が主体的に運営にかかわる店にするため、学生の受け皿になれる人を探していた」。たぬき村の活動を評価して、池田さんに白羽の矢が立った。

池田さんは1年近く悩んだ末、「学生の応援になるなら」と引き受けた。自己資金も担保にする資産もなく、信用保証協会の保証付で銀行から借金した。

学内に競争相手はいないが、経営上の心配はある。学外の店舗に比べると、学生が購入する単価は低い。24時間、店を開けることもできない。1年のうち4カ月間は大学は休みになる。

それでも「わくわくしています」と心配より期待の方が大きいらしい。

約1700種類の品物が並ぶ70平方メートルの店内。入ってくる学生に、和服姿の池田さんが「私もここで学んだのよ」と声をかけた。そこから話が弾む。

ただ品物を買うだけの場所ではなく、学生の気持ちを受け止める場所にしたいと言う。
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2005年4月11日 中日新聞 静岡版から
(以下の記事の著作権は中日新聞が所有しています)
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仕事通し社会活動体験 常葉学園大『学生コンビニ』開店
静岡市葵区瀬名一丁目の常葉学園大学内に学生らが運営するコンビニエンスストア「Yショップ常葉学園たぬき村店」ができ、十一日、開店式が開かれた。店では起業の方法を学んだり、仕事を体験したりするほか、きちんとあいさつができるような教育活動にも生かす。

店はNPO法人「とこは生涯学習支援センター」(池田庭子理事長)が同大学の要請を受けて設置した。四十人いるセンターの「学生部員」らが商品選びや仕入れを担当、一般学生らはアルバイト店員として働く。

同センターは三年前、小学生らの健全育成を進めるため、静岡市葵区栃沢の古民家を修復して拠点とし「たぬき村」と名付けた。かまどがある土間や「五右衛門風呂」を生かした生活体験などを実施している。コンビニの店名も、修復民家の名前にちなんだ。

同センターの活動計画づくりは、教師を目指す学生部員らも担っているが、池田理事長は「大学生自身も野外活動などの体験に乏しい。コミュニケーションが下手と感じてきた」という。このため「コンビニでの活動で人とのかかわりを学んでほしい」と開店に踏み切った。

リーダーの一人で三年の土屋貴志さんは「ニーズを把握して商品ロスがないようにしたい。大学が各種行事で弁当を頼む時は注文がくるように営業したい」と話した。 (松本利幸)
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2005年4月11日 静岡新聞 地域版
(以下の記事の著作権は静岡新聞が所有しています)
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“学生コンビニ”開店 仕入れや人件費計算も担当 葵区・常葉大

社会人のマナー学ぶ
学生が運営に携わるコンビニ「Yショップたぬき村」が11日、静岡市葵区瀬名の常葉大にオープンした。経営は教育学部生涯学習学科の学生有志でつくるNPO「とこは生涯学習支援センター」。同センターの池田庭子理事長(58)は「客商売を通し、社会人のマナーやコミュニケーションの方法などを学んでほしい」と話している。

今月、造形学部が同区の校舎に移転して新館が建設されたのに伴い、ミニコンビニ「Yショップ」を全国展開している山崎製パン(東京都)が学内にコンビニを設置することを申請。同市葵区栃沢に遊び場「たぬき村」を運営している同NPOに運営を依頼した。
池田さんは「経験がないのに経営できるのかどうか、不安だった」と振り返るが、学生の就労支援の絶好の機会と考えて承諾したという。
人件費の計算や売り上げ目標の設定、商品の仕入れなどはすべて学生が担当する。教育学部初等教育学科3年の都築直美さん(21)は「コンビニ運営も教師の仕事も客や保護者と信頼関係を築くという点では同じ」と意欲を燃やしている。
この日、同店前で行った記念式典には木宮和彦学園長らが出席し、テープカットをしたほか、「たぬき村」の運営に協力している地元の茶生産者4人がお祝いに駆け付け、栃沢産のお茶を無料で振る舞った。
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2005/04/05

岸部シローさんと爆笑問題トーク番組

昨日たまたま付けたTV番組で、岸部シロー氏が自己破産した時のことを放映していた。爆笑問題が司会者で、その他色々なタレントが出演していた。何かお金に関するバラエティ番組のようだった。岸辺さんは。「なんとかなるやろ」との気持ちで次々に借金を重ね、ついに5憶円以上の負債を抱え込んでしまった。

岸部さんは既に白髪が交じり老齢に達しようとする年齢であり、風采も若さが影を潜め、男性である僕から見ても、色気に乏しくなっていた。そして喋りもはきはきしてしてなく、口の中でごもごもという様なので、良く聞き取れない。と、まぁこれは僕の見方なので、かなりバイアスが入っているのは間違いない。ただ憎めない雰囲気は健在だったし、そこから良い味を出していた。

途中から奥さんが登場して、借金時代のことを振り返り、夫である岸部さんに宛てての手紙を朗読した。しかし、その奥さんが、もの凄く若くて美しいのである。
手紙の内容は簡単に云えば次のようになる。
「岸部さんと結婚し、本当に今まで考えもしなかった経験を色々とした、楽しかったことも多かったし、自己破産の時は頭が真っ白になった。でも15年なんとか一緒に歩んできたし、これからも共に頑張っていきたい」
途中で感極まって奥さんは目頭を押さえ、ゲストの女性タレントの何人かはもらい泣きをしていた。

その手紙を読み終えた時、すかざす出た爆笑問題の一言。
「この男の何処が良くて結婚したのですか!」
それと同時に起きる、ゲスト達の笑い声。それを承知にタイミング良く出した突っ込みだった。
奥さんが答えるのでなく、その問いに岸部シローが答える。
「ほら、僕って男ぽくないでしょ・・・」
それを最後まで聞かずに、再度爆発問題が突っ込む。
「しかし、本当にこの男の何処が気に入ったんですか!」
再度ゲスト達の笑い。

岸部シローの持つ雰囲気と、そこに突っ込む爆笑問題のトークとかが一緒になって醸し出す雰囲気がとても面白く、僕も思わず笑ってしまった。

たぶん、爆笑問題が「この男」と言ったときの「この男」とは、「いい男」とは対角線上にある男のことを含んでいるのは間違いない。
つまり、家族にお金を使うわけではなく、自分の趣味だけに莫大なお金を使い、気楽に友人の保証人となり、それを「なんとかなるさ」で繰り返し続けて自己破産になった男。
爆笑問題の「この男の何処が良くて」には、「良い所なんてないじゃない」の意味が込められていて、そのことに対し、その場に居合わせたゲストのタレント達、爆笑問題、そしてついでに言えば岸部シロー、テレビを見ている僕に浮かんだのは、殆どおなじイメージだったように思う。

男に対し、「いい男」と「だめな男」、そして「悪い男」と色々な区分けがされる。それらの線引きはとても曖昧でかつ個人的だと思う。でも、その番組では、一瞬にしてそれらの垣根が取り壊され、同じ気持ちを味わったような気がしている。これってなんなんだろう。テレビの持つ力なのかも知れないが、僕には「男」として要望される何かが眼前に出現したような印象を持った。

そしてその要望されている「男」とは、多分「男」が「男」に対し要望している様にも思う。何故なら、番組の中で同意するかのように笑ったのは男性が多かったような気がするからだ。女性は、爆笑問題のリアクションに思わず笑うと言った感じで、笑いの質が違うような気がした。
奥さんにとって見れば、爆笑問題の問いかけは、他の人にはわからぬと思ったのではないだろうか。それに自分でも答えられない。それに、夫である岸部シローの答え「男ぽくないでしょ」も的はずれだと思う。

男は「男はかくあるべし」と男に向かって要請し、それが基準になって、岸部シローは「僕は男ぽくないでしょ」と答える。同根と言ってしまえばそれまでだが、一種の男という呪縛がそこにあり、それは語られることはないけど、知らぬまに男を縛り、行動を規範している。そんな感じを受けた。

考えてみれば、僕も子供の頃に友人から、「男だろ」とか「男なら、細かいことを気にするなとか」、「男なら、さっぱりと諦めろ」とか「男のくせに」とか言われたことがある。さすがに、高校以降は言われなくなったが、それでも失恋したときなどは、「男なら」と自然に思ったものだ。

岸部さんの奥さんの手紙はテレビ用として脚色はある程度あるかもしれないが、底に流れている気持ちは十分に伝わった。岸部さんの行動に迷惑を被ったかも知れないが、やはり岸部さんの人柄の良さが、苦労しながらも、15年夫婦として過ごして来られたのだと思う。そして、そこに女性がみる男の「良さ」と男性が思う男の「良さ」の違いが大きく見えたような気がして、とても面白く感じた番組だった。

2005/04/04

雑感 内田さんの記事

内田樹さんの記事『ニーチェとオルテガ 「貴族」と「市民」』を読んだ。
正直言えば、オルテガの『大衆の反逆』は知っていたけど、読んだことがなかった。機会があれば読んでみようと思う。

昨夜、記事のコメントのやりとりで、無知から来る配慮の足りなさで、すなハハさんから怒られてしまった。全く持って弁明のしようがない。

ただコメントを書いているとき、自分の頭にあったのは、全然違うことだった。
それを内田さんの記事では一文で現されていた。
『自己肯定と自己充足ゆえに、彼らは「外界」を必要としない。ニーチェの「貴族」は「距離のパトス」をかき立ててもらうために「劣等者」という名の「他者」を必要としたが、オルテガの「大衆」はそれさえも必要としない。彼らは「外部」には関心がないからだ。』
この文章は記事冒頭の文章となっている。勿論内田さんと僕とでは較べるる次元にないことはわかっているが・・・

しかし、内田さんの解釈にはそこはかとなくレヴィナスを感じてしまう。何処がと問われれば、全体を通してと云うしかない。それは内田さんが、自らをレヴィナスの弟子と称していることを知っているから、そう感じてしまうかもしれない。

しかしこの文章は未練だなぁ。今度まとめて記事にしてみようと思っている。

詩を書く

つくづく才能がないとおもう
だから笑止できる人にだけ公開します。
amehare

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言葉を忘れた
その彼方にある何かの呟きにも似た呻きの一言
(それが言葉だ)
異界の者とは誰だろう
欄干の外から内を覗く者とは
ふと目をやるその瞬間に消え去る者とは

幻影かも知れぬ
もしくは深夜にマラルメを読む罰が当たったのかも知れぬ

(言葉を忘れた)
(忘れたのは語法かもしれない)
こうして言葉を織り込んでいるではないか

夕飯時に近くの公園を歩いた
桜は3分咲き
酒宴の喚声が到る処で聞こえるその中を
桜の木肌を触りながら
よからぬ事を考えていた
あれはつい半日前のことではなかったのか

いまでは遠い昔の話
石に刻まれ
雨に打たれ
摩耗しきった物語の断片
濡れた記憶の切れ端

言葉にならぬ思いを綴るには
何かをなくさねばならぬ
(何をだ)
繰り返し引かれる取消線
ハイフンで分断された単語の悲鳴
括弧で括られた主語と目的語

提示され、論証され、記述されるまえに
言葉を言葉でないものにしなくてはならぬ

そうしなければ
僕らは前に進めない
死者と語り合えない

2005/04/02

ライダーズハイ

以前に山川健一さんの「ライダーズハイ」という短編小説集を読んだことがある。「ライダーズハイ」というのは「ランナーズハイ」と同様に、オートバイに乗ることで高揚感がで、一種の陶酔状態になることだ。真面目に考えれば、そんな状態で走るのは危険だとなるが、そういう感じに近い「気持ちよさ」程度と思って欲しい。

日本海を見たくて、東京から二泊三日のツーリングをしたことがある。日本海までの道程は、概ね林道の利用を計画していた。でも林道自体が舗装されていたり、台風などの災害で寸断されていたりして、実際に気持ちよく走れたのは奥志賀スーパー林道くらいだった。

愛車はホンダXL250R、単気筒、250CC、OHCエンジンのオフロードバイク。ホンダ製の単気筒エンジンは、そのタフネスぶりで知られている。そのうえ、シートが素晴らしく、長時間座っても痛くならなかった。

日本海にたどり着き、海沿いの道を走り、直江津に着いたのが夜だった。ツーリングの時は寝る場所なんて何処でも良いと考えているので、途中の無人駅で寝ようと思っていた。だから、そのまま山道に入っていった。山に近づく毎に街灯は少なくなり、そして全くなくなった。谷間を縫うように走る道は、国道で完全舗装されているとはいえ、急カーブが連続し、僕は走ることに集中した。

夜の9時頃だと思う。突然にヘッドライトとスピードメーターの明かりが消えた。一瞬にして暗闇の世界だ。バイクを止めて懐中電灯片手に点検する。どうも電球が切れたらしい。でも死んだのはハイビームの電球だけだった。ほっと安心して、懐中電灯を消したとき。僕は驚いた。

9月の初め、天気は晴天、空には満天の星。月も出ていない。北アルプスの峰々が星明かりで、闇夜にさらに黒く浮き上がる。車の往来さえない山道の真ん中で一人僕は立っている。不思議な感覚に襲われた。自分がそこにいるような、いないような感じ。闇夜に融け込み、ただ意識だけが地表にとどまり浮遊している一種の目眩に似た幻惑的な状況。

しばらくそこに立ちすくんでいたと思う。それから僕は道ばたに腰を下ろし。空を見上げた。独りだなんて少しも思わなかった。恐怖も全くなかった。それより安心感が僕の心を占めていた。
風景と一体になったとも思わない。でもそれに近い感覚だろうと思う。しばらくこのままでいたいと僕は願った。でも長くは続かなかった。ゆっくりとバイクにまたがりエンジンをかける。単気筒の心地よいサウンドが夜の山間にこだまする。

実を言うと、この後僕は恐怖を味わう。でもそれは別の物語だ。今から思うと、この時の自然とのシンクロによって、普段では感知できない「何か」を取り込む準備が出来ていたような気がする。人には不思議なことがおこる。それは事実だと思う。

2005/04/01

携帯電話をデザインとしてみたときの「折りたたみ式」と「直立型」について

いまさらいうまでもないことだが、携帯デザインは「折りたたみ式」と「直立型」の二つに大別される。以前に「折りたたみ式派」と「直立型派」の二者に分かれてどちらが使い勝手がいいか議論があったのを記憶している。勿論、この議論は「個人の好みの問題」に収束される話ではあるが、それぞれの言い分を読むのも面白かった。
その中で出た話で、「折りたたみ式」は女性に人気があり、「直立型」は男性に受け入れられている、というのがあった。どのようにして調べたのかは不明だが、ある限定された時間の中で、この説は結構広まったのではないだろうか。

無論、「折りたたみ式」が女性的、「直立型」が男性的、とする区分の背景には、形状からみた象徴的な意味合いが入っているのは間違いないと思う。そういえば以前に見た米国刑事ものドラマで、主人公が直立型で伸縮するタイプの携帯電話を使っていた。ドラマの持つ雰囲気と、主人公の男性刑事のイメージとしての男っぽさに、伸縮するギミックをもつ携帯が妙に合っていて、いまでも印象に残っている。
このドラマでは意識して小道具を選択していることがうかがい知れるが、その背景にあるのは、やはり同じ象徴性かもしれない。

現在では、どちらがいいかの話が成り立たないほど、携帯デザインは殆どが「折りたたみ式」となっている。直立型はその存在が忘れられたわけではないが、量から見た勢力としては圧倒的に少数になってしまった。
最近のデザインの中では、数字キー部分が伸縮するタイプ(それこそ以前みたあの刑事ドラマで使っていたタイプ)が出始めたが、これは「直立型」デザインの亜流といってもよいかもしれない。「直立型」は完全に消えたわけではなく、こうやって姿を変えて生き延びていくのだろう。

ただ、直立型の亜流と思われる伸縮するデザインには、従来の「直立型」になく、「折りたたみ式」と共有する部分が一つだけある。
「折りたたみ式」携帯を使う場合、使用者はまず携帯を「開ける」ことから始めることになる。そして、利用が終われば「閉じる」という動作を行う。この「開ける」、「閉じる」という動作は、携帯を使ってのコミュニケーションを行うときの前段としてとても大事なように思える。
しかも今の携帯では背面にも液晶画面を持ち、誰からの電話であることがすぐにわかるようになっている。

これを対面のコミュニケーションの流れから見てみると、まず僕は相手を認識するところから始まるのだと思う。そして認識した相手が、僕にとってコミュニケーションしたい相手かどうかを判断することになる。嫌であれば僕はそのための準備を行う。僕は相手が僕を見つける前に姿を隠すだろうし、もしくは無視するだろう。コミュニケーションしたい相手であれば、僕はそのための準備を行う。笑顔を作り、自分がここにいることを相手に伝える。そして、何を話そうかと考える。

僕が思うに、この携帯を「開ける」、「閉じる」という行動が、その準備に該当するような気がするのだ。文字通り、コミュニケーションを「開ける」と「閉じる」ということを行動によって示しているように思ってしまう。そして、伸縮する携帯の場合、「開ける」が「伸ばす」、「閉じる」が「縮める」に該当すると思う。
勿論、そういう方面の知識はまったく持たない、僕の思いにしか過ぎない話ではあるが、そう考えていけば、「直立型」が日本においてなぜ姿を消していったのかが、なんとなく理解できる。
その状況が、日本特有かどうかはわからないけど、もしそうなら、理由を考えるのも面白いかもしれない。

正直言えば、伸縮する携帯が誰に売れているのか僕はまったくわからない。でも恐らく、男性により多く売れているのではないだろうか。

補足:
そのほかの「折りたたみ式」の要素、「閉じる」ことで「隠す」という面もあるが、今回はその方向では考えなかった。さらに、「折りたたみ式」の形状からみた利点、たとえばコンパクト、液晶画面が大きい、数字キー配置もある程度のゆとりがある、設計面からより多くの機能が追加できる、等等のことも表層的な感じがしたので、それも考えなかった。

Amehare Clip

左近さんのブログ「夏のひこうき雲」で時折出てくる「はてなブックマーク」と「浮雲」の名称。何かなと思って「浮雲」を開けてみると・・・おお、これは良い!

ブログサイトでなく記事そのものをクリップする為の道具だった。実はこういうものがあればいいなぁと思っていた。はてな市民でもある僕(といってもアンテナを使いたくて加入しただけ)だけど、こういう嬉しい機能があるとは知らなかった。

というわけで、昨日から実際に使い始めた。サイドメニューの下に「Amehare Clip」としてRSSを載せている。ただ、「はてなダイアリー」での見せ方より貧弱になるのが難点。一瞬全面的に「はてな」に移行しようかなと考えるが、生来面倒なことは嫌いなので、文字通り一瞬の内にその考えは消える。
「なんだか最近はてなブックマークのコメント欄で要約などを50文字に凝縮して書いているほうが気が楽で、浮雲ばかり更新している」
(「夏のひこうき雲」から引用)
使い始めてすぐに、上記左近さんの気持ちがよくわかった。実際これはお奨めです。
しかし、ブログ記事を読むより、ブックマークした多くの記事タイトルを眺める方が、その人の姿が浮き彫りになる感じがしている。