2005/04/30

下北沢問題

東京の下北沢という町は僕にとって馴染みが深い。まず友人の親がそこで時計店を営んでいた。学生時代に友人が下北の喫茶店でバイトをしていて、毎日のように遊びに行っていた。目当ては、勿論友人ではなく、同じようにバイトをしていた女の子たちだ。何回か一緒に飲みに行ったし、何人かとはデートもした。計画性のない僕は、気に入った女の子にデートを申し込んで、それが短い時間帯に3人とトリプルブッキングしてしまい、下北沢の中で待ち合わせ場所に行くのに、駆けずり回ったこともある。様々なライブハウス、ジャズ喫茶にも行った。下北野外コンサートにも行ったこともあるし、先輩に強制的に参加させられた素人演劇集団の初舞台が下北沢の場末の劇場だった。いつも友人と一緒だった街であり、飲んで騒いだ街でもあった。しかし、少しでも駅から離れると、そこは閑静な住宅地であり、所々に落ち着いた喫茶店とバーが彩りを添えていた。何人かの友人は下北沢に一度住むと離れ難しと言っていたが、その気持ちは僕にもよくわかった。

下北沢の街は、小田急線と井の頭線により分断され、東西南北それぞれに街の雰囲気が変わる。また、もともと住宅地を基盤にして商店化していった背景から、道が細く、かつ入り組んで、まるで迷路のようだ。そこが下北沢の魅力の一つでもあるのだが、その街の状態が、下北沢を下北沢らしくしているのも事実だと思う。それは近くの三軒茶屋とも自由が丘とも違う。特に三軒茶屋は下北沢と同じ下町の良い雰囲気を持っていたが、玉電廃止から首都高建築、246号線、世田谷通りを含む三軒茶屋付近の再開発で、徐々に以前の街が様変わりしていった。

その下北沢が大変なことになっているらしい。といっても僕は今日知ったばかりなので、詳しいことはわからない。問題を扱ったサイト「Save The 下北沢」には以下のように書かれている。

「今、下北沢の街を根底から破壊するような大規模な道路建設計画が動き出そうとしています。2003年2月に、東京都と世田谷区は環7(幅25m)と同等の幅を持つ“都市計画道路補助54号線”と「駅前広場」を含む “区画街路10号線”の都市計画決定を行ないました。この補助54号線とは昭和21年の都市計画決定を前提とした道路であり、現在の世情においてやっと始められた都区部の都市計画道路の見直し作業を待たずに、今、駆け込み的に推し進められようとしています。」

上記サイト記事の54号線は下北沢の北側商店街の中央を通ることになり、既存の街を破壊分断することになる。何故今頃になり、この計画が浮上したのだろうか。僕にとっても少し勉強が必要なようだ。知ったばかりのことなので、現状、賛成でも反対でもない。ただ、今のところ心情的に、計画反対なのは間違いない。とりあえず今日は下北沢心情を吐露した。では

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