2005/06/15

グレン・グールド雑感

■グールドに興味が尽きない。『「草枕」変奏曲』(横田庄一郎)と『漱石とグールド』を読んだ。『漱石とグールド』は8人のグールドに関する評論を、しかも「草枕」を通じて、集めたものだ。特にその中で、グールドが漱石の「草枕」に傾倒した事実を早くに発表した、翻訳家のサダコ・グエン氏の文章があり、彼女の文章が読みたかった。横田さんの『「草枕」変奏曲』も面白かったが、サダコ・グエン氏を含めた8名の評論の方が、それぞれ個性的でより楽しめた。

■そういえば、グールドが百数十回も見た映画があるとかで、それが安部公房原作の「砂の女」だというので、正直驚いた。グールドの愛読書「草枕」といい、映画といい、日本のものに興味があったようだ。でもグエン氏が評論で言うように、グールドの演奏、もしくは解釈に東洋的なものは感じる事はできない。東洋的な憧れというより、もっと直接的にグールドの肌に合ったということなのかもしれない。

■安部公房の「砂の女」は僕にとっても印象的な作品である。高校時代に安部公房に僕は熱中していた。それは一種の格好付けの熱中でもあったかもしれないが、動機はどうあれ、「砂の女」は本当に面白かった。勿論映画も見た。勅使河原宏監督作品だが、監督を気にするよりも、岸田今日子の演技が印象的だった。しかし、百数十回も通してみる事は僕には出来ない。

■その他、「文藝別冊 グレン・グールド」も読んだ。2000年4月に出版したこの雑誌で一番面白かったのは、伊東乾さんの評論であった。その中で、伊東さんは、グールドが率先して活用したレコードが、現在のコンサートビジネスにおいて収益の一つの柱であり、その結果楽団に頻繁なる特定楽曲の演奏を強い、練習などの修練をする時間不足による、全体を見ての技術の低下があることを示唆していた。また、各登竜門としてのコンクールの発展も、このコンサートビジネスとともに発展してきたとも述べていた。音楽といえども、市場経済を背景にした、コピーによる低品質だが低価格の大量販売という、工場製品的な製造から逃れられないのは事実なのだとあらためて考えた。さらに、現在のデジタル編集技術では、売れる音楽へと、いかなる音楽も編集可能なのかもしれない、そうなると必要なのは、ブランド化した演奏家もしくは指揮者を造る事なのだと思い至った。これもグールドが先鞭をつけたことなのだが、彼にとっては自分の音楽を完璧にするためでもあったはずなのに、流れとしてはその逆に流れている様に少し思う。

■グールドがコンサートから撤退した理由、グールドに関する評論で様々に語られる理由はそれぞれに理解はできるが、どうも腑に落ちることが少ない。その中でも一番わかりやすかったのは、ある一人の演奏家の言葉だった。彼は逆にグールドが聴衆の反応に影響を受けやすかったのでは、と言っていた。彼は、「まじめに受け取らないでくださいよ」、と前置きをいれていたのだが、同じ演奏家としての言葉が、なんだかんだといっても一番グールドの気持ちに近いのではないかと思う。

■この演奏家の言葉は説得力があるが、やはりレコード技術の発達がなければグールドのコンサート撤退は実現不能だと思う。それは音の録音と編集の技術であり、コピーアンドペーストの技術といっても良いのかもしれない。

■グールドが撤退したコンサートとは、コンサートホールという場での聴衆と音楽家とのコミュニケーションであり、そこでは同一時間と同一空間を共有し合う。グールドにとっては、聴衆とのコミュニケーションは、自分の音楽を追求する上で不必要であったということだろう。コミュニケーションをとる場合、相手に対する配慮とか気遣いを人は意識せずに行っている。その結果、自分の意見を相手に受け入れられるように少し変える事もある。それが普通といえば普通の話ではあるが、グールドにとっては耐えられないことでもあったようだ。

■別の云い方をすれば、グールドは音楽に完璧を追求するために、不純物を削ぎ落としていったのだ。そしてその不純物の一つに、聴衆との直接のコミュニケーションがある。それはある意味、演奏家として、聴衆との会話の断絶を意味している様に僕は思っている。ではグールドは個人として友人・知人との会話も苦手だったかといえば、そうでもない。グールドはユーモアを交え楽しく明るい会話をする。少なくとも表面上はそうだったようだ。でも彼は、例えば彼の書簡・著作物で語る程は、自分の信念を会話において吐露している様には思えない。

■完璧を追求する時、人は孤独の中で、自己の思考の中で、それを求めるのかもしれない。完璧でなく、成熟もしくは円熟をグールドが求めたのであれば、多分コンサートとは決別する事はなかったと僕は思う。成熟もしくは円熟は人との会話の経験・体験を必要とすると思うからだ。

■実はグールドを考える時、僕の中では「会話の喪失」という状況に思い至るが、それらはまだうまく説明できない。まさにその点でグールドは僕と現在の社会を考えるときに繋がっているように感じる。

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