2006/05/29

末期のガン患者になった従兄弟

従兄弟が末期ガンの宣告を受けた。実はこういう話をブログに書くこと自体気がとがめる。勿論「僕の従兄弟」と書くことで、この記事を読む方が誰かと判明出来るとも思えないし、記事に特定の情報を書くつもりもない。また親戚の誰も僕のブログを読んでいるわけでもないので、僕が従兄弟のことを少し書くのを知るよしもない。でも彼のことを書いているということを、他でもない僕が知っている。そして僕は従兄弟のことを題材にしてブログを書く自分に幾ばくかの責めを課しているのである。さらに言えば、本当に書きたいことは従兄弟のことでもない。末期ガンの宣告を受けたと知ったときの自分の気持ちを書きたいと思うのである。

従兄弟は僕と二回りほど年が離れている。といってもまだまだ若いと僕は思う。彼は僕が幼い頃とても面倒を見てくれた。映画に連れて行ってくれた。遊園地にも一緒に行った。彼は優しく大きくそして豊かな感性と知性を持っていた。従兄弟が結婚し二人の娘を授かり、彼女たちに溺愛している姿を見たとき、僕は彼の娘達に軽い嫉妬心を持ったのを覚えている。
それまでは僕の方に目を向けていてくれた彼の変貌に子供ながらとまどいを持ったのだった。そのくらい僕は彼の事が好きだったし、彼への愛情は今も変わることがない。

従兄弟は医者嫌いで滅多なことでは病院には行かなかった。その彼が最近の不調に耐えかねて病院に行ったのはつい最近のことだ。そして2週間の検査を経て医者が対応しきれないほどガンが進行しているのが判明したのだった。まずは大腸ガン、そして患部に腸閉塞の恐れがあった。ガンはリンパ腺を通じ全身に転移していた。肝臓が侵されていた。水も腹膜に溜まっているらしい。

さらに問題は狭心症で心臓が弱く、手術と抗ガン剤に耐えられないとも言われたそうだ。つまりなすすべがないのである。従兄弟の今の状態では腸閉塞が始まればそこで終わり。医者の経験で言えば、早くても九ヶ月、過去の事例でもっても2年以内と言われたらしい。

宣告を受ける前に僕は彼の所に見舞いに行った。彼は普段と変わらぬ、穏やかな姿で僕に対応してくれた。「病院は退屈で死にそうだ」と笑いながら僕に話してくれた。宣告を受けてから僕は彼に会いにいっていない。彼は今どのような気持ちで過ごしているのだろうか、
よく眠れているのだろうか。考えるだけでも心が重たい。

その時、見舞いに行った帰り、僕は彼の家に足を向けた。そこには彼の奥さんと娘さんがいて、彼女たちと僕は従兄弟のことについて話をした。奥さんによれば従兄弟は昨年から自分の病気が重大なことを知っていたそうだ。そして医者から「診断書」を渡されていたが、それっきり病院に行かなかったそうである。その出来事に奥さんは「怖がったんじゃないか」
と言い、娘さんは「お父さんは現実逃避するタイプだから」と言っていた。現実を逃避する性癖は僕を含め一族男性の特徴でもあるらしい。

でも僕は二人の女性の話をすぐに頷くことも出来なかった。それにその時点で仮に検査に行ったとしても、現状が大幅に変わっていたとも思えなかったのもある。また奥さんは、従兄弟が検査入院をする前に医者から受け取った診断書を見せてくれた。大きく「診断書」と書かれた紙にはワープロ文字で従兄弟の病気について概略が書かれてあった。その中には「重大な状態(死)」という文字もあった。

その紙を従兄弟に渡し医者は「さぁどうしますか?」と聞いたそうである。それに対し彼は何も答えなかった。そして検査入院が決まる一悶着までの間、従兄弟はその紙を無視したのである。

「さぁどうしますか?とこの紙をいきなり見せられてもねぇ」と奥さんが言う。僕はその言葉に頷き、彼が医者から診断書を受け取ったときの状況を想像する。「さぁどうしますか?」の一言は医者として自分の敗北を認める言葉でもある。

でもこの際医者を責めても何の意味もない。この診断書を見つけた奥さんはすぐに病院に行ったそうである。そして検査入院の段取りを決めた。診断書には「進行性」と書かれてあったにもかかわらず、病院側が最初に指定してきた日は一ヶ月ほど後の日であった。それを何とか二週間先に交渉した奥さんは、その話し合いの後で医者からこう言われたそうだ。

「ガンと言ってもすぐに死ぬわけではないですし」

つまりこの時点で担当医は従兄弟がガンの末期であり回復は難しい事を知っていた。医者の言葉は従兄弟にガン患者の属性を付与し、ついで生者でありながら「死者」の属性も付け加えようとしていた。僕にとって大きくて優しい従兄弟は、いきなり今まで培ってきた個性、社会的位置、父親、夫、等々の様々なアイデンティティが単一で無個性な「末期のガン患者」に上書きされる、そんな気持ちを僕に抱かせた。

おそらく医者自身はそんな気持ちを見も知らぬ患者の親戚に抱かせたとは知るよしもないだろう。従兄弟は上書きされた自分の属性に抵抗したのだろうか。多分彼のことだ、無視という態度を装うことで自分自身を保っていたのかもしれない。そしてその姿が娘さんからは「現実逃避」、奥さんからは 「怖がっている」というふうに見られたのかもしれない。

属性の上書きはある意味正しいともいえる。それこそ生死をかけ、彼の持っている力の全てをもって戦うのである。その事実を誰彼とも忘れられないように、ガン患者の周りの人達はすすんで属性を上書きしていく。また、医者の言った言葉は多くの方が語る言葉でもある。ガン患者の体験記的な書物の題名にもなったことがある。

母が以前に膵臓ガンになったとき、実際僕自身も医者から言われた。つまり十分にお別れをし、気持ちの整理を付ける時間が持てるというわけである。交通事故で亡くなる場合はそう言うわけにはいかない。交通事故、脳卒中、脳梗塞などなどと較べて、確かに時間はあるかのようだ。

しかし「気持ちの整理」とは誰に向けての言葉であろうか。例えば従兄弟には明治生まれの老母が健在である。母にとってはいくつになったも息子は子供であろう。この年まで長らえ、人生の最後の時期に息子を見送る、彼女にとっては耐えられない事ではないだろうか。その母に向かって、医者の言葉は届かない。

さらにガン患者が幾つもの沸き上がる気持ちを乗り越え、自分を正しく見つめる中で、何かを得る事が出来、その結果において言葉として、医者が語った言葉を述べるとしたら、それは多くの人が聞くべき言葉になることだろう。医者といえども、外部の人間が内部に向かって語るべき言葉とも思えない。僕は経験者でしかその経験した事がわからない、などとここで言うつもりはないし、その様な考えを持っているわけでもない。ただ公共的な事項に抽出できない個人の問題に関しては、やはり言えるべき事と言えないことがあると思うのである。

つい先日、従兄弟の奥さんから電話があった。何も出来ないで手をこまねいて腸閉塞が起きて終わりでは良くない。出来れば腸閉塞の改善にむけての手術をリスクは高いが行う、とした医者の話があったとの事だった。開腹して腸閉塞の対処の他、状況次第では大腸ガン患部の切除も行うそうだ、あくまでも開腹して中を見ての判断だと医者は言っているが、従兄弟と奥さんにとっては一筋の光明が差し込んだ思いのことだろう。勿論僕も強く彼の奇跡的な回復を願っているし、出来るだけ長生きして欲しい。そして従兄弟がやりたいことをやり遂げられる事を願う。たとえそれが老母より一分でも長く生きることであっても。

2006/05/28

都会に住む猫を見つめる視点で


he lives in the park Originally uploaded by Amehare.

ここ数日は雨が続き、今日久しぶりに晴れた。しかも日曜日、公園は今までの憂さを晴らすかのように人で溢れかえった。犬連れの人も多く、様々な種類の犬たちが飼い主と一緒に歩いている。楽しい一時を過ごす彼等の中で、おそらく公園に住む猫たちのことを気にかける方は少ない。

平成の教育法改正により日本の伝統音楽を学ぶ時間が増えた結果、猫泥棒が横行した。彼等は和楽器の材料として猫たちをさらった。動物愛護改正法が施行されてからは猫泥棒は少なくなったが、それでも猫たちを動物実験などの為に連れて行く人は今でもいる。

2001年から2年、公園では猫の殺害事件が頻発した。それを憂慮する有志が警察に被害届を提出した。しかし時は祖師谷の世田谷一家殺害事件捜査の真っ最中で、猫たちの殺害事件どころではなかった。

今でも時折公園で猫は殺される。傾向としては快楽殺害的な方向にいっているらしい。猫は殺され、そして人目の付くところに放置される。猫の死骸を目にした人の反応を楽しむのである。他にも犬に噛まれて殺される猫も多い。猫たちの動向は人間社会の動向に敏感に反応する。むしろ真っ先に影響を受けてるのかもしれない。猫が殺される社会。そして今では幼児が殺される。その関係を結びつけるのは考え過ぎかもしれない。年間数万人が行方不明になるこの国で、猫が殺される事を過大評価するつもりもないが、やはり何かが繋がっているかのように僕には思える。

公園横の大学の先生が毎日決まった時間に猫たちの餌を与えに来る。その方によれば、多いときで15匹以上の猫が食事をとりにきたそうである。今日は2匹しか来ていなかった。「公園の猫の天敵は犬と人間です」、先生はそう語る。

猫が人間と生活し、今では人間と共に暮らさなければ猫は生きてはゆけない。公園の猫にとって天敵は人間かもしれない、でもやはり共に助け合い生きてゆけるのも人間なのだと僕は思う。

2006/05/27

ゴールドコイン 写真2枚


aqua gold coin Originally uploaded by Amehare.

花の値段というのはよくわからない。このゴールドコイン(学名:Asteriscus maritimus,和名:アステリカス)は一鉢100円で花屋で売られていた。通称ゴールドコインと呼ばれるのは、濃い黄色と丸い花の姿からだと思う。でも花屋では「ゴールドダラー」と値札に書かれているが、コインとは違う種とも思えない。さらに名前としても「ダラー」よりは「コイン」の方が個人的には好きだし、「ダラー」として売っている理由がよくわからない。「コイン」だと何か問題でもあるのだろうか。

ゴールドコインの原生は北米だと聞いている。おそらく向こうでは日本のタンポポのように普通に何処でも咲いているのかもしれない。丈夫な花である。二鉢買ってきて玄関先に置いた。雨が降り花びらに露が丸く残っている様が美しく何枚か写真に撮った。そのうちの一枚がこの写真である。

美しい黄色はあえて白黒にして青みを増した。そうすることで雨で濡れている様を強調したかった。

yellow flower

カラーで見るゴールドコイン。円形の姿を半分に切り取った。花びら一枚一枚の姿の美しさを出したいと思ったからだが、そこは素人、全ては思い通りに行くわけでもない

話は変わるが、サイトの変更を行っては表示の微調整ばかりやっている。DIONのMTフォーマットでのエキスポートは、致し方ないかもしれないが、HTMLコードが厳密ではなく、しかもページ毎のファイル名も生成してくれなかった。MT側もファイル名の自動生成はしてくれても良いと思うが、理由は不明だがうまくいかなかった。さらにDIONだけでなく、Flickrからブログ投稿をする場合も、Flickrが生成するコードも正確でなく投稿後修正する必要がある。そういったことを含め結局多くのページを再確認しコードを書き換えた。

未だ調整が必要なページもかなりあるとは思うが、後は気が付いた時点でその都度直していくことにする。まだまだ読みづらいと思うけど徐々に読みやすくしてくつもり。

2006/05/26

モノクロと言う名前の猫


Mono-KuroOriginally uploaded by Amehare.

彼女は美しい。座っている姿、佇んでいる姿、どの姿にも僕には気品を感じさせる。見ていて飽きない。そして僕が見ていると、モノクロもじっと僕を観察している。

名前の由来は白黒の「モノクローム」からだと、名付け親である方に聞いた。モノクロは公園で生まれ育った。片方の眼は生まれて間もない頃に事故にあったという。事故の内容は聞いてはいないが、外で暮らす猫にとって大きなハンデであるのは間違いない。

どことなく家のジュニアに似ている。だからこそ僕はモノクロに愛着を持つのかもしれない。白黒の猫は身体が大きくならない、端正な顔立ちをしている、あまり泣かない、等と聞いたことがある。その言葉に漏れずモノクロも身体は小さい方だ、そして無口である。モノクロがじっと僕を見る目線に耐えられず、僕は思わず目線を外す。そして外したことに少しだけ戸惑う。

モノクロは生きている。懸命とか頑張ってとかの形容詞は彼女には無縁の話だと思う。それは人間達の思い込みでしかない。生きる、とりあえずそれだけ。でもその他に何が必要なのだろう。

またモノクロに会いに行こう。今度こそ約束の食事を持って。

2006/05/25

公園の猫


cat on ume treeOriginally uploaded by Amehare.

目の前を走り横切る猫がいた。梅林のほうに向かっている。梅花の時期は当に過ぎ去り、葉が生い茂る梅は白や紅の花を咲かせたことなど想像もできない有様である。勿論それはそれで葉と葉の間に実る梅を含め風情を感じるのではあるが、初春のころとはまったく違う。
葉で密集した梅の木は、幹が支柱となった旧式のテントのように、中は適度な空間がある。公園の猫はそこに身体を休めに来るのであろう。

僕はその猫の後を追いかけた。やはり猫は梅の木の中に入って行き、根元から2mくらいの高さにある太い枝で落ち着いている。忍び足で近づく。でも猫は持ち前の鋭い嗅覚と聴覚で僕の侵入を見逃しはしない。ぱっとこちらに振り返る目は、驚き以上に恐怖がそこに宿っていた。

「怖がらなくてもいいよ。写真を撮るだけだからね」と言いつつカメラを向け写真を撮る。それがこの写真。これを撮った後、猫は素早い動作で別の梅へと移動していった。悪かったかなぁとその姿を見て少し思った。

2006/05/24

Yさんの話

仮に女性の名前をYさんとする。韓国人のYさんは日本が大好きだった。元々は日本のことは好きではなかった。でもたまたま日本の会社で働き口を見つけ、研修のために日本に来て、 徐々に彼女が感じる日本の風景が、自分に合っていると思い始めてから好きになった。僕は後に彼女からそう聞いた。

彼女は日本では新宿に住んだ。韓国人のニューカマーが多く住む街だ。そしてそこで何人もの同国人と知り合った。その中でも特に彼女を慕う若い女性がいた。元々面倒見の良いYさんは、その若い友人を可愛がった。でも彼女の急を要する借金の保証人に涙を流して頼まれたとき、かつ彼女がお金を借りてすぐにいなくなってしまってから、Yさんの生活は一変する。

借金をYさんに勝手に託しいなくなった女性は、不況にあえぐ韓国から売られて日本にやってきた。一応日本人の夫がいるが、勿論名前だけの偽造結婚である。日本では様々な風俗を経験し、それで得たお金は一緒に暮らす男の遊興費として消えていく。そういうこともYさんは知らなかった。知っていれば保証人にはならなかったかもしれない。でも元来Yさんは自分に誇りを持ち、人を信じる方なのである。自分に誇りを持つ人は他人を疑心暗鬼に見ることはない。

Yさんは泣き言も言わず、自分の身に降りかかった災難を受け入れた。でもそれは今まで勤めていた会社の給料では返すことが出来ない額でもあった。そしてYさんは日本の男性の欲望が渦巻く世界へと身を投じるのである。女性が好きでもない男に身をゆだねるとは、精神的にどのような作用を及ぼすのか僕には計り知れない。ただ男性の立場で見れば、自分の欲望を果たす、ただそれだけの道具としか見ていないのは事実だろう。その中でお金を得るという目的のため等価交換としての肉体、そう割り切ったとしても、Yさんはいつからか眠れず食事も出来ない、そういう状態に陥っていった。

つらい期間も、Yさんにとっては借金を返済し、その上でいつかは自分の店を持ちたい、そういう希望があったからこそ乗り切れたのかもしれない。そしてその夢は1年と少しでかなえられる。店は韓国バーで、場所は名古屋に近い中規模の都市。意気揚々と開店の準備をするYさんは成功しか見えていなかった。でも現実は違う。日本で一番外国人居住者が多いその都市では、逆に多くの日本人は不信感を持ってYさん達を迎えるのである。また新興店として、裏の世界に通じることが少なく、警察の手入れなどの情報が入ることも少なかった。勿論不法な行為は行わない、でも何度も立ち入り検査がある店を誰が寄りつこうとするのであろうか。Yさんの店は半年も持たずに潰れていった。

再び新たな借金を背負い込み、それ以上に日本で生きるために、Yさんは以前の世界へと戻っていく。そしてまた体調の不調、眠れぬ日々の生活。本当に久しぶりにYさんからのメールが来たのは昨年の年末だった。文面では新たな仕事を考えているということ、今はその準備で忙しいとのことが書かれてあった。 今度こそは失敗しない、文末にはそう書いてあった。

事件が起きたのはそのメールから1週間くらいの事だった。Yさんが買い物のために自宅付近を歩いていたら、背中に自転車がぶつかったのである。自転車は小学4年生くらいの男の子が乗っていた。丁度坂道で自転車は時速30Km以上は出ていたかもしれない。ブレーキを踏むことなく自転車はYさんの丁度背骨に直撃した。Yさんは数メートルわけもわからず衝突の勢いで飛ばされた。そして後ろを見ると自転車が倒れていて、その自転車を起こし逃げようとする男の子が見えた。

Yさんは自分の身体を調べてみた。どこにも怪我らしい怪我はない。身体も動く。そして逃げようとする男の子を捕まえ住所と連絡先を聞き、警察を呼んだ。そこで両親と会い状況を説明する。そこあたりからYさんは自分の身体からかなりの違和感を感じ始めた。強い嘔吐感、だるさ、そして手足を動かすたびに走る激痛。病院で調べてみると強いむち打ち症になっていた。

夜になりYさんの自宅に男の子の母親と称する女性から電話がかかってきた。母親は少し待ってとYさんに告げると、今度は韓国語で、明らかに母親とは違う女性の声が聞こえた。

「貴方は誰ですか?」ときくYさんに電話の女性は答える。

「同じ韓国人同士の方が話が通じると、母親から頼まれました。」

Yさんが望んでいたこと、それは誠意である。具体的には、まず謝意とYさんの身体をいたわる言葉であった。でもその母親は相手が外国人と言うこともあり、まずは言葉の通じる人を間に挟もうとしたのであった。その姿にYさんはがっかりした。

翌日になると痛みはさらに激しくなり、身体を動かすこと自体苦痛になってきた。その状態の時にまた電話がかかってくる。今度は警察からだった。至急事情調査をするから来て欲しいとの要請だった。出来ればと言いながらも、その言い方には有無を言わせぬ力があった。Yさんは痛みをこらえながら警察に行った。


警察では事故の状況よりもYさんが日本語が巧みなことに質問が集中した。

「日本語が上手いね。何処で覚えた。何年前に日本に来た。何をして暮らしているの。・・・・・」

Yさんはさらに警察の一連の質問にがっかりする。痛みを抑えて来たというのに、そのねぎらいの言葉もなく、不法滞在者と穿った見方でYさんを見つめる目線は、明らかに差別がそこにあったと、後でYさんは僕に語る。今Yさんはリハビリを続けている。韓国から母親が看病のために来ている。そしてYさんは韓国に戻ろうかなとも考え始めている。

これらの話は、この国における珍しくもない普通の出来事なのかもしれない。男性の女性に対する差別行為(例えば痴漢)、この国における他の国から来た人への対応、人身売買のこと、自分がこれらのことを語る際に自分だけは外部にいると僕は誤解したくはない。人の問題ではない、これらは明らかに僕自身の問題でもあると思っている。

2006/05/19

新たなAmehare's MEMO


...the hope of you opening..Originally uploaded by Amehare.

ジュニアが扉が開くのを待っている。扉の向こうには何が待っているのか、勿論ジュニアは知っている。内には雨露がしのげる場所があり、暖かく、食事も出来る。何よりもジュニアにとって内は重要なテリトリーでもあるのだ。しかしジュニアはドアを自らの力で開けることは出来ない。ジュニアにとって不条理な状態なのは間違いないが、しかし彼はそれを受け入れているかのようだ。でもこの状況は僕にとっても同様だと思う。扉は大概は自分以外の誰かの手によって開けられる。ジュニアと違うのは、僕は扉の内に何があるのかを知っていない。

今回自分のブログを本サイトに切り替える事に決めた。決めた理由は色々とあるが、つまるところ写真と文章の二つのブログの投稿規模の偏りをなくすために一本化したかったという自分の趣味でしかない。写真ブログは写真を撮るという行為を考えるために立ち上げた。それは写真のコメントを綴ることにより見えてくると僕は思ったのである。でもこのことはその他についても、人間の行為の基となる原理を模索するという点では同様なのは間違いない。つまり写真専用のブログを進める中で、自分の中にある種の欲求不満が芽生えてきたということなのだろう。

現状の二つのブログの今後については迷うところではあるが、結果的には本サイトに少しずつ移行しようと考えている。何事も少しずつ、長く続けること、それにより何かが見えてくる、今の僕にはそれしか言えない。

2006/05/06

MEMO 「アイヌ文化の保存継承に尽力 萱野茂さん死去」

アイヌの英雄叙事詩ユーカラを紹介するなどアイヌ文化の振興に多くの功績を残し、参院議員も務めた萱野茂(かやの・しげる)さんが、6日午後1時38分、急性肺炎で死去した。79歳だった。通夜は11日午後6時30分、町葬は12日午前10時から、いずれも北海道平取(びらとり)町本町88の1の中央公民館で。喪主は妻れい子さん。自宅は同町二風谷(にぶたに)79の1。
26年二風谷生まれ。造林、炭焼き、木彫りなどをしながらアイヌの民具や民話を集めた。72年平取町に二風谷アイヌ文化資料館を開館、館長などを務めアイヌ文化の保存継承に尽力した。94年に参院比例区で、社会党(当時)から繰り上げ当選。その後、民主党に移った。アイヌ民族初の国会議員となり、アイヌ文化振興法の成立などに尽力した。国会ではアイヌ語を交えて質問した。4年間務め、98年に引退した。
アイヌ語の散文詩をまとめた「ウエペケレ集大成」を刊行し、75年に菊池寛賞を受けた。50年間かけて収集したアイヌの生活用具1121点は、国の重要有形民俗文化財の指定を受けた。
同町の二風谷ダムを巡っては「アイヌの聖地が奪われる」と建設に反対し、アイヌ民族を先住民族と認めない国を提訴。97年の札幌地裁判決で「アイヌは先住民族」とする判決を受けた。
(朝日新聞 2006年5月6日記事全文)

ご冥福をお祈りいたします。

おそらく


leavesOriginally uploaded by Amehare.

生命には多くの反復と少しの逸脱があるように思える。それが端的に表れるのが植物であり、特に葉なのではないだろうか。その姿には心地よい反復と色彩がある。だから見続けても僕は飽きることがない。

この植物はマダガスカル島南部に自生するハイビスカスの一種と聞いている。何故葉がこのような姿になったのか僕にはわからないが、必ずそこには理由があるとも思う。「進化の過程」という文脈で語ることは僕は好きではない。今の形は今の環境に適している、そう考える方が良いと思うのだ。想像で木の葉の形を言えば、葉で全天を覆っても必ず日が差し込む隙間が出そうだと言うこと。それは雨水に対しても同様だと思う。

実はこの葉の姿で最初にイメージしたのは雪の結晶だった。緑の結晶、それは僕にとって悪くないイメージだった。

同じ事の繰り返しは人を退屈にさせる。それは反復により意味が減少するのも理由の一つだと思う。例えば流行語が繰り返し使われることで意味が喪失し、そして無意味な場所で無意味に消費されるに至る。最期は苦笑と共に言葉が語られることで、かつては新鮮な言葉だった流行語は退屈な言葉となり、次第に使われなくなる。それは反復により飽きられる過程でもあると思う。

しかし葉の造形に僕は飽きることがなかった。ただおそらく上のように写真に撮り、それをパソコンのデスクトップ画像にすれば、僕は1ヶ月もすれば飽きてしまうだろう。実際の葉と写真画像の葉と何が違うのだろう。それは画像の葉は意味を含め固定されてしまったが故だと僕は思う。それに較べ、実際の葉は環境の変化で新たな意味を創り出していく。

勿論、同じような反復は人間も創り出すことが出来る。ラヴェロの「ボレロ」は僕の好きな音楽の一つでもある。