2006/06/15

築地に行く

Tsukiji Uoichiba 8

東京で産まれ育ち、それでも築地魚市場に行くことは一度もなかった。別に行かなくてもどうと言うこともない。それでも一度行ってみようかと思い立ったのは、何日間かはっきりとしない空が束の間の晴れ間をのぞかせた火曜の朝だった。


とんでもない時間に目が覚めた僕は、明るくなり始めた空を窓から眺め、オートバイに少し乗ろうかと考えた。既に再度寝ようなどとは思いもしないほど、何故か気分は高揚していた。軽い躁病かもしれぬと、自分の姿に少しだけ苦笑する。


でも既にオートバイに跨り都会の喧噪が始まる前の、少し紫かかったビルの合間を走りゆく自分の姿を想像もしていた。都会の朝は想像以上に静寂さがそこかしこに漂う。それがまたとても良い気分にさせる。カメラを持って行こう。そして朝日に輝くビルの姿を写すのだ。それが最後の一押しだった。僕は急いで身支度を始める。オートバイのエンジンを始動させたのは、窓から空を眺め思案してから20分も経ってはいなかったと思う。

さぁ何処に行こうかと、具体的な目的、もしくは方向を考える。銀座などの中央に向かうのは端から決めていた。その時に何故だか築地も面白そうだと浮かんだのだった。築地であれば、早朝の静寂さなど微塵もないのだから、当初の目的とは全く違う。一度も行ったことが無くても、活気のあるセリの場を想像するだけで、そのくらいのことはわかる。それでも築地は面白そうだなと、まずはその方向を目指そうと家を後にした。


築地までの道程は迷うことはない。皇居の方面に向かい、そこから内堀通りから京浜一号線を通り銀座に向かえばよいのだ。思いの外、車が多い。それでも朝のひんやりとした風が心地よい。空を見上げる。大丈夫だ雨は降りそうもない。


Tsukiji Uoichiba 1

築地の入り口にオートバイを駐める。築地市場の外だというのに、そこから既に圧倒される勢いである。何台もの三輪車、恐らく電気自動車ではないかと思う、が目の前を通り過ぎる。もう人などはお構いなしである。といっても乗り手は三輪車の運転技術に熟練しているようで、こちらが通れそうもないと思っている所なども、想像以上の速度で走り抜ける。
それを目で追い、巧い物だなぁ、などと感心していると思わぬ方向からいきなり三輪車が目の前を横切るので、こちらも常に周囲に目を配りながら歩くしかない。


築地入り口付近は乾物物を商う店が軒を並べる。また多くの食事処も店を開き、場所によっては凄い行列が出来ているほどである。また築地というだけあって、寿司屋も多く、こんな朝から食べるのかと思うほど店内は賑わっている。でも築地で働く人達にとって、こんな朝ではなく、既に一働きをした朝であるから、ビールも飲むであろうし、お寿司もつまむのであろう。


もう一つ気が付いたのは、観光客がとても多いことだ。彼等は、おそらく僕も同様だと思うが、本当に目立つ。まず服装が違う、さらに雰囲気が違う。僕などのように三輪車にあたふたする様は築地の門外漢そのもので、事故などに遭えば、仕事の邪魔をしたと、当方が申し訳ない気持ちになる様にも思える。それに外国の方も多い。多分東京の名所として紹介でもされているのだろう。彼等も僕と同じで築地の雰囲気に飲まれ、多少なりともオドオドした気持ちで歩いているのかもしれない。


Tsukiji Uoichiba 7


倉庫のような場所を抜けるとすぐに魚市場(仲卸業者売場)になる。その手前に大八車が何台も置かれてあった。今でも使われているのだと思う、 荷台にそれぞれの魚河岸の名称が大きく書かれている。使われることで出てくる味が存在の重みを醸し出している。 今でも使われているといっても、それらが三輪車に取って代わられているのも間違いなく、 僕自身が実際に手で押している姿を見たのはそんなに多くはなかった。


Tsukiji Uoichiba 9


魚市場は所狭しと店がひしめいていた。店の間を通る道も二人がすれ違うのがやっとの広さである。竹細工の篭を持った男性が何人か店で交渉していた。割烹の料理人らしい風情である。店はそれぞれが得意分野があるようで、魚の種類毎に専門化しているようだ。ここで毎朝仕込みをする人は、何が何処で買えばよいのか熟知しているのだろう。迷うことなく彼等は歩いている。僕などは様々な魚を見るのが楽しく、あっちこっちフラフラと節操なく、店員に魚の種類を聞いたり、買うそぶりを見せたりで、一見客として迷惑千万な客であるのは間違いない。それでも僕としては、築地に来た以上は写真を撮るだけでなく、何か手頃なものを一品でも買う気持ちは十分にあるのである。


Tsukiji Uoichiba 4


築地魚市場だからといっても取り立てて魚が安いわけでもない。勿論店によっては安売りの店もある。でも市場内の店と行っても街中の魚屋と基本的に変わるところがない。ただ新鮮な多くの魚を求めることが出来る。しかしそれさえも一見客には難しいかもしれない。魚の目利きが出来るか出来ないかが物を言う世界でもある。

おそらくその点に無知な者に対して市場は容赦ないことだろう。つまりは家の近くの信頼の置ける魚屋で買うのが、一般客にとっては一番なのかもしれないと言うことだ。同じ種類の魚なのに値段はまちまちである。僕から見ると築地魚市場に行って、魚の価格が逆にわからなくなった。勿論競り落とした価格があるにせよ、魚の値段はあって無いものかもしれぬ。そんな気持ちにとらわれる。


マグロの尾ヒレはその質を見極めるために切り落とされる。切り落とした尾ヒレといえども、少しは身が付いている。それが一個200円で売られていた。高さ10cm未満の円錐状の形をしている。そのままコンロで焼くと美味しいかもしれない、などと想像し食指が動く。でも結局買うことはなかった。隣の店の海老に目がいってしまったのだ。一尾100円と150円の海老が皿に盛られて売っている。特に150円の方は残りが少なく後9尾しかない。気になる僕を見てか店員が勢いよく声をかける。全部買うなら一尾130円で良いよ。その声に載せられて、じゃ買おうと言ってしまう。

スーパなどで見かける冷凍海老と較べれば値段は高いが、それよりは形も良いし身も多そうだ。それに海老はいかように調理しても美味しい。マグロの切り身は次に来る時までとっておこう。


Tsukiji Uoichiba 6

総じて言えば築地魚市場はかなり楽しかった。旅行の度にその地方の市場に行ったことがあるが、築地は規模が全く違う。規模の違いとは、魚市場が占める面積の大きさだけでなく、それに伴い人と店の多さである。その違いが、市場と言うよりも何か僕の日常とは異次元の世界に迷い込んだかのような、そんな感覚に囚われる。

その感覚の面白さ楽しさがあったように思える。勿論市場で働く人々にとっては、そこが日常であるのは間違いない。僕などの観光客然とした者たちは、逆に彼等から見れば異次元の人のように見えるかもしれない。


築地市場は2012年に現在の場所から江東区豊洲への移転が決まっている。築地市場設備の老朽化、敷地に限りがあり拡張できない、等の問題から築地で再整備を実施しようとしたがコストが膨大に掛かり、その結果豊洲への移転の案が浮上したとのことだった。中央区が反対していることから今後どのように推移していくのかはわかならないが、築地が何らかの形で変わっていくことは間違いなさそうである。


参考:

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