2006/07/21

映画「ダヴィンチ・コード」を見てトムハンクスの毛髪が気になる



映画「ダヴィンチ・コード」を見た。僕はこのベストセラーになった原作を読んではいない。邦訳される前から何かと物議を醸し出していた作品として注目はしていたが、いざ邦訳されると、やはり同様に注目している方が多く、書店で積まれている書籍を見た瞬間に読む気が全く失せてしまった。

映画はトム・ハンクス主演だというので見に行ったようなものだ。実を言えば彼の以前の出演作「ターミナル」を見て、彼が歳をとった姿に驚いた。それでも「ターミナル」 のあの無国籍風の男はトムハンクスでしか演じられないと納得したのを覚えている。

僕が好きな映画、「ビッグ」で見せた、あの子供っぽい目つきと笑顔、そして大きな鍵盤の上で曲をタップで弾く軽妙な動き、あれらを印象的に覚えている僕にとっては、トム・ハンクスの俳優としての存在感をそこに求めて眺めてしまう傾向がある。勿論「ビッグ」から20年近い年月が経っているのは理解しているし、彼がその年月に俳優として幅を広げてきたのも見ている。それでもトム・ハンクスの役者としての本質、もしくは魅力は、映画「ビッグ」で見せた姿にあると思うのだ。彼から少年ぽい眼差しを無くしてしまったら、彼から軽妙な雰囲気を無くしてしまったら、それは単なる普通の中年男優でしかない。

トム・ハンクスは、存在としての喜劇性を感じさせる役者だと僕は思う。彼が演じる役は、深刻な状況にいても、どこか軽さとおかしみがある。そしてその雰囲気が映画の中で逆説的に現実感をもたらせる。それが今回の「ダヴィンチ・コード」では、彼の良さが現れていない。全くとは言わないが、あれだと誰が演じても同じではないか、そんな感想を持つ。だからか、 妙にトム・ハンクスの頭の禿げ具合が目立ってしょうがなかった。

「ダヴィンチ・コード」のトム・ハンクスは、正直言えば映画興行の担保として担ぎ出されただけで、彼が演じる必然性はそこにはない。だから見終わった後に彼が出演していることを忘れるほどでもあった。また彼が演じる教授が、様々な事物から連想を働かせ、真実へと推理している様は、 CGを多用し見ている方も理解しやすいのだが、妙に現実感が乏しく、何か回答がどこからともなく出てきた、 手品のように種も仕掛けもあるような、そんな気分にさせられた。

だから原作を知らない僕は、映画の半ばまで、トムハンクス演じる教授が黒幕ではないかと疑ってしまったくらいである。 そう、映画途中で僕が密かに願ったこと、悪役としての黒幕トム・ハンクスを僕は見たかった。トム・ハンクスを気にせず、映画としてみればなかなかに面白かった。でもどうも評判はあまり良くないらしい。また話題としてキリストに関することに集中しているかのようだ。

確かに、例えば「南京事件」を背景にサスペンス映画が造られた時、 描き方により、映画として僕は見ていられないかもしれない。解釈はその人が持っている、文化的・歴史的資源によるところが大きいとも思う。 でも映画の感想は、他もそうかもしれないが、自分の立場で行うなうしかない。

僕にとってはこの映画はサスペンス映画ではない。この映画は一人の女性が自分が何者であるかを知る過程を描いた映画だと思う。一見何も関係ない事柄が繋ぎ合わさり、結果的にわかるのは自分のことだった。そしてトム・ハンクス演じる教授も同様である。彼もこの事件を通じて自分を知るのである。だから映画では、二人の過去の記憶が時折挿入されている。

歴史サスペンスとして見たとき、思い出すのはウンベルト・エーコの「薔薇の名前」である。そちらのほうは書籍も映画も何回も見て、または読んだ。それと「ダヴィンチ・コード」を較べるのは何だが、映画を見る限りに置いては、謎は「薔薇の名前」の方が圧倒的に深いように思える。

原作を読んでいない僕が言うのは何だが、「ダヴィンチ・コード」が流行った理由の一つとして、そのわかりやすさが挙げられる様に思える。で、僕の結論で言えば、わかりやすさは真実からほど遠い。勿論、一つの出来事に対し様々な物語があると思うし、原案ではその中の幾つかをつなぎ合わせて出来たのだと思う。物語作家としての才能には敬服するが、これほど売れたのは、その伝説を逆手にとっての、巧みな商業主義があってこそだと思うのである。

トム・ハンクスのことを語るつもりで脱線をしてしまった。

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