2007/01/20

捨てられるから良いんです

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近くの公園には梅林があり、ちらほらと花が咲き始めた。その中でも桃色の梅は花が早い。殆ど満開状態となっている。小正月が終わったばかりだというのに、梅花は春の到来が確実にくることを僕に教えてくれる。

見ると年の頃60代と思える婦人が、両手でデジカメを持ち、背伸びをし少しでも梅花に近づこうとして写真を撮っていた。僕はその姿を写真に撮る。するとそれに気が付いたのか、婦人が僕の方に振り向く。少し目線が合う。そして僕の方に近づき話しかけてきた。

「梅はどうやって撮れば良いんでしょうか?」

質問の意味がわかるのに数秒かかった。どうやら梅花を撮っても画面全体が暗くなり、自分が思ったイメージにならないようだった。

「日を背にして、日が当たる梅の花を撮られると良いと思いますよ」、と答える。彼女はふむふむと聞いている。

きっとデジタルカメラを購入したばかりなのだ、そんなことを僕は推察する。続けて彼女は僕のカメラを見て、 「私も以前はフィルムのカメラを使っていたんです。でも今はこれ。写ったものが捨てられるから良いんです」と話してきた。

「あ、これもデジタルカメラなんですよ」、と僕は答える。その答えに彼女は驚き、そして「ああ、今はこういうデジタルカメラもあるんですねぇ」と感心する。

それからはお互いのカメラ談義となった。婦人のデジタルカメラは、今使っているので2代目なのだそうだ。その前はコンパクトのフィルムカメラを使っていたとのことだった。

「デジタルカメラは便利ですよね、捨てることが出来るから」、そう彼女は話す。気が付けば、彼女のカメラ談義の中で何回も 「捨てられる」という言葉が出ていた。どうやら婦人にとって、デジタルカメラの最大の利点は「画像が捨てられる」ことにあるらしい。

その意見が面白いなと思う。
話を聞いていると、どうもフィルムカメラを使っているときは、自分が気に入った写真もそうでない写真も両方とも焼き付けるので、写真だけ溜まってしまいその処置に困っていたらしい。それがデジタル化することにより、気に入らぬ写真はその場で消去できる、そのことが彼女にはとても良いことと思えるのである。

「パソコンはやられるのですか?」、と僕は聞いてみた。残念そうに彼女は首を横に振る。「もうこの歳では無理です」

「そんなことはないですよ」、と僕は言いながら、確かに今のパソコンのマンマシンインターフェースは、ある意味、老齢を迎えられている方々には優しくないだろうなとは思う。
 (マンマシンインターフェースには色々と思うことがあるが、それはまた別の話)

では彼女はデジタルカメラをどのように使っているのかと言えば、デジタルカメラに差しているメモリカード(256MB)は1枚だけで、写真をある程度撮り画像が溜まれば、それを持って写真屋に行き、気に入った写真のみプリントアウトするのだそうだ。そしてその後、メモリカードの画像は全て消去する。

フィルムカメラはフィルム代・現像費・プリント料などお金がかかる。でも気に入った写真は何枚も複製が出来るという利点があった。デジタルカメラは、お金はかからないけど気に入った写真の複製が出来ない。そう彼女は語る。僕は面白いなぁと思う。

複製のしやすさ、画像の保存のしやすさ、画像管理のしやすさ、それらは一長一短はあるもののデジタル化の方に軍配が上がると僕は思っていた。それが彼女にとってはどうやら逆らしい。

どうやら彼女にとって「写真」とは、紙に焼き付けられた(もしくはプリントアウトされた)状態を言うらしい。その前の状態は「写真」とは言わない。それらは写真以前のもの、つまりはフィルムで言えばネガのような、そういう状態のようだ。そう考えれば、婦人の写真への対応の仕方には一本の筋が通っているし、パソコンを利用しないデジタルカメラの楽しみ方としては、ある意味合理的かもしれない。

婦人にとっては、フィルムもデジタルも関係ない。できあがる写真が気に入るか否かである。実を言えばその点で、僕は彼女に賛同する。さらに「写真」とは紙に焼き付けられた状態のもの、との意見にも別に異論をはさむつもりもない。

「捨てられるんです」の背景に、「捨てられなかった(プリントアウトした)」貴重な一枚の写真が見えるからである。個人が撮す「写真」とは「捨てられなかった」貴重な一枚の積み重ねにあるのかもしれない。そんなことを思う。

そのほかにも彼女から様々なことを聞いた。60代と思っていたけど、実際は70代だそうだ。夫が数年前に亡くなったこと。自宅は四国の高松であること。娘夫婦が東京に住んでいて、年の三分の二はこちらで暮らしていること。高松への往復時には必ず京都に途中下車し写真を撮りまくること。写真旅行で色々な場所に行ったこと。写真仲間の最年長で80代の方がいて、その方の写真がプロに褒められ、とても嬉しいと言っていたこと。四国に行くときは、瀬戸内海の小豆島がお奨めであること。カメラの他は手芸の趣味もあること。公園の近くに長渕 剛の邸宅が建築中であること、等々・・・。

だいたい一時間近くは話を聞いたかも知れない。でも話は面白かったし、第一僕は人の話を聞くのが大好きなのだ。

それに同じく写真が好きな僕にとって、年齢とは関係なく、彼女の話が自分に思い当たることも多かった。自分が気に入った写真を、自分の友達に見せ、同好同士が見せ合い、色々なコメントとか評価をもらう。褒められれば嬉しいに違いない。そしてそれら全てが楽しくてしょうがない。それは僕が頻繁にネットを通じてしていることと同じことでもある。

色々な人の意見を実際に試すことで、他人が喜ぶ写真が見えてくる、あとはそれと自分の感性との折り合いであろう。さらに彼女はデジタルカメラの操作を覚えたことから、携帯電話の操作、特にメールについて、違和感なく習得出来たそうである。

人生を楽しんでいるなぁ、僕は彼女の話を聞きそう思った。そしてその中心にカメラがあることが何故か嬉しかった。

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