2007/12/18

麻雀

先だって久しぶりに友人たちと会った。友人の中の一人が久しぶりに麻雀でも打とうかと言うので集まったのだが。麻雀は単なる口実にしか過ぎない。でもいい年をした男たちが集まるにはそれなりの理由が必要な場合もある。以前は年に一度、ほとんどが正月だったが、誰かしら4人集まって麻雀を深夜まで楽しんだ。

酒を飲み、それぞれの日常の出来事を話し、それを茶化しながら、つまりは馬鹿話をしながら麻雀を打つのである。数年前までは、それは暗黙のうちに了解された僕らの公式行事だった。それがここ数年全くなかった。群馬にいる友人の仕事がある程度余裕ができ、今回の麻雀はその彼からの誘いでもあった。

様々な職業の人たちとの会話は楽しい。そのときも麻雀店の閉店間際の深夜0時頃まで遊んだ。そのうちに4人のうち1人が完全に酔っ払い、外面は全く素面に見えるのだが、語る話が何か妙に重くなってきた。彼はウィスキーを休むことなく飲み続け、その合間に、「俺なんてもうどうなっても良い」と語りはじめた。そして「俺の今の心境は特攻隊の一員のようなものだ」と続ける。その時は彼が完全に酩酊しているとは思えなかったので、僕は「それはどういうことか」とたずねた。すると彼は「いつ死んでも良いってことだよ」とこともなげに答えた。

彼には無論妻子もいる。「そんなことを妻子が聞けば悲しむだろう」と続けて僕は聞く。「だからこそ特攻隊の精神に近いんだよ」と彼は、おそらく自分の倫理観だと思うが、僕には通じない一言を言うのみなのだ。

「人間は、特に男はどういう形にしろ子供をつくり、ある程度まで育てればそれで良いんだよ」しばらくたってから彼は補足のつもりで答える。確かにそういう考えもあるかもしれないと、僕はうなずく。僕のうなずきを彼は見逃さず、逆に質問をしてきた。「お前は何のために生きているんだ?」

そういう質問は僕は苦手だ。あなたの知ることではない、と見知らぬ人であれば答えることだろう。でもその時は僕も多少は飲んでいたし、相手は久しぶりに会った友人なのだ。あまりそういうことは考えたことがないと前置きをいい、「人のため、自分のため」と短く答えた。

「人のため、自分のため」、確かに僕は昔からそう考えていたところがある。具体的に言えば、ある人がいるとする、無論その人には親がいる、親にとって子供の存在は悩みの種でもあるが、それ以上に希望でもある。つまりは子供がいるだけで、親のためになるのだと思うのである。そして親は親自身のために生きる。つまりそれらは誰にでも言えることであり特別なことでもなんでもない。だからこそ、語るべきことではなく、僕にとって「何のために生きるのか」という問いは苦手なのである。

「人のため、自分のため」は同時にありえるのか、それは時として難しいが、そこにバランスを保つことが大事なのではないかと僕は思う、と酒の勢いもあり短い言葉で僕は続けた。
彼は黙って聞いていたが、酩酊している状態の故、僕の言葉が彼に届いたのかは怪しい。何故なら、彼は繰り返し「俺はもう終わり」と言う言葉を何回か繰り返し、他の3人を見渡しながら、さもそれが重要なことのように、「俺らもいずれは死んでいくんだよなぁ」と続けたのだから。

弁護するわけではないが、彼は非常にポジティブな考えの持ち主であり、それは日ごろの仕事での活躍、さらに様々なボランティア活動参加という行動にも現れている。だから酔った勢いだとしても、その彼が突然にそのようなことを言い出したのは意外であった。
でも最近思うに、人生を前向きに生きる人ほど、その対極に死をおきたがる傾向にないだろうか。生と死は対立する二項選択問題になってしまわないだろうか。生と死の間は、病気と健康と同じように境目などない。それを無理に分裂させることで、人は病気に落ち込み、死を恐れる。

ではお前はそうではないのか、という問いは即座に跳ね返ってくることだろう。そう、前言の語りと裏腹に僕も死を恐れる。それは僕も現代の生と死のフレームワークの中に生きているのだから、そのような考え方でしか前に進めないのである。

結局麻雀の勝敗はその彼の一人勝ちだった。彼は飲み続け、語り続け、そして勝ち続けた。群馬から来た友人は二番目で少しは勝てた。僕はと言えば散々だった。前半は好調だったが、後半その酩酊した彼に立て続けに満願を振り込んだ。しかし彼は淡々と、喜びを満面に出すわけでもなく、ただ飲み続け勝ち続けたのだった。

群馬の友人は僕の家に泊まった。翌日彼を見送りに渋谷まで一緒に行った。二人とも昨日の疲れからか無言であったが、一言「昨日はすごかったな」と言った。お互いに何がすごかったのか、それだけで了解しあえたのが面白かった。酩酊した友人の方は、日曜である今日も仕事だと言っていた。

それぞれ次の約束をせずに昨日は別れたが、今度の麻雀は果たして何年後になるのだろう。電車に乗り込む友人を見ながら僕はそんなことを考える。そして彼にできるだけさわやかな笑顔をと意識しながら手を振った。

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