2008/02/04

ある産業医との会話で思うこと

理由は忘れたが、あることで産業医と話をした。産業医とは企業の社員数規模に応じて法律で定められている嘱託・専属の医者のことで、専門家として社員の健康管理を行っている。
例えば社員が何らかの病で休職が必要なとき、産業医は企業の厚生部門と連絡を取りあい、社員が受診した外部の医者の診断書を元に休職是非判断を行う。彼が扱う情報はきわめてセンシティブなので、僕との会話の内容は一般的な内容だったが、あらためて考えることも多少あった。

これも法律で決まっている話だが、社員が休職をする場合1年半は期間に応じて基本給の100~80%の特別手当が支給される。ただ休職期間が3年間経ったとき、企業での雇用継続義務は消失するので自動的に退職することになる。そういえば「鬱病」による休職が最近多いと新聞で読んだことがある。何故このようなことを書くかと言えば、産業医との会話が休職制度に流れたからだ。

「復帰される方の割合はご存じですか」と彼は僕に聞いてきた。
休職をすると言うことは、会社を退職する気がないと言うことだから、少なくとも3年間で復職するべく養生に努めるのだろうと、何も考えずに僕は答える。
 
「そうですね、5割くらいではないでしょうか」
5割に根拠はない、本当はもう少し多いと思っていたが、質問をされたと言うことは、逆ではないかという気がして若干少なめに答えたのだ。
 
彼は苦笑して答える。
「3割に少し足りないくらいです」 
「えっ、そんなに少ないのですか」
「はい、これでも最近はあるトレーニングを取り入れて劇的によくなったのです。以前は2割くらいだったのですよ」

あるトレーニングというのは他企業の産業医でも取り入れている「図書館トレーニング」という方法であるらしい。つまりは擬似的に図書館を会社に見立て、9時-17時の間、図書館で何らかの作業をする訓練を一定期間続けるということである。

「図書館トレーニング」とその効果について彼は語る。僕は想像がつくので彼の話を上の空で聞き始める。僕は思う。おそらく彼は正しい、そして違う。正しいと思ったのは「図書館トレーニング」なるものが一定の成果を出していることだ。産業医である立場から言えば、彼は企業の世界に属している。つまり彼にとって社員が復帰するかしないかが問題なのであり、復帰率はそのまま彼の成果につながる。

会社に復帰しなかった約7割の人を思う。一つ言えるのは、その中の何割かは別の道を見つけ出し歩いていると言うことだ。そして残りの人々もいずれは自分の道を見つける。復帰した約3割の人がそれを立証している。2割と3割の違いは確かに図書館トレーニングの成果だろう。しかしそれは復帰すべきか否かについて迷う人を復帰に向けて後押しをしただけで、戻られたのは彼らの生きる力なのだ、と僕は思う。人間は単純な一つのスイッチがあるわけでもない。何かを押しただけで稼働するというわけではないと思うのだ。

ここまで書いて僕はまた別のことを思う。自分の道を見つけて歩き出すと書いたが、それも違うのかもしれない。人は他人がその立場で価値観を唱えようと唱えまいと関係なく、生きていること自体すでに歩いている。彼の意志でとか、選択しながらとも言わない。ただそこに在ること自体がすでに最善の結果なのだと思うのだ。

「コミュニケーション能力が落ちているのです」
彼の言葉が突然に耳に入る。僕は思わず「えっ」と聞き返す。
「離職されていた方が復帰したとしますよね、その時まで長期間仕事を離れていた方がいきなり業務に就けるかと言えば、それはできないのです。まずコミュニケーション能力が落ちている。それに計算能力、そして文章作成能力とかもね。これらの能力低下によって、復帰してからまた自信をなくされて退職される方も多いのです。」
もっともな意見だ。仕事を中心に考えればそういうことになるのだろう。僕は黙って聞いている。

会社でコミュニケーション能力が重要な能力であることはその通りだと思う。でもそれらの能力は復帰をすればそれほど時間がかからずにある程度は短時間で元に戻ることだろう。問題と思うのは、会社の中の特殊な価値観を共有できるかと言うことだ。そして自分と折り合いをつけられるかと言うことだろう。

折り合いを付けると言っても、確固とした自分を持っていることが前提というわけでもない。折り合いを付けられる自分は、おそらくその会社の中の特殊な価値観と対峙して始めて問題として浮かび上がると思う。対峙により浮かび上がった問題と、如何に上手く付き合えるのか、それはかつて休職以前に無意識でしてきたことでもある。その「こつ」を思い出せれば、彼は会社の中でなんとか過ごすことができるだろう。それでも無理なら別の世界を見つければよいのだ。

無論会社に残ることは生活の糧を得るのが最たる要因であると思う。しかしどうしようもないこともある。産業医の彼は人間を病気と健康の二元論で世界を見ているのかもしれない、ふと僕はそう感じる。医者は病気を治療し健康な状態に戻す役目を負っている、ことから病気と健康を分けて考えやすい。でも実際はそうではない、と思う。僕らは健康でもなければ病気でもない、と思うのだ。健康と病気の状態を人数分布で仮に現せば、病気側に限りなく長く伸び続けるロングテールの曲線を描くのではなかろうか。

3年間の休職期間があるという体制は悪いことではない。さらにそのシステムを利用できる人は恵まれているともいえる。そしてシステムを利用するために、休職者は積極的に医者が望む姿になるのだろう。

ひとしきり休職期間による能力低下の話を聞いてから僕は挨拶をして別れた。それから彼とは出会っていない。

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