2009/11/28

篠山紀信さんの公然わいせつ罪容疑について

篠山紀信さんの路上ヌード撮影が公然わいせつ罪容疑に問われた事件について、写真を愛好する者として意見を述べるべきとの感覚から日記に書こうと思ったが、既に僕が書こうと思っていたものと似たような内容が産経新聞で飯沢耕太郎氏が述べていた。

今回の篠山紀信さんの公然わいせつ罪の要は、作品のわいせつ性が問われたわけではなく、路上撮影の違法性が問われている。しかし篠山紀信さんにとっては20年近く前から路上撮影をしてきている訳なのだから、問題は何故今頃になって、という素朴な疑問に尽きる。

それについて、飯沢耕太郎氏は『時代背景を考えるべき』と語り、続けて次のように言う。

『日本の写真表現は、ずっと縮み傾向にあると思う。危ないもの、怖いものを覆い隠そうという意識が強い。クレーム社会になって、文句を言われそうなものはやめよう、出さないでおこう、と自己規制も強まっている。写真家も萎縮してしまって、悪循環が続いている』

公募展へはヌード写真が少なくなってきているのだそうだ、また街頭スナップでは人の顔が写った写真も減っているのだそうだ。

写真は、それを写す者が意識をするしないにかかわらず、結果的に日本の社会を写している、ということなのだろう。(ここでは写されないということで)

数年前から携帯電話で死に顔を写す若者が増えているといった新聞記事を読んだことがある。街では歩く人の写真を撮ることが心理的な圧迫を感じるようになってきている。この双方に何らかの繋がりがあるように思えるのは何故だろう。

ここで僕はかつて友人の女性が教えてくれた話を思い出す。

あるとき彼女が公園で花壇に咲く花を携帯で写真を撮っていた。その時何か自分が見られているような感じを受けた。少し首を動かし視界を変えてみると、そこに一眼レフのカメラを彼女に向けている男性の姿を見つけた。彼女はそのカメラを凝視する。するとその男性はカメラの先を少しずらし何食わぬ顔で周囲を撮っているようなそぶりを見せた。

彼女は彼に意識して、それでもなお花壇の花を撮り続けた。でもまたカメラが自分に向けられているような感じを受け、再度彼を見つめる。少しの間があり、そのうちにその男性が彼女の元に近づき、「写真を撮らせていただいても構いませんか」とたずねてきた。彼女は言下の元で拒絶する。

気分が悪かったと彼女は言う。私を写真を撮ったとして、それがネット時代の中でどのような使われ方をするのかわからない。そして彼女の友達にその事を話す。友人たちは口々に「私だったら撮してもらうわ、そのくらい良いじゃない」と言ったそうだ。「でも私は嫌だ」と彼女は断言する。

友人たちの言葉は、他人事でもある。ストーカ、もしくは犯罪に使われることもあり得る。おそらく自分が同じような眼にあったら、友達も嫌悪するだろう、彼女はそう思っている。

同じ彼女が今度は何かのイベントに参加した。そのイベントはテレビカメラが入り、放送は全国放映されるのだそうだ。「もしかして私が写るかも知れない」などと僕に告げた。少しだけテレビで彼女の姿を見る。後から聞くと、少し落ち込んだ様子でこう語る。「がっかりした。自分の年齢相応の姿がそこに映っていた。やはりそう若くはない」

写真で撮られることに嫌悪感を持つ彼女が、テレビカメラに勝手に写されることへの反応の違いが、彼女には意識することがない。僕は黙って頷き、「そんなことないよ。テレビの写りが悪かっただけだ」などと慰める。反応の違いを指摘することはない。なぜなら僕もその違いが、現代では、違いとして存在しないとわかっているからだ。

テレビだけではない。至る所に配置された監視カメラは治安強化の名目で、さらに増え続けている。無機質な監視カメラには責任を伴う撮影者はそこにはいない。

今を生きる僕としても、人の写真を撮る行為がどういうことなのか理解をしているつもりだ。肖像権があり、プライバシーの問題もあり、なにより人からカメラを向けられる事へのいらだちが以前より増している感覚とか。それらの感覚は、死に顔を携帯で取る行為が増えているということと、監視カメラに写されているという「安心感」と、テレビカメラに写りたいという気持ちと、そして今回の篠山紀信の路上撮影での公然わいせつ罪の適用とかに、今日の日本人社会の底で繋がっているように思える。

新聞記事の中で飯沢耕太郎氏は次のようにも語っている。

『若い人が、篠山さんでもダメなんだから、やめておこうと思うのがこわい。路上ヌードは撮れなくなるかもしれない。この傾向が強まれば、すべての路上写真がだめになる。ヌードに限らず、公共の場で一切の撮影ができなくなってしまう。そんな危機をはらんでいる』

そのような日が来て欲しいとは思わないが、確実に近づいていると僕は思う。現時点では、すくなくとも僕は篠山紀信さんを応援する他はない。

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