2009/12/01

12月、美しい人、悲しい出来事

12月に入った。単に11月から12月になっただけなのに、このザワザワ感は一体何なのだろう。

所詮、年末とは人間が造り上げたものでしかなく、しかもグレゴリー暦での世界だけの話だと、斜に構えて語ったとしても僕に染み付いた感覚は拭いようもなく、取り立てて何かがあると言うわけでもないのにただ落ち着かない。

仕事はどこでもそうである様に、筍のように後から後からと生えて来る。筍であればまだ食べられるから良いとは同僚の言葉、煮ても焼いても食えないものばかりだと彼は笑う。仕事は会社がある限り忙しいものだ、必要にして十分な仕事だけのはずなのに、得てしてそれだけでもないようにも思えるのは、これも皆が感じることだろう。

12月に入って、知人たちからの年始挨拶のお断りの手紙も届き始める。大抵はご両親だったり、祖母祖父だったりとするのだけど、それでもその方が見知った方であればそれなりに寂しさも募る。昨日届いた喪中のはがきは、灰色の枠組みに書かれていたのが知人その人だったのでとても驚いた。

僕には姉がいて、その姉の先輩に当たる女性だった。僕にとっては歳の離れた大姉と言う感じの人だ。彼女のことで覚えているのは、メンズクラブという男性向けファッション雑誌を創刊号から読んでいたということ。生粋のアイビーだったので、その頃アイビーを知るにはメンクラしかなく、女性のファッション雑誌もなかった時代、メンクラを読み続けていた。
それは徹底していて、彼女が和服を着たとき、会社の人から足元はローファーを履いてくると信じられたほどだった。

彼女はおしゃれでセンスが素晴らしく、そしてとても美しかった。アイビーもしくはトラッドを徹底することで、着こなしの基本的なルールなどをしっかりと身に付いてもいた。そんな彼女は小さい頃の僕の憧れの女性であり服装の先生でもあった。素敵な女性を思い浮かべるとき僕は彼女を思い出す。

はがきにはご主人の手書きでこう書かれてあった。

「妻の強い希望でお知らせしませんでした。良い想い出のなかに自分を留めておきたいと言っていました」

既に今年の2月に亡くなられていたらしい。原因は何だったのかも書かれていない手紙には、彼女の強い意志と願いを感じたのだった。そしてそれは彼女そのものだった。
急いで姉に電話する。姉のところにもはがきは届いていて、ショックを隠せない様子だった。

「きっと癌だろうね。余命も知っていたんだろうね。せつないね」と語る姉の言葉を頷きながら電話越しに聞く。

一人の人が死ぬと言うことは、おそらく一つの世界がなくなるということだ。その方は女性であり、妻であり、母であり、友人であり、そして憧れの女性でもあった。人の様々な視点の中に様々な彼女がいるのだろう。でも人は、その人がいかなる関係の人であっても、彼女の世界に完全に入ることは出来ない。彼女の世界は彼女だけの世界で、そして今年の2月にその世界は消えていたのだ。その重さに、僕は彼女を知るがゆえに畏れおののく。そしてその畏れこそが僕の彼女の冥福を祈る気持ちの現れなのだ。

今年は29日から年末年始の休暇となるらしいが、前後にお休みをとられる方も多いのだと言う。クリスマスと続く年末年始に、今から早いが皆様のご健康を祈らずにはいられない。

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