2007/10/01

Twitterを無意味と語る無意味な記事を思う

ITproにおける二つのTwitterに関する記事(『「爆発的広がりを見せるソーシャル・
メディア:中身の無いコミュニケーションがなぜ若者に広がっているのか?」小林雅一
』、『最新IT動向を読む 第4回 Twitter、リアルタイム日記、プロフ爆発的に広がる“無意味メディア” 』)を読んで、思うことがある。

それはTwitterの利用者をひと括りに扱い、その傾向を分析するかのような手法である。Twitterとはどんなサービスなのかをこの場で問うことはしない。それをソーシャル・
メディアとすることもマイクロブログと扱うことも一向に構わない。ただ一ついえるのは、それらのサービスを利用する人は、学生でもあり社会人でもあり学者でもあり、もしくは主婦でもあるということだ。彼らは、日中会社で働くであろうし、学校で授業を受けているだろうし、日々の家事と育児に追われているかもしれない。また彼らはテレビを見て、小説とか漫画を読み、新聞も読んでいることだろう。 無論ネットで色々な情報を調べたり、時には買い物をしたり、また興味があることはブログなどを通じて発信するかもしれない。

当然のことだが、Twitterの利用者と利用していない人と見分けるのは不可能だろう。会社で高度なマーケティング計画を立案している人も、時折Twitterを利用しているかもしれない。もしくはアカデミックな場で、それこそ意味のある(と思える)コミュニケーションをしている方もTwitterを利用しているかもしれない。つまりは、そういう現実が今の時代にはある、と僕には思えるのである。

Twitterでの発言に「内容が無い」と語る人に聞きたい。そもそも人と人のコミュニケーションの場において「内容が有る」言葉がなされる比率はどのくらいであろうか?多くの場合、取り交わされる内容は客観的に見れば無意味と思われないだろうか。さらに言えば、Twitterなどの利用者は自分が発信するものに「内容が無い」のは言われなくてもわかっている。

またソーシャル・メディアの興隆により、従来型のメディア(新聞など)の衰退に危機感を持たれている方にも聞きたい。Twitterを利用している人は新聞を読んでいないと、もしくは信頼していないと、本当に信じているのだろうか?Twitterなどのソーシャル・メディアを使う人はそれらを使わない人となんら変わらない。興味のある事項について、もしくは特定事項の情報が他の人より多く知りえている人は、それらのことについてネットを通じて語るかもしれない。でもその事項以外は無視するというわけでもない。それらはおそらく新聞の記事を概ね信じるだろうし、食事を摂りながら見るテレビのニュース番組でキャスターの言葉に頷くかもしれない。

ネットの興隆による新聞などの衰退は確かに事実だろう。でもそれでも紙媒体のメディアが完全になくなるとも思えない。一言でいえば、状況が変わったのだ、とそれしか言いようがない。従来の価値観というか規範で説明が付かなくなった。たぶん、上記の記事の執筆者もその点は重々承知の上だろう。でもやはり物とかサービスを見るとき、それが特にビジネスの視点が必要なときは、何らかの規範となるような思考に頼ってしまうのだろう。そしてその視点でこれらのサービスをみると、「流行っている理由がわからない」となるのだと思う。

実際にサービス単位で見ると、Twitterは衰退方向だと僕には思える。 しかし似た様なサービスは雨後の筍のように登場し、なくなる方向には無い。その中で現在注目されているのは「Pownce」かもしれないが、サービスを受けるには招待状が必要なので、実態は僕にはわからない。ただ思うに、今後はこのようなサービスが、しばらくはという留保つきではあるが、多くの人に利用されるであろうということだ。まずは「理由がわからない」と思考停止になるのではなく、この状況を了解しその中から新たな視点を築きあげていくほかはあるまいと思うのである。

これらの状況は、おそらく東浩紀に言わせれば、「動物化するポストモダン」時代のサービスとして説明が付くかもしれない。北田暁大は「動物化」という言葉に多少の違和感を感じながらも大筋了解することだろう。 でもだからといって、それらの言説が、今後の展開を示唆するまでに至らないのも事実だと思う。さらに言えば、多くの人はこれらの新旧サービスを、限定されてはいるが、ある程度の情報リテラシーを持って使い分けていくだろうと思う。

ビジネス的に捉えれば、確かにTwitterの利用範囲は狭いとは思うが、窓口の一つであるのは変わりはない。さらにTwitterライクなサービスが、自分が属する業界のビジネスモデルに取り組むために何が必要かの視点で考えたとき、新たなサービスイメージが浮上するかもしれない。

冒頭に述べたように、ここでは「Twitterは何か」等の人文学的視点では語るつもりはまったくない。ましてや、Twitterなどのサービスが流行ることから、社会への不安感とか危機感を増幅する意見を提示するつもりもない。それはTwitter利用者にとっては無縁な話であり、ある意味、マスメディアもしくは一部のブログが語ればよいと思っている。逆に言えば、緊張感の無いコミュニケーション、そこからは争いもない代わりに何も産まれない、だからこそテロリズムとの相性が悪いTwitterライクなメディアがあってもよいのではないかと思っているのである。