僕はヒーリングの専門家ではないので、以下に話すことは単なる戯言に過ぎないかもしれない。
新宿から新大久保に至るエリアを月のうち数回彷徨った時期があった。それは買春目的でなく、一人の都市旅行者としての立ち位置で、見学が主たる徘徊であった。
新大久保エリアの細い路地には、ところどころに立ちんぼと言われる男女が佇んでいたし、彼らから少し離れて、ひもでありボディガードと見られる男たちが2?3人の集団で話し込んでいた。その頃は、立ちんぼはロシア女性が多かったように思う。または東南アジア系の女性も何人もいたが、エリア毎に国が違うようでもあった。
旅行者である限り、街の中にいようとも、僕と街のとの間には明確な境界線が引かれていた。僕は彼らの中に入り込めないと同時に、彼らも僕に入り込むことはなかった。事実、彼らもそれを感じていたのだと思う、彷徨っても僕に声をかける人は少なかった。
ホテル群に囲まれた、細く暗い迷路のような路地、暗闇に佇む女と男。それらの風景は僕にとって癒しの空間でもあった。僕はその街を深夜近くにヘトヘトになるまで歩き回り、帰宅して泥のように眠った。それは本当に深い眠りでもあった。昼間は穏やかな表情で会社で仕事をこなし、自分でも言うのは何だけど有能だったと思う、しかし内には様々な問題を抱え、深夜に街を徘徊する。それは異常な時間だったかも知れない。でも確かに僕はその街で癒されたと、その時は思っていた。
買春行為はしないのは、思想的な立場でも、政治的な立場からでもない、単にそこまでの癒しを求めていなかっただけに過ぎない。勿論、買春行為の一義は買う側(男女)の欲望の消化にあるとは思うが、でもそれだけでないのも確かだと想う。誰かが言っていたが、確かに「看護士と売春婦(夫)は似ている」。それは「看護」(ケア)という面で通じるのだと思う。
僕が徘徊していたのは、一種の擬似的な買春行為に近かったのだと今では思うが、それ以上に思うことは、「癒し」を求めると言うことの恐ろしさでもある。「人は暴力によっても癒される」とは本当の話だと思う。「癒し」を求める気持ちというのは、自分本位の部分が強くあるのは間違いない。
間違っているかも知れないが、「癒し」には2種類の仕方があるように思う。一つは、経済活動とかと同じ様な「交換」が伴う仕方。自分の穴を埋めるために何かをする、という様な、「何か」と「自分の穴を埋める」を交換するような、そんな感じに近い。それが普通なのかも知れないが、交換で本当の意味で癒されるのであろうか。なんというか、交換によって癒されるとしても、それは次の何かを自分の内に探すことでもあり、結局は無限後退していくだけのような気がしている。僕が新大久保の街を徘徊していた時は、癒されたと思っていたのは、単に「疲労」し麻痺していただけのようにも思えるのだ。
交換ではなく、ギフト(贈り物)のような、そういう事が大事なような気がしている。勿論、ギフトは望むものではなく、自分から相手に差し出すものだと思うが、それが「癒し」になるような、そんな気が今ではしている。「交換」から「贈与」への変換は、アナーキズムに通じてしまうかも知れないが、それも致し方のない道なのかも知れない。
実を言うと、この記事は「下北沢問題」に絡む、街について考える記事にしたかった。東京に新宿の歌舞伎町界隈があるように、都市にはそういう場所が必要である、みたいな事を書きたかった。そうなると、新宿駅のホームレス退去の執行とか、ニュータウン論とか、権力側によるエイズの利用だとか、道路の持つ権力志向とか、なんか様々なことを書くのが面倒でもあったし、社会的な記事になるのも嫌だった。
そう言えば下北沢問題について、今日数時間かけて色々なテクストを読んだ。やはり態度として開発反対の立場をとることにした。ただ、もう少し都市について勉強しようと思っている。
2005/04/30
下北沢問題
東京の下北沢という町は僕にとって馴染みが深い。まず友人の親がそこで時計店を営んでいた。学生時代に友人が下北の喫茶店でバイトをしていて、毎日のように遊びに行っていた。目当ては、勿論友人ではなく、同じようにバイトをしていた女の子たちだ。何回か一緒に飲みに行ったし、何人かとはデートもした。計画性のない僕は、気に入った女の子にデートを申し込んで、それが短い時間帯に3人とトリプルブッキングしてしまい、下北沢の中で待ち合わせ場所に行くのに、駆けずり回ったこともある。様々なライブハウス、ジャズ喫茶にも行った。下北野外コンサートにも行ったこともあるし、先輩に強制的に参加させられた素人演劇集団の初舞台が下北沢の場末の劇場だった。いつも友人と一緒だった街であり、飲んで騒いだ街でもあった。しかし、少しでも駅から離れると、そこは閑静な住宅地であり、所々に落ち着いた喫茶店とバーが彩りを添えていた。何人かの友人は下北沢に一度住むと離れ難しと言っていたが、その気持ちは僕にもよくわかった。
下北沢の街は、小田急線と井の頭線により分断され、東西南北それぞれに街の雰囲気が変わる。また、もともと住宅地を基盤にして商店化していった背景から、道が細く、かつ入り組んで、まるで迷路のようだ。そこが下北沢の魅力の一つでもあるのだが、その街の状態が、下北沢を下北沢らしくしているのも事実だと思う。それは近くの三軒茶屋とも自由が丘とも違う。特に三軒茶屋は下北沢と同じ下町の良い雰囲気を持っていたが、玉電廃止から首都高建築、246号線、世田谷通りを含む三軒茶屋付近の再開発で、徐々に以前の街が様変わりしていった。
その下北沢が大変なことになっているらしい。といっても僕は今日知ったばかりなので、詳しいことはわからない。問題を扱ったサイト「Save The 下北沢」には以下のように書かれている。
「今、下北沢の街を根底から破壊するような大規模な道路建設計画が動き出そうとしています。2003年2月に、東京都と世田谷区は環7(幅25m)と同等の幅を持つ“都市計画道路補助54号線”と「駅前広場」を含む “区画街路10号線”の都市計画決定を行ないました。この補助54号線とは昭和21年の都市計画決定を前提とした道路であり、現在の世情においてやっと始められた都区部の都市計画道路の見直し作業を待たずに、今、駆け込み的に推し進められようとしています。」
上記サイト記事の54号線は下北沢の北側商店街の中央を通ることになり、既存の街を破壊分断することになる。何故今頃になり、この計画が浮上したのだろうか。僕にとっても少し勉強が必要なようだ。知ったばかりのことなので、現状、賛成でも反対でもない。ただ、今のところ心情的に、計画反対なのは間違いない。とりあえず今日は下北沢心情を吐露した。では
下北沢の街は、小田急線と井の頭線により分断され、東西南北それぞれに街の雰囲気が変わる。また、もともと住宅地を基盤にして商店化していった背景から、道が細く、かつ入り組んで、まるで迷路のようだ。そこが下北沢の魅力の一つでもあるのだが、その街の状態が、下北沢を下北沢らしくしているのも事実だと思う。それは近くの三軒茶屋とも自由が丘とも違う。特に三軒茶屋は下北沢と同じ下町の良い雰囲気を持っていたが、玉電廃止から首都高建築、246号線、世田谷通りを含む三軒茶屋付近の再開発で、徐々に以前の街が様変わりしていった。
その下北沢が大変なことになっているらしい。といっても僕は今日知ったばかりなので、詳しいことはわからない。問題を扱ったサイト「Save The 下北沢」には以下のように書かれている。
「今、下北沢の街を根底から破壊するような大規模な道路建設計画が動き出そうとしています。2003年2月に、東京都と世田谷区は環7(幅25m)と同等の幅を持つ“都市計画道路補助54号線”と「駅前広場」を含む “区画街路10号線”の都市計画決定を行ないました。この補助54号線とは昭和21年の都市計画決定を前提とした道路であり、現在の世情においてやっと始められた都区部の都市計画道路の見直し作業を待たずに、今、駆け込み的に推し進められようとしています。」
上記サイト記事の54号線は下北沢の北側商店街の中央を通ることになり、既存の街を破壊分断することになる。何故今頃になり、この計画が浮上したのだろうか。僕にとっても少し勉強が必要なようだ。知ったばかりのことなので、現状、賛成でも反対でもない。ただ、今のところ心情的に、計画反対なのは間違いない。とりあえず今日は下北沢心情を吐露した。では
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