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2010/01/12

米原万里の「愛の法則」(集英社新書)を読んで思う恋愛のこと

作家、エッセイストでロシア語同時通訳者でもあった米原万里さんの講演録集。書籍のタイトルともなっている「愛の法則」以外にも「国際化とグローバリゼーションのあいだ」「理解と誤解のあいだ」「通訳と翻訳の違い」などの同時通訳者としての経験から得た事柄も載っている。他の3編も実質的で面白いとは思うが、ここでは「愛の法則」についてのみ感想を載せる。

ご存じの方も多いかとは思うが、米原万里さんは2006年5月25日に卵巣ガンにて亡くなっている。享年56歳。

彼女にとって男は以下の3つに分類されるのだそうだ。

A ぜひ寝てみたい男
B まあ、寝てもいいかなってタイプ
C 絶対寝たくないタイプ

その上でカテゴリCの男性が90%を占めているのだそうだ。だから何?と思う僕は男性として少し変っているのかもしれない。米原万里さんは、きっと男性側もおなじでしょう?としているが、そんなこと考えたこともなく、つまりは女性と違って、タイプAだろうがタイプCだろうが、幸か不幸か異性側からアクションを受けたこともなく、きっとそれは幸運なんだろう、だから実際のところ自分ではわからない。そういう見方って、きっとこの男性社会の中に生きている女性ならではなんだろうと思うが、いかがなものだろう。

この3つの分類が冒頭にあり話が続くわけだが、さすがに彼女の講演は面白いと言うだけあり、楽しく読める。さらに書かれている薀蓄もそれなりに面白い。

歴史的に見ても、女性は多くの男を競わせて優秀な一人を選ぶという、竹取物語やかえるの王子など、女が主人公の物語では普遍的にそういう法則があるでしょう、という。その理由を彼女は性淘汰による進化論的視点や社会学的なキーワードで読みとく。

中でも面白いと思ったのは、1960年の旧ソ連アルメニアのゲオダキャンという人物の仮説「男はサンプル」の紹介だった。この仮説は米原万里さんによれは以下の論旨となる。

雌は本能的に優秀な子孫を残したいと思っている。雄は出来るだけ多くの自分の子孫を残したいと考える。しかし量を求めるとき雌の数が多い方が有利だし、質を求めるときは雌の数が少ない方がよいことになる。そこから米原万里さんは次のように考える。

『雌(女性)は量を担いながら質を追及する、雄(男性)は量を追求しながら質を担う。』

男性が質を担うとは、女性よりも多種多様なタイプが生まれるということであり、女性が量を担うとは、様々なタイプの男性が持つ遺伝子を存続させるということだ。無論、そのなかで性淘汰されてもいく。その結果、人類は環境変化に対応可能な様々なタイプを保険として誕生させていくことになる。

『個々人はバラバラに好きになったり嫌いになったりするけれども、全体としては人類を維持していく、絶滅させないという種の意志が働いているのではないかと思うことがあります。』

つまり、米原万里さんが考える「愛の法則」とは簡単に言えば、人類全体を維持し存続させるために遺伝子レベルでプログラミングされたものとなる。

これらの話は米原万里さんが中学校時代からの「愛の法則」研究から、数多くの小説及び研究書を読み、彼女がまとめた。彼女の知識は多く、それらがテンポ良く繋がっている。講話として聞けば、きっと面白いに違いない。ただ全体を通して一つの疑問がわいたのも事実だった。無論この疑問は遺伝子レベルでの生物学的論拠から来るレベルではない。その視点からの疑問の提示は米原万里さんの講話に対し失礼というものだ。

「愛の法則」を調べたいという動機も大元は一体何だったのだろう。人間は何故男女に分かれ、双方の概ねは惹かれ合うのか。その根っこには言わずとも、男女間の恋愛の不思議さがあり、その不思議さは自らの体験による心の動き、情動と言っても良いかも知れないものを発見・実感したことから発しているのではないだろうか。

一般化する前にはその言葉を知らなければならない。その言葉「恋愛」を知ると言うことは、その実質と原因と表象する事柄を互いに結びつけると言うことでもある。つまり「愛の法則」探求の大元には米原万里さん自身の次の問いかけが必要となるのだ。

何故、この私は、この彼を好きになったのだろう。どの私でもない、この私が、どの彼でもない、この彼(つまり、あなた)を、何故愛するようになったのだろう。

この問題に、脳科学がどうかとか神経レベルがどうかとか、人類の歴史とか、生物学的だとか、その他諸々の科学と言われる妄想は全く説明できない。いや私以外の人間であれば、他人のことであれば、彼女が彼を愛した理由を想像できるし推測も出来る。でも自分のことについては説明できるわけがない。

果たして米原万里さんはこの謎に納得できる答えが見つかったのであろうか。僕は「愛の法則」を読む限りにおいて、彼女の探求の方向は大きく外れているように思う。ただ、あくまで講演者として見れば、この謎を解く話は面白味に欠けるし、それ以前にこの話は相手(聴衆者)に伝わらないだろう。米原万里さんがそう考え講演内容から外したとしても全然不思議でもない。ただそれでも僕は思ってしまうのだ、彼女はその謎の答えを見つけたのであろうかと。

2009/11/03

久々の小説、あるいは解釈と感想の違い

僕は映画観ると殆ど全部を面白く良い映画だと考える傾向にある。以前にそのことを自覚したとき、自嘲気味に映画評論家には間違いなくなれないと悟った。まぁなるつもりもなかったけど。あるとき友人のそのことを話したら、それはきっと観た映画がそれなりに素晴らしかったからだと言われた。つまり良い映画しか観ていないから評価も良かったというわけだ。

試しに誰もが観て後悔する映画を一度観ればよいとも言われた。例えば、「悪霊の盆踊り」とか「尻怪獣アスラ」とかそういった類の映画のことだと思う。幸いなことにまだ前記二つの映画を鑑賞してはいない。そんなことで自分の感性を試すつもりもないし、評価を下せないのなら、それはそれでそういう性格をしているのだろうと思うことにしたのだ。

だから映画を観たときは、僕は殆どが評論ではなく感想となる。評論と感想の違いは何かと考えたことがある。おそらく評論は解釈で感想は省察だと思う。例えば、解釈の場合、自分とは外部に基準を置き、それと較べて評価を下す。しかるに感想の場合は、面白かったとしたとき、何が自分にとってどう面白かったのかを書くことになる。僕としては後者の方が自分の性に合っている様に思う。

一時は評価を下せる人が羨ましいと思うこともあった。しかし今では感想が書ける自分で良かったと思う。解釈とは世界を自分に合わせることだと思うのだ。自分に合っていない世界は当然のことながら評価は低くなる。感想は受け入れることだと思う。受け入れ、それに対する自分の反応を見つめること。それにより内側から世界への眼差しを変えていくことのように思う。

実を言えば、昨日に久しぶりに小説を書店で買った。ちょこちょこと青空文庫で小説を読んでいたりはするのだが、書店で買って読むのは、もしかすれば3年ぶりくらいだと思う。村上春樹の「回転木馬のデッド・ヒート」という小説。
村上春樹は「海辺のカフカ」より前の作品は全て読んでいると思っていた。村上春樹の全小説を集中的に読もうと考え実行したことがあったのだ。でもこの本は読んでいなかったので、どうやら抜けがあったようだ。

「回転木馬のデッド・ヒート」はまだ全てを読み終えていないが、冒頭の「はじめに」の部分ですっかりと参ってしまった。何故か作家の心情がとてもよく感じることが出来たのだ。それは僕の感性と言うよりも、村上春樹さんの巧みさだと思う。
『自己表現が精神の解放に寄与するという考え方は迷信であり、好意的に言うとしても神話である。少なくとも文章による自己表現は誰の精神をも解放しない。もしそのような目的のために自己表現を志している方がおられるとしたら、それは止めた方がいい。自己表現は精神を細分化するだけであり、それはどこにも到達しない。もし何かに到達したような気分になったとすれば、それは錯覚である。人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。』
(「回転木馬のデッド・ヒート」 村上春樹 はじめにから)
僕は村上春樹さんのこの言葉にとても強くリアリティを感じる。昔、書くことは人間に与えられた「業」のようなものだと思った時期があった。今でも多少そんな思いがある。無論、僕は小説家でもない。でも書くという行為は何も小説家に与えられた業というわけではなく、言葉を持ってしまった人間であれば誰でも同様なのだと思う。問題はそれを意識するかしないかだと思う。そして意識する必要もないことだと思うのだ。意識しなくても人は生きてゆける。逆に村上春樹さんのような考えは生きることを必要以上に重くすることだろう。

例えば歴史上の多くの革命家、発明家、思想家、哲学者などの人たち。彼らを凄いという人もいるが、僕にはそういう評価の根拠がわからない。歴史に名を残そうという発想は、よくわからないが、何か感覚的に言えば比較的新しいような気がする。多くのこれらの人たちは、おそらくそんなことを意識して行動していたわけではない。なんて言うのだろうか、僕は思うに、彼ら・彼女たちはやむにやまれぬ思いから、それしかできない、もしくはそれを解決しなければどうしようもないから、解決しなければ自分が生きることさえ危ぶまれるから、それぞれのことを行ったと思うのだ。そんなこと考えなくても、もしくは行動しなくてもすむのであればそれにこしたことはない。

僕は村上春樹さんの言葉からそんなことを考えた。考えたと言うよりも漠然と感じたといった方が正しいのかもしれない。

「回転木馬のデッド・ヒート」を買って読もうと思ったのは、その中の一編に「嘔吐1979」があるからだ。まず買ったときに一番にそれを読んだ。面白かった。小説には読んだときに驚きがあったほうが面白い。その意味で十分に驚きがあった。嘔吐とは何か、嘔吐をする男性にかかってきた電話の意味とは何か、そういうことを考えるとき、考える人はすっかりと村上春樹の手のひらで踊っているようなものだ。こういう小説はただ楽しめばよい。そういう風に思う。でも何かを考えて、書いてしまうかもしれない自分がいるのもわかる。

次に「はじめに」を読み、そして「レーダーホーゼン」を読んだ。「レーダーホーゼン」は少し怖い小説だった。決してホラー系というわけではなく、男性として怖いと言うこと。

ある時点での全小説を読み、もう二度と読むことはないと思っていた村上春樹の小説だったがまだまだ面白そうだ。

2009/10/26

東京写真美術館 セバスチャン・サルガド AFRICA展



セバスチャン・サルガドの撮る写真は美しい。そしてまさしくそのことが彼の写真の問題であると僕は考える。そして彼の写真が世界に多く受け入れられた理由としてその美しさがあるのも間違いない。

サルガドは現在でも活躍している著名なフォトジャーナリストでもある。その彼の30年間に及ぶアフリカでの撮影をまとめた写真展が東京写真美術館で開催されているので行って来た。美術館で入手したカタログには「フォトジャーナリズム」ではなく「フォトドキュメンタリー」とあった。そして彼はその「フォトドキュメンタリー」の先駆者でもあるらしい。

「フォトジャーナリズム」と「フォトドキュメンタリー」の区別は、両者は報道写真(フォトジャーナリズム)の範疇に入りながらも、前者がニュース性を求めることに対し、後者は写真家の視点を残しながら淡々と現状を切り取っていく姿勢にある。故にフォトドキュメンタリーの場合、写真家のスタイルが全面に出ることになる。セバスチャン・サルガドのスタイルを僕が簡単に説明することは難しい。ただ一目瞭然なのは、モノクロで広角レンズを多用し画面を大きく構成しているということだろう。

写真には不可視な何かが写っている。その何かを写真家はカメラのシャッターを押せば写りこまれるというわけではない。清水穣は、「それは写真に写っている対象の真実でもなく、写真を見て感じる我々の心理や感情とは無関係」として、その上で、「写真の奇跡は、見えないものが写るということである。見えていなかったものが写っているといっているのではない、写っているのだが見えないのである」とした。そしてその何かを写真的不可視であると語る。

写真として成立するためには、その不可視な何かが写っていなければならない。それを写真性と呼ぶのであれば、それでも良い。ただこの何かは写真家の思惑を超えて在るわけではなく、写真家とは無関係に在るのだと僕には思える。写真家のダイアン・アーバスは常々カメラは自分の思い通りにならないと言い続けた。思い通りにしようと望むこと自体、それは不可能なことなのだろう。

写真家が出来ることと言えば、多くの写真を撮ること、そして多くの写真を見ることしかないのでなかろうか。その上で、不可視の何かが写りこまれている写真の選択にのみ写真家の自己表現があるといったら言いすぎだろうか。

写真は写すものを美しく見せる、とは確かスーザン・ソンタグの「写真論」での言葉だ。彼女の写真論の基軸には「他者の苦痛へのまなざし」があるように思う。そしてこの基軸の言葉はそのまま次の写真論のタイトルにもなった。

彼女はこの「他者の苦痛へのまなざし」の中でセバスチャン・サルガドのある一枚の写真「集団移住者の群れ」に向けられた批判を肯定している。批判とは「スペクタクル的で映画的とされる美しい構成をもった大きな写真」を写したことで、個々の問題と悲惨さが無化され、かつ抽象化され、それらの問題解決に向かわないということにあった。
『現実がスペクタルと化したと言うことは、驚くべき偏狭な精神である。それは報道が娯楽に転化されているような、世界の富める場所に住む少数の知識人のものの見方の習性を一般化している』
(「他者の苦痛へのまなざし」 スーザン・ソンタグ)
記号としての写真は、これも清水穣の言葉を借りるのであれば、表象がない指向対象(レフェラン)のみの特殊な記号である。例えば雲の写真は雲が写真にあるのではなく、雲の指向対象(レフェラン)が写っているということになる。それであれば、他者の苦痛が写っている写真のレフェランとは何になるのであろう。

原理的に他者の苦痛を僕らは知ることは出来ない。それでも人間の社会構造はいかなる文化であろうとも同一であるという立場から、僕らは他者の痛みがどの様なときに起こるのかを把握する。苦痛の原因・苦痛の表象・苦痛の内実、僕らにわかるのはそのうち原因と表象となるのだろう。アフリカでの苦痛の原因の多くを僕らは知っている。貧困・飢餓・紛争・破壊・病気・虐殺などなど。そしてそれらの原因と表情に現れる苦痛とで、その写真に写る人の痛みを感じることとなるのだ。つまり苦痛の対象指向とは、写真の誰それに向かうと同時に僕らにも向かうのである。
『震撼させる写真が衝撃の力を必ず失うとはかぎらない。だが理解するということにかけては写真はそれほど助けとならない。物語はわれわれに理解させる。写真の役目は違う。写真はわれわれにつきまとう。』
(「他者の苦痛へのまなざし」 スーザン・ソンタグ)
つきまとうのは何か。それは僕らに向かうレフェランではなかろうか。仮に写真に写る不可視の何かが薄まったとしたとき、もしくはレフェランが弱い場合、その写真には何が現れるのだろう。無論、これらは可算名詞なのかと言った問いかけもあるとは思う。その点について僕には未だ分からない。ただサルガドの写真を説明する際、その言い方が適切のように僕には思えるのだ。

セバスチャン・サルガドが写した様々なアフリカの風景は美しい。砂漠を写した写真は何度見ても飽きない。10頭近くものシマウマが並んで池の水の飲む姿は、シマウマの模様が群れ全体で一つの調和をなし、それだけでも何らかのデザインとなっている。アフリカに住む人々の姿は躍動感に満ち、瞳は美しく、命の美しさを讃えているかのようだ。

そして内紛・紛争・虐殺に逃れた人々の難民キャンプの風景も美しい。ある写真では、兵士二人が砂丘に立ち、その足元には完全に腐乱し人間の原型をとどめていない死体が大の字になって倒れている。兵士の顔はその死体に驚くこともなく平然とした顔つきで立っている。その写真は不思議なことに嫌悪感を持つことがない。美しいのだ。兵士も、彼らが立つ風景も、そして無残に朽ち果てた死体も。

また別の写真では食料の配給を待つ女性が体を斜めにし顔をカメラに向けていた。彼女の目は不思議な模様を見せていた。説明文を読めば砂嵐と慢性の眼病で視力が失われているのだそうだ。しかし写真の構図とまっすぐにカメラを見つめるその姿は美しい。

セバスチャン・サルガドの写真はよく言われるように映画的である。それは僕らが美しいと感じる構図とコントラストによって構成されている。こうあるべきだという美しさのフレームワークに僕らは逃れることはできない。そしてそれは逆に僕らが望んでいる美しさでもある。美しい写真は、人間である限り同じ価値観を共有するという安心感を根拠無く与えるが、写真の衝撃とつきまとうものは殆ど無い。

スーザン・ソンタグの問題提議を無視することは難しい。ただサルガドへの写真評価に係わることは、批判する者も擁護する者も、両者の倫理観もしくは写真に係わる信念の対立とも言える。それらの闘争にどちらが勝っていると誰が言えるのだろう。

サルガドの写真にはレフェランの強さがない。もしくはレフェラン自体が欠けている。故に写されたものは、その写真に留まることになる。写された対象は写真の構図の中で留まり、よって対象とその構図からの美しさが全面に現れる。例えが悪いが、サルガドの写真は観光地の絵はがきに近い。しかもそれは廃刊となったリーダーズダイジェストなどに掲載される珍しくも美しい写真に近いかもしれない。

ただその観光地の絵はがきに数十万人の難民が生活するキャンプも写され、その中で暴動・殺戮が頻繁にある姿があったとしたら、見る者は美しいと同時に一種の違和感を感じることだろう。そういう種類の違和感が、サルガドの写真を見終わった後に残り続ける。それはまとわるといった種類ではないが記憶には残る。

確かに写された人々の個々の問題はサルガドの写真では無化するほかはない。それはサルガドの写真の本質に係わる部分だからだ。だからといってアフリカの現状を伝えていないというわけでもない。サルガドの写真は写真であることを抑えることで、逆にアフリカの状況を伝えているのだと僕には思える。

※写真は、「パガラウ放牧キャンプのディンカ族、南部スーダン、2006年」
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セバスチャン・サルガド アフリカ
生きとし生けるものの未来へ

東京写真美術館
■会 期:2009年10月24日(土)→12月13日(日)
■休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
■会 場:2階展示室
■料 金:一般 800(640)円/学生 700(560)円/中高生・65歳以上 600(480)円

2009/10/20

Kiss

a long long kiss
a youtuh of kiss
and love

長き熱きくちづけ
若き日のくちづけ
そして愛
(ランボー、堀口大學訳)

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あなたの柔らき唇
私の牧場
かすかに触れる
熱の吐息に震える心
命の芽生えにも似た
その息吹に
何故か昔を懐かしむ

紅きくちづけ
閉じられた眼差し
濃密な光
差し込むその中で
あなたの火照る耳たぶを
その熱さと共に
私の体内に
包み込む

私とあなたとは
137億年の彼方
今ここにいる不思議さに
意味も理由さえ
呼ぶ必要のない
その瞬間に
私は存在の危うさの中で
あなたを確かに
触れるのだ

永遠の如きくちづけ
想い出のくちづけ
そして愛
(ランボー、Takeru意訳)

アルチュール・ランボーは1854年10月20日に生まれる。今日は生誕155年目。この詩は中学のときに知りとても感動したことを覚えている。今となってはその感動も薄れてしまった。
ランボーの詩に影響を受けた日本の詩人と言えば中原中也。彼の有名な詩「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れちまった」とは「自意識の過剰云々」とは聞くが、具体的に言うと「嫉妬心」ではなかったのかと僕は密かに思ってる。

2009/09/26

映画「毛皮のエロス」感想ではなく迷宮で彷徨った記録

映画「毛皮のエロス」(2006年)をDVDで観たのだがどうもしっくりと来ない。「毛皮のエロス」はダイアン・アーバスをモデルにしたフィクションだと映画の冒頭で語っている。でもダイアン・アーバスが名前だけではなく、主人公の生い立ちまで参考にしている以上、現実のアーバスと重ね合わせてしまうのは無理からぬ話だろう。

「毛皮のエロス」は簡単に言えば、夫に従うだけの主婦が芸術家へと目覚めていく過程を描いた映画のように思う。アーバスが芸術家へと目覚めたことは、映画冒頭でのシーンと映画最後のシーンとを状況的に同じにし、それへの対応の仕方が違うことで明らかにしている。そしてその差異がしっくりとこないのだ。

主人公であるダイアン・アーバスを演じているのはニコール・キッドマン。彼女の演技力と美しさには毎度のことながら眼を見張るものがある。
映画の中で彼女はダイアン・アーバスを演じきっていた。しかしそれは僕がイメージするところの現実のアーバス個人では勿論無い。でもそれはそれで一向に構わない。映画であれば映画の中でリアリティを出せばそれでよいと思う。

このしっくりこなさは、映画と実際のアーバスを較べてしまうことに発するにせよ、観客に共感を得やすいように、アーバスが変っているのは彼女が芸術家だからだ、といういわばステレオタイプに包括させてしまっていることにある。また、ダイアン・アーバスが写真家であり、カメラ及び写真がアーバスに与えた重みも全く描かれてはいない。

「カメラは道具であり、写真は単に表現者が選んだ素材にしかすぎない」
、という、おそらく一般に浸透するこの考えは確かなことなのだろうか。
でも実際のアーバスは違っていた。彼女はカメラを特別な機械と考えていたし、写真に写るものの中にこそ、自分が現したいことがあると考えていたと思える。アーバスをモデルにする場合、少なくとも、この視点を外すことは出来ないと僕は思うのだ。

映画に現れる数々の映像と言葉はこの映画のメッセージを露骨と言えるほど声高に語る。例えば、原題「fur」は毛皮を意味する、アーバスは高級毛皮商人の子供、映画の冒頭の毛皮ファッションショー、熊と呼ばれた多毛症の男性、その全身長毛に覆われた男の毛を剃るシーン、毛を剃ると現れる気品ある男性の顔、ヌーディストキャンプでの撮影時に言われる「服を脱げば撮影可能です」の言葉、などなど。

芸術家とは自分自身の欲望の発露に忠実であること、そのために内側からくる情熱を受け入れ開放すること、その当時に好奇の眼に晒された人々こそ貴族的であること、など上記の映像から受けるメッセージは現代においては受け入れやすい。

映画は観客のことを考えなくてはならない。だからこそ、観客に受け入れやすいように、様々な操作が行われる。これも僕らにとっては何を今更と言う話だろう。それによって、実際のアーバスとの乖離は修復不可能となる。僕は二人のアーバス、この映画のアーバスと僕が知りえたアーバスの間で揺れる。ただ勝者はほぼ決まっているのだ。

結論から言えば、この映画でダイアン・アーバスをモデルにするフィクションであれば、設定を大幅にかえるべきである。また、ダイアン・アーバスの名前さえ使わないほうが良かった。アーバスを多少知る者がこの映画を観たとき、混乱を与え映画を楽しめることが適わなくなる。

・・・・・・・

OK!! 僕の進め方はフェアじゃないのを認めよう。確かに僕はアーバスを、僕なりのイメージとして持っている。アーバスの生い立ちを含めた記録も知っている。そこから映画へ逆にたどり評価するのはアンフェアなのを認める。その行為は、「映画であれば映画の中でリアリティを出せばそれでよい」という自分の考えにも反するのも認める。

このカルト的な映画は、映画だけでなく観客との相互作用により何かを創造するべく組み立てられているように思う。この映画を観る人は多少のアーバスの知識を持ち合わせていることだろう。アーバスのことを知らずにこの映画を観る人はある意味幸福なのだ。その人は葛藤を知らずにこの映画に没頭できる。

実際のアーバスは語る。映像は虚構で写真は現実だと。ここでアーバスの言葉を引き出すことはルール違反なのは分かる。ただこの映画の姿を知るためには必要不可欠な言葉だと僕には思える。
文脈を提示せずに言葉のみ提示するのもフェアではない。僕が受けるアーバスのこの言葉は、補助線をつけることで分かりやすい。

「映像は虚構のように見え、写真は現実のように見える」

この映画は、映画冒頭で語るようにフィクションである。だから僕が考え書いていること自体、殆ど意味はないかもしれない。ただ僕はこの映画を通じて、あらためてアーバスを見直しているのも事実なのだ。そしてそれは、この文章がそうであるように、新たな迷宮へ歩むことだと僕は感じている。

それにこの映画の制作者は実際のアーバスのこの言葉を当然に知っているはずだ。だからこそ、あえてアーバスをモデルとしたフィクションを製作したのだと思う。それを根底にすることで、僕はこの映画の意図・姿を、おぼろげながら、言葉として伝えられないが、垣間見れるように思う。

垣間見れるのは、アーバスにおけるブレなのだ。逸話は殆どフィクションであるが、人としてのアーバスとは微妙に重なるのである。アーバスの逸話を全て載せるのは不可能だ。だからこそ、その象徴として多毛症の男性を登場させる。幾重にも張られた伏線は、映像を飛び出し、実際のアーバスとも絡まるようになる。逆に言えば、写真では全く見えないアーバスを、映画の虚構に取り込み、虚構の中で虚構と宣言し、実際にはない多毛症の男との絡みのなかで、アーバスの現実をあぶり出しているようにも思える。

虚構と現実の両方のアーバスを観客の中で化学反応させることで、よりアーバスという人間を知ることが出来る。それを目的とした映画のように僕には思える。

2009/09/21

敬老の日に思うこと、そして再びゴーギャン

以前にある女性から「歳をとりすぎて生きるのは悲しいことだ」という趣旨の言葉を聞いたことがある。その女性は僕の親戚の一人で、夫を亡くしてから年老い体が不自由になった義母の面倒を見ていた。僕は彼女の現状とか経緯を知っていたので、その彼女の言葉の持つ意味を理解したし、それについて何も言うことは出来なかった。しかし、もう一つの面では彼女のその言葉に対し、「そうではないんだ」と言いたい気持ちも同時にあった。

僕は彼女の言葉についてここで語ろうとは思わない。問題なのは、僕が彼女の語ることに同意したことと、同時にそうではないと思ったことにある。この二つが僕の心の中に同じくらいの重みを持ってあることが、僕にとっての問題だと思うのだ。さらに言えば、僕の心の中の二面性は、大げさに言えばこの国の問題でもあると思う。

敬老の日は祝日法では「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」とされている。地域によっては一定の年齢の方にお祝いをされている所もあるだろう。またはご家庭でお祝いをされる場合もあるだろう。長寿を祝う気持ちは自然な感情だと僕には思える。その反面で、高齢化は少子と結びつき、医療費や介護や、はたまた年金保険問題などにも絡み、あまりよい文脈で語られることがない。

日本は、特に女性の場合は、長年平均寿命は世界一を保ち続けている。新聞などでそれが記事になったとき、大方のニュースキャスターは「おめでたい事」ではなく「高齢化社会」の文脈で語る。世界に誇るべき事だと思うのだが、何故か社会は白けているように見受けられるのは、僕のうがった見方なのだろうか。

ゴーギャン展でのあの絵の感想を既に2回ほど書いてきた。でも未だ書いていないこともある。あの絵「我々はどこから来たのか~」は、美術展の説明に寄れば三つの構成によって分けられている。絵の右側から女性二人の部分までが「我々はどこから来たのか」、中央のイヴ付近が「我々は何者か」、そして左側が「我々はどこに行くのか」となっている。

僕がこの絵の中で一番に不明な点が「我々はどこに行くのか」の部分である。それはゴーギャンの絵の全体にも言えることなのかもしれないが、彼の絵にお年寄りは描かれているのは少ない。しかも、あの絵に関して言えば、お年寄りは「我々はどこに行くのか」の部分の左端に死のイメージで描かれているのみである。

左端に描かれた老婆は、ペルーのミイラの姿を模して描かれている。それはゴーギャンが死のイメージとして他の絵にも描いているモチーフでもある。それは勿論、お年寄りイコール死、という短絡的なものではないとは思う。一つの象徴的な記号なのだろう。それでも、その記号に老婆を使い、その他にはお年寄りは登場しないのも事実である。

僕は思うのだが、僕らはあの絵のタイトルとゴーギャンというブランドと、そしてそのゴーギャンが遺書の代わりに描いたという背景によって、騙されているところもあるのではないだろうか。何を騙すというのか。それはあの絵のタイトルに示された問いかけの答えがそこにあるのではないかという思いだ。無論、それはゴーギャンの責任ではない。そしてあの絵が素晴らしいことに何の異論も持ってはいない。

ただ一つそのことで僕が思うのは、ゴーギャンの死生観でもある「我々はどこに行くのか」の部分は、あまりにも思想的に底が浅すぎるのではないかということだ。
そこには「歳月が重なるにつれて、人生は私にとっていっそう豊かな、好ましい、神秘に満ちたものと感じられてくる」という考え方は微塵もない。

これは想像でしかないが、仮にゴーギャンが55歳で死ぬことはなく80歳を越えて生きたとき、おそらくゴーギャンはあの絵を再度描き直すように僕には思える。あの絵は、素晴らしい絵なのだが、それでも49歳のゴーギャンの考えでもあるのは事実だと思うのだ。ただ、その時点でのゴーギャンの身に降りかかったことを考えれば、それはそれであの絵が描かれたのは一つの奇跡でもあるだろう。だからこそ、80歳のゴーギャンがまた新たな奇跡を持ってあの絵を書き直したとき、どのような世界があの絵に宿るのかが知りたいと思うのだ。それが叶わぬ夢であるとしても。

2009/09/04

映画「窯焚-KAMATAKI-」の長い感想

正直に言えば、映画「窯焚-KAMATAKI-」(2008年日本公開)の事をどこまで書こうかと迷っている。思っていることをそのまま書けばよいのだろう。普段であれば臆面もなくそうしている事が、今回は出来ないでいる。おそらくそのこと自体が、この映画への最大の感想ともいえるかもしれない。

「自殺未遂をした日系カナダ人のケン(マット・スマイリー)は、死亡した父の兄の住む滋賀県信楽へと降り立つ。彼は叔父で陶芸家の琢磨(藤竜也)にも心を開こうとせず、初めは女性に奔放な琢磨に嫌悪感を抱いていた。しかし、琢磨の作品を見つめ、窯焚の10日間をともに過ごすうちに、その人間的な魅力に心を開いていく。(Yahoo!映画より) 」

映画「窯焚-KAMATAKI-」の公式サイトには映画の予備知識として「窯焚」の説明が載っていた。
「劇中使用される穴窯(あながま)は日本最古の窯として広く使用された窯のひとつである。(中略)この工程上、作品は生地(素焼きをしていない作品)のまま窯に詰められる。窯焚き中、燃えた薪から生じた灰が炎によって窯中に行き渡る。そして温度が高温になり炎の色が赤色から白色に変じる頃、生地が溶け、作品に粘り気ができ、それに灰が付着し溶けて自然釉となる。このような状態になるには、かなりの温度ーおよそ1300度以上ーを保つことが必要になるため、通常穴窯での窯焚は8~10日間もの日数を費やし、その期間は日夜約7~8分ごとに薪をいれる。」
性的暗喩が散りばめられたこの映画で「窯」が何を象徴しているのかをイメージするのは容易い。ただそれだけでもない。そして主人公であるケン(マット・スマイリー)が自殺未遂者として登場するにも理由がある。ケンの叔父である琢磨(藤竜也)は映画の中程で彼に向かって語る。
「健康な者は飛び降りようなどとは考えない、健康じゃない者はSEXしたいとは思わない」
琢磨の言葉には、人間の三つの状態、「健康」「健康でない状態:病気」「死」が描かれている。病気「飛び降りると言うこと」によって死につながり、「SEX」は健康な状態を表している。琢磨はこの言葉を気の利いた冗句の様にケンに向かって語る。しかし琢磨の行動自体は、特に女性に対する積極性は、この言葉を裏付けているように描かれる。

無論僕にとっては容認しがたい言葉だ。健康な者と病人の境界が明瞭だとは思わないし、病気の状態でのSEXも日常にありふれていると思うからだ。おそらくケンにとっても、違う意味で同様だったのだろう。彼は琢磨に反発する。琢磨の言葉はケンの心を揺さぶるし、別面ではそれが目的の言葉だったのかもしれない。つまりは無茶な言葉であることは琢磨も承知の話だったと僕には思えるのだ。

映画の最後に琢磨はケンに、もう自殺は考えないだろう、という趣旨の言葉をかける。それを聞いてケンはうなずく。この映画はケンを通して、病気からの恢復を描いていると言っても良いかもしれない。逆に言えばそれまでの間、と言うことは映画本編の殆ど、彼は病気であったことを示している。つまりはこの映画は恢復を題材にするがゆえに、病気の状態(病人)を描いているともいえる。

ここで素朴な疑問がわいてくる。ケンは一体いつから病人になったのであろうか。彼が自殺未遂を試みたその瞬間だろうか。それとも父親が亡くなった瞬間だろうか。ケンは父親の死の前からだと語っている。しかしその時期は彼にもわからない。病気は徐々に彼を浸食していったに違いない。そしてその始まりはとても曖昧でぼやけているのだろう。

では逆に病気が治ったと誰がわかるのであろうか。病気の始まりが曖昧で徐々に進みゆくように、病気からの恢復も同様なのではないだろうか。確かに発熱状態から平熱に戻ったとき人は恢復を意識する。それに対して僕は異論を言うつもりはない。でも状況として熱が平熱に戻ったとして、それで病気が治ったと誰がいえるのであろうか。私の肉体を構成する細胞の一部が、内臓の機能が、血管を流れる様々なものたちが、病気によって損なわれ、病気の浸食に対して抵抗を続けているかもしれない。

ケンは確かに自殺は考えないと琢磨の言葉に頷いた。でも健康な状態に戻ったとは言ってはいない。健康と病気は明瞭に分け難く、そしてその中で病気でもある自分の生を受け入れたのではないだろうか。ケンにとって恢復とは、病気から健康へと肉体の状態が単純な推移を意味するものではなく、病気も生の一つの姿であること、つまりはその中で生きるという気持ちを持つことであると、考えたように僕には思える。

自殺は死への自由な選択の結果の元で行われるわけではない。選択とは可能性のことであり、自殺が不可能性であることから、自殺を考える場合それが唯一の解決と思えるのである。だから自殺は何もかもを否定する。自由を否定し、個人を否定し、愛する者たちを否定し、健康と病気を否定し、希望と絶望を否定し、生を否定し、そして死さえも否定する。

ケンの自殺未遂が病気の現れだとしても、しかし他の道を歩む病気の生き方もあるのだ。おそらくケンはそういう道を見つけたのではないだろうか。

穴窯では釉薬は使わない、高温で長時間焚き続けることで灰による自然釉となるのである。監督は穴窯の技法と恢復を重ねている。ケンは病院に通うことなく、琢磨の親密圏の中で刺激を受け、徐々に自分自身を形作っていく。自分を取り戻すとは僕は語らない。取り戻す為には、前の状態が静止されていて記憶されていなければならない。でも人は静止することなどなく流れてゆく。親密圏の中の刺激とは、琢磨との語らいであり、信楽焼の魅力であり、窯焚であり、女性たちとのSEXである。

この映画でのSEX描写は都合4回ある。それらは琢磨とケンの交互に繰り返す。面白いことにこの4回の描写は連続した流れとも受け取れるし、それぞれの描写は対をなしているとも受け取れる。

1回目の描写は琢磨とバーのママであるが、その描写はポルノのように生々しく描かれる。2回目はケンと琢磨の弟子であり留学生のリタ(リーソル・ウィルカーソン)で、若い二人がお互いを求める姿に激しさはあるが、琢磨とバーのママとの絡みのように肉体が全面に出てはいない。

リタとのSEXは窯焚の期間にある。それまでケンは女性に対して、特に性に関して嫌悪感を持っているかのようであった。琢磨とバーのママとの関係を知り、ケンは琢磨をモラルを口実に罵倒する。しかしそのケンはその後飲酒運転で警察に捕まる。ケンの琢磨への怒りは、目の前に差し出された動物的で圧倒的な生への戸惑いと逃避から発せられたのだろう。直後の酩酊状態での運転がそれを表している様に僕には思える。

そのケンがリタに女性に対する欲望を感じる。窯焚の燃えさかる炎をみつめ、二人は交じり合う。生きる情熱を確認するかのような描写が2回目となる。

3回目は琢磨と、彼の亡き師匠の妻である刈谷先生(吉行和子)との描写である。踏み入れてはならない部屋があり、好奇心に駆られたケンはその部屋へと入る。その中でケンは琢磨と刈谷先生との関係を覗き見てしまう。その行為は1回目のバーのママに通じるが、ケンは二人の行為に嫌悪感は示さない。それはまるで何かの儀式のような印象を受けるのだ。

4回目の描写へと移る前に、急遽琢磨は窯焚を行うとケンに告げる。それは予定ではない突然の窯焚であった。突然の窯焚の最中に琢磨は突然に病気を患う。不安となり琢磨の元へと行くケン。しかし琢磨は病気だと姿さえ見せない。

琢磨の病気に関しては、いろいろな事が想像できる。そもそも突然の窯焚は何を目的として行われたのか。おそらくケンに捧げるためのものだったに違いない。つまり突然の窯焚における、不意の琢磨の不在は、ケンの成長を促すために、琢磨が意図的に仕組んだと考えることも出来る。そうかもしれない。ただ、琢磨の病気が計画的であろうがなかろうが、それは映画にとって些末なことでしかない。

この琢磨の不在は、ケンにとっては過去にさかのぼる事でもあったに違いない。ケンが病になったきっかけは父親の死去だった。それはケンにとって、多感な時期における父の不在でもある。窯焚の最中の琢磨の不在がそれと重なる。僕は、琢磨の不在は、父親の不在に対応する、「死」を現しているように思えて仕方がない。

窯焚を「誕生」「創造」の象徴とするならば、やはり「死」のイメージがそこになくてはならないのだ。そしてケンは「誕生」と「死」の狭間の中で、混沌とする「生」を生きなければならない。僕は琢磨の突然の不在こそ、この映画のメッセージそのものの様に思える。

4回目の描写は、ケンと刈谷先生の関係となる。刈谷先生はこの映画では謎の人物として現れる。彼女は「生」のイメージが強いこの映画の中で、逆に「生」を感じさせない。それが対比となり、彼女の存在感を際立たせるが、それでも台詞が少なく影が薄い存在であることには変わりはない。その存在は、琢磨の対極にあるようにさえ思える。

ケンと刈谷先生の描写は、「癒し」のイメージだと僕は思う。それはケンに「自殺」をする事を止めさせる力を持っている。ケンとの行為の中で刈谷先生は静かな涙をこぼす。あたかもケンの苦しみを受け入れたかのように。それはこの映画の、幸福とは言えないまでも、静かなエンディングでもある。

日本では、この映画はR18指定だった。ただ、この映画にとって4回のSEX描写は不可欠だと思える。それはケンの恢復の過程を示していると僕は思うからだ。

無論、この映画で、僕が馴染めないメッセージを感じる箇所もある。そしてその馴染めにくさが、この映画の見え方を大きく変える場合もあるだろう。だとしても、この映画がもつ様々な隠語が指し示すものが、「誕生」「性」「生」「死」と思われることから、「恢復」がテーマと思うことに、それほどの誤りはないように思えてくる。


追記:この映画の概略を下記に示す。

製作年:2005年(日本での公開は2008/2/23)
製作国:カナダ=日本
配給:ティ・ジョイ
監督・脚本・編集:クロード・ガニオン
第29回モントリオール世界映画祭
最優秀監督賞。
国際批評家連盟賞
観客大賞
エキュメニック賞
エアカナダ賞
第56回ベルリン国際映画祭のキンダー部門において審査員特別賞

さらに補足:
この映画は2005年にカナダ・米国で公開され、日本での公開はそれから3年後の2008年、そのときに映画館で観て、その感想がこの文章、書き上げるのに1年半かかったというわけです。笑

2009/09/01

稲越功一の写真「心の眼」

本年2009年2月25日に亡くなられた稲越功一氏の写真展が恵比寿にある東京写真美術館であったので行ってきた。本写真展は生前稲越氏が自ら構成を慎重に準備を進めてきた。亡くなられた時、写真展をどうするか話し合われたそうで、稲越氏の奥様を含めほぼ全員が開催の意向を示したと聞いている。また、その時に本写真展は没後の初めての写真展ではなく、稲越功一最後の写真展として開催するとも決まったそうだ。

稲越功一氏は雑誌カタログなどの書籍をデザイン的に美しく、かつ読みやすくするための、エディトリアルの写真家として活躍されてきた。つまりはその活躍の場の多くを商業的な場で行ってきたことになる。それでも、プライベートに自分が好きな写真も撮り続けてきた。今回の写真展はそのプライベートな写真、特にモノクロームの写真を中心に集めている。

僕が写真展に行った際に、鑑賞する仕方はいつも決まっている。まずは少し早めに全体を鑑賞する。次に写真展会場に大抵部屋のほぼ中央にある長椅子にすわり、そこから全体を見回す。そして写真展の雰囲気というか空気感を感じ取るように心がける。写真展は大抵は薄明で静かなので、椅子に座りながら、ぼんやりと考えることには最適なのだ。それから、また最初から今度は少し丁寧に鑑賞する。そしてまた長椅子に座りぼんやりする。そういうことを3サイクルくらいやっている。そうするとなんだかこの写真展会場と一体感みたいなものを感じるときがある。

だからといって写真展の何か真実が見えてくるというわけじゃない。そんな大それた事は少しも考えない。おそらく僕は、美術館、写真館、の会場独特のひんやりとした空気感が好きなのだ。作品にスポットライトが浴び、そこに人が立ち鑑賞している、そういう姿をぼんやりと眺めているのが好きなのだ。

稲越功一氏の作品はどれも良かったし面白かった。中央の椅子に座り、モノクロームの写真が飾られている壁を見る。作品の一つ一つにはタイトルはないことに気がつく。これは稲越氏のプライベートな写真へのこだわりなのだろう。タイトルがないことで、写真そのものへの回帰を促しているように思えてくる。

写真は記号論でみたとき、表象が無く指向性のみの特殊な記号だという言説に、僕は一般論として賛同する。つまり、僕らが愛する人が写っている写真を見るとき、その写真を見ているのではなく、実際はその写真が指し示す愛する人を見ているのだ、ということだ。それであれば、この写真に写っている愛する人は何なのかということになる。ロランバルトはそれを「それはかつてあった」と呼んだ。

稲越功一氏の写真集に「meet again」(1973年)があり、今回の写真展にも作品が飾られていた。その作品群はどれも一見したところ焦点があっていない、しかも写っている対象の多くは人の部位となっている。例えば、腕時計を触る手、ポケットに入れている手、ボール、などだ。写真家にとって、カメラを向ける先の何に焦点をあてるのかは、何を写真で表現するかの要となる。逆に言えば、稲越功一氏の焦点がぼやけているかのような写真群は、表現自体を焦点をぼかすスタイルをとることで、なおかつ人の部位のみ載せることで、写真が指し示す対象を曖昧にさせ、その写真自体に指向性が留まる効果を与えているのではないかと思う。

ただ「meet again」の写真群はそれだけでもない。あらためて見ると、写真のそれぞれに、写真を引き裂く亀裂が撮し込まれている。その亀裂の幅は太いものもあれば、線のように細いものもある。また色も黒だったり白だったりする。おそらく現像時に稲越氏が意図的に挿入させたものだろう。

もしかすれば、焦点が定まっていないと思ったのは誤りだったのかもしれない。ふとそんな気がしてくる。仮に、「meet again」の写真一枚一枚が、何らかの写真の一部の拡大とした場合、極限まで拡大すれば、あたかも焦点がぼけているように見えることだろう。そしてこれ以上拡大すれば写真として成立しない点、つまり写真としてぎりぎりの写真、それらがこれらの写真なのではないだろうか。

写真として成立するぎりぎりの写真、写真を分断するかのような亀裂、それらのスタイルは、見る者を戸惑わせる。焦点が定まらぬ写真は観客の焦点に影響を与えるのだ。そして観客自身が、自らの中の記憶の断片に焦点をあてなくてはならなくなる。写真の対象として、どこにでもあるもの、どこにでもある風景、が選ばれているため、その傾向は強まることだろう。観客の中でその写真は再構築される。それは写真の本質への反抗のようにさえ思えてくる。

「meet again」の次の写真集である「記憶都市 東京」(1987年)も印象に残る。その写真集に載る写真は全て建物となっている。そして人は写っていない。建物の多くは木造で、建てられてから相当の年数が経っていると思われる風情がある。それらの建物に人が住んでいるかはわからないが、当然に人が住んでいた時期もあったのは間違いない。記憶都市と古い木造建築の繋がりを想像するのは容易いし、それは正しいとも思える。しかし僕がこれらの写真群をみて考えさせられたのは、写真の対象物ではない。

それらの写真の共通するスタイルは、焦点が明瞭であること、全体的にグローがかり薄いもやのような幕がおりていること、モノクロームでコントラストが強いこと、などだ。また対象となっている木造建築も、確かに古いが、だからといって特別な建築物ではない。かつてどこにでもあり、見慣れているようなそんな建物なのだ。それらの写真は、見る者がかつてその建物を知っていたかのような錯覚を持たせると思う。

2009年の今となってはどうかはわからないが、写真集が出版された1987年は、かつて知っていたと今より思わせることだろう。つまり「記憶都市 東京」も前作である「meet again」と写真家の表現の方向性は同じだと僕は思うのだ。

稲越功一氏の写真とは、写真の記号としての指向性を曖昧にすることではなく、逆に指向性を強めること、それは写真を見る者が自らの記憶の一片に向かわせること、のように僕は思う。だからこそ、あえて写真家は写真の一枚一枚にタイトルをつけてはいない。その写真の指向性を具体的に写真家が設けることは避けなければならないからだ。

しかし、それにしても稲越功一氏のモノクローム写真は美しい。全て銀塩写真だという。デジタルとの差異を述べるつもりはない。問題はそう言うことではないと僕は思うからだ。稲越氏はプライベートでエディトリアルの現場では撮すことが出来ない写真を撮ってきた。しかし、その技術の殆どはエディトリアルの現場で培われたものだ。特に現像の技術が素晴らしいと思う。「meet again」「記憶都市 東京」を含む全ての写真にそれは当てはまる。

僕はもう少しこの写真展の中に留まりたかった。モノクロームの写真に囲まれた静かな空間で、もう少し自由な想像の世界に浸っていたかった。でも閉館時間が迫っていた。外は台風が近づいている。またこの場に来るかもしれないと僕は思った。この写真展は10月12日まで続く。こういう場合、僕の予感は外れることがない。

2009/08/27

宮沢賢治と猫

賢治は猫が嫌いだったという説がある。彼の詩「猫」が発端のこの説は、無論取るに足らない話である僕には思える。

詩「猫」は短い詩だ。宮沢賢治が友人宅で年老いた猫と顔を合わせたところから詩は始まる。賢治はその猫を見て「パチパチ火花を出すアンデルゼンの猫」を思う。
年老いた猫は賢治の方に歩いてくる。そして彼の「猫は大嫌い」という言葉が続く。その年老いた猫が賢治の方に歩いてくる描写がとても美しい。
「実になめらかによるの気圏の底を猫が滑ってやって来る。
(私は猫は大嫌ひです。猫のからだの中を考へると吐き出しさうになります。)」
(宮沢賢治 「猫」より抜粋)
猫は賢治のそばで身繕いを始める。その姿を見た賢治は、何か得体の知れない網のようなものが猫の毛皮を覆うように感じる。その後、年老いた猫は小さく鳴いて暗闇の方に去っていく。また賢治は思う。「どう考へても私は猫は厭ですよ」と。

この詩に登場する猫はまぎれもなく現実界に存在する猫だ。そして「猫が大嫌い」という言葉とは裏腹に、猫を正確に、しかも文学的に描いているように思える。
賢治が年老いた猫の登場から去るまでの間、その猫を凝視していたのがとてもよくわかる。だからか、この詩の短さの中に、賢治の内的な時間の経過が読み取れる。
正直に言えば、僕は、この詩はそれほど優れた作品とは思っていない。ただ賢治のまなざしは的確に現実の猫の存在を捉えていたと僕は思う。

宮沢賢治の童話の中に登場する山猫を含めた猫たち。特に山猫ではなく猫が登場する童話として「猫の事務所」が知られていいる。
ただ「猫の事務所」に登場する猫たちは擬人化されていて、詩「猫」の猫とは全く違う。
擬人化は、直接に語り得ないことを、動植物を擬人化することで、そのものに語らせるための文学的手法だと僕は思う。だから、「猫の事務所」に登場する猫たちは、猫として登場するが、実際は猫ではない。

賢治の「擬人化」を多言語主義もしくは植民地主義を背景として初めて捉えたのが、西成彦「森のゲリラ宮沢賢治」だったと思う。

山猫を含め擬人化された動物たちは、日本語と、そして彼らの言葉と、複数の言葉をしゃべる。何故、彼らは複数の言語を操るようになったのか。何故、山猫は自分たちの文化を恥じなければならなかったのか。
この問いかけは、もう一つの方向もあると僕には思える。何故、複数の文化と複数の言語が単一にならなければならなかったのか。

詩「猫」に登場する猫は、賢治にとって嫌な存在として写る。(しかしそれでいて彼は猫の体の中を考えることが出来るのだ。)その年老いた猫は賢治に擬人化をさせることを許さない。それは1個の存在として賢治に対峙する。だからこそ、逆に賢治はその年老いた猫に一種畏怖に近い感情を持ち、「私は猫は大嫌ひです」となったのではないかと、僕は考える。
それはあくまでも、彼の文学的感性ゆえの言葉、詩作ならばこその言葉であったと僕には思えるのだ。

ところで、詩にある「パチパチ火花を出すアンデルゼンの猫」とは何だろう。アンデルセンの童話は絵本としても童話としても読んだが、この猫だけははっきりと思い出せない。ただ「みにくいアヒルの子」の中で、猫とニワトリの会話において、そんな猫が登場していたような記憶がある。違っただろうか。

2009/08/25

感想 映画「剣岳 点の記」

久しぶりの映画館。この映画に出不精の僕が足を向けたのは、山を中心とした映画だからだ。しかも原作者が新田次郎であればなおさらだ。

観に行く映画の候補は幾つかあった。家人は、それであれば全部見に行けば良い、と言うが、不器用な僕としてはそうはいかない。一つの映画を観ると、良い映画であればあるほど、僕の中で消費する時間がかかるのだ。大抵は、見終わった後に混乱が生じ、頭の中で整理し、自分の思いをそこに付け加える、そして気持ちがあれば文章を書く。ここまでのサイクルは早くて1ヶ月はかかってしまう。映画とは僕にとって一つの問題でもあるのだ。

場合により、性急に解決しなければならない映画もあるのだが、映画「劔岳 点の記」は差し迫った問題ではなかった。
もちろん、良い映画であることに間違いはないのだが。

この映画の監督はカメラ出身とのことだ。だからか山々の描写がとても美しい。

四季の移り変わり、一日における変化、青空と樹木の緑、白い岩肌、そして紅葉。赤く染まる夕焼け、夕闇迫る灰色の彼方に黒く浮かび上がる山々。その壮大な山々の中を、連なる蟻のように列を成し登る人々。

後から映画のサイトを眺めるとCGは使ってないのだそうだ。だから良いとは、現在の技術力を持ってすれば一概には言えないが、この映画においては良い結果になったといえると思う。山の描写だけでもこの映画を観る価値はあるように僕には思える。

ところで、この映画のコピーとして幾つかの言葉が並べられている。
「誰かが行かねば、道はできない」、もしくは「人がどう評価しようとも、何かをしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事です。悔いなくやり遂げることが大切だと思います」などだ。

実は新田次郎の原作を僕は読んではいない。でも想像するに上記の言葉は小説の中の重要な一文なのだろう。

しかしだからといって映画のメッセージと小説で語りたいことが合致するとは限らない。小説と映画は違った表現方法なのだから、同じになるという方が難しいように僕には思える。

この映画のメッセージは、小説を読んでいない僕が言うのは不適なのはわかるが、小説のそれとは違うのではないだろうか。それは上記の映画のコピーが台詞として語られる場面の不自然さにある。不自然と僕が感じるのは、その言葉が大事であれば、発せられる必然性が丁寧に描かれるはずなのに、少しばかり唐突に語られていたからだ。

映画のメッセージは、カメラワーク、脚本、演出、演技、音楽、道具立て、そして編集などによって、映画全体から発せられるものだと思う。台詞は言葉として、そのメッセージを要約することもあるが、だからといってそれが生かされるかどうかは別問題なのだ。

この映画にとって要はやはりカメラワークにあると僕は思う。

例えば、カメラワークは山を舞台にするとき(山の内)と、山から離れて人の営み(山の外)を舞台にするときとでは違っている。

山の内では、山々の自然の壮大さと美しさ、そして対比しての人間の小ささが出ている。望遠を生かした撮影が所々に現れる。
山の外では、屋内を舞台にした撮影が多く、役者の近くに寄ったカメラワークが主体となっている。
山を舞台にした映画なのだから、それはそれで当然と言えばそうかもしれない。しかしその対比は顕著であった。

それにカメラ出身の監督もカメラが要であることを意識していたのではないだろうか。だからこそCGを使わず、俳優たちを実際に体験さえ、その映像を撮り続けたのではないかと思える。

またそのカメラワークと相まって、脚本・演出の面でも、山の内と山の外では違っていた。山の内では人間は謙虚であり、目的に対し献身的で、仲間として互いに敬愛の情で結ばれていた。対する山の外では、人の虚栄心、名誉欲、競争心、などが全面にでていた。

自然に「大」を付けるようになったのはいつ頃だろう。日本語の「自然」という言葉には様々な意味がある。どれも程度の違いがあるにせよ、人工ではないと言うことだ。

ただ、人工については、語る側の信念がそこに強く挿入されてもいる。例えば、人が人やものに対して「自然だ」とか「自然ではない」とかの物言いがそれにあたる。

その意味で、ある意味「自然」「人工」という言葉はイデオロギーの一種になっているかもしれない。自然の前に「大」を付けたのは、それらイデオロギー化された「自然」と、人間が踏み込むことが困難な環境としての自然とを分ける意図があるのだろう。無論、この映画での「自然」は「大自然」のことである。

その大自然に対峙する人間は謙虚になる、とは一つの文化コードでもある。人間は人工のなかでしか生きられない、とはアレントの言葉だった。だから大自然の中に入り込む場合、人工物である生活一式を全て携えなければならない。

この考え方はいかにも欧米的でもある。しかし、この映画の測量隊も日本山岳会の双方とも、近代登山の黎明期の中で、この思想に則った登山を行っているのだ。大自然への謙虚さとは、自然と人工、自然と人間との、距離感にある。そしてその距離感は、近代登山と共に始まったように思える。

この文化コードが映画の中でも現れていた。測量隊の中に、若く実力があるが横柄で自信家で、サポートする強力たちにぞんざいな口をきく男がいた。映画の観客たちは、謙虚さの中で一人だけ異質なその男性が、いずれ壮大な自然の中で変わってゆくのだろうと期待する。そして期待通りに彼は徐々に謙虚になっていく。

それに対応する人物が映画の中で「行者様」と呼ばれた修験者だと思う。修験者にとれば、自然との間に距離はない。彼にとってみると、初登頂という概念自体がないと僕は思う。

劔岳への初登頂を、測量隊と日本山岳会の両者が競い合っていた。測量隊は三角点を建て、測量することが目的で、初登頂が目的ではない。でも測量隊の軍本部では日本山岳会に負けるなと命令し、マスコミ、日本の人々は両者の競い合いに注目していた。
結果的に測量隊が日本山岳会よりも先に劔岳に登るのだが、実際は測量隊よりも先に山の修験者が登頂を果たしていた。

測量隊と日本山岳会以外の人たち、軍本部・マスコミ・人々にとって劔岳の初登頂の騒ぎは無意味だったと感じる。しかし測量隊と日本山岳会にとってはそうではなかった。

測量隊が地図を作成することに目的があるように、日本山岳会は山頂への道(ルート)を造ることが目的だったのではないだろうか。初登頂はその目的の副次的なものでしかない。お互いが切磋琢磨し、山という共通の環境の中で、それぞれの目的に献身的に動く。その姿勢は双方とも共有するところだ、その過程でお互いを認め合い、そこから尊敬と共に、ある種の絆が産まれる。

映画の終わりに、測量隊と山岳会の人たちは、劔岳と向かい合う山の頂に立ち、お互いに手旗信号でエールを交換する。そしてお互いに目的のために努力をした仲間であることを意識する。そして映画は終わる。

スタッフ紹介のテロップが流れるその先頭には「仲間たち」と書かれている。ただ当然のことながら「仲間」には、軍本部の上司たち、マスコミ、周囲の人たちは含まれていない。「仲間」に「みんな仲間」などという線引きはありはしない。

僕はこの映画のメッセージの要は「絆」だと思う。その理由は今まで書いてきたとおりだ。「仲間」とは「絆」を具現化したものだと僕は思う。そして、映画のメッセージは原作のそれとは違っているように僕は思う。

仮にその違いが著しいのであれば、僕の見方が誤っている可能性と共に、この映画の問題の可能性もあるだろう。僕はこの映画が原作に重きを置く結果、映画に詰め込みすぎた印象を持った。
もう少し的を絞れば、もう少し編集において場面を減らせば、より的確にメッセージが伝えられたのではないか、と思う。

ただ、映画というものは、仮に前記の通りに的を絞り場面の削除などを行えば、逆に映画として成立しない可能性もある。
この映画はこの映画で完成されている。そうも思う。

まだこの映画で書きたいことは色々とある。例えば、現在国土地理院所蔵の記録「点の記」から見た映画の印象、俳優の演技のこと、行者のこと、それぞれの役の位置づけで不明な点がいくつかあること、などだ。それらについては別途書くかもしれない。

2009/08/23

「地球」という言葉

映画「地球が静止する日」を観て面白い場面があった。
宇宙人の男(キアヌ・リーブス)は地球外生物学者ヘレンに「地球を救いに来た」と告げる。それをヘレンは「人類を救いに来た」と誤解する場面だ。

ヘレンにとっては、そのように誤解するのは致し方ない。宇宙人に地球の言葉を解することの方が難しいと思うのだ

学術もしくは特殊な専門用語などを除き、殆どの言葉には人間が内包されている、と僕は思う。もちろんそれは「地球」も例外ではないと思う。
さらに「地球」という言葉には、人間以外の地球上のあらゆる生命とか環境も含まれていると考えて間違いないように思う。
だから、「地球のため」もしくは「地球を救う」とは、「人間のため」「人間を救う」も内包されていると僕は思う。

ヘレンが誤解したのもやむを得ない話なのだ。

漫画「寄生獣」のミギーは次のように語る。
「わたしは恥ずかしげもなく「地球のために」という人間がきらいだ・・・・なぜなら地球ははじめから泣きも笑いもしないからな」

人間以外の生物に語らせることで、「地球」という言葉から人間を除外するすることが出来た。それは「地球が静止する日」の宇宙人と同じだ。
ミギーには人間の言葉の意味を技術的にしか知ることが出来ない。つまりは一般的言語としての記号でしかない。

ミギーが「りんご」と言った際、「リンゴ」が指し示す、あの熟すと主に赤い実となる果物のことしかない、と僕は思う。

でも「リンゴ」と日本語で語る場合、僕らに受ける「リンゴ」が指し示すものは、「あの熟すと主に赤い実となる果物」だけではないはずだ。もしかすると果物屋での値段を気にするかもしれない。作っている方のことや、産地のことを気にする人もいるだろう。なによりもまず、好きとか嫌いとか、美味しいとか不味いとか、酸っぱいとか甘いとか、そういうことを思い浮かべるだろう。でも根底にあるのは、「リンゴ」は人間が造り人間が食べるものであるということだ。ミギーが解する言語とは、そこが根本的に違う、と僕は思う。

でも実際に、何故かミギーのように「地球」を語る人は多いのも事実だ。
しかしそれはその語り自体に矛盾があるように思う。人間の言葉から人間を排除すること自体、それは不可能だと思うのだ

追記:「地球が静止する日」(2008年)は1951年のリメイクであることは知られている。1951年の日本語タイトルは、「地球の静止する日」で一字だけ違う。

2008/10/28

中内渚 繋がりの絵

会社の同僚に連れられて中内渚の個展に行ってきた。銀座の古いビルの一室、後から別の友人から聞くと築70年だそうだ、八畳間くらいの広さに絵が並べられて掛かっていた。天井には様々な飾り付けが吊り下げられている。中内さんはそれらを指して、メキシコの飾り付風が街で売っていたので買って来たと笑いながら語る。とても笑顔の素敵な女性だ。最初万国旗と思えた飾り付けは、そうではなく骸骨の模様に切り抜いたものだった。中内さんはそれも嬉しそうに話す。「メキシコの飾り付けって骸骨模様が多いんです。」
 
部屋の天井の中心から八方に広がる飾り付けを個展開始前日にほぼ徹夜をして作ったのだそうだ。もう少し飾ってメキシコの雰囲気を出したい、まるで部屋全体が彼女の作品のように、後から思えば彼女が描いたメキシコの市場のように、なって欲しいと思っていたのかも知れない。
 
そう、個展の空間は既に画家のキャンパスとなっていたのだ。僕は彼女の空間に足を踏み入れた。その空間は入るものを拒絶せず暖かく包み込む。強度を持って個性を押しつけるわけではなく、徐々に確実に染みこませる。個展の空間への第一印象はそういう感じだった。

アートとはスタイルだと僕は思う。中内渚のスタイルは古本の頁をキャンバスにしていること。勿論それだけではない。色遣い、線の描き方、絵の構図の取り方、絵の具の種類と色の使い方等々、無限の選択肢の中から画家は瞬時に自分のスタイルに合った仕方を選ぶのだ。当然だが、観客はそれらのスタイルを構成する要素を全て読み取ることは出来ない。それに画家はそんなことを観客に望んでいるわけでもない。画家はただ完成した自分の作品を気に入ってくれることだけを望むのだ。でも僕は、画家の意に反するかもしれないが、少しだけ絵に歩み寄っていこうと思う。

何故古本に絵を描こうと思ったのですか、と僕は聞いてみる。それは彼女にとって今まで何回もされてきた質問なのだろう。画家は凡庸な僕の質問によどみなく答える。
 
「私すごくスランプになった時があって、その時に白い紙に描くことがとても怖くて。白いキャンバスは自由で、私はその自由が怖かったんです。それで古本の余白に描き始めたんです。」
 
その時彼女は一枚の絵を描くために周辺を隠れながら移動していたのだという。一枚の絵に納められた複数の立ち位置。

僕は続けて聞く。それで今では白い紙に描くことはできるのですか。画家はその質問に一瞬戸惑う。僕は補足する。たとえば何も描かれていない白い紙だとしても、自分で文字などを書き加えてフレームを造っても描けるんじゃないかと。
 
「ああ、それだったらしています。例えばあの絵」といって彼女は一枚の絵を指さす。「自分で文字を加えたんです。」

何も描かれていない白いキャンバスが自由を意味するのかは僕にはわからない。でも彼女はそう感じた。一つ言えるのは、何も描かれていない白いキャンバスは画家のスタイルではなかった、ということだ。画家の独創性はそのスタイルにこそ存在する。そして画家はそこに自由な感性の広がりを感じるのではないだろうか。彼女にとって白いキャンバスはそうではなかった。白いキャンバスから離れることで、彼女は新たな出発をし始めることが出来たのだと僕は思う。

画家は何故古本の頁に絵を書くのか。その問いは果てしなく陳腐だ。しかし誰もがその問いを持つことだろう(多くされる問いかけは陳腐なものが多い)。僕も同じように彼女に質問をした。そしてスランプの話を聞き、わかったような気持ちになる。でも実際は少しもわかってはいないのだ。人間である限り理由を求めるものだ。そして質問を受けた者はそれに応えようとする。つまりは人が納得するような答えを見つけ出し、そして聞く方はそれを聞いて安心をする。何故彼女は古本の頁に絵を描き始めたのか。でもそれはどうでも良いことなのだ。画家は古本の頁に絵を描き始めた。そしてそれが彼女のスタイルの一環になった。それで十分だろう。

それでも僕は少し思うのだ。彼女の絵を見ればわかる。彼女の筆の使い方、色の選び方は、古本の赤茶けた頁に実によく似合う。線の描き方、周辺の絵のモチーフは、少しもその古本から外れてはいない。なおかつ中内さんが選ぶ絵の題材も、完成した絵を眺めれば古本の頁に合っている。今回の個展はメキシコの風景だった。それらは市場であり教会であり、物とか人が溢れ賑やかだった。ある絵では野菜だとか果物が山高く積まれ、その中で男性が一人うつむいていた。天井には球体に円錐のような突起物が幾つも出た飾りとか絵が描かれている旗とかが吊り下げられている。またある絵では、市場の絵と同じように雑貨・おもちゃが山高く積まれ、その中で女性が編み物をしている。古本の頁であることを意識させるのは、印刷された文字、スペイン語で書かれているため僕には何が書いているかはわからないが、何か小説のサブタイトルの様な文字列を見るときだ。それでもその文字列さえ絵全体から見れば違和感は殆どない。絵のために文字があり、文字のために絵が添えられているような、そんな感触を受ける。「絵」と「言葉」、おそらく彼女にとってその二つは何ら隔てる物がないのだろう。

賑やかな題材は、多くの物と人が描かれることでさらに楽しげな雰囲気を醸し出す。しかしどの絵も第一印象として受けるのは賑やかさではない。淡い色彩が多いためか、古本の赤茶けた色のせいか、僕には落ち着いた静けさを感じてしまうのだ。しかし多くの物が描かれているため、絵に近づいて細部を見ると幾つもの面白さに出会える。クマのぬいぐるみ、カエルのおもちゃ、編み物をしている女性の横に顔だけ描かれた男性、しかもその男性には「ANTONIO」と名前が添えられているのだ。そして何枚かの絵には中内さんの文章が綴られている。

例えば、魚市場の絵の右下には次の文章が載っている。
『"魚の卵"のことを、キャビアというらしい。だから、ししゃもの卵もキャビア。実際、ここで買った、まさに見た目キャビアも、ししゃもの卵。(ちゃんと黒く色づけされている。)これをお土産にすることになった。でもなんて言って渡したらいいんだろう。"これ、お土産のキャビア"?それとも、"これ、お土産のししゃものキャビア(卵)"どちらの方が親切?』
 
また、雑貨・おもちゃを売っている店を描いた絵には、『通りがかる人が「このタイプの、別の色のあるかしら?」って聞いてきたけど、私店員じゃありません』。教会の絵には中内さん本人が登場している。添えられている言葉は、『パイプオルガンの結婚行進曲を聴きながら』。そして教会の外では花嫁の姿がラフに描かれ、花嫁と見られないと心配したのか「花嫁」と矢印で示されている。

中内さんがスケッチをする時、何冊もの古本をジャンルは選ばすに持って行くそうだ。頁は本から切り離さずに開け、まるで本を読むように、そこにスケッチをするのだと聞いた。傍から見ると、彼女が絵を描いていると気が付く人は少ないかも知れない。おそらく彼女はペンで絵を描き後から色を付けていくのだろう。

スケッチをする時間、対象となる場所、例えば市場・商店・広場・教会などは時間の経過と共にその様相は変化をしていく。画家はそれらの変化を、自分が感じるがままに、なるべく絵に取り込もうとする。時間の経過を、人の動きを、絵に現すのは難しい。難しいながらも画家は、それでも彼女自信が感じる時間の流れそのものを絵に捉えようとする。だから絵の中に、自分に起きた変化とか心境も含めて描くのだろう。彼女の絵に登場する幾つもの顔だけの人物、そして前述の添えられた幾つかの言葉はそれらの現れだと僕は思う。そこから現れるのは、ある瞬間を捉え静止した市場の姿ではない、画家が過ごした市場での時間そのものなのだ。

スケッチをしながら、その場の雰囲気を味わい、そしてその中に心身を投じる。彼女が描く何人もの人は、描かれる側はわからなくても、彼女にとって親しみある人になっているに違いない。創作は単独の活動であるのは変わりはないにしろ、スケッチをする間、彼女は多くの人の繋がりを感じていたと僕は思う。
 
個展のオープニングパーティは同窓会の様相を呈したそうだ。その時は借りている部屋では収まりきれず、階段まで、果てはビルの入り口まで人で溢れる。多少の混乱状態に中内さんは内心ハラハラする。でも「個展に来て」というと集まってくれるのが嬉しい、とも彼女は語る。和気藹々とした楽しさの中心に彼女の絵がある。おそらくそれが彼女にとっては嬉しいのだろう。スケッチをすることで感じる人との繋がり、個展での人の繋がり、そのどれもが画家に新たな創作の力を与える。

しかし不思議な気持ちがする。単独で格闘しながら創作活動をする画家は、絵を描きながら少しも観客の事は考えてはいない。あくまでも自分と向き合い自分の形式にこだわるのだ。それでいながら完成された絵は人の繋がりを求める。孤高の絵など世界に存在しない、と僕は思う。絵は描かれたとたんに観る人を求めるものだ。それがたとえ画家が唯一の観客だとしても。

世界には様々なアートが存在し、且つ創られている。いかなるアートであっても、それは観る者の活動を一旦停止させ、そのアートを媒介にして活動を再開させる力を持っている。「活動」とか「停止」「再開」をどのように受け取っていただいても構わない。僕が言いたいことはこれらの言葉に収斂するわけではない。ただこれらの言葉しか僕は持たない。

中内渚のスケッチは確かに僕の活動を停止させた。しかしその力は強引でもなく、僕の感性に混乱を与え立ち止まらせたと言うわけでもない。どちらかと言えば、僕が自ら停止したと言ったほうが適切かもしれない。でも逆に言えば、おそらくそれが中内渚の絵の力なのだろう。そして僕は彼女の絵を媒介にしてこの文章を書いた。拙さは僕の能力によるところが大きいが、時間を見つけ少しずつ書いた。いわば活動の再開は緩やかであり、自分に圧迫を感じるほどの性急さは微塵もなかった。そしてそれも彼女の絵の力なのかもしれない。

中内渚の絵はスタイルとして発展途上であると僕は思う。完成したアートという言葉自体語彙矛盾に満ちているなかで、発展途上は彼女の可能性が未知であることを示している。彼女の内に秘め、自身にとっても捉えがたい熱情が、さらに表現として彼女のスタイルに現れることを僕は望んでいるのだ。それは彼女の絵を知り、その出会いが幸運であると認めている一人のファンの思いでもある。

中内渚の公式サイト:Nagisa's Sketches & Drawings
中内渚のブログ:国際派アーティストのアイデア帳

2007/12/30

Amazonのカスタマーレビュー、ベルンハルト、そして翻訳について

Amazonのカスタマーレビューを時折読むと、それが翻訳本のとき和訳の善し悪しが記述されているときがある。善し悪しだけではなく、誤訳もしくは不適訳及び訳抜けなどに発言が及ぶときも書籍によってはある。実際問題としてそれらの発言が僕の購入是非に関わることは少ないが、それでもその書籍への評価に一定の影響を受けるのも事実である。

でもそれ以上に僕は前述の発言を何故出来るのか不思議に思うのだ。少なくとも日本語化の善し悪しを評価するにあたり、Amazonでの発言者は原書もしくは別の翻訳本を読んでいなければならない。原書が新刊書であれば別の翻訳本がない可能性は高く、誤訳・不適訳の評価もあることから、当然に原書を読んでいるということになる。そこが不思議なところである。

つまり原書を日本語訳と同様に読めるのであれば、翻訳本を読む必要性は始めからない。でもAmazonのカスタマーレビューに記載していることは、とりもなおさず発言者は、まず翻訳本を読み、翻訳の拙さを実感し、かつ翻訳の内容も疑い、それでも尚、当該著書の内容を知りたく原書を読み、その上で翻訳本の評価をAmazonに発言した、ということになる。ネットであれば、以前とは違い原書を手に入れるのは簡単なはずであるから、随分と回り道をするものだと僕は思うのである。

実を言えば僕は今まで翻訳本の善し悪しを実感したことは少ない。特に翻訳がきちんとした日本語になっているか等とは考えたこともない。それはお前の感受性の鈍さだと言われてしまえばそれまでだが、実際にそうなのだから致し方ない。Amazonでの発言者がまず「翻訳の拙さ」を実感できることが、嫌味でもなんでもなく、僕には実感できないのである。

それでも良い翻訳だったと、後から振り返ればだが、思った本も何冊かはある。その中の一冊がトーマス・ベルンハルトの小説『破滅者』(岩下眞好・訳、音楽之友社)である。書籍の末尾に翻訳者の後書きがあり、そこには原書は一文が非常に長く、そのまま訳した時、文章として判別不能になりかねないので、ある程度の長さで区切ったと書いてあった。それでも日本の小説と較べても十分に長い。

またそれ以上に僕が意識したのは翻訳文の文体であった。文の末尾に「と僕は思った」が非常に多いのである。文の全てに「と僕は思った」とあるように感じられたほどだ。おそらく、これはあくまでも僕の推測だが、『破滅者』の翻訳文は日本語としては悪文であろう。それでも僕にとっては、この悪文こそがトーマス・ベルンハルトの文章のように思えたのだ。

僕はベルンハルトの原書を読んだこともない。しかし彼の言動は伝え聞いていたので、僕なりに彼のイメージが造られていた。そしてそのイメージと『破滅者』の翻訳文は一つの調和を以て重なったのである。この翻訳文でしか『破滅者』の文体はないとさえ思った。「と僕は思った」の反復は僕にとっては苦痛ではなく、『破滅者』という小説が持っているリズムのように思えたし、反復することで小さな波が相乗し、終には津波となって小説の世界に引きずり込まれた様にも思えたのである。「ああ、こういう日本語での表現の仕方もあるのか、出来るのか」、それは新鮮な感覚だった。その「新鮮な感覚」を得られたから、逆に僕はベルンハルトだけでなく、翻訳者である岩下眞好さんのことも意識することになった。僕にとって、ベルンハルトと岩下さんは「破滅者」を通じて一つだった。そしてベルンハルトの『破滅者』は忘れ得ぬ小説のひとつになった。
(その時の簡単な感想は、『Amehare's MEMO トーマス・ベルンハルト「破滅者」』 に書いています。)

僕にとって岩下眞好訳ベルンハルト『破滅者』との出会いは幸運だった。今から思えば、欧米の小説は「彼が言った」「彼女が言った」「私は言った」と文において主客を明確にするから、「と私は思った」の多さは原書の直訳に近いのかも知れない。でもだからといって本書の評価がいささかも変わるこはない。翻訳について回る多くの言葉、意訳・誤訳・直訳・妙訳・外国語化・翻訳文臭さ等々・・・、それらの言葉は読者が翻訳書に対する評価だが、多くは主観的である。翻訳は原書のジャンルによって、技術書・ビジネス文書などのいわゆる産業翻訳、医学書・学術系論文・法律系の文書の翻訳、そして文芸書翻訳と大雑把ながら分けられ、それ毎に求められている事が違う。そして今も昔も日本語化する分野で最も多いのは産業翻訳であると思える。産業翻訳は、例えば武器製造のしかたからその使い方、ビジネスにおけるリサーチ資料等々多岐にわたるが、それらの翻訳は伝える物が明確で、しかも正確さが求められる。明治維新以降、西洋のあらゆる技術資料が翻訳されたことだろう、つまり日本における翻訳理由の歴史は、中国・朝鮮から技術を仕入れた大和朝廷以降変わらないと言うことだ。

様々な翻訳一般に対する読者の評価を表す言葉の背景にはそういう産業翻訳の歴史が内包されている様に僕には思える。しかし文芸翻訳の場合、産業翻訳とは伝える物は違ってくる。僕が様々な翻訳に対する評価を表す言葉が概ね主観であると思うのは文芸翻訳のことである。ヴァルター・ベンヤミンは著書『翻訳者の課題』で文芸翻訳について以下のように語る。
翻訳は、原作を理解しない読者たちに向けられているのだろうか?そう考えるのなら、芸術の領域における翻訳と原作との地位の差は、一目瞭然に見えるだろう。加えて、「同じもの」を反復して語る理由も、ほかにあるとは思いにくい。しかし、文学作品はいったい何を<語る>のか?何を伝達するのか?それはそれを理解するひとには、きわめて僅かなことしか語らない。それの本質的なものは、伝達でもなく、発言でもない。にもかかわらず媒介者たろうとするような翻訳は、伝達をしか-つまり非本質的なものをしか-媒介できはしない。
(『翻訳者の課題』 ヴァルター・ベンヤミン 岩波文庫 野村修編訳)
ベンヤミンが『翻訳者の課題』において念頭にあったのは文芸翻訳のなかでも特に「詩」の翻訳であった。故にその語りには一種の偏りがあるように僕には思える。しかし日本語の語によって区切られた世界(日本というシステム)に生きる僕にとって、別の言語で創作された書籍は同様に別のシステムが潜在しているのは容易に想像できるし、その両システムの関係を考えた時、ある文芸書を日本語に訳することは、原理的に伝達さえ難しいこともあり得るかもしれないとも思う。

別に他言語間の翻訳不可能性を言っているわけではない。そもそも僕にとっては「翻訳不可能性」という言葉自体不可思議な言葉なのである。何をもって完全な「翻訳」と言えるのであろう。もしくは何をもって翻訳可能性の是非を定めるのであろう。一つの逆説的なことを言えば、完全な翻訳書とは「翻訳」されていない書物のことだろう。翻訳することとは、ベンヤミンの言うとおりに「形式」なのかもしれないが、新たな問題を、翻訳する側のシステム(ラング)に持ちこむことに近いと僕には思える。どの様な問題か、それは持ちこまれた側(例えば日本というシステム)の再構築を迫ることだと思う。再構築と言ってもそれほど大袈裟なことではない。それは例えばブログの記事の修正・追加の毎に行われる再構築、もしくはデータベースに新たな項目を付け加えることによる関係づけのための構築に近い。それでも語により区切られた世界は変わる。

ここで翻訳者ではない読み手である僕にとって幾つかの疑問点が浮上する。例えば僕はベルンハルト『破滅者』を読んだのだろうか、という疑問。その疑問は、日本におけるドイツ語理解者の数と、出版市場により担保され、購入時に何ら疑問を持たなかったのも事実である。僕はドイツ語圏のオーストリア作家であるベルンハルトの小説として「破壊者」を図書館で借り受けた。そして僕はベルンハルトの『破滅者』を日本語で書かれた小説として読んだ。日本語として個性的な文体は、ベルンハルトの文体だと僕は思った。読み終えるまで、
僕とベルンハルトの間に翻訳者である岩下眞好さんが存在していることは全く意識しなかった。それを意識したのは、小説の面白さと文体の新鮮さを感じながら訳者の後書きを読んだからだ。

読み手の立場から一つ言えば、確かに『破滅者』はベルンハルトの作品だからこそ読んだのだが、それはきっかけに過ぎない。作品はどの国の誰が書こうとそれほど重要なことではない。ただ日本語を母国語とする人の多くの作品は、日本語に囚われている。それは致し方ないことだと思うが、それらの作品はそれ故に新鮮な驚きが得られにくい。さらに気になるのは日本語の可能性を広げることなく固定化しようとする動きである。

そのことが政治的にどういう動きをもたらせるのかという問いへの悲観的な回答を打開するために、ますます諸外国の現代小説などの翻訳を、日本語として善し悪しを気にすることなく、行うべきだと思っているし、それらの作品を読みたいと願っている。

2007/12/21

今日

昼に喫茶店のテラスでコーヒーを飲んでいた。オフィス街の通りに面している店だったので、昼休みの会社員たちが目の前を行き交う。少し肌寒いが快晴、上を見上げるとビルによって区切られた空は雲ひとつない。
(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日
(西脇順三郎 「天気」)
西脇順三郎の「天気」という詩を始めて読んだ時、そこに地中海の強い日差しの中で、光と影の明確なコントラストによる白いギリシャ的世界のイメージが浮かび、そして固定された。おそらく言葉では言い尽くせないほどの天気だったに違いない。その天気は詩人の感性に直感を与えた。逆に言えば、その日、その朝、詩人の感性はその天気を受け入れる準備ができていた。溌剌として意気揚々、何かその日に素晴らしい出来事があるような予兆を感じる、そんな朝。

戸口で誰かが何をささやこうが、どの神の生誕の日なのか、それらに意味はない。ただ詩人はそのように感じた、そのことが重要なのだ。

僕はと言えば、寝不足でまぶたが腫れ、眼は充血し、手足はだるい。早く今日が終わればと明日からの休みを願っている。一体、詩人が迎えたような朝を僕も迎えることができるのだろうかと、涙目でぼやけた視界を再び空に向ける。そこにはひとつの青だけではない無数の青の世界。ひとつため息をついて冷めかけたコーヒーを勢いよく飲み干す。

昼休みの時間がわずかになったのだろうか、人々が無言で足早に通り過ぎる。僕は座りながら彼らを眺めている。

突然に雨が降ればよいと願った。雨は歩道を濡らし、僕が座っているテラスの椅子とテーブルを濡らす。できれば天気雨がいい。この無数の青の空から降る雨。それはきっと青色の雨だろう。西脇順三郎に直感を与えた天気は晴天とは限らないのだ。そう思うと何故か少しだけ元気が出てきた。

帰りに図書館に寄った。新倉俊一氏の労作「西脇順三郎全詩引喩集成」(筑摩書房)が近所の図書館に置いてあるとネット検索でわかったのだ。「天気」の一行目(覆された宝石)は英国詩人キーツの作品からの引用だと知ってから、そのキーツの詩を読んでみたいと思っていた。きっとその辺の情報が載っているに違いない。

でもあると思われた書籍はその図書館で無くなっていた。昔の情報が更新されず残り続けているのだと図書館士が申し訳なさそうに告げる。その恐縮具合に逆に申し訳なく思う。

変わりに新刊の「西脇順三郎コレクション」(全六巻)のうち二巻を借りてきた。今年は西脇順三郎が亡くなってから25年たったのだそうだ。編者は新倉俊一氏。今日、師走の晴天の下で西脇順三郎の詩「天気」を思い出したのは、もしかすれば何かの兆しなのかもしれない、などと少し思う。そしてそう思った自分を少し笑う。

明日はきっとよい日だろう。朝早く眼を覚ますのだ。

2007/12/15

Goldfish Picture after Jakuchu

今年の夏の話だから、いまさらと言う感じではあるが、僕は東京青山のスパイラルガーデンで開催していた京都造形芸術大学30周年記念の美術展に行った。「混沌から躍り出る星たち」とのタイトルが付いたその展覧会は、京都造形芸術大学の学生たち、そして大学に関係しているアーティストたちの作品が出品されていた。僕がその展覧会に興味を持ったのは、池田孔介氏の作品が、おそらく東京で初めて出展されていたからだった。
(本展覧会に出品した作品「Goldfish Picture after Jakuchu」は池田さんのサイト で見ることができる)

僕は、池田さんが米国に滞在研究しているときに、ネット上に公開していたエッセイ「文化的誤植を注視せよ 」の愛読者だった。「誤植」という概念を、未だそれは僕の中で掴みきれていないが、とても興味を持って読んだ。

池田さんの個人ブログ「Fairytale/Diary 童話日記」 にて、今回と同様のモチーフである作品「Goldfish Picture」の評として、彼は日本美術史を専攻する高松氏の言葉を引用している。
金魚という鑑賞されるためだけの存在をモチーフに選び、これが図と地の境界も曖昧に水面化にひしめく様を正面から捉えることで、池田は視覚表象根幹にあるマトリクスを現前させようとする。自らが魅せられている、視ること/視られること、可視/不可視の淡いにあるマトリクスを。 (イメージの 蠢く深層、マトリクス 高松麻里(日本美術史/ニューヨーク大学)
(「2006-11-03 Kosuke Ikeda Solo Exhibition ”Goldfish Picture” 」から引用)
正直に言えば僕には高松氏の語りは難しい。無論それは僕が絵画を「見る力」がないからに他ならない。絵画において鑑賞者の「見る力」は間違いなく必要だと思う。しかし、「見る力」を持っている鑑賞者のみを対象としているとするのであれば、青山スパイラルガーデンでの展示会は何を意味するのであろうか。アーティストの作品と対峙するとき、「見る」という欲望は知性と共にあり続けなければならない。そしてそのとき鑑賞者の中で欲望と知性が独立して並び立ち分裂することもありえない。それらは分かちがたく、見るという行為により、鑑賞者の世界を構造化することになる。しかし作品は鑑賞者の中に埋没することなく、前記に矛盾するようではあるが、独立したひとつの作品であり続けなければならない、と僕には思える。つまりそれは何も鑑賞者の「見る力」だけに寄るところではない。作品自体にも「見せる力」がなければならないのだ。

池田さんの作品は見せる力を強く持っている。僕はスパイラルガーデンで池田さんの作品「Goldfish Picture after Jakuchu」を時間を忘れ眺め続けた。展示会には他の多くの優れた作品があるにもかかわらず、僕は彼の作品に没頭した。おそらく、高松氏が評した作品と、スパイラルガーデンで展示した作品は違う。それは作品タイトルに付加した「after Jakuchu」に如実に現れている。池田さんは本作品製作前に若冲の作品を鑑賞し、そこで得た刺激を本作品に盛り込んでいるのだろう。そのことは、彼が米国中に連載し考察した「誤植」の概念と密接に関係するようにも僕には思えた。
未だ何の評価も得ていない、ともすれば忘れ去られてしまいかねない重要な作品たちの存在。これはいわば書物における誤植のようなものだ。すでに印刷されて取り消し不可能な点。それはひとたび発見されれば本の最初のページにその正誤表が差し挟まれ、言いようもない存在感を放つことになる。しかしだれにも気づかれないならば誤植はそれとしての存在意義を失ったままだ。 (「文化的誤植を注視せよ」「誤植とは」から引用)
池田さんの作品「Goldfish Picture after Jakuchu」について少し語りたいと思う。その後に「誤植」と本作品の関係について僕の思うところを語ろうと思う。

高松氏が「Goldfish Picture」について語ったように、「Goldfish Picture after Jakuchu」においても「金魚という鑑賞されるためだけの存在をモチーフに選び、これが図と地の境界も曖昧に水面化にひしめく様を正面から捉え」ている。ポリウレタン・透明シリコン・アクリルを素材として、1枚100×50×5(単位はcm)に描かれた金魚は2枚1組として3組並べられている。2枚1組と見えたのは、そこに金魚の色と動きの関連性がみられるからだ。透明シリコンによって造形された金魚は、数種類の姿に作られ、姿とは関連なく様々な配色をされている。金魚は本能のままに動き回る瞬間を切り取られたかのように、鏡面の板に貼り付いている。少し離れてこの作品を見れば、金魚は絵筆の軌跡のようにも見える。

鏡面は作品を飾る場所により金魚の背景を変え、結果的に作品の印象を変える。それ以上に鏡面は鑑賞者の姿を金魚の背後に映す。それゆえ、この作品は単に「水面化にひしめく様を正面から捉える」だけでないことがわかる。鑑賞者は、金魚の造形を使っているゆえに、当然に金魚が動き回る「場」を水中と思い込む。しかしそれであれば、鏡面に貼り付いた金後の映りこみにより、金魚は映す面(水面)に逆さまに泳いでいることになる。逆に金魚が正位置であれば、金魚と鑑賞者の位置関係は逆転していることになる。鑑賞者は水底に位置し、そこから本作品を鑑賞している鑑賞者本人を見つめるということになる。それも見方としては面白いと思うが、おそらくはこの金魚がいるのは水の中ではない。ただ100×50×5の閉じられた空間を動き回っているのだ。

作品はアクリルの板で仕切られている。無論板は透明で境界は曖昧である。ただしそこに境界があることを金魚は知っているかのように、作品の隅に群れをなして集まる。曖昧だが閉じられた空間、本能のまま動き回る金魚、それらは金魚の本能だけを抜き取りその瞬間を切り取ったかのようでもある。そしてその模様の背後に、鏡面に映り込まれる鑑賞者の姿。それはあたかも鑑賞者(この場合、僕のことである)の、空っぽの身体の中を出口を求め動きめく「欲望」のようでもある。

「after Jakuchu」の付加の意味を僕は知らない。今年開催した若冲展にも行かなかった僕は何も若冲について知らない。さらに本作品と「after Jakuchu」付加前の作品の差異も知らない。「after Jakuchu」が示す何かを表象しているであろうことはタイトルから想像できるのみである。それは作品の大きさ・物質的素材・配色等の構成を変えることなく、逆にそれだからこそ、現代芸術から若冲への応答のように響く。

池田さんが「文化的誤植を注視せよ」で使う「誤植」とは、見つけられて初めてその存在意義を持つ取り消し不可能な点を指し、それは1作品に対してのみ語られているわけではない。「誤植」とは誤って植字されたことを指すが、「誤り」とはその社会的文脈によって定まることも多い。つまり取り消し不可能な点には、あらかじめ埋め込まれ探し出されるのを待っている潜在的なものと、社会的文脈の違いにより新たに誤りとして見つけられるもの、の2通りあるように思える。あえて言葉を造るとすれば、「潜在性としての誤植」と「可能性としての誤植」とでも言おうか。その点で言えば、「可能性としての誤植」には評価が定まった作品たちにもあてはまる。「再発見」と称され紹介される作品群はそれにあたるかもしれない。

ここで僕が言いたいことは、「Goldfish Picture after Jakuchu」はある意味、池田さんにとっての若冲の「誤植」の発見ではないかということだ。作品の「誤植」とは、その作品の中に「誤り」もしくは「欠如」を示すものではなく、「誤植」に伴う「正誤表」を作品に挟み込むことが重要なのだと僕には思える。その「正誤表」としての作品。それが本作品の底にあるように思えるのである。

アーティストでもない僕が作品に口を挟むことではないのは理解している。でも池田さんの作品を見たときに感じたことを書き残したかった。万が一、池田さんが本記事を知り、その誤読のひどさに不快感をもたれないことを祈る。

2007/12/11

映画「記憶の棘」の不思議さ

ニコール・キッドマン主演の映画「記憶の棘 」(2004年公開)を観た。観終わったときに不思議な雰囲気を持った映画だなとまず思った。でもその「不思議さが」どの様なものか、映画のどの部分に感じたのかがよくわからなかった。レンタルDVDだったので気になる箇所を何度か繰り返し観たが皆目見当が付かない。何かブログにでも書いてみれば少しはわかるかもしれない、などと思い軽い気持ちでメモをすることにした。(映画のあらすじはYahoo映画 に詳しく載っている)

主演のニコール・キッドマンは確かに上手い役者だと思うし、この映画でも役所を的確に押さえてもいる。しかし最初に画面に登場した際、僕には彼女がキッドマンだと認識することが出来なかった。短髪で、服装は品があると言えばそれまでだが、今までになく地味で、全体から見ると彼女の存在感は薄い。逆にキッドマン扮するアナの回りを固める出演陣が個性的で、だからこそ演出の意図を感じるのではあるが、存在感の薄さはさらに対照的で際立ってくる。(ちなみにアナの母親役はあのローレン・バコールだ。)

冒頭の雪の中ジョギングする男性の背中を追いかけるカメラワーク。このまま男性が走る姿の映像を流し続けるのではないかという予想を持つほど、それはそれで飽きずに見てしまう僕がいるのだが、このシーンは長く続く。一つ目のトンネルを越え、またしばらく走り、二つ目のトンネルの入り口付近で胸を押さえ倒れ込む男性。その瞬間に、産湯の中から顔を出す赤ん坊。これらの流れは初め何を意味しているのかがまったくわからなかった。

物語はそれら冒頭のシーンの10年後から始まる。そして徐々に冒頭シーンの意味が伝わってくる。アナの婚約パーティに突然に現れる10歳の男の子、彼は自分はアナの亡くなった夫ショーンだと言う。そしてアナとショーンの二人しか知り得ないことを彼は語り出す。その記憶の確かさに徐々に翻弄されゆくアナと男の子(彼の名前もショーンという)の両親たち。

映画の設定上では、男の子とアナの亡き夫との間には二つの共通項がある。一つ目は同じ名前(固有名詞)を持つということ、二つ目はアナの夫であるショーンが亡くなった日と男の子が誕生した日が同じであるということ。それらは冒頭のシーンの繋がり、トンネルの中で亡くなると同時に産道から誕生する、という連続した流れと共に、映画鑑賞者に「輪廻転生」を意識させる。ただこの映画は神秘的な側面を強調しているわけでもなく、男の子がアナの亡夫の個人的な記憶を何故知り得ているのか、映画後半で理由も提示している。

ただ僕にとっては男の子ショーンがアナの個人的なことを知りえた理由は何でも構わない。それが如何に観客が納得できそうな理由であるにせよ、この映画の出発点はその謎解きにあるのではないからだ。例えば、多くのラブロマンス物は、それが悲劇的な結末で終わる場合、愛する一方が亡くなり一旦は絶望の中に陥るが、やがては亡き相手の愛を感じることにより再び生きる力を抱く、という構造を持っているように思う。特にそれはハリウッド映画の、強いて言うとすればキリスト教国が製作する映画に多いように思える。おそらくはキリストの復活をモチーフにしているのかもしれない。では実際に愛する者が復活したらどうだろう、それもまったく違う姿で、長い時間の後で。愛の不滅性はこの場合でも表現できるのだろうか。この映画の出発点はこの問いだと僕は思う。

そうなると幾つかの問題が出てくる。まずは亡き夫がアナに向けられた愛は、亡き夫でしか適うことができないのかと言う問い。亡き夫の生まれ変わりであることをどの様にして証明するかということ。そもそもアナ自身が亡き夫に向けていた愛が変質していないことをどの様にして保障できるのだろう。また男の子が「アナ愛している」といったとき、男の子のアナに向けられた愛が以前の亡き夫の愛と同じことをどのようにして確認できるのだろう。僕は意図的に「保障」とか「確認」と言う言葉を使っている。特定の男女の愛が特殊であるならば、一般論としての愛の言説はそこには意味を成さない。しかし、愛の特殊性を論じるのであれば、時間を経て姿かたちを変えた相手に対しても以前と同じように向けることができるのだろうか。

映画では男の子が亡夫ショーンであることの証明として「記憶」に重きを置いている。仮に男の子が亡き夫であるならば、そして男の子が亡き夫であることを意識し、アナを愛しているとするのであれば、そのほかの記憶も持っているだろうということだろう。それでは同じ人である証明とは、記憶という過去の特定の出来事を共有することなのだろうか。ショーンがショーンであるのは、さまざまな個人的記憶が質問者と同期が取れている確認によってなされるのであろうか。ショーンとは共有する記憶の集積の中から立ち上がっていたともいえる。しかし人間のアイデンティティが過去の出来事とその記憶の総和であるとは僕には思えない。さらに記憶の集積から立ち上がる個人の現在性はどこにいってしまうのだろうか。

それぞれの問いの中で主人公であるアナは混乱する。混乱の中で彼女も彼女自身が持っている記憶、それは彼女自身が保ち続けた彼女自身の記憶の中から男の子を亡き夫の生まれ変りであると認めていくのである。このアナの心情の変化の過程は、当初存在感が薄かったアナが徐々に周囲の反対の中で逆に存在感を強めていく。そして男の子と共に暮らすことを決意したときに破綻が訪れる。結果的にアナの亡き夫はアナとの結婚生活期間中別の愛人がいたのである。アナへの愛が純粋であることを男の子のショーンはその根本存在(自分が元アナの夫であること)においていた。その結果、アナを裏切り続けていた亡き夫はショーンではないことになる。でもアナへの愛情は純粋でなければならない。アナに向けられた不滅の愛の存在が、男の子に矛盾を持たせ、男の子はアナの元を去る。そしてアナは混乱の中にとどまることになる。

結果的にこの映画の不思議さは、愛の不滅性が現実の中で、きわめて個人的な記憶の中で立ち上がるしかなく、しかもそれゆえに愛の不滅の不可能性を前面に出すことになる、その点にある。愛が人間の外部にあるとすれば、時間を経て姿かたちが変ろうとも、その愛を確認することができる。愛に証明とか確認は必要なく、ただ感じるのみとするのもよい、でもその感じる根拠が記憶の中に見出だすしかないのであれば、果たしてそれは愛していると言えるのであろうか。愛は人間の時間の中に存在するしか我々は感じることができないのではないだろうか。さらに記憶とは歴史家が検証し羅列する項目の列挙でもない。個人間の感情の同調がそこには必要だと思う。しかし双方がそれを認め合うには時間が重要な要素となる。
どうも映画の感想としては陳腐なものにしかなっていない。それはやはりこの映画の不思議さを僕なりにでも整理できていない証左だと思う。愛の問題は僕には荷が重たすぎる。もう少し整理してから再度この映画について書くかもしれない。

2007/12/10

「GUNSLINGER GIRL」という誘惑

「GUNSLINGER GIRL」(作者:相田 裕 メディアワークス月刊誌「電撃大王」連載中 単行本は現在9巻目まで発売)を単行本で読んだ。一気に読んだが、一気に読ませるものが何であるのかが気になった。これといった納得するだけの回答を持っているわけではないが、現時点での感想をメモとして残す。
舞台は現代(もしくは近未来)のヨーロッパ。イタリアの公益法人「社会福祉公社」は、政府の汚い仕事を代わりに行っている。その中でも作戦2課では現在表向きは障害を抱えた子供達を引き取って福祉事業に従事させることで社会参加の機会を与える、という身障者支援事業を推進する組織ということになっているが、実際は集めた子供達を「義体」と呼ばれる強力な身体能力を持つ肉体に改造し、薬物による洗脳を施した上で、政府の非合法活動に従事させている。
(Wikipedia 「GUNSLINGER GIRL 」から引用)
「GUNSLINGER GIRL」は闘う美少女という萌系にも関わらず、そこにとどまってもいない。それゆえに印象的な漫画になりえているとおもうのであるが、だからといって萌から逸脱した要素が何であるかは別に気にする必要もない。萌要素といっても、それらは日々萌市場の中で書き換えられ、もしくは拡張されているから、現時点での逸脱要素は明日には適正となりえるからだ。「GUNSLINGER GIRL」の逸脱要素が何であれ、この漫画が市場に受け入れられ、他の漫画もしくは別メディアに二次創作として展開されている現状を思えば、おそらくそれらは許容範囲内にあるのは間違いない。

「GUNSLINGER GIRL」は映画「ロボコップ」の少女版でもある。しかし「ロボコップ」と同様の問題を提示しているわけではない。ロボコップは人間性とは何かという問いかけがあり、その問いかけに「記憶」が、特に社会とのとしての家族の「記憶」が、重要な要素として映画では前面に出ていた。無論「GUNSLINGER GIRL」にも同様の設定は含まれているが、それは無視できるほど極めて薄い。設定では「条件付け」という薬と催眠術による強い洗脳が彼女たちにさまざまな疑問を持たせないように見受けられるが、いわば彼女たちは、漫画の中である担当官が語ったように「亡霊」に近い。

彼女たちにとって重要なことは、彼女たちひとりひとりに付く専属担当官の対応とその評価である。彼女たちは自分が「義体」であり、特殊な身体を持っていることを承知している。そしてその身体が専属担当官の要望を満足する為にあること、その要望を満足するには強力な戦闘能力にあることを意識し、戦闘能力が損なわれることを恐れる。しかし戦闘の度に彼女たちは傷つき、体を補修する毎に彼女たちの寿命は短くなる。いわば価値の保持は存在自体の危うさの増加に繋がる。

まず彼女たちは男性である担当官に選ばれるところから始まる。そこで彼女たちは担当官の意見を元に改造される。彼女たちは薬物を利用しての強い洗脳を受け、専属担当官にまるでメイドの様につくす。いうなれば「GUNSLINGER GIRL」の世界観の中心にあるのは「市場主義的な資本主義」そのものである。「義体」とは何か。それは価値が失われるまで消費され続ける一個の商品そのものといえる。開発当初の「義体」の寿命が5年くらいの設定は、ひとつの商品の寿命として考えられないこともない。そして消費しつくされるまで。彼女たちの身体が手足眼を含め多くの部分が交換可能なように、一個の機械として維持し管理されるのである。

では何の商品なのだろう。それは彼女の役割が象徴的に示している。それは国家内に向けられた「安全保障(セキュリティ)」と「社会保障(生命)」である。彼女は国家内のセキュリティシステムの一環として存在している。サイボーグ技術と洗脳と言う、おそらくは今後一般的に使われるであろう医療技術を設定の根本におきながら、「GUNSLINGER GIRL」は現在の社会システムにきわめて親和性が高いように思える。セキュリティの為に幾重にも張り巡らされる自由への干渉、それを「GUNSLINGER GIRL」における彼女たちが先端的に表彰しているように思えるからだ。

彼女たちの強い関心は自分たちの担当官に大して向けられる。親子ほどの年齢差がある担当官は何故か全員男性でもある。父親に対する愛憎が彼女たちの欲望のすべてでもある。それはエディプスコンプレックスの裏返しともいえないことはない。ただし担当官は、彼女たちの自分たちへの思いを知ってはいるが、それが「条件付け」の結果であることも認識している。唯一、「義体」セカンドタイプの少女が、自らの感情が「条件付け」から来ていないことを意識し、担当官に愛を告げる。その顛末は現段階では明らかにされてはいないが、上記の流れから考えれば、その愛は悲劇的な結末を迎えるに違いない。

僕はここまで表層的な物語のあらすじを書いている。実を言えばそれ以上の感想は持ってはいない。漫画は漫画であり、それ以上もそれ以下ではない。たたこの漫画の面白さがどこにあるのか、なぜこの漫画に共感を感じるのか、それが僕が男性として持っている欲望からきているのか、この少女たちの姿に現代における自分を重ねてみているのか、どちらかわからない。ただしばらくは注視したい漫画であることには変りはない。

2007/12/08

ダイアン・アーバス さまざまな神話

裕福な家にひとりの女の子が産まれた。両親は厳格だったが忙しく、彼女の養育に関わる時間が持てなかった。だから彼女は使用人によって育てられた。ある時期まで彼女にとって世界は完全であった。欲しいと思うものは特になかったし、何かが足りないと感じることもなかった。

彼女は大人になり写真家になった。そして同じく写真家の男性と結婚し、二人の子どもを授かった。そこでも彼女の世界は完全であり続けた。完全な世界、それは逆に言えば壁に閉じられた世界でもあった。壁の中で、何かに守られながら彼女はその世界を全てであると感じていたし、何から守られているのか、という問いが脳裏に浮かぶこともなかった。異質なものへの興味は元々持っていた。しかし異質なものは壁の外にあり、それらが存在することは感じていたが、見ることも聞くこともなかった。

夫妻の仕事はファッション業界の写真撮影だった。ファッション写真、それは演出と構図を重要視する。それはイメージの強調であり、人が共有する美に基づいての作画でもある。ここで学んだことは、彼女の写真の礎となったのは間違いない。ある意味、造られた美は、裏面に元々備わっている美が刻印されている。造られた美を追求することは、そうではない美を追求することに繋がると思えるのだ。何故なら、造られた美には写真に本来写し出される決定的な何かの厚みが薄くファッション写真を撮るごとに、写真家はその足りなさを意識することになるように思えるのである。

彼女がその世界から離れ、異質なものに向かうきっかけとはいったい何だったのだろう。様々な要因のなかで、ひとつあげるとすれば、それは写真家として彼女の独立があげられる。彼女の写真の先生は言った。「今までカメラを向けたことがないものを撮りなさい」
カメラを向けたことがないもの、しかしそれは有意識に在ったものでもある。意識にないものはカメラを向けることさえ適わない。壁の外には何が在るのか、尽きせぬ興味、行ったこともなく見たことがないものは彼女には沢山あったのだ。そしてそこにこそ決定的に足りない何かがある可能性があった。

だからといって、彼女が写真家として独立しても、幼い頃に構築した世界(フレーム)から抜け出たというわけではない。彼女を守る壁、それは多少小さくなり「盾」と呼ばれるようになったが、いまでは首にぶらさげたカメラであった。彼女は街で見かける興味深い人たちを多く撮った。小人と巨人、双子と三つ子、サーカス小屋の芸人、諍う夫婦、泣き続ける赤ん坊、女装癖のある男性、多くのヌーディストたち、おもちゃの手榴弾を手にし興奮気味の子ども・・・・・・

彼女が撮った者たち、確かに彼らは今までに彼女がカメラを向けたことがない者たちであった。でも決して撮られない人たちもそこにはいた。例えば経済的に貧しい者たちとその生活、人種的マイノリティの人たち。その視点で見ると、彼女の多くは白人たちであったのは事実だ。ただ多くの写真で共通することは、彼女がカメラを向けた人たちの多くは産まれたときから苦悩を、それが彼女の世界からの視線であったのは事実だと思うが、背負わされていたということ。

彼女は言った。「彼らは産まれながらの貴族なのです」と。彼女は興味を持つ人たちを写真に撮るときは時間をかけた。彼らの世界に入りこみ、彼らの秘密を聞いた。親密な関係を結び、その上で彼女が望む写真を撮った。彼女の手法は正方形とストロボだった。それにより被写体の陰影をより強調させるのである。それらは恐らくスタジオ撮影からの技法を取り込んだのだろう。ファッション誌におけるモデル撮影と本質的には変化がないと言えば言い過ぎかも知れない。ただ、彼女の「貴族」という言葉から、彼らといかに親密な関係を築いたとしても、所詮は彼女にとって彼らは外部の人であるという事実を拭うことはできない。

彼女は彼女のフレームで重ねた世界をコレクションし続けた。彼女の一連の撮影までの行為は写真家と言うよりも、コレクターと言ったほうが近い。彼女が写し、公開と言う場のために選択した写真群はいわば彼女の世界の確認であるように僕には思える。いわば、自然に備わった美を写すことは一つの矛盾でもある。だからこそ被写体に対し「貴族」と言うフレームワークを与えるしかない。そしてその中で写す行為を自分に対し納得させるのである。それでは彼女は何をコレクションしていたのだろう。それは写真に写る何かである。そしてその何かは彼女にとっては、彼らが生まれながらの境遇を代償にして手に入れていたようにみれたのだ。彼女はそれを発見したのである。「貴族」とはフレームではあるが、別の言い方もできる、それは単なる写真に命を吹き込むもの、「写真性」である。

たとえばこんな逸話が残されている。あるとき彼女は巨人症の男性を彼の家で彼の両親と一緒に写真をとった。彼とその両親の三人が写った写真を彼女は友人に見せ次の様に語る。
あるとき、ダイアンは興奮した声で『ニューヨーカー』のジョン・ミッチェルに電話をかけた。「どの母親も、妊娠しているとき悪夢に悩まされることをご存じ? 生まれてくる赤ちゃんが怪物だったらどうしようという? わたし、エディを見上げているお母さんの顔を見てはっと思ったの。彼女はこう思っていたのよ。『ああ神様、あんまりです!』って」
(「炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス」 パトリシア・ボズワーズ 名谷一郎訳 文藝春秋)
彼女が写したかったものは巨人の男性とその比較としての彼の両親の組み合わせではない。彼女が写したかったものは、写真に残され、彼女が後付で気がついたものだ。それは巨人の男性の母親の表情だった。さらに厳密に言えば、母親の表情も明確には彼女の言うようなももではない。でも明らかにそこには母親の残酷なまでの思いが不可視なフィルターとなってその写真にかぶさり、鑑賞する者の気持ちを揺さぶるのだと思う。そういう写真はダイアンが彼らの日常に入り込むことによってでしか得ることができないものであった。そしてその不可視のフィルターの有無が写真にとって不可欠だったのである。

彼女の写真で僕が一番に印象深いのは総合失調症の人びとを撮った一連の写真である。強烈な印象は、彼女の思惑を越えて存在していた。彼らを撮ることで彼女は自分の撮影を見失う。彼女は常々「撮影とは誘惑です」と話していた。その「誘惑」が彼らには通じなかったのだ。彼女にとって彼らは真の意味で異質な者たちだった。秘密の共有も、そこから来る親密な関係も、彼女が望むポーズも、けっして彼らは彼女に与えなかった。ここではカメラは「盾」には成り得なかった。彼女が自殺をした時、これらの写真は焼き付けられることなく、従ってタイトルをつけられないまま残った。

ファインダーから被写体を眺めるとき、カメラアイが身体の一部に拡張されることはない、それは逆に身体がカメラと言う機械の一部に取り込まれる感覚に近い。そのとき自分はもはや人間ではない。写真を撮る一個の機械となり、身体はファインダーとカメラアイとの間に置かれるのである。そしてその場所は彼女にとって安全な場所だった。しかし、その安全な場にいてはカメラを制御することはできない、と彼女は感じ始めていたのかもしれない。一般論でいえば、「写真性」の制御は撮影者にも被写体にも可能ではない。「写真」は撮影者にも被写体にも属してはいないのである。彼女は頻繁にカメラを使いこなせない難しいと友人に語り始めていた、まさにそのとき彼女は制御不能な「写真」を制御しようという、解決不能な問題を抱えたように僕には思えてくる。

それ以外にも、彼女は生前多くを語った。しかし、それらを時系列的に並べみても彼女の精神活動を顕わにすることはできないと思う。ひとつの言葉は、新たな言葉によって打ち消される。残された一群の写真は彼女がかつてそこにいたことを証明づけるが、果たして彼女を現しているのだろうか。写真群は印象が強ければ強いほど、彼女を実体とは違うあらぬ方向に流そうとしているかのようである。そしてそこから神話が産まれる。神話は自己生産的にあらゆるヴァージョンが誕生する。多くの者は神話を利用し自分の欲望を満足させる。どれもが正しく、そしてどれもが正しくはない。

スーザン・ソンタグは著書「写真論」の中の「写真で見る暗いアメリカ」のなかで彼女の事を多く割いて書いている。しかしソンタグの描き方はホイットマンの流れをくむアメリカ文化史の中に彼女を組み込んでいる。ソンタグにとって彼女の文脈はアメリカの中に位置している。藤田省三は一般論の積み重ねで彼女を描く。藤田の描く彼女は人間の各層の境界線を打ち砕くものとして描かれる。日本で刊行した彼女の作品集には拙くも無個性でそれゆえ愛の福音書のような語り口の彼女が登場する。パトリシア・ボズワースの彼女の伝記はまるで聖書(ボズワース伝)のようでもある。
彼女の自殺の事実が、彼女の作品は誠実なものであって覗き趣味ではなく、 またいたわりのものであって冷たいものではないことを証明するかのように見える
(スーザン・ソンタグ 「写真論」 P46 近藤耕人訳)
写真が覗き趣味であるか、そのような疑問をいまさら呈する者などどこにもいない。覗き趣味といえばその通りだが、これ程までのデジタルカメラ普及を考えれば、時代はその言葉を陳腐化させている。街角では監視カメラが僕らの日常を撮し続け、携帯に装備された小型カメラで人々はところ構わずシャッターをきる。それは写真を撮るという行為では既になくなっている。自動機械としての撮影機、街角の監視カメラとなんら変わりない行為に写真を撮る行為は変化している様に思える。それはダイアンなどの写真家といわゆるアマチュアの間に引かれた一線ではない。むしろそれらの一線があいまいになっていく過程が写真を撮るという行為の変化過程でもあるように僕には思えるのだ。

たとえば、月探査衛星「かぐや」が写した月から観た地球の出と入りは美しく感動を覚えた。「かぐや」の写した映像は、「かぐや」に装備された機械と制御するプログラムによって写されたものである。それと人間が写した写真との違いは何もない。写真が写真足らしめるには、誰が写すというのは関係ないのである。むしろ写真を撮る行為はある意味人間でいることをやめさせる。写真は人間の経験の拡張でもある。既に僕らは、馬の走る姿もミルクの一滴に生じる王冠も経験している。ダイアン・アーバスの写真は相対性を「違和感」を露にすることで我々に新たな視点を(多くの人にとっては不快感と共に)もたらした。でも時代はその概念を既に受け入れ、流れの中で「貴族」たちは消えていった。

彼女の写真は、彼女個人の問題から発しているのだろうか。多くの識者たちはそのように彼女のことを語る。彼女の写真とは彼女自身でもあるかのように。でも それは少し間違っている。彼女が撮った写真に彼女はいない。彼女とは「彼女の見て構造化した世界」であるが、それらは決して写真に内在してはいない。被写体を選んだのは間違いなく彼女ではある。でもそれと写真が写真として成り立たせることは関係性がないと思うのである。彼女が撮った写真は、彼女に関係ない場所で写真として存在している。

ダイアン・アーバスの伝記を元に作られた映画が今年公開した。惜しくも僕は見る機会を逸してしまった。逸したのは僕の臆病さから来る躊躇なのは知っている。商業的に造りだされるアーバスに画面を通してとはいえ対峙することが僕は怖かった。ただ映画も新たな彼女の神話になることに変わりはない。映画は個人と写真との乖離をなおさら難しくすることだろう。でもそれは写真本来の問題というより、著作権の問題からと言うほうが正しいように思えるのである。

2007/12/07

テレビドラマ「点と線」(ビートたけし出演)をみてだらだらと思うこと

1958年(昭和33年)公開の映画「張込み」について、 監督である野村芳太郎は次のように語る。
「この映画はリアリティが大事です。観客が少しでも嘘っぽく感じられないようにリアリティを求めました」

映画冒頭で、刑事たちが張込み現場に着くまで、列車内の場面が延々と続くのはそうした監督の配慮からきているのだと思う。映画におけるリアリティの追求とはひとつのパラドックスに近いかもしれない。 人工的な所作により作られる「現実」は、当然にそこに製作者の考えが盛り込まれている。つまりは、その時点で「現実」 は外部ではなく内部性からという矛盾を抱えてしまう。

ただし映画「張込み」の場合、原作とほぼ同時代の映画なので、 監督自身は物語の時代設定を意識することはない。野村芳太郎監督が意識するリアリティは、 刑事と言う仕事と生活がべったりと貼り付いた人間の生態にこそあったと思う。

これが2007年公開映画「続 三丁目の夕日」となると、 リアリティはCGで描かれた風景のみとなる。「続 三丁目の夕日」はまるでテーマパークの様に安全で清潔で明るい。 そこには昭和30年代の公害と大気汚染に見舞われた東京の姿はどこにもない。首都高で覆われていない日本橋、完成直後の羽田空港、 そのほか日常を取り巻く数多くの小物が登場し、そこに役者を立たせたとしても昭和30年代初めにはたどり着くことはできない。おそらく、もう我々には昭和30年代さえ描くことは難しい状況になっているのかもしれない。ふと、そんなことを思う。

2007年11月24日・25日の二夜連続で放送したビートたけし主演の「点と線」 を観た。このテレビ版「点と線」では、原作もしくは過去に映画化(昭和33年)されたものと比べ、(1) 現在から過去の出来事を振り返ること、(2)ビートたけし扮する老刑事鳥飼重太郎が事件に対し極めて強い執念を持つこと、(3) 鳥飼と刑事三原紀一が本事件から二度と会わないこと、の3点が際立って違うように思える。無論、ドラマの中で戦争の経験を引きずることが、 鳥飼の事件に対する執着、および犯人である安田辰郎が犯罪行為に至らせたという伏線も違うといえばそうなのではあるが、 ただ戦争の逸話は本ドラマでは、俳優たちの熱意ある演技と裏腹でそれほど重要ではないように思えるのである。

僕にとって本ドラマで重要なせりふ、と言うより印象に残っているせりふは、 鳥飼重太郎の最後に述べる一言、「何故か無性に腹が立つ」である。それらは、鳥飼の人生のなかで常に持ち続けてきた心情であり、 それが本事件でも現れたように思えるのである。仮に、犯人夫婦が自害せずに検挙されていたとしても、鳥飼のこの「何故か無性に腹が立つ」 感情は拭うことができないように僕には思える。

鳥飼はなぜ無性に腹が立つのか、何に対して腹が立つのか、 それらはドラマでは明らかにされることはない。彼の心情の起源が戦争にある様にドラマでは描かれているが、 僕にはそのように見ることはできなかった。腹が立つ対象が社会システム、 もしくは自己願望達成への無力感にあるという安直な考えに僕は即同意はできない。鳥飼重太郎の 「腹が立つ」 感情はそういう部類から起こっているように思えないのである。

たとえば、このドラマが放映されていた最中、新聞では守屋前事務次官による防衛省収賄容疑報道が一面の見出しを踊っている。それらはドラマと同じ状況を彷彿させるが、僕自身が受けるものは無関心と脱力感でしかない。鳥飼の「腹が立つ」感情は終わった結果に対して向けられてはいない。

鳥飼の人生の流れの中で現れ培われていったその感情は、やはり流れの中にこそあるのである。つまりは社会システムの一断面、自己願望未達という、流れを切り取ったところに見出されるようなものではないように僕には思える。さらにいえば、流れを切り取ったとき、それは既に同じものではなくなってしまっている。問題は常に未解決のまま残され、「腹が立つ」気持ちから受け入れられる。「腹が立つ」と言い、その出口を三原に向けた鳥飼は、その誤りを知り帰京する三原を探し夜の街を走り回る。でも結局三原とは会えず、それが最後の出会いとなるのである。

話は変わるが、上記にあげたドラマ設定上の三つの変更点は、 ひとつのシーンに収斂する。それは鳥飼重太郎の死に様である。

確かにアリバイ設定上、昭和30年代の時代背景は無視できない。 現代においては同様のアリバイ工作はできようもないからだ。でもだとしても、それが現代から振り返る筋書きとする理由にはならない。 僕にとって、このドラマは鳥飼の死を描きたかったのでないかと思えて致し方ないのである。「何故か無性に腹が立つ」鳥飼の死を、珍しく雪が降った寒い朝に庭で一人うつぶせになり死んでいった姿として描くこと、それがこのドラマで一番描きたかったことではないだろうか。それは「何故か無性に腹が立つ」人の死に様としてふさわしい。

このドラマでは5人の死が描かれている。情死偽装された男女の死、 ある意味情死ともいえる犯人夫妻の死、そして鳥飼の死である。それぞれの死は、「点と線」に絡まる事件の中で一つの過程として現れる。 情死偽装された男女の死は鳥飼にとっては発端ではなく、流れる問題の新たな発見である。犯人夫妻の死は問題の解決ではなく、 新たな問題を鳥飼に怒りを持って強引に認識させる結果となる。

そしてその問題は解決されることはない。鳥飼の死に様が、 一種殺人現場に近いように描かれているのは必然なのかもしれない。逆説的に言えば、解決不能な問題を認識しないものこそが、 新しい出来事を受け入れることも見つけることもなく、それだからこそある意味安らかに死んでいくことができる、 そういう風に鳥飼の死に様は語っているかのように僕には思えたのだ。

映画を含め最近昭和30年代が多く描かれている。現在から昭和30年代を眺めると 「戦後はもう終わった」と言われた同時代の宣言が滑稽のように思えてくる。

映画「続 三丁目の夕日」もテレビドラマ「点と線」も、時代設定を昭和30年におきながら現代のリアリティをもって描かれている。それは時代劇となんら変わることはない。昭和30年代に我々が失ってしまった何かがあるかどうかは僕にはわからない。でもそれを描くために、たとえば「続 三丁目の夕日」の中で使われたせりふ「お金より大事なもの」というステレオタイプのイメージを出すために、途方もない制作費と、消費活動を利用した宣伝効果を利用しているのも事実なのである。

2007/11/21

松本清張の「張込み」を読む

松本清張の「張込み」は次のような物語を持っている。 これらは1957年の映画であろうと、2002年のテレビドラマであろうと変わることがない。

(1)刑事が殺人犯を探索するため、 過去に容疑者と関係があった女の家を張り込む
(2)女は既に歳が離れた吝嗇な男の後妻となり、彼の継子を育てている
(3)女は生気が感じられず、判を押したような日常を送っている
(4)容疑者が女の元にやってくるが刑事はそれを最初見逃す
(5)容疑者と一緒にいる女は生気があふれ活き活きとしている
(6)刑事は男を捕まえ、女に家に戻るように言う
(7)女は家に戻り、以前と同じような生活を送る

「張込む」刑事は女の私生活の一部を覗き続ける、そして女は最後に「家に戻るよう」 に刑事から伝えられるまでそのことを気づかない。「張込み」とは一種の監視装置でもある。 監視される側は監視されていることに気がつかない、

それは事象発覚した後に別の姿で起動し、監視される側に突然に立ち現れる。「張込み」 の設定が、通常は複数人体制で行われることが、油木という男性刑事一人での「張込み」は必然と考えられる。それは一種の「私小説」 の姿を呈している。小説「張込み」の読者は、自らが油木という刑事と同一化し、女を監視するのである。

監視される側は監視を意識していない以上、その姿を露にする。この場合、 女は生気のない顔で日常を過ごし、容疑者の男が現れ精彩を放つ。その変貌の落差は刑事の目、つまりは読者の目からは、 女の謎の一部を垣間見たと感じられたことだろう。この落差を描くことが小説「張込み」の主眼でもあると思うのだ。

松本清張「張込み」の構造を支える柱として「欲望」 を挙げることができるのは間違いない。「欲望」はそれを限定する場である「家」を離れて立ち上がる。しかし社会構造は、その「家」 のネットワークで成り立ってもいる。つまり「欲望」を限定する「場」としての「家」があるから、 社会秩序が保たれているともいえるのかもしれない。その社会秩序は男性社会が構築してもいる、よって刑事は女が生気のない人生を生きることを承知で家に戻ることを勧めるのである。

「欲望」の追求は叶えられることはない。女の「欲望」は男の逮捕で幕が下りる。 それは一種の「欲望」への否定の姿でもある。そして「欲望」が暴走しないために監視装置が設けられる。

1957年製作の映画「張込み」 では、 タイトル画面の時、刑事が張込む「眼」を正面で捉えた画像が映し出される。それはあたかも観客を監視する「眼」でもあるかのようだ。 ゆえに映画では、女の欲望が結果的に成就されないことで、その行為が許されないことを観客に意識させる。

逆に2002年のテレビドラマは、たけしの存在自体が逆説的に「欲望」 の発露の存在として描かれる。彼は女の家に投函された封書を勝手に開封し中を確認する。また彼の家が崩壊寸前にもかかわらず、 省みることもなく仕事へと出かける。さらに彼の妻は不倫をしている可能性もある。そのたけしが演じる刑事が、監視する女に対し、 やはり最後は家に戻るように伝えるが、既に 「家」には「欲望」を限定する「場」にはなりえていない。それは彼の家庭の姿が証明している。 だからこそより大きな代償、たけし演じる刑事の死が必要となるのである。そしてその結果、やはり「欲望」は拒否される。それは女の「欲望」
と共に刑事の家庭に対しても同様となる。

人の「死」を持っても抑えるべき人の「欲望」の発露、果たして人の「欲望」 とはかようなものなのだろうか。逆に「欲望」の限定を求めることが、 現代における人の生のゆがみとなって現れるという可能性も否定できないのではないだろうか。


確かに消極的な自由が一般的な状況の中で、 無限定な「欲望」の存在は悪とされる。ただ瑣末な個人の「欲望」は、より大きな力を持つ「欲望」とその発露の際の暴力の前で利用され無化されている現実もあるように思えるのである。

松本清張原作の「張込み」は一言で言えば傑作に値する小説ではない。 でもこの小説が各種メディアの中で時折利用され、もしくは映像化される理由は、何かしら社会の意志を感じるのは僕だけではあるまい。