2012/06/18

茶箱

青山の茶道具の店に寄った。僕は今売られている茶箱とか茶巾袋がどのようなものか知りたかった。

その店の女主人はとても話し好きな方で色々なことを僕に語ってくれた。カタログとか店で売っている道具を色々と見せてくれた。
今は茶箱も中に収める道具付きのセット売りが殆どだという。野点をしたい場合も同様で、野点向きの茶筅とか茶さじなどもその一点での販売は行っておらず、セットものしかないとのこと。例えば茶筅の場合、持ち運びが便利な小ぶりのものが望ましいし、消耗品なのでいずれは摩耗するわけだから、単品売りがないのは少々厳しい。それに自分の気に入った道具類を集めてテーマに合わせての組み合わせが出来ないのも残念だ。そんな話を主人と語り合った。「今では外に多くの遊びがあるのだけど、それらは工夫なしでセット売りのような遊びばかりですよね」と語る主人の言葉は僕にとっても厳しい一言だ。

もとより僕に茶の作法の心得などはしらない。でも茶の目指すものは知っているし共感は持てる。僕にとってはそれだけで十分だ。あとは茶道具の一つ一つの機能とか使い方さえ知っていれば良い。僕はただ外で抹茶を飲みたいだけなのだ。川辺とか海辺とか、もしくは寺の境内とか気持ちの良い公園とかでお茶を点て飲めたら美味しいだろう。そんなことしか僕は考えていない。結局の所お茶は、ある人にとっては生涯をかけても良いほどの、遊びなのだと僕は思う。だからこそ自分の好みを優先したいと思うのだ。今回は下見程度のつもりで店を覗いただけだが主人との語らいで思わぬほど気持ちが入ってしまった。まずは家にある道具で試してみようかなと思い始めている。



おじさん図鑑

姉に聞いて初めて知った「おじさん図鑑」。巷ではかなりの人気図書らしい。人気が出ようが出まいがそんなことで本に対する興味を持つことはないが、タイトルがこうであれば少しは気になる。僕は一体どこにカテゴライズされているのだろう。

そういえば、おばさん研究の本はかつてあった、女子高校生も女子大生もはたまたOLとか主婦についても。でもおじさんを主にしたこの手の本は未だなかったようにおもう。それは何故かというと、結局の所出版されても売れないと思われていたということだろう。この手の書籍の購買層は若者とくに女性に興味が持たれなかったら売れるはずもない。逆に言えばおじさんの生態が若い女性にとって不思議で面白く見られるようになったということなのだろうか。

ネットでこの本を解説していた。そのなかで中高年男性女性に「自分を中高年と思うか」と聞いてみたのだそうだ。その結果は二十数パーセントの男性女性が「イエス」とのことだった。つまり残りの七十数パーセントは「ノー」ということになる。この数値を高いとみるか低いとみるかはどっちでもいい。それ以前にこの設問自体がおかしい。「おじさん」も「おばさん」も他称であって自称ではない。自称だとする場合、どこかに意識の線引きをする必要があるが、流れている意識の中でそんなものを持つ理由もない。つまり他称から始まり、結果的に人にいわれる前に自称するようになるということだろう。無論制度的には中高年・高齢者などの定義は決められているとは思う。ただそれはあくまでも年齢的なことであって、「おじさん」「おばさん」のように外見が主と思われる区別とは全く違う。勿論「おじさん」も「おばさん」も当然に年齢と無関係であるはずはない。ただ単純に年齢だけでもないのが実際で、僕的にいえば社会との関わり方の違いが表面化しているだけのように思っている。

一言で言えば、「おばさん」はローカル化し、「おじさん」はフロート化する。おばさんのローカル化はこれはよく知られている。全国誌のファッション雑誌を読んでいたOLまでは全国何処に行っても同じような姿をしている女性達は結婚し子供が産まれ専業主婦化すると地域の知人達の中で同化していくという道筋となる。ではおじさんのフロート化とはどういうことかといえば、企業の中で働き、その中で文化とか価値観が養われ、それが定年後に企業から離れても捨て去ることは出来ずに、かといって企業というある意味共同体にも属しておらず、ただただ浮いていくということだ。

フロート化し地域にも同化せずにただ浮いていくことになれば、逆に言えばそりゃ生態的に興味深い(面白いという意味で)人たちが揃っているに決まっている。それらの人たちをどのように書籍にしているのかが興味がある。

さてと、こんど書店で立ち読みでもしてきますか(笑

2012/06/13

現場

限られた時間の中で作業をこなす。来てもらった人たちは殆どが専門家。細かな調整不足、思わぬ事態、利害の対立等々を時間内にこなして流していく。少しでも対応を誤れば多くの費用が無駄になる。ヒロヒリとする緊張感が心地よい。ただこの心地よさには前提がある。ミスで何百万を失ったとしても人の命が失われることはないということ。それを考えればなんでもない。だからか僕は混乱の現場を楽しめる。

JINS PC

液晶画面専用の眼鏡を買った。綺麗な緑色のフレームの眼鏡だ。心持ちかけていると眼が楽になったような気がした。視界の端に見える緑色の境界が僕の世界を縁取っているのも気持ちがよい。

告知

あごひげを剃った。髪の毛はまだ黒いがひげだけは不思議なことに真っ白だった。そのひげを切った。僕の事を「サンタ」と呼ぶ女の子はきっと残念がるかも知れない。でも冬まではまだまだ長いから大丈夫。残した口ひげは今度緑色にでも染めようか等と考えてる。

12日

12日はハードだった。世界中の人々がこの日に何かを成し遂げようかと目論んでいるかのように、様々な要求が僕を振り回した。不思議だが人と人が何らかの形で繋がっている限りこういう日は在るように思う。きっと12日の様々な思いによって動かされた人々は時差を持って別の人々を動かすことだろう。そしてその思いは地球を一回りしながら、また12日のような日が僕に訪れるのだろう。