2008/12/18

渋谷スクランブル交差点、スケッチ

渋谷スクランブル交差点、夜の7時、12月。ハチ公側から人の群れを見ると、前方のセンター街の灯りで群集がシルエットとなって浮かんでいる。群衆と言っても彼らに(無論、僕も含めて)何らかの繋がりはない。ただ前方の信号が青く点灯するのを待ち続けているのだ。

信号が青に変ると黒い人の群れは何らかの意思を持ったかのようにそれぞれの方向に動き始める。おそらく上空からこの光景を眺めると何らかの法則を持っているかのように思うことだろう。勿論、何らかの法則はある。僕らは道のある方向にしか歩けないし、その道も複数あれば、一定の割合で配分があるかもしれない。

僕もハチ公側からセンター街に向かって歩き始める。対面から歩き近づきそして離れる。様々な顔、年齢、そして姿。友人と笑いながら、恋人と手を繋ぎながら、遅れる妻を振り返りながら、もしくは一人で、たった数十秒の間で交差しあう。そこでの出会いは一瞬だし記憶に残ることもない。しかも交差するのは一人一人だが、感覚の中では群れと群れの交差であり、そこに個人はいない。

その女性が対面から近づいてきているのを僕は数秒前から気がついていた。センター側からハチ公方面へと歩いてきているのだ。これほど多くの人の中で、彼女を集団の中から発見したことに多少の混乱があった。勿論僕には未知の人だ。細身で背が高く、まっすぐにこちらを向き、周囲と同じ速度で歩いてくる。まっすぐにこちらを向く顔でまず引き寄せられたのは彼女の眼だ。街の灯りに反射して眼がキラキラと光っている。あたかも泣いているようだ。いや、実際に泣いているのだ。

僕は驚きと共に交差点の中ほどで立ち止まる。彼女は同じ姿勢で、僕など見もせずに横を通り過ぎる。

僕は慌てて後ろを振り彼女を探すが、もうそこには黒い群集の背中が見えるだけだ。動き、交差する中で、僕は立ち止まったまま、周囲を見渡す。少し世界の色が変る。錯覚だったのかもしれない。渋谷のスクランブル交差点での束の間の夢。今見た光景が誤りであるかは、僕の経験で推し量るしかない。現実問題として、えっ現実問題って何だ!?。

僕が誰かと一緒に歩いていたら、その人に確認することが出来る。でも僕一人が見て、そう見えたのであれば、誰も否定も肯定も出来ないのではないのか、僕自身も含めて。

別に泣いている女性が渋谷のスクランブル交差点を横断していても全然構わないではないか。怒りながら、もしくは笑いながら歩いている人だって大勢にいるし、外からわからないが、嫉妬しながら、妬んでいながら、喜んでいる人や、何かを恨んでいる人だって、この交差点には大勢いるはずだ。ただ僕はそれらを判別出来ないだけ。それに彼女だって、たまたま眼にごみが入っただけかもしれない、もしくは涙目なのかもしれない。そんなことを考えながらも、僕はこういうことで混乱する自分に驚く。

目の前の信号が点滅を始める。僕はまだスクランブル交差点の中ほどで立ち止まったままだ。

その点滅に促されるように、僕はスターバックのほうに向かって歩き始めた。喚声をあげて横断する人とすれ違う。「彼が」とか「可笑しいでしょ」との言葉が聞こえる。やがて信号は赤となり、車が走り出す。騒音で言葉がかき消され、人がこんなに多いのに話し声は聞こえない。

この拙いスケッチで僕は何を言いたいのか自分でも良くわからない。単なる心象的なスケッチだと受け取って欲しい。人にとっては何の意味もない、でも僕にとっては大事なことなのだろう。

その後僕はTSUTAYAでCDをレンタルし何枚か写真をとって家に帰った。でもスクランブル交差点で交差した女性の顔は意識の中に残り続けていた。

2008/11/01

JR渋谷ハチ公リーフレット前の露天商

最近の話だ

JR渋谷駅ハチ公口にあるハチ公のリーフレット。それに面して昔から新聞・雑誌を販売する露天商がある。ずいぶん昔から営業していると思う。僕が渋谷に行き始めた頃、つまり学生時代には既に営業していた。その頃はその店だけではなく他に2~3店は営業していた記憶もある。今から数十年も昔の話だ。

渋谷駅から降りる人、もしくは利用する人達でハチ公リーフレット前は本当に多くの人が通り過ぎる。その店は年月と共に周りの景色に溶け込み、新聞・雑誌を買う人以外は、つまりは殆どの人は、その店に見向きもしない。人々は、黙々と、談笑しながら、携帯電話で話ながら、時計を見ながら、待ち合わせのために、バック・買い物袋・手ぶら、そして思い思いの服装で、少しもその店に気づくそぶりも見せずに、実に多くの人がその店の前を同じ速度で一群となって過ぎてゆく。勿論、意識し合わないのは一群の一人一人もお互いに同様だろう。でもその店から見れば、それら多くの人達は一人一人というよりは大きな川の流れのように見える。

店には一人のお婆さんが黙って座りその流れを見ている。時折何か書き物をしている。彼女の後ろには、幾つもの布製の袋がぶら下がっている。その袋の中は、おそらく長年その場所で営んできた何かの集積なのだろう。袋はいつも同じ数が同じようにぶら下がっている。僕はと言えば、カメラを携えハチ公のリーフレットと人の流れを撮ろうとその露天商の横に立っている。僕にとっても露天商は川の岸辺にある小さな岩のような物だ。その小さな岩は流れに影響も景観の美しさも与えはしない。露天商の老婆は、その店と一体化し、隣で立っている僕でさえ意識することもない。

僕がこの露天商の女性を意識したのは、たわいのない彼女の一つの行動からだ。その行動を劇的に描写する力を僕は持たないし、そういう行動でもない。単に彼女は使い捨てカメラを構え目の前を通り過ぎる一群に向けてシャッターを押したということだけだ。でもその動作が速くとても自然だったので、偶然にその行動を見てしまった僕でさえ彼女の行動を把握するのに時間がかかった。カメラは露天商の外からは見えない机の上に常時置いてあるようなそんな印象をもった。それほど何気なく、仕入れ台帳に鉛筆で数字を書き込むような、ありふれた毎日の仕事の様に、するりとカメラを取り出しファインダーを少し覗きシャッターを押して、こちらからは見えない露天商の棚に置いたのだった。

無論、何故彼女が使い捨てカメラで目の前の人通りを写真におさめたのかは知らない。でも一連の慣れた動作から、その場で何らかのタイミングで何回も撮影している様に思えた。そこから幾つもの物語を造る誘惑にかられる。物語は彼女の撮影を行う理由への興味が発端となる。でも理由(意味)を考えることはそれこそ無意味だろう。実際に彼女から聞けばよいのだ。彼女の行動に興味を持った僕は直接に理由を聞きたいという衝動に駆られた。でも客観的に見れば、カメラを持った見も知らずの男性からいきなり「写真を撮っていたのを見かけました。何故写真を撮っているのですか?」などと聞かれれば誰だって警戒する。僕は彼女への聞き方についてあれこれと考えた。で、しばらく彼女の様子を見ることにした。彼女が再度カメラで写真を撮ったとき、僕が彼女の写真のファインダーの中に入り彼女に対し微笑む、もしくは僕も彼女に向けてカメラレンズを向ける。今から思えば途方もない愚策だが、その時は真面目にそれが一番良いと感じたのだった。

僕はハチ公リーフレットの前で、彼女の視界から少し外れた位置に陣取り露天商を注視した。幸い彼女は僕には気が付いていない様子だ。僕と彼女の間はとぎる事がない人の流れが続く。時折、ほんとうに稀に露天商に人が立ち寄り雑誌を求める。その都度彼女は客に会釈をするわけでもなく淡々と仕事をこなしていく。カメラで人を撮るとは想像さえ出来ない。
僕の隣で女性が歓声をあげる。待ち人が少し遅れてやってきたのだ。謝る男性に女性はわざと少しふくれてみせる。先ほどまでの表情とは全く違う。露天商の横では男性が四・五人固まって談笑している。誰かをからかっているらしい。その隣では女性の顔を覗き込むようにして男性が何かを語っている。また、急ぎ歩く女性に勧誘の男性が近づいては断られている。露天商の女性は何も変わらない。

30分くらいがそうやって過ぎた。僕は露天商を見ている。見ながら、何か彼女がカメラで写真を撮ったことは聞くべきでも意味を考えるべきでもないと思えてくる。勝手な物語を造ることさえはばかれる。僕がたった一回見た撮影の仕草で十分なのかも知れない。ただ一つだけ僕は思う。おそらく彼女の家には数千枚の露天商から撮った、いわば定点撮影の写真があることだろう。多くの写真は量では測れない一枚一枚のその写真の集積なのだろう。この一枚、あの一枚、年月日と時間が記録された、この場面、あの場面。写るハチ公リーフレットは同じでも、流れゆく人々は誰一人として同じではない。ただ彼女だけがそこにいて撮したという事実が大事なのだ。

しばらくして僕は首を振りその場を離れた。実はこっそり彼女の写真を撮った。でも掲載は何処にもするつもりはない。

2008/10/28

中内渚 繋がりの絵

会社の同僚に連れられて中内渚の個展に行ってきた。銀座の古いビルの一室、後から別の友人から聞くと築70年だそうだ、八畳間くらいの広さに絵が並べられて掛かっていた。天井には様々な飾り付けが吊り下げられている。中内さんはそれらを指して、メキシコの飾り付風が街で売っていたので買って来たと笑いながら語る。とても笑顔の素敵な女性だ。最初万国旗と思えた飾り付けは、そうではなく骸骨の模様に切り抜いたものだった。中内さんはそれも嬉しそうに話す。「メキシコの飾り付けって骸骨模様が多いんです。」
 
部屋の天井の中心から八方に広がる飾り付けを個展開始前日にほぼ徹夜をして作ったのだそうだ。もう少し飾ってメキシコの雰囲気を出したい、まるで部屋全体が彼女の作品のように、後から思えば彼女が描いたメキシコの市場のように、なって欲しいと思っていたのかも知れない。
 
そう、個展の空間は既に画家のキャンパスとなっていたのだ。僕は彼女の空間に足を踏み入れた。その空間は入るものを拒絶せず暖かく包み込む。強度を持って個性を押しつけるわけではなく、徐々に確実に染みこませる。個展の空間への第一印象はそういう感じだった。

アートとはスタイルだと僕は思う。中内渚のスタイルは古本の頁をキャンバスにしていること。勿論それだけではない。色遣い、線の描き方、絵の構図の取り方、絵の具の種類と色の使い方等々、無限の選択肢の中から画家は瞬時に自分のスタイルに合った仕方を選ぶのだ。当然だが、観客はそれらのスタイルを構成する要素を全て読み取ることは出来ない。それに画家はそんなことを観客に望んでいるわけでもない。画家はただ完成した自分の作品を気に入ってくれることだけを望むのだ。でも僕は、画家の意に反するかもしれないが、少しだけ絵に歩み寄っていこうと思う。

何故古本に絵を描こうと思ったのですか、と僕は聞いてみる。それは彼女にとって今まで何回もされてきた質問なのだろう。画家は凡庸な僕の質問によどみなく答える。
 
「私すごくスランプになった時があって、その時に白い紙に描くことがとても怖くて。白いキャンバスは自由で、私はその自由が怖かったんです。それで古本の余白に描き始めたんです。」
 
その時彼女は一枚の絵を描くために周辺を隠れながら移動していたのだという。一枚の絵に納められた複数の立ち位置。

僕は続けて聞く。それで今では白い紙に描くことはできるのですか。画家はその質問に一瞬戸惑う。僕は補足する。たとえば何も描かれていない白い紙だとしても、自分で文字などを書き加えてフレームを造っても描けるんじゃないかと。
 
「ああ、それだったらしています。例えばあの絵」といって彼女は一枚の絵を指さす。「自分で文字を加えたんです。」

何も描かれていない白いキャンバスが自由を意味するのかは僕にはわからない。でも彼女はそう感じた。一つ言えるのは、何も描かれていない白いキャンバスは画家のスタイルではなかった、ということだ。画家の独創性はそのスタイルにこそ存在する。そして画家はそこに自由な感性の広がりを感じるのではないだろうか。彼女にとって白いキャンバスはそうではなかった。白いキャンバスから離れることで、彼女は新たな出発をし始めることが出来たのだと僕は思う。

画家は何故古本の頁に絵を書くのか。その問いは果てしなく陳腐だ。しかし誰もがその問いを持つことだろう(多くされる問いかけは陳腐なものが多い)。僕も同じように彼女に質問をした。そしてスランプの話を聞き、わかったような気持ちになる。でも実際は少しもわかってはいないのだ。人間である限り理由を求めるものだ。そして質問を受けた者はそれに応えようとする。つまりは人が納得するような答えを見つけ出し、そして聞く方はそれを聞いて安心をする。何故彼女は古本の頁に絵を描き始めたのか。でもそれはどうでも良いことなのだ。画家は古本の頁に絵を描き始めた。そしてそれが彼女のスタイルの一環になった。それで十分だろう。

それでも僕は少し思うのだ。彼女の絵を見ればわかる。彼女の筆の使い方、色の選び方は、古本の赤茶けた頁に実によく似合う。線の描き方、周辺の絵のモチーフは、少しもその古本から外れてはいない。なおかつ中内さんが選ぶ絵の題材も、完成した絵を眺めれば古本の頁に合っている。今回の個展はメキシコの風景だった。それらは市場であり教会であり、物とか人が溢れ賑やかだった。ある絵では野菜だとか果物が山高く積まれ、その中で男性が一人うつむいていた。天井には球体に円錐のような突起物が幾つも出た飾りとか絵が描かれている旗とかが吊り下げられている。またある絵では、市場の絵と同じように雑貨・おもちゃが山高く積まれ、その中で女性が編み物をしている。古本の頁であることを意識させるのは、印刷された文字、スペイン語で書かれているため僕には何が書いているかはわからないが、何か小説のサブタイトルの様な文字列を見るときだ。それでもその文字列さえ絵全体から見れば違和感は殆どない。絵のために文字があり、文字のために絵が添えられているような、そんな感触を受ける。「絵」と「言葉」、おそらく彼女にとってその二つは何ら隔てる物がないのだろう。

賑やかな題材は、多くの物と人が描かれることでさらに楽しげな雰囲気を醸し出す。しかしどの絵も第一印象として受けるのは賑やかさではない。淡い色彩が多いためか、古本の赤茶けた色のせいか、僕には落ち着いた静けさを感じてしまうのだ。しかし多くの物が描かれているため、絵に近づいて細部を見ると幾つもの面白さに出会える。クマのぬいぐるみ、カエルのおもちゃ、編み物をしている女性の横に顔だけ描かれた男性、しかもその男性には「ANTONIO」と名前が添えられているのだ。そして何枚かの絵には中内さんの文章が綴られている。

例えば、魚市場の絵の右下には次の文章が載っている。
『"魚の卵"のことを、キャビアというらしい。だから、ししゃもの卵もキャビア。実際、ここで買った、まさに見た目キャビアも、ししゃもの卵。(ちゃんと黒く色づけされている。)これをお土産にすることになった。でもなんて言って渡したらいいんだろう。"これ、お土産のキャビア"?それとも、"これ、お土産のししゃものキャビア(卵)"どちらの方が親切?』
 
また、雑貨・おもちゃを売っている店を描いた絵には、『通りがかる人が「このタイプの、別の色のあるかしら?」って聞いてきたけど、私店員じゃありません』。教会の絵には中内さん本人が登場している。添えられている言葉は、『パイプオルガンの結婚行進曲を聴きながら』。そして教会の外では花嫁の姿がラフに描かれ、花嫁と見られないと心配したのか「花嫁」と矢印で示されている。

中内さんがスケッチをする時、何冊もの古本をジャンルは選ばすに持って行くそうだ。頁は本から切り離さずに開け、まるで本を読むように、そこにスケッチをするのだと聞いた。傍から見ると、彼女が絵を描いていると気が付く人は少ないかも知れない。おそらく彼女はペンで絵を描き後から色を付けていくのだろう。

スケッチをする時間、対象となる場所、例えば市場・商店・広場・教会などは時間の経過と共にその様相は変化をしていく。画家はそれらの変化を、自分が感じるがままに、なるべく絵に取り込もうとする。時間の経過を、人の動きを、絵に現すのは難しい。難しいながらも画家は、それでも彼女自信が感じる時間の流れそのものを絵に捉えようとする。だから絵の中に、自分に起きた変化とか心境も含めて描くのだろう。彼女の絵に登場する幾つもの顔だけの人物、そして前述の添えられた幾つかの言葉はそれらの現れだと僕は思う。そこから現れるのは、ある瞬間を捉え静止した市場の姿ではない、画家が過ごした市場での時間そのものなのだ。

スケッチをしながら、その場の雰囲気を味わい、そしてその中に心身を投じる。彼女が描く何人もの人は、描かれる側はわからなくても、彼女にとって親しみある人になっているに違いない。創作は単独の活動であるのは変わりはないにしろ、スケッチをする間、彼女は多くの人の繋がりを感じていたと僕は思う。
 
個展のオープニングパーティは同窓会の様相を呈したそうだ。その時は借りている部屋では収まりきれず、階段まで、果てはビルの入り口まで人で溢れる。多少の混乱状態に中内さんは内心ハラハラする。でも「個展に来て」というと集まってくれるのが嬉しい、とも彼女は語る。和気藹々とした楽しさの中心に彼女の絵がある。おそらくそれが彼女にとっては嬉しいのだろう。スケッチをすることで感じる人との繋がり、個展での人の繋がり、そのどれもが画家に新たな創作の力を与える。

しかし不思議な気持ちがする。単独で格闘しながら創作活動をする画家は、絵を描きながら少しも観客の事は考えてはいない。あくまでも自分と向き合い自分の形式にこだわるのだ。それでいながら完成された絵は人の繋がりを求める。孤高の絵など世界に存在しない、と僕は思う。絵は描かれたとたんに観る人を求めるものだ。それがたとえ画家が唯一の観客だとしても。

世界には様々なアートが存在し、且つ創られている。いかなるアートであっても、それは観る者の活動を一旦停止させ、そのアートを媒介にして活動を再開させる力を持っている。「活動」とか「停止」「再開」をどのように受け取っていただいても構わない。僕が言いたいことはこれらの言葉に収斂するわけではない。ただこれらの言葉しか僕は持たない。

中内渚のスケッチは確かに僕の活動を停止させた。しかしその力は強引でもなく、僕の感性に混乱を与え立ち止まらせたと言うわけでもない。どちらかと言えば、僕が自ら停止したと言ったほうが適切かもしれない。でも逆に言えば、おそらくそれが中内渚の絵の力なのだろう。そして僕は彼女の絵を媒介にしてこの文章を書いた。拙さは僕の能力によるところが大きいが、時間を見つけ少しずつ書いた。いわば活動の再開は緩やかであり、自分に圧迫を感じるほどの性急さは微塵もなかった。そしてそれも彼女の絵の力なのかもしれない。

中内渚の絵はスタイルとして発展途上であると僕は思う。完成したアートという言葉自体語彙矛盾に満ちているなかで、発展途上は彼女の可能性が未知であることを示している。彼女の内に秘め、自身にとっても捉えがたい熱情が、さらに表現として彼女のスタイルに現れることを僕は望んでいるのだ。それは彼女の絵を知り、その出会いが幸運であると認めている一人のファンの思いでもある。

中内渚の公式サイト:Nagisa's Sketches & Drawings
中内渚のブログ:国際派アーティストのアイデア帳

2008/10/07

眼底出血が起きてから約3ヶ月が経った

右目に眼底出血が起きてから約3ヶ月が経った。出血は右目の視界の半分を曇らせ、かつ見る物を歪ませた。眼科医で診察を受け、出血の原因は眼からのものではないと言われた。眼の曇りから網膜剥離を想定していたので、医者のその言葉は意外だった。多くは高血圧もしくは糖尿病が原因なのだそうだ。そういえば昨年の定期健診で血圧が高いと言われたことを思い出す。実は最近まで血圧が低い方だと思い込んでいた。かつて血圧が低く保険に入るのに苦労した。血が薄いと言われ赤十字の採血を拒まれたこともある。だから、血圧が高いと言われたとき、自分への思いと医者からの言葉とが一致せず多少混乱したのも事実だ。糖尿病を現す数値は今まで出たことがない、そうであればこの眼底出血は高血圧が原因の一つであるのは間違いない。昨年の定期健診で血圧が高いと言われてから、それまでに時折訪れる身体の不調が高血圧の症状と繋がり、多少ながら自覚していたせいか眼科医が言う原因の幾つかの中で、僕は漠然とそう信じた。

眼からの情報量は約80%だと聞く。右目の下半分の視界が損なわれている僕は、つまりは約20%の情報量が失われていることになる。でも実感としてはそういうものではない。私の見える世界は以前とほぼ変わらぬ世界である。ただ全く同じというわけではないし、右目だけで見れば、曇りと歪みとで近くの人の顔さえ判別不能な状態である。左目からの映像と合わせることで、脳内で補正をかけて以前と変わらぬ像を描いているのだろう。しかし静止視力は以前と比べ著しく落ちた。強いてカメラレンズに例えれば、僕が見る世界は絞りを開放した世界に近い。大げさに言えば、焦点が定まったものは確かに見えるか、その他はぼけて見える、そういう感じである。だからか、この眼で見る世界は以前と比べとても美しい。

僕の眼が眼底出血という「病気」に罹ったと言えるのは、眼底出血前の状態、つまりは欠損前の状況を把握・記憶しているからだ。さらに眼科医から見せられた激しい出血の跡を示す眼底写真。だから僕は医者から処方された薬を毎日飲み、してはいけないと注意されたことを守る。しかし僕はこの眼の状態をどこかで「病気」であるとは考えてはいない。確かに眼底出血の為に、バイクに乗るのは控えているし、仕事でのPC作業は疲れる、次第に読書時間は減っていったし、なによりもカメラのファインダを左目で見ざるを得ず慣れるのに苦労している。でも僕は現在のこの眼で世界を見、そして感じている、そしてそのこと自体に欠損は少しもない、世界に欠損がないように。性能低下はあるが見えるという機能的な事を言っているわけではない。逆に言おう、今回のことで僕は「見ると言うこと」に以前と比べ少し意識するようになった。

カメラでピントが激しくずれた写真を眺めたとき、僕は人間の眼では捉えられない世界が確かにあると思ったことがある。ピントが合っていない写真、ぶれて対象が何重にもながれている写真、歪んで写っているものが判別不能な写真、それらは僕らの世界に確かに存在する「もの」の姿を現していた。その時、僕にとってカメラは人間の眼では見ることができない「もの」の姿を写す道具だった。人間が見える世界は、人間にとっていわば都合のよい世界なのだ。カメラで捉える失敗とされた無数の写真のように、光を捉える時間と静止しない視点、さらに光の波長を読み取る幅により、そこに在る「もの」の姿は人間の現実を簡単に超えてしまう。

左目による脳内の補正は、僕の過去の経験を根拠にしているのだろう。こうあるべきだ、という世界。それとも僕の脳は人間にとって在るべき世界を知っているのだろうか。そしてその世界を僕の右目は拒否しようとしている。時折感じる右目の違和感は、まるで失敗とされた写真と同様に、右目からの世界も受け入れるべきだと僕に訴えているかのようだ。

2008/04/08

さくら

東京ではソメイヨシノが散り始め、少し遅れて山桜が満開の時期を迎えた。しかし圧倒的な本数の違いか、ソメイヨシノの散りゆく姿は今年のさくらの終わりを感じさせる。先週末、会社知人の姉が亡くなられたと聞いて通夜に行ってきた。茨城と埼玉の県境にある町。利根川の土手には夕日に照らされて菜の花が眩しい黄色を放っていた。そして通夜の場所の傍らにはソメイヨシノが咲いていた。散りゆく桜。桜には死にゆく者をイメージさせる。無論これは造られたイメージだ。それはわかっている。でもこの国の春にはさくらが多すぎ、僕はどうしようもなくそのイメージに囚われる。

さくらは人の手が入らない限り群生することはない。群生しているということは人が植えたと言うことだ。近代では、さくらが植えられた時代は廃墟と都市開発に重なるという。植民地政策の一つとしてさくらが植えられ、戦争による廃墟の跡にはソメイヨシノが植えられた。さくらの樹の下には死体が埋まっているという梶井基次郎のイメージはあながち間違っているわけではない、と思う。

日本人が桜が好きなのは、歴史的・社会的に構築され捏造されたものに過ぎない。凡庸な意見だが、別に異論はない。でもそこからは次の何かが生まれるとも思えない。ソメイヨシノは植えられ、植えられた人の意志とは次元を異にし、春になれば花を咲かす。そこにあるのは生命の営みであり、人間がソメイヨシノに抱く様々な了見とは無縁の開花でもある。しかしその桜を植え続けているのは人間なのだ。

昨年参照した佐藤俊樹氏『桜が創った「日本」-ソメイヨシノ 起源への旅』によれば、ソメイヨシノを多く植えた理由の一つとして「経済性」があげられると言う。価格が安く、供給元に需要に応えるだけの生産能力があったから、役所にとっては計画が立てやすかったと言うのだ。そしてもう一つ、ソメイヨシノが桜のイメージを誇張した姿だったこともあげている。いわばさくらの理想型、理念化されたさくらの姿は思想的に政治に利用しやすかった。

理念化した桜であるソメイヨシノへの反発も当然にわき上がる。しかし強い反発は植える熱意と大して代わりはしない。桜を元に近代日本の姿を暴いた所で花見の客が興ざめをするわけでもない。人々は日々報じる桜前線に色めき立ち、満開の桜の下で狂騒を繰り広げる。
さくらは一つの様式を我々に示すが、さくらの経験は個々の文脈によって違う。毎春に同じように咲く花は、我々の人生において一つたりとも同じものはない。愛すべき人を失った者が観るさくらは悲しくはかないことだろう。新たな道を歩む人が観るさくらは青空の下で意気揚々と咲いていることだろう。個々の経験は記憶となってさくらに結びつき、やがてさくらは忘れ得ぬ花となる。

一つの様式、一つの理念で語られるさくらは既に過去のものとなっている。それは良いことだろう。その代わり、さくらは個々の思い出作りという活動に動員され消費されることになる。いわば現代のさくらは自由市場に放り込まれた一つの商品でもある。特別ではあるが、単なる日本に在る多くの樹木の一つとしての存在。それもまた良いことなのかもしれない。

2008/02/27

「タスポ」その導入経緯 メモ

今年から開始する「taspo(タスポ)」について書きたいと思う。きっかけはnikkeiBPの記事「たばこカード「タスポ」、その導入経緯に怒れ!」(政治アナリスト 花岡 信昭氏 2008年2月14日)だった。花岡氏の記事は概ね正しい。ただ一つ意図的かもしれないが書いていないこともある。
「それにしても、2700万人がかかわる個人カードの導入、たばこ小売販売店への行政指導が、業界と財務省の意向 だけで決まってしまうのは、いかにも無神経すぎる。国会で大問題になったという話も聞かない。たばこ購入カー ドを強制され、たばこを買うことだけの番号が勝手に付けられる。国民としては怒りの声を上げていいはずだ。これは昨今の嫌煙ブームとは別次元の話である。」
カード導入の契機になったのは、花岡氏の記事にもあるように「2005年2月に発効した「たばこ規制枠組み条約」で未成年の自販機でのたばこ購入を防ぐ義務が締結国に課せられたことによる」。日本は本条約に2004年3月9日に96カ国目に署名した。その後衆参両議院で全会一致で承認をされ、同年6月8日に条約の受諾書を国連事務総長に寄託した。19カ国目だったという。条約は同年11月29日に批准国が40カ国になったので、90日後の2005年2月27日に発効となった。

本条約は1999年に起草されたが、起草段階からアメリカと日本など反対により採択が危ぶまれた経緯があった。ちなみにアメリカは署名はしているが現在でも批准はしていない。日本が急転し採択と署名を行ったとき、時の財務大臣 谷垣禎一は「国民の命には代えられない」と語ったという。

「タスポ」導入経緯は財務省審議会である「たばこ事業等分科会」(2005年3月29日)の議事録を読めばある程度会議での空気感を読み取ることが出来る。そこでは条約を批准するにあたり、自動販売機を全て撤去するか、もしくはICカード販売機を設置するかの瀬戸際の中で、業者と財務省がICカード販売機実現への舵取りをしている様が現れている。日本たばこ産業からの出席者はICカード販売機を「成人識別機能付自販機」と呼び、鹿児島種子島での導入検証において未成年のたばこ購入に関して効果があったかのように語る。

「タスポ」導入検討は、たばこ業界で1999年から開始している。これは条約の起草が開始した年でもある。たばこ業界単独での導入検討を開始する事は考えようもなく、ここでも財務省との緊密な連携が想定される。つまりは、条約起草時に反対していた日本の立場は、財務省にとっては自動販売機の撤去をすることなく、条約を批准する仕方を模索するための準備期間であったと思えないこともない。

花岡氏の記事では、国民の議論なしでの導入経緯に問題があるとしているが、仮に議論があったとして、その方向は喫煙率が約30%のこの国では概ね流れは定まる。たばこ事業等分科会では警察が自販機の撤去を将来求める発言もしている。また、2005年3月29日の第九回分科会の後に、「子どもに無煙環境を」推進協議会会長の名前で、ICカード自販機の導入中止、全自販機の撤去、たばこ税率の引き上げ等を求める要望が谷垣禎一財務大臣宛に提出されている。その時点での方向は、自動販売機の段階的撤去の流れが確かにあったのである。

また、国民の議論なしと花岡氏は語るが、それを言えば、条約への署名と、その後の衆参両議院での全会一致による承認をどのように捉えるのであろうか。この問題は常に言われている代表制の矛盾でもあるが、いまここで語ることでもない。結局たばこ業界は、たばこの需要が減っていくことが世の流れとしても、急激な変化を求めなかった。そこが税収の立場から同じように考えていた財務省と利害が一致した、というわけだ。そこで準備を怠らなかった両者が全自動販売機撤去の危機を「タスポ」で乗り切ろうとし、ひとまずは乗り切った、ということだろう。

確かに「タスポ」は不完全で中途半端でしかもコストがかかる。たばこに関する規制(アーキテクチャ)としては寿命が短そうなのは誰でもわかる。ただ「タスポ」により得られるデータは、今後のたばこ税引き上げによるたばこの需要と税収予測、さらには個人まで追いかけることにより、様々な疫学上のデータ取得にもなり得て、今後の施策への貴重な根拠となることだろう。そして両者にとってはそれだけでも「タスポ」の役割は十分に満足するように思える。

僕は「タスポ」の導入経緯で怒りを覚えることはない。これは様々な環境管理のなかの一つでしかない。

(参考)
「たばこカード「タスポ」、その導入経緯に怒れ!」
「たばこ規制枠組み条約」(外務省)
「たばこ事業等分科会」(2005年3月29日)議事録
Wikipedia「たばこ規制枠組み条約」
「子どもに無煙環境を」推進協議会
「導入中止の進言要請書」

2008/02/13

相撲の様式、朝青龍、そして時津風部屋の悲劇

「相撲」の様式を考えるとき、そこには歴然とした幾つもの表象が離れがたく結びつき構成されているのを意識する。髷を結う髪の毛、「まわし」以外は何も身に付けないほぼ裸体の姿、そして勝負までの一挙一足に至るまで、何から何までもが相撲の様式として成り立っているかのようだ。力士たちはそれらを無視することも外れることも出来ない。

2008年1月場所千秋楽の横綱同士による優勝決勝戦は見事だった。僕は夜中のダイジェストで試合を見たが実におもしろかった。二人の異国の青年力士による闘いは大相撲の醍醐味を直接に伝えていた。あの試合に解説は全く無用だった。

サッカー問題により二場所出場停止を受けた朝青龍は1月場所の序盤で土が付いていた。取り戻せない勝負勘、そしてモンゴルで傷ついた足、さらには風邪による発熱。しかし朝青龍に休む選択肢は全くなく、その結果二日目に稀勢の里に土俵下に送り倒された。このまま白鵬の全勝で有利のまま千秋楽を迎えると思われた。しかし十日目で白鵬は苦手の関脇安馬の上手投げで初黒星を喫した。そして両者一敗のまま千秋楽を迎えたのであった。

2008年1月場所千秋楽の横綱決戦時の瞬間視聴率が34%を超えていたと後日発表されたが、相撲人気が再燃するかどうかは別にして、1月場所の人気が朝青龍による所が大きいと少なからずの人が思うことだろう。
「1月27日の初場所千秋楽。13勝1敗同士の横綱相星対決に48本の懸賞がかけられた。横綱同士の相星決戦は約5年半ぶりだった。47秒間の大相撲で白鵬が左から上手投げをきめて、朝青龍を1回転させた。国技館に飛び交ったざぶとんは、ベビーフェースがヒールに勝利したことを祝福するものだった。「休んでいた横綱に負けられない。それだけでした」。白鵬は繰り返した。(2008年02月08日 朝日新聞)」
朝日新聞では善玉と悪役との闘い、千秋楽決戦での勧善懲悪、これらが衆目を集めた要因の一つとする。その一方で朝日新聞では以下の意見も載せている。
「日本相撲協会の再発防止検討委員会委員で漫画家のやくみつるさんは「朝青龍は土俵外の態度など何も変わっていない。みそぎは終わっていない。これで土俵の第一人者の座を白鵬に奪われた」と手厳しい。大相撲にヒールの存在など必要ない、という立場だ。(2008年02月08日 朝日新聞)」
朝青龍に付きまとう横綱としての「品位・品格」問題。漫画家のやくみつるさんの意見は一つの朝青龍の好転を見ることが出来る。それは彼の行動を問題視する範囲から「土俵内」が消えたことだ。再起後の一月場所であれほどの相撲を見せられれば「土俵内」での行動に異を唱える者は少ないことだろう。

朝青龍の横綱としての「品位・品格」を問題とする人たちに、特に相撲関係者に聞きたいことがある。それでは横綱審議会は何故彼を横綱にしたのか、ということだ。彼の「ヒール」振りが横綱になることで緩和されるかもしれないという思い込みがそこにあったのだろうか。いや違う、と僕は思う。サッカー問題は別にして、朝青龍の態度に、周囲が求める横綱としての「品位・品格」が身につくことなど誰も考えていなかったのではないだろうか。

そもそも「相撲」の様式の中に既に「品位・品格」は内包されているのではないだろうか。「相撲」は様式の世界であり、逆に言えば「様式」しかない。そこに主観的な「品位・品格」を求めること自体に無理がある、なぜなら、繰り返すようだが、既に様式に内包されているのだから。

様式は「表象」される。そして「表象」を規定するのは、この場合一連のルールでしかない。「品位・品格」に問題があるとすれば、具体的にどうすべきかをルール付ければ良く、抽象的である限り現実的には議論のしようがない。
「協会最高責任者の目が土俵の上だけに向けられていると、「強ければ何をしても構わない」と、師匠の言いつけに耳を貸さないモンスター横綱が出てこないだろうか。また「強い力士を育てさえすれば」という風潮は、常軌を逸した過酷なけいこを弟子に課す親方が出てくる危険性もある。(2008年2月9日 毎日新聞)」
上記の毎日新聞社説の意見は誤っていると思う。相撲は「相撲の様式」の中で、つまり定められたルールの中で行動する限りにおいて、強ければ何をしてもよい。朝青龍が横綱に昇格したのは彼の強さからではなかったのだろうか。また、「「強い力士を育てさえすれば」という風潮は、常軌を逸した過酷なけいこを弟子に課す親方が出てくる危険性もある。」とあるが、過酷な稽古により強い力士が育つと考えているのだろうか。そうではない、と僕は思う。「相撲」の稽古は「強さ」を追い求めるのが主たる目的ではない、それはいわば「相撲」の「様式」を力士たちに身をもって伝えることにある。

いわば、「過酷な稽古」は相撲の様式、つまりは「相撲」の伝統継承にこだわる姿勢によって発生する。強い力士を育てるためには、力士が必要とする筋肉を鍛えるための効率的なトレーニングと、適度な休息により達成可能なのは、ほかのスポーツと同等のはずであろう。「相撲の様式」を守るため、部屋の独立性維持と、親方主導による稽古が存在するのだと思う。毎日新聞の社説は、「品位・品格」という抽象的な、あたかも日本社会で共有されていると誤解している道徳性が根本に横たわっているかのようである。
「大相撲の時津風部屋の序ノ口力士だった斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)=しこ名・時太山(ときたいざん)=が急死した事件で、愛知県警捜査1課と犬山署は7日、制裁目的で2日間にわたって暴行を繰り返して斉藤さんを死亡させたとして、元時津風親方の山本順一容疑者(57)(元小結双津竜)と兄弟子3人を傷害致死容疑で逮捕した。また、県警は同署に特別捜査本部を設置した。大相撲にかかわる事件で当時の親方が逮捕されたのは初めて。」(2008年2月7日 読売新聞)
あえて2008年時点における相撲を「近代相撲」と呼べば、その起源は明治四十三年の国技館の開館時期付近となることだろう。維新直後の相撲存続の危機を脱し、政府・軍部中央にいる好角家たちの力により人気と勢力を持ち直した。その過程において、浮かび上がった課題は屋根付きの常設館設立のほか力士たちの行状改善(相撲道改革)であった。
明治四十三年の相撲道改革は多義に渡っている。「相撲、国技となる」(大修館書店 風見明著)によれば、改革の内容は以下の範囲となる。
「土俵のルール、力士が取組みを行う際のルール、行司と勝負検査役が判定を下すルール、団体戦のルール、報酬のルールなどプロスポーツとしての相撲に当然に要求される諸ルールのほかに、行司や力士の服装や番付け方法、相撲関係者や観客のマナーに関するルールなどから成るものとしてよい」 (『相撲、国技となる』 大修館書店 風見明著)
その後幾度と変わったルールも多いが、目的としては力士としての品格を規定づけることを主としている。相撲節絵の宮中行事が途絶えてから約千年、それから明治に至るまで相撲は武道だけではなく、余興であり芸能であり続けた。逆に言えば芸能であればこそ途絶えることなく歴史に存在し続けたともいえる。ある意味「相撲」の神話への回帰は、芸能からの脱却であり、まずは力士の意識を変えることでもあった。そしてそれらはルールと、時には警察の介入により行われていったのである。

相撲部屋の名門時津風部屋の事件は、伝統・文化を守る意識から、残念なことだが起こるべくして起こった。「相撲」の歴史を紐解けば、「相撲」の改革は外部からの圧力によって、協会は致し方なく行動をとっているのがほとんどである。明治時代の危機脱却と、国技としての認知までのあいだ、協会は力士の行動をルールとして規範を設け改革してきた。今回どのような改革を行うのか僕にはわからない。

でも朝青龍の登場が、それがヒールとしての対抗軸としてでも、変革の兆しとして在るように思える。朝青龍と今回の事件との関連性は全くない。ただ、朝青龍は「相撲」が単なる「様式」であることに直感的に気がついていた。それは彼の育ってきた文化的背景の違いによるのかもしれない。そして「様式」は時として外すことも可能な「仮面」として彼に写ったとしても不思議ではない。 しかし「仮面」を「仮面」であることを認識できない人が多いように思える。

「仮面」が引き離せないほど密着し、それが主体としての自己を確定する時、名門時津風部屋の悲劇が起こるのである。事件の発覚はたまたま行われた司法解剖による所が大きい。故に過去において、それが実証困難であったにせよ多くの斉藤俊さんが存在したことは想像に難くない。

今回の事件への相撲協会の対応は様々な意見を呼んでいる。多くは協会対応の遅さであり、非難となって現れている。協会がどのような動きを見せるのか僕にはわからない。でも協会の動きは、我々が「相撲は国技」という認識を持ち、「相撲」から日本の「伝統」と「文化」を抽出し、さらにそれらの再生産を要請する姿勢にこそ、根本的な問題が隠されているように思えてくる。

何故「相撲」は日本の国技といえるのか、さらに「相撲」を日本の国技として在り続けてよいのだろうか、という素朴な問いかけこそが、「相撲」の改革を促し、しいては今回の事件を繰り返さない「考え」になると僕には思える。そしてその「問いかけ」への鍵を朝青龍と白鵬の異国の青年が握っているようにも思えるのである。

補足:「相撲、国技となる」(大修館書店 風見明著)によれば、相撲が国技となった理由は、明治四十三年の国技館開館による所が大きいとのことだった。
「国技なる言葉が初めて使用されたのは、江戸時代の化政期に、隆盛した囲碁に対して使用された時であったという。明治時代に入ってからの使用は、「国技館」が初めてだった。「国技館」は響きのよい名称と受けとめられ、各地に国技館が開館するに及び、「相撲は国技」の認識が出始め、これを一歩進めた「相撲が唯一の国技」の認識も出てきた。」(『相撲、国技となる』 大修館書店 風見明著)

2008/02/04

ある産業医との会話で思うこと

理由は忘れたが、あることで産業医と話をした。産業医とは企業の社員数規模に応じて法律で定められている嘱託・専属の医者のことで、専門家として社員の健康管理を行っている。
例えば社員が何らかの病で休職が必要なとき、産業医は企業の厚生部門と連絡を取りあい、社員が受診した外部の医者の診断書を元に休職是非判断を行う。彼が扱う情報はきわめてセンシティブなので、僕との会話の内容は一般的な内容だったが、あらためて考えることも多少あった。

これも法律で決まっている話だが、社員が休職をする場合1年半は期間に応じて基本給の100~80%の特別手当が支給される。ただ休職期間が3年間経ったとき、企業での雇用継続義務は消失するので自動的に退職することになる。そういえば「鬱病」による休職が最近多いと新聞で読んだことがある。何故このようなことを書くかと言えば、産業医との会話が休職制度に流れたからだ。

「復帰される方の割合はご存じですか」と彼は僕に聞いてきた。
休職をすると言うことは、会社を退職する気がないと言うことだから、少なくとも3年間で復職するべく養生に努めるのだろうと、何も考えずに僕は答える。
 
「そうですね、5割くらいではないでしょうか」
5割に根拠はない、本当はもう少し多いと思っていたが、質問をされたと言うことは、逆ではないかという気がして若干少なめに答えたのだ。
 
彼は苦笑して答える。
「3割に少し足りないくらいです」 
「えっ、そんなに少ないのですか」
「はい、これでも最近はあるトレーニングを取り入れて劇的によくなったのです。以前は2割くらいだったのですよ」

あるトレーニングというのは他企業の産業医でも取り入れている「図書館トレーニング」という方法であるらしい。つまりは擬似的に図書館を会社に見立て、9時-17時の間、図書館で何らかの作業をする訓練を一定期間続けるということである。

「図書館トレーニング」とその効果について彼は語る。僕は想像がつくので彼の話を上の空で聞き始める。僕は思う。おそらく彼は正しい、そして違う。正しいと思ったのは「図書館トレーニング」なるものが一定の成果を出していることだ。産業医である立場から言えば、彼は企業の世界に属している。つまり彼にとって社員が復帰するかしないかが問題なのであり、復帰率はそのまま彼の成果につながる。

会社に復帰しなかった約7割の人を思う。一つ言えるのは、その中の何割かは別の道を見つけ出し歩いていると言うことだ。そして残りの人々もいずれは自分の道を見つける。復帰した約3割の人がそれを立証している。2割と3割の違いは確かに図書館トレーニングの成果だろう。しかしそれは復帰すべきか否かについて迷う人を復帰に向けて後押しをしただけで、戻られたのは彼らの生きる力なのだ、と僕は思う。人間は単純な一つのスイッチがあるわけでもない。何かを押しただけで稼働するというわけではないと思うのだ。

ここまで書いて僕はまた別のことを思う。自分の道を見つけて歩き出すと書いたが、それも違うのかもしれない。人は他人がその立場で価値観を唱えようと唱えまいと関係なく、生きていること自体すでに歩いている。彼の意志でとか、選択しながらとも言わない。ただそこに在ること自体がすでに最善の結果なのだと思うのだ。

「コミュニケーション能力が落ちているのです」
彼の言葉が突然に耳に入る。僕は思わず「えっ」と聞き返す。
「離職されていた方が復帰したとしますよね、その時まで長期間仕事を離れていた方がいきなり業務に就けるかと言えば、それはできないのです。まずコミュニケーション能力が落ちている。それに計算能力、そして文章作成能力とかもね。これらの能力低下によって、復帰してからまた自信をなくされて退職される方も多いのです。」
もっともな意見だ。仕事を中心に考えればそういうことになるのだろう。僕は黙って聞いている。

会社でコミュニケーション能力が重要な能力であることはその通りだと思う。でもそれらの能力は復帰をすればそれほど時間がかからずにある程度は短時間で元に戻ることだろう。問題と思うのは、会社の中の特殊な価値観を共有できるかと言うことだ。そして自分と折り合いをつけられるかと言うことだろう。

折り合いを付けると言っても、確固とした自分を持っていることが前提というわけでもない。折り合いを付けられる自分は、おそらくその会社の中の特殊な価値観と対峙して始めて問題として浮かび上がると思う。対峙により浮かび上がった問題と、如何に上手く付き合えるのか、それはかつて休職以前に無意識でしてきたことでもある。その「こつ」を思い出せれば、彼は会社の中でなんとか過ごすことができるだろう。それでも無理なら別の世界を見つければよいのだ。

無論会社に残ることは生活の糧を得るのが最たる要因であると思う。しかしどうしようもないこともある。産業医の彼は人間を病気と健康の二元論で世界を見ているのかもしれない、ふと僕はそう感じる。医者は病気を治療し健康な状態に戻す役目を負っている、ことから病気と健康を分けて考えやすい。でも実際はそうではない、と思う。僕らは健康でもなければ病気でもない、と思うのだ。健康と病気の状態を人数分布で仮に現せば、病気側に限りなく長く伸び続けるロングテールの曲線を描くのではなかろうか。

3年間の休職期間があるという体制は悪いことではない。さらにそのシステムを利用できる人は恵まれているともいえる。そしてシステムを利用するために、休職者は積極的に医者が望む姿になるのだろう。

ひとしきり休職期間による能力低下の話を聞いてから僕は挨拶をして別れた。それから彼とは出会っていない。

2008/02/03

日本学術会議の代理出産の禁止案で思うこと

厚生労働省と法務省の審議機関である日本学術会議の代理出産の禁止案は一つの限界を示している。禁止の理由は、代理出産する女体のへの危険性であり、胎児に問題があるときのトラブルの発生への懸念である。いずれの理由も反論が出ることは必然であるにもかかわらず、具体的にはそれくらいの理由しか得られてないのだ。逆に言えば代理出産への流れが出来上がりつつあるということのように僕には思える。日本学術会議でも十分にそのことは認識されているのかもしれない、それが矛盾する「試行」制度の盛り込みに現れているのだと僕は思う。
代理出産の是非を議論している日本学術会議の生殖補助医療の在り方検討委員会(委員長・鴨下重彦東大名誉教授)は31日、東京都内で公開講演会を開いた。不妊夫婦が妻以外の女性に子供を産んでもらう代理出産を法律で原則禁止する報告書案に対し、参加者や委員からは賛否両論が出た。この日の議論を参考にして検討委は2月にも最終報告書をまとめる。(2008/1/30 日本経済新聞)
結論から言えば、日本の出産母胎による親権付与の背景には血統主義があるのでないだろうか。帰化以外の日本国籍所有者は概ね血統主義から日本「民族」と見なされる。つまりは日本人女性から産まれた子供は確実に「日本人」なのだという、今では根拠が薄い考えがあるように思えるのだ。無茶を承知で直感だけで僕は書いている。でも代理出産可能な国の多くは、調べてはいないので無責任な意見なのは承知でいえば、出生主義を持っている国が多いと思うのである。

それであれば代理に出産する女性は日本人にすればよいという反論も真面目に出てくるかもしれない、でもそういうわけにもいかない。なぜなら日本の血統主義は「家」という概念が密接に絡んでいるからだ。逆に言えば日本が血統主義から出生主義に切り替わるだけで、日本のコンテクストが大きく変わらざるを得ないことがわかる。

日本学術会議の出席者たちは何を守ろうとしているのだろう。代理母の肉体だろうか、それとも出産後に起きる様々な個別問題からだろうか。いやそうではない。守ろうとしているのは彼らの中にある括弧付きの日本なのだ、と僕には思える。だから容易には代理出産を認めるわけにはいかないだろう。

でもその戦略は間違っているとは言わないけど、少し違うように思う。彼らが代理出産を禁止するためには、逆に代理出産を賛成すればよい。そしてその賛成の条件により実際に稼働が難しいように持って行くのだ。何事もそうだが、禁止の主張は全面的な受諾の可能性を秘めているものだ。論議の中で注意しなくてはいけない意見は、全面禁止の主張ではなく、「一定の条件付き容認」を語る者の「条件」なのだと思う。

僕は代理出産は制度的に概ね全面的に認めていくべきだと思っている。最初からワーキングコードを作ることは難しいので、当初はバグだらけのコードであるのは間違いない。バグコードの対処で経験を積めるし、何をフォローすべきかの知識も構築できるだろう。仮に「条件付き容認」しか現実的でないとすれば、「条件」は緩やかにすべきだと思う。

当事者同士の金銭の授受がなくても、間接的に経済に影響を与えることだろう。新たなコードはいかなるものであろうと僕らに影響を与えぬものはない、と思う。代理出産を認める新たなコードが仮に書かれたとすると、そのコードは他の一見何の関係性を持たないコードの矛盾を露わにするものだ。おそらくその先にある何かをどのようにみているかが、日本学術会議と僕との違いにあるように思える。

2008/02/01

ブッシュ大統領の一般教書演説と万能細胞

最大の焦点を経済においた米国ブッシュ大統領の最後の一般教書演説で、経済以外で気になる事項が二つあった。一つは環境問題に関すること、もう一つは所謂「万能細胞」の研究促進を国是として改めて主張したことである。
「大統領は受精卵を壊さずに万能細胞を取り出せる新たな研究を「過去の論争を乗り越える突破口」と高く評価し、受精卵を使う胚性幹細胞(ES細胞)の支援法案に拒否権を発動した姿勢を大きく転換した。議会に対し「倫理上問題が大きい」とみる細胞関連の実験や研究成果の取引、特許の流用などを禁じる法整備も求めた。(2008/1/30 日経新聞)」
ES細胞の作製には受精卵を使う方法とクローン技術を応用する方法の二種類があるが、どちらの共通項は卵子を使うと言うことだろう。受精卵を使う方法のみが大きく取り上げられ、そこに「倫理上の問題」を組み込むことで「万能細胞」の研究に一定の歯止めをかけていたとも言える。皮膚から「万能細胞」が作製可能とする研究は、始まったばかりで多くのハードルがあるが、「倫理上の問題」という歯止めを取り外すことで、将来における新たな国力の礎となりえる可能性を持つことに誰も疑いを持たない。

ブッシュ大統領の演説でわかることは、「倫理上の問題」を「受精卵を壊さない」こと、さらには「人間の生殖系」に適用しないことに取り纏めたことだろう。倫理上の問題とすれば、その他にも様々な問題があるのは事実だと思う。それらを、ES細胞作製の方法としてのクローン技術の応用を無視したように、除外して「倫理上の問題」を一つにまとめた発言ともとれる。逆に言えば、ブッシュ大統領にとっても、支持基盤である保守層の意向を無視することは出来ず、しかしそれらが将来の米国における国益に対してボトルネックになりつつあると感じていたように思う。その中で新たな研究成果(iPS細胞)が発表されたので彼は飛びついたのではないだろうか。

共有する倫理問題であれば、ES細胞の研究当初より生殖系の「細胞関連の実験や研究成果の取引、特許の流用などを禁じる法整備」が行われてしかるべきだ。iPS細胞の登場によって法整備を行うとするのはどう考えても順番は逆であろう。つまりは「倫理上の問題」といっても「将来の国益」の視点からみればその程度の問題なのだ。

日本でも1月28日に万能細胞(iPS細胞、ES細胞)における生殖系研究は「当面」禁止とする方向で動いているので米国と同様である。
「iPS細胞や胚性幹細胞(ES細胞)から展開が考えられる生殖系の研究には(1)精子や卵子を作る(2)作った精子や卵子を受精させる(3)受精させた胚を子宮などに戻す、などの段階がある。研究が先行していたES細胞では、現在(1)からすべて禁止している。 文科省は、iPS細胞はES細胞のように受精卵を壊すことはないが、当面はES細胞と対応をそろえるのが妥当と判断した。(2008/1/28 朝日新聞から)」
映画「アイランド」(2005年米国)では、顧客の細胞から移植用の各臓器を作製しようと試みるがことごとく失敗する。臓器が臓器として作製されるためには器としての人間が必要だったのである。そこで科学者は顧客のクローン人間を造り一カ所に集めて管理し育てる。そこではクローン人間は人間ではなく、人間の言語を使う心臓だったり、肝臓だったり、子宮だったりとなるわけであるが、クローン人間達は自分が何者かは知らない。クローン人間達は自分たちが最終戦争の生き残りであり、最後の楽園「アイランド」に行くための準備をしているのだと洗脳されている。「アイランド」に行くことは実際は彼らの心臓・肝臓・子宮などを摘出することであり、器としての役目を終える時でもある。

iPS細胞から臓器だけの製作は将来において可能と科学者たちは語る。リセットされた細胞は特定コードの挿入により、コードに見合った姿に製作される。おそらく語るほど単純なことではなく、様々な関係要素により実際は何ができるかわからないのが本当のところだろう。もしかすればネズミの姿をした心臓、ウサギの耳を持つ肝臓、人間の内臓を持つ猿がそれらを代行することになるかもしれない。人間のために製作されたモンスター。現代のフランケンシュタインは継ぎ接ぎだらけではないはずだ。仮にそうなった時、倫理上の問題はどの様な姿で浮上するのだろう。

宮沢賢治の童話「フランドン農学校の豚」では、人間の言語を覚えた豚がなまじ人間とコミュニケートできてしまうことで、食肉になる契約をするように仕向けられる。童話の中では、動物は食用と言えども権利が認められ、食用のため屠殺される場合、動物の任意同意書が必要なのである。契約はあくまでも自発であり、人間たちは動物たちが自らの犠牲的精神で持って、その身を供することを疑わない。
作中のヨークシャイヤは「私儀永々御恩顧の次第に有之候儘、御都合により、何時にても死亡仕るべく候」なる奇怪な文章に前肢の爪印を捺すように求められ、どうにもブタらしからぬやり方で最後には屠られるのです。なまじニンゲンの言語を理解し、文字能力を身につけたばかりに、ヨークシャイヤは擬人化されないままのブタには要求されるはずもない武士道的従順さを強いられ、かといって擬人化の恩恵にたいして浴するわけもなく、ただ無残に、ニンゲンを肥やすための食材とされるわけです。(『擬人化の未来』西成彦)
宮沢賢治の童話における擬人化はあくまでも状況の比喩である。しかし僕らは比喩ではなく、動物が人間の言語を操る、内臓が走り回る、オリジナルと複写の区別がない生命が在る時代を迎えようとしているのである。米国と日本が生殖系の研究を「倫理上の問題」として禁止したとしても、誰かはその一線を踏み越える。そして米国と日本の研究者たちも彼らに追従して研究可能な場へと流れてゆくことだろう。だから日本でも生殖系の研究を解禁すべきと言っているのではない。止めることは難しいと言っているのだ。僕らは「禁止」だと叫ぶだけでなく、それに対応した考えを構築する必要もあると思うのである。

iPS細胞やES細胞を「万能細胞」と誰が名付けたのであろう。「万能」であると言うことは無限定であると言うことだ。つまりは無限と言うことだろう。万能で無限である存在、僕はその存在を「神」しか思い描けない。「万能」は限定で有限な僕の中に存在している。無限を有限が包括できるのかと一瞬とまどうが、それは「限定で有限な僕」という例えが誤りなのだろう。おそらく「万能細胞」は無限ではなく、僕は有限でもないのだ。人間の生を物質レベルで考えれば、誕生から死までの線分で捉える必要もない。僕を構成する物質は死んでもなお残り続ける。

おそらく万能細胞は言葉通りに「万能」ではない、と思う。しかし先々は整形医術・サイボーグ技術と一体もしくは棲み分けて、人間の欠損を補い、機能を拡張し、さらには新たな生命を創ることだろう。「万能」細胞に対する期待は、現在語られているような内容だけに収まりきれないのも事実だと思う。それが人間の精神にどのような影響を与えるのか、このことについて僕は間違いなく内部にいる。

2008/01/31

あらたにす

「日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞のニュースや社説などを読み比べできる新しいウェブサイト「あらたにす」(http://allatanys.jp)が31日午前7時すぎ、オープンする」
(2008/1/30 朝日新聞)
日経・朝日・読売という新聞購読者数によるシェア3強による連合は、新聞社という企業による最終の目論見のように思える。朝日新聞社説「あらたにす発足―言論の戦いを見てほしい」では新聞と言うメディアを前面に出しているが、実態はそうではなく、あくまでもビジネスとしてのネットにおける企業連合であることは間違いない。

新聞社である限り自社サイトのアクセス数を気にしないわけにはいかない。グーグルニュースの登場、産経新聞のMSNへの統合、毎日がMSNから独立してもアクセスを維持している現状、それらのなかで新聞と言うメディアがネットでどの様に変化せざるを得ないのか。その回答が「あらにたす」であるとすれば、少しお粗末と僕には思える。

「グーグルニュース」は記事をそれ以上分解不可能な単位として分類している。「あらたにす」は分解不可能な単位を新聞社においている。別の言い方をすれば、「あらたにす」は新聞類-朝日新聞種という切り分けである。新聞社を統一された分解不能な主体として見せることは、「グーグルニュース」に対する反論でもあるかもしれない。しかしそれであれば、日経・朝日・読売という3社だけでなく毎日と産経も参加させるべきだろう。

MSN産経は実質紙媒体の新聞紙よりも情報量が多い。産経新聞を読めば、記事の末尾に「詳細はMSN産経」と書かれているくらいだ。特に裁判関係の実録記事は臨場感があり面白い。MSN産経は当初はMSNというポータルサイトにリンクされることでアクセス数を稼いだと思うが、現状もアクセス数を維持しているとすれば、それはその情報の種類と量の豊富さであろう。

さらにMSN産経では記事中のキーワードから簡単に検索も可能となっている。人は発生し流れる「出来事」を知りたいと思う。自分の生に与える影響度合いを計る気持ちもあるかもしれない。でも「出来事」は流れているので、知ることは殆ど不可能である。流れの切り取り方により「出来事」の姿は大きく変わる。その「出来事」を知らせるのが新聞の役目であるのなら、「出来事」を中心に纏めるほうが理にかなっている。

無論「出来事」を多く集めても流れを造り出す事は出来ない。一つに見える「出来事」には無数の「出来事」が重なり合い、それらは一つ一つ個別でまとまることも出来ず、ただ流れていくとするのであれば、それぞれの新聞に書かれた「出来事」と「出来事」の間を読み取ることしか出来ないかもしれない。

僕はこれらのことを考えると「あらたにす」は、とても興味ある試みだと思うが、先行きは難しいように思える。何を持って「成功」とするのかは僕にはわからないし、ニュースサイトの一つとしてみれば、これはこれで便利ではある。ただ朝日新聞社説の心意気とは程遠く、僕としては複数のなかの一つでしかない。

2008/01/29

2008年1月29日 諸々のこと

■マクドナルド訴訟
「判決は、管理監督者を「経営者と一体的な立場にある者」と認定。店長は(1)企業全体の経営方針の決定過程に関与していない(2)権限は店内に限られている-ことなどから、肩書は店長であっても実質的に管理職ではないとした。」(東京新聞から)
上記の解釈であれば、日本の多くの企業の管理職は実質的に管理職ではないとなる。別に判決の批判をするわけではない。「今回の判決が、管理職の範囲をあらためて明示したことで、経営側の拡大解釈論に一定の歯止めをかけることが予想される(東京新聞)」ことから労働者の立場からすれば悪い方向ではない。ただ実際との乖離は深いと感じただけだ。

マクドナルドは様々な面で象徴と見なされる。昨年の日本国内で異なる商品価格の導入は、国ごとによる価格差を持つグローバル企業ならではの発想とも言える。つまりは国内にグローバルを導入したのである。無論、グローバルというか、資本主義は差があることを前提にし、格差を造り出すことで資本の増加が得られる機構でもあるから、その考えを国内だけではなく社内にも適用するのは当然の発想とも言えないことはない。つまり「管理者」という名前の珈琲農園従事者を造るのである。その視点で言えば、判決は拡大化したグローバルという考えに対する反論とも取れる。

■【主張】透析患者増加 糖尿病予防の徹底が急務
僕の知り合いに透析患者が一人いた。かなり年配の方だが、透析を受けることの辛さを教えてくれた。透析と言うとまずその方を思い出す。僕に猫の育て方を教えてくれた。しかし後から知れば、その方は猫を飼ったことはなく、おそらく教えてくれた育て方は猫ではなく犬の育て方だったように思う。その猫は今でも一緒に暮らしているが、教えてくれたその方は数年前に亡くなった。透析は辛い。患者は毎年1万人づつ増えているという。
「透析患者を減らすには、まずは徹底した糖尿病予防が必要だ。生活習慣を変え、カロリーの過剰摂取と運動不足による肥満をなくし、血糖値に問題がある場合は、厳格な血糖コントロールが求められる。(産経新聞)」
生活習慣病という名称は好きではない。個体差により発症の程度が違う為、まず自分の肉体の傾向を知る必要がある。しかし、若年のときは個体差は明確的でなく環境に合わせて同様に行動する。その結果が現れるのは青年から中年に達しようとするときだろう。勿論、誰の肉体ではなく自分の肉体であるから、出来うる限り自分が管理するしかないが、ケアとしての医療体制だけではなく、拡大する「自己責任」という概念の歯止めも必要だと思う。

■「社説:ガザ 「強制収容所」を終わらせよう」
「イスラエルはパレスチナ人の居住地域へ食い込む「分離壁」を造っている。
国際司法裁判所は「違法」とみなし、国連総会も壁の撤去を求める決議を採択した。しかし、壁の建設はなお続いている。」

「「屋根のない強制収容所」といわれるガザの惨状を終わらせるにも、国際社会の良識と結束が必要だ。」

(毎日新聞から)
そう思う。そしてその為にも広く情報が行き渡ることを願う。

■Amazonが米国のみで展開しているDRMフリーの音楽配信サービスが2008年中に世界展開するそうだ。DRMについては使い勝手で色々な問題が起こるためAmazonの展開は嬉しい。ただ身近にレンタルCD店がある場合、やはり価格的にレンタルが優位と思う。さらにAmazonの展開が日本の音楽業界に受け入れられるかも未知数である。仮に受け入れられたとして、提供する範囲の限定、もしくは逆の流れを産む可能性、例えば悪名高い複製禁止CDの復活、も有り得るようにも思う。どうなってゆくのだろう、今後の展開が気になる。

■赤福
赤福が2月中に復活する。嬉しい。名古屋・大阪営業所での製造はなくなったが流通拠点としては残っているので、それほどの人員削減はなかったのではないか、などと想像する。製造拠点の縮小は事件の流れから見て致し方ないことだと思うが、逆に地域限定銘菓として市場価値は上がるかもしれない。船場吉兆も赤福も老舗の同族会社であることから同一視しがち。でも赤福好きの僕としては決して同一ではない。赤福にえこひいき宣言をする。

2008/01/28

2008年1月28日 日記

晴れ、6時半頃に一旦眼が覚める。起きようかとちらっと思ったがあと一時間は眠れると思い再び眼を閉じる。起きたのは7時20分ごろ。眠気が尾を引いている。珈琲を飲む。煙草をすう。徐々に眼が覚める。

思いついたことを脈略なく書き綴る。思いついた時点での書き込みとなるので、起承転結などない。逆に言えば起承転結のある文章など最近は仕事以外では書きたくないので、これはこれで面白い。

「産経新聞 主張 道徳教育 心とらえる教材が必要だ」
「人間」が造られた存在であるのなら、「道徳教育を実践せよ」と声を上げる人々はそのことを熟知しているのかもしれない。大雑把に言えば、「道徳教育を実践せよ」は一つの従来教育への「否定」である。論理的に言えば、最初に何かの「肯定」があったはずだと思う。
ただ面白いことに、肯定A、Aの否定B、Bの否定C、と続いたとき、肯定Aと否定Cは同じではなく、逆に否定Cは肯定Aも合わせて否定しているように思う。「道徳教育を実践せよ」と語る人たちは、無論戦前の「修身」を念頭においているわけではないと思うが、言葉は政治的であり歴史を背負っているため、読み手は彼らの言葉を「肯定A」も否定しているとはイメージできない様に思える。
しかし、教育に関する「論」は何故このように「美しい言葉」で語られるのであろう。教育には一つの「こうあって欲しい」という思いがそこには横たわっている。その根幹を明らかにできず上辺だけを語るしかないからこそ、それを補う言葉として「美しい言葉」を使うしかないのかもしれない。

大阪知事選挙については殆ど興味がない。

日経社説「消費者行政は「器」より実質的な議論を」は面白かったが、社説としての中身はない。その中身のなさが、逆に「実質的な議論をせよ」という提言になってる印象を受ける。
「日本の行政は殖産興業の明治以来、業の振興に主眼を置いてきた。業界ごとに細かく法律を作り、それに基づき監督官庁が保護・育成の任を担う「業法行政」だった。その中では消費者保護は二の次だ。相次ぐ消費者被害を受け、消費安全の部署をつくるなど変化は出ているが体質は容易に変わらない。」
日経の社説が言わんとしていることはわかる。で、体質を変えるための何か意見を日経は持ってるのかな・・・

そういえば今朝通勤時、満員電車の中で立ちながら僕にもたれて寝ている女性がいて、それには参った。彼女は完全に熟睡していた。立ったままこれほど熟睡している女性に今までに遭遇したことがない。最初彼女は具合でも悪いのではないかと疑ったほどだ。

でも停車するごとに出入りする人の流れに逆らうことがなく、それでいて眠ったままなのだ、動いているさまを見て、具合が悪くないとわかった。正直言ってその動きには驚いた。慣れていると思った。もたれられたのは二駅なので10分は経ってないと思う。でも僕としては動くわけにも行かないのでちょっと疲れたと言うわけだ。まぁ別に良いけど。

最近携帯のフィルタリングサービスが話題になっている。未成年向け有害サイトフィルタサービスの話だ。ドコモがフィルタリング設定を保護者側で出来るようにするとのこと。もっともな話だと思っているが、僕としては「未成年向け有害サイトフィルタリング」自体に反対なので、仮に提供するのなら保護者側での設定は最低限必要だと思っていた。

フィルタリングに反対なのは、「有害サイト」の定義が曖昧なことと、フィルタリングをすることで何の効果が得られるのかがわからないこと等、要するに何かしらまず管理が先にあるように思えるのだ。フィルタリングは対象者がサイトを知らないときに有効だと思うが、対象者が有害サイトとされたサイトを知りえたときは逆の効果を生むと思うし、それ以前におそらく対象者はそのサイトを何らかの手法をとって参照するだろう。だれも人がしたいと思うことを止めることはできない。

2008/01/25

2008年1月24日、東急田園都市線

朝日新聞によると以下のような顛末だったらしい。
「田園都市線では同日午後5時半ごろ、川崎市高津区二子の高津駅で人が通過中の電車に飛び込む事故があり、午後7時15分まで救助や復旧作業が続いた。(asahi.comより)」
最初の事故は人身事故だった。この事故で電車は二時間近く止まった。
二度目の事故は用賀駅で線路に亀裂が発見されたことによるものだった。最初の人身事故との関連性は全くない。
「レールの継ぎ目の溶接部分が何らかの原因で切れたとみられ、レールを流れる信号用の電流が途切れて近辺の信号が赤になったという。鉄道関係者によると、冬は寒さでレールが縮みやすく、溶接部分や傷のある部分でレールが切れることがあるという。(asahi.comより)」
この事故で途中の10分間の再開を除き約1時間40分電車は止まった。二度目の事故の発覚は午後8時頃だったので、人身事故からの復旧からまだ間のないことがわかる。

田園都市線は渋谷から神奈川の中央林間まで通じている。しかも田園都市線は地下鉄半蔵門線と東武電鉄に直結しているため、両線にも影響を与えた。田園都市線が不通の間、東武押上から渋谷までの折り返し運転となり、電車は乗客を次々に澁谷に送っていた。当然に半蔵門線渋谷駅のホームは人であふれた。勿論渋谷から田園都市線を利用する人も多い。故に一時は渋谷駅で乗客の入場を制限する処置まで行われたほどである。何人かが体調不調を訴え救急車で運ばれた。

人々は不確かな情報を伝えるアナウンスと再開時期が不明な状況にうんざりした面持ちで、それでも殆どの人は無言で電車が動くのを待ち続けた。僕は半蔵門線を利用している。丁度帰宅のため駅に着いたのが午後8時あたりだと思う。ホームに降りると電車が停車していたので、これはついていると迷わず電車に乗り込んだ。でもいつまで待っても出発しない。不思議に思い始めたとき駅のアナウンスが流れた。

アナウンスは、その時点での状況を伝えようとしているのは声の調子で感じるが、全く要領を得なかった。僕が理解できたのは、東急田園都市線で人身事故があったこと、電車の点検のためその電車を回送すること、回送が終わるまで駅に停車している電車は出発できないこと、この電車は渋谷までで田園都市線には乗り入れないこと、などであった。

後から新聞情報を知れば、半分はその通りだが線路の亀裂のことなどは知らされなかった。でも乗客にとって一番に知りたいことは、駅に停車している電車がいつ動き出すのかと言うことだ。でもそれを想像することさえできない内容だった。これも後から知り得たことだが、この一連の事故で約16万7千人の足が大きく乱れたとのことだった。

しばらく電車の中で待っていると東急線が開通したとのアナウンスがあり、電車も渋谷行きからさらに先の中央林間行きに切り替わった。それで帰ってこれたのだが、後から知れば、その稼働も10分間だけの一時的なことだったらしい。

この事故を都市の脆弱性に結びつけて話をするのは簡単なことだ。しかしその様なことは誰もが承知の話である。我々はまるでカミソリのエッジの上を危ういバランスを保ちながら歩いているようだ。でもそれを告げて何かが変わるわけでもない。

影響を大きくしたのは線路の亀裂の発覚の方だろう。その事故を振り返ってみれば、停車時間は、体調不良になられた方には大変に申し訳ないが、たったの1時間40分である。人に言わせれば、その1時間40分で個人的・社会的に致命的な状況に陥る人もいるかも知れないし、体調不良を訴え最悪の場合亡くなる方もでるかもしれない、でもそれでもたった1時間40分なのである。

普段では何も問題のなかった交通システムが、1時間40分間停止しただけでこのような混乱状態になったということは、逆に言えばそれだけのボリュームを交通システムが日常処理していたということになる。これはある意味凄いことだと僕は思う。そして都市交通システムを維持し運営する人の社会的使命の意識の高さで、復旧を短時間(人によって考えは違うとは思うが)で行えたのも素晴らしいことかも知れない。渋谷駅で殆どの利用者が我慢できたのも、都市システムの脆弱の中でそれを復旧しようとする彼らの姿に、わが身の日常を重ねていたからだと思うのだ。

つい少し前まで、ネットが普及の兆しを見せ始めた頃、会社の業務は在宅化するのではないかとの予想が多かった。フレックスタイムを多くの会社が採り入れたころだ。その傾向は、現在では、個人情報保護及び情報セキュリティのかけ声のもと吹き飛んでしまったかのようである。今、多くの人たちは会社でまるで図書館の閲覧室にて仕事をしている感覚に囚われているかもしれない。在宅勤務の夢は遠のき、今でも都市交通システムに依存してそれぞれの仕事は成り立っている。

身体的にはネットのインフラよりも交通システムの方が社会的に重要なライフラインなのである。現代では、過去の民族大移動のように毎日人は肉体を動かしている。そしておそらく人はそのような習慣の中で肉体を動かすこと、つまりは行動(反応)することが重要だとする価値観を身体性にまで落とし込んでいることだろう。今回の一連の事故も、自らその肉体を粉砕するという人身事故に始まり、線路の亀裂を最初に発見したのも利用者の眼であったし、それらの事故の復旧の為に関係者は駆け回り、利用者は立ち続けた、という風に、一連の流れは肉体的なレベルに均しても説明がつくし、新聞などの報道もそれに準じている。

新聞でインタビューに答える人たち。彼ら・彼女らの言葉は心の有り様を素直に表現している。心は身体の反応に連動する。それぞれの肉体の状態において心の有り様は、個々に様々とはいえ、反応の仕方では同じ方向を向いていたと思う。勿論それが人間の常態であるかもしれない。無論人はそれぞれに違う。ただ、反応に対しては僕も含め何かしら人々は似ているように見える。

だからか、この様な事故があり大勢の人々が一カ所に群れのように集まると、僕は自分の存在の薄さを多少なりとも感じるのである。電車は途中で減速・停車しながら通常の約倍の時間で下車駅に着いた。無言で改札を出る人々に混じりながら僕は周囲の安堵した様な表情の顔を眺める。帰りは散歩がてら遠回りをして家まで歩いた。家について最初の人身事故が自殺(25歳独身女性)である可能性が高いことを知った。少しだけ彼女の人生と家族のことを思った。

2008/01/17

MacBook Air、それは足りなさの成功

「MacBook Air」は美しい。パソコンという道具に「美しい」という感覚がふさわしいかどうかは疑問があるところだ。でも僕が「MacBook Air」の写真を見た時に最初に感じたのは「美しさ」だった。美しさを数値で表すことは難しい。確かに「MacBook Air」は薄く軽い、でも厚さと重さの数値を述べたところで、僕が「MacBook Air」を見て美しいと溜息をついた気持ちを伝えることは出来まい。そこには確かに僕の主観があるのがわかるからだ。

おそらくMacWorldの基調講演でジョブズが封筒からMacBook Airを取り出した時に息を呑んだ者、AppleのホームページでMacBook Airの写真をしばし眺め続けた者、彼らには僕のこの気持ちは多少なりとも伝わるとは思う。

「MacBook Air」は目に見える欠点、つまり「足りない物」が明確にわかるパソコンだ。誰でも「MacBook Air」の足りない物を幾つもあげることができる。僕は複数の友人に「MacBook Air」のデザイン上の感想を求めた。すると彼らは即座に何々が足りないと口にした。面白いことにその足りない何かはそれぞれによって違った。ある者はUSBポートが一つでは足りないと言ったし、ある者はイーサネットの口がないと告げた、またある者はDVD等の読み取り装置が無いと残念がった。おそらく彼らが告げた物は、彼らにとって一番の足りない何かだったのだろう。

逆に言えば、常に人にとって一番足りない物は一つしかないのである。人間は複数の痛みを同時に感じることができない。その一番足りない物が、仮に「MacBook Air」にあれば、二番目の足りない物を見つけるのかも知れない。でも、仮にそうだとしても、彼らが語る「足りない物」は少なくとも何かの代替案が存在するのである。つまりは「MacBook Air」が成功するか否かのハードルは意外に低いと言うことだ。

僕は「MacBook Air」の写真を見た時、何故か「Macintosh SE/30」を思い出した。あの1989年に発売した一体型の系譜の一台である。僕が最初に購入したMacでもあった。本当は前機種であるSEから欲しかったが、何せ価格が高すぎた。僕には、Macの歴史を飾る一体型はアラン・ケイが提唱するダイナブック構想が実体化する種子の様に思えたのである。

その当時、マンマシンインターフェースを含め、パソコンの将来像を語るにはMacをおいて他にはなかった。しかし今回「MacBook Air」が発表された現在は、Web上に様々なASPが存在し、逆にMacである必然性は何もない。

逆にだからこそ、モバイルのデザインをラディカルに考えた結果「MacBook Air」のフォルムが誕生したのかもしれない。一台のパソコンだけで全てを行うためのラディカルな発想がMacの歴史に一体型の系譜を産み出したように、パソコンは何でも構わない時代にラディカルな発想で「MacBook Air」のフォルムが誕生した様に僕には思える。

「MacBook Air」はパソコンの形をした「iPod Touch」かもしれない。「MacBook Air」
の神髄はワイヤレスとしてのシステムにあるより、やはり新たな操作性にあるように思える。ある意味、マウスとウィンドウシステムの登場により、パソコンのインターフェースは新たな段階を創造するのは難しいと思っていた。しかし、「iPod Touch」が新たな地平を垣間見せてくれたし、それをパソコンで実現するには「MacBook Air」の形が必要なのだと思えたのである。逆に言えば、「MacBook Air」からの発展系が、進化するWebの端末としてのマンマシン・インターフェースでありフォルムになり得る、そんな期待感を僕は直感的に抱いたのだ。

しかし残念なことが一つだけある。それは日本での販売価格に他ならない。少なくとも10万円台での販売であれば、おそらくビジネス的にマックフリーク以外にも訴求力が出たことだろう。「MacBook Air」の予想販売台数がどのくらいなのか僕は知らない。おそらくそれなりに売れるだろうが、爆発的に売れることはないだろう。しかし「MacBook Air」はMacの歴史に名を残すことは間違いないと思うし、継続的な発展を行うことで、ビジネスにおいても素晴らしい成功になり得ると信じている。

2008/01/16

「内部統制」という気持ち悪さ

「内部統制」が2008年度から開始される。おそらく現時点では多くの会社員は「内部統制」についてそれぞれに思うところがあるように思う。僕もその一人だが、実を言えば考えるたびに少し気持ち悪くなるので、「内部統制」については出来るだけ考えないようにしていた。気持ち悪さの原因は僕の中に二つの思いがあり、それを仕事の現場において意識して使い分けていることにある。ただどうにも我慢が出来なくなってきているので、ガス抜きのつもりでブログに書くことにした。

「内部統制」についての基本的な考えである「4つの目的」(*1)と「6つの構成要素」
(*2)についてはある程度周知のことだと思うのでここでは書かないが、それらの目的・要因の説明をするまでもなく、簡潔に「内部統制」を語れば読んで字のごとく「内部を統制」する一言で足りる。株主総会が会社を外部から統制することであれば、「内部統制」は経営者が会社を内部から統制することにある。会社を内部から統制するとは具体的に何かといえば、それが「6つの構成要素」に関わり合うのだが、誰がその要素を現実化するかといえば従業員に他ならず、そこから経営者が従業員の行動を統制する、つまりは悪事が働ける能力と立場にある者が実際にその行動に至らないように管理する、ということに繋がってゆく。

だから経営者側から「積極的に「内部統制」に参加せよ」と言われても、従業員の立場から言えばその行動は論理的ではないのである。しかもいわゆる「JSOX法」と呼ばれる関係諸法の成立が、米国からの影響(*3)を強く受けているにせよ、日本側の成立動機に「大和銀行事件」 (*4)があるのは事実だと思う。一人の行員による巨額損失が発見できなかった責任を問われ、経営者側に約800億円という損害賠償責任を認めた大阪地裁の判決は衝撃的だった。確かに「大和銀行事件」以降、「内部統制」がらみの事件が起きているのは事実である。でもそれらの事件の何件かは経営者自らが主体的に係りあってもいるし、特に昨年の偽証事件の殆どは経営者側が確信犯的な主犯格でもある。何が言いたいかといえば、立法の宿命かもしれないが、常に現実の方が動きは早く、既に「内部統制」の仕組みでは対応不能な状況下にあるのではないか、と思うのである(*5)。

「内部統制」は定めた業務プロセスの遵守が要となる。業務プロセスはプロセスオーナー(役職としては取締役クラス)が統制し、業務プロセスの承認はプロセスオーナーが行うことになる。また業務プロセスはPDCAサイクル(*6)という原理的にトップダウン手法により維持管理される。業務プロセスどおりに業務が遂行されているかをPDCA手法により確認するのである。しかし、業務プロセスをプロセスオーナーが統制するということは、逆に言えばプロセスオーナーは業務プロセスを好きなように変更可能だとも言える。そしてそれに対するチェック機能は監査役もしくは株主に委ねられることになる。しかし昨年の事件を考えたとき、果たして機能がどのくらい果たせるか疑問が残る。(*7)

会社を人間の身体の部位に例える話は矛盾が噴出するが、不定形な有機体の例えは身体の例えよりはましかもしれない。つまり独立して勝手に動いているように見えても全体としては一つの目的(生命維持)に向かって動いているという例えである。システム論的な見方かもしれないが、僕が会社をイメージする時に最初に浮かぶ姿である。それからしてみれば、「内部統制」は不定形な姿を四角形とかの姿に切り替えるだけでなく、勝手に動けないようにすることのように思える。不定形であろうが四角形であろうが、「内部統制」の根にシステム論的視点があれば個人の価値が薄くなるのは変わりはない。ただ僕としてはさらに勝手に動けない様にすることで、その傾向が強まると思えるのである。

もともとシステム畑で育った人間だから、標準化とか、見える化とか、システム化に沿った効率の良い業務プロセス化とかへの指向は強かった。さらにシステム部門は「内部統制」の運用の要でもあることから、「内部統制」は追い風ともいえないこともない。これが相反する二つ目の点である。仕事をラディカルに考えれば生活の糧なのであるから、定められたことを粛々とこなしていけばよい。労務規約を遵守し、勤務時間中は誠実に自分の能力とスキルを行使することは当然のことだと思っている。追い風と前記の仕事に対する基本的な考えであれば、内部統制の運用に対しても違和感は持つことはないのだろう。でも最初に述べた思いもあるのだから、僕としてはとても気持ちが悪いのである。

結局トップダウン的な手法が気に食わないだけじゃないか、と思ったこともあるが、どうもそれでも釈然としない。それに仮に手法がボトムアップであったとしても、自分ひとりで何かが出来るわけでは決してなく、それ以上にトップダウンとボトムアップという二項択一の問題設定で気持ち悪さが解決できるとも思えない。

ポストモダン的解釈で「内部統制」を誰かが語れば、「環境管理」とか「生・権力」とかの言葉を使うのだろう。それはそれで構わないが、そういう語りにリアリティを感じるかと言えば、現時点ではそうではないから始末に悪い。当分この気持ち悪さは続くのであろう、そんな感じがする。しばらくすれば忘れるのかもしれないし(やることは同じだから)、気持ち悪さの原因がつかめるかも知れない。でも今は、というか当分は、この状況に身をおくしかない。

こうやって解決できない問題が増え、しかも時間と共に、その問題は変質していくのだろう。そして「ポジティブ」という訳のわからぬ言葉で自分を納得させ、その都度状況に応じて複数の思いを使い分け続けるのだろう。

補足
*1:「4つの目的」とは、(1)業務の有効性と効率性、(2)財務報告の信頼性、(3)関連法規の遵守、(4)資産の保全、を言う
*2:「6つの構成要素」とは、(1)統制環境、(2)リスクの評価と対応、(3)統制活動、(4)情報と伝達、(5)モニタリング、(6)ITへの対応、を言う
*3:具体的には、「COSOモデル」(1992年に米国のトレッドウェイ委員会組織委員会(COSO:the Committee of Sponsoring Organization of the Treadway Commission)が公表した「内部統制」のフレームワーク)とCOSOモデルに準拠すべきと明示している米国「SOX法」
*4:詳細はWikipedia「大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件 」参照
*5:企業犯罪は経済と社会状況によりその犯罪傾向が顕れるように思う。時系列で経済動向を見れば詳細な傾向が見えるかもしれないが、大雑把な区分けをすれば、バブル崩壊前と後でとは違う。バブル崩壊前は、経営者の親族に対する金銭などの便宜供与、総会屋に対する利益供与など。バブル崩壊後は、損失補填、インサイダー取引、巨額融資の焦げ付きなど。
現在はバブル崩壊前後とは違う状況を呈しているように見える。ここで言いたかったのは、「内部統制」成立において中心となったリスク(脅威)分析には「大和銀行事件」が大きくあったように思えるが、現在の脅威はそれだけとは思えない、と言うことである。
*6:詳細はWikipedia「PDCAサイクル 」参照
*7:「公益通報者保護法」で内部告発できる環境はあるが、僕としては、それ以前に「告発すべきか否か」などというハムレット的立場になる不幸は願い下げである。また、新「会社法」及び「金融商品取引法」の成立が2006年だから、問題を起こした企業の理解度が不足していたという可能性も否定できない。

2008/01/04

翻訳について、リセット

僕は「翻訳について」以下の五つの条件をあげようと思う。「条件」を示す場合、「何の」という目的が必要と思われるが、必ずしも同一目的下でまとめられてはいない。「翻訳について」という命題に思いつくまま羅列したに過ぎないと思う。でも強いて言えば、「翻訳とは一つの形式」というベンヤミンの言葉、そして翻訳の政治的側面からの視点が羅列の背景にあると意識はしている。
  1. 翻訳の原本(翻訳される側)は文書であること。つまり書かれている言葉である。そして、翻訳本は原本の前に現れることは決してない。
  2. 原本は現時点における共時性をもった書かれた言葉ではなく、かつその書かれた言葉の意味が判読難しい状況にある。
  3. 原本は翻訳本となるラングとは別のラングで書かれている。さらに原本の文体は翻訳の文体を保証するものではない。
  4. 翻訳する理由、もしくは市場性がある。また市場の大小および対象は翻訳の技術面に影響を与える。
  5. 翻訳とは受容ではなく変容である。すなわち翻訳とは一つの解釈の形式であり、それは語と1文の構成の選択に現れる。
日本では、例えば琉球語の様に話し言葉としては、行政範囲内である場合、標準語と対比する方言としてその位置づけが定められているが、僕の視点からは日本は多言語国家としてある。ただ、「書き言葉」としての日本語は、先住民族・移民・外国人労働者・難民・旅行者および在日という日本人社会と対比により成立した各社会を除き、といっても多くの前記の人々も共に地域という意味で「日本」に長期間暮らすなかで「書き言葉」としての日本語を習得している割合は高いと思われるが、「話し言葉」と較べれば「単一言語」となっているように思える。それは中央集権国家として成り立った頃より培われたかもしれない。

でも僕がここで語りたいことはそのようなことではない。翻訳とは産業翻訳を実質中心に行われながら、イメージとしては文芸翻訳が中心であった。でも本来翻訳はまずは人間の生命・生活に重点をおいて行われるべきと僕は思う。

渋谷などの駅名表示そして街路地表示、トイレなどの生理面に関する案内表示などは既に概ね翻訳されている様に思うが、例えば行政サービスに関しての翻訳はどの程度進められているのであろうか。また言語間の翻訳は在住する別ラングの人々の割合に応じて為されるべきであるにも関わらず、英語中心に行われている傾向にないだろうか。

統計的な数値を知らないので無責任な言動になってしまいかねなないが、仮に僕の想像通りである時、もしくはその翻訳行為を各自治体の予算に任されている実態にある時、そこに政治的な意図はないのだろうか。

全く別の視点で見て、例えばフランス語から日本語にある文書を翻訳する時、そのフランス語とか日本語は一つの統一され固定した静的な言語であることを前提にしている様な印象を受ける。

でも常に言語は流動的で止まることはないし、一国家・一民族・一言語が等号で結ばれることもない。その中で翻訳文は書かれた瞬間から陳腐になる傾向となるが、それでも「日本語」として完成された単一言語として取り扱う傾向にある。それは翻訳の実務面としては致し方ないことではあるが、その結果、ある面では日本の政治システムを維持強化することにつながる様にも思える。

文藝翻訳に関する一つの例としてミラン・クンデラ(1929年4月1日-)をあげたい。ミラン・クンデラはチェコからフランスに亡命した。フランスに亡命した時点で既にクンデラは著名な作家であったが、それはチェコ時代に書いたクンデラの作品のフランス語訳の小説が高い評価を得ていたことによる。しかし、その翻訳はクンデラ自身から見た時、書き直されていたと思わせるほどの誤訳であった。誤訳はその文体にあった。逆に言えば、クンデラにとって文体は対応する語の適切さと同等に翻訳において重要な位置を示していた。それによりクンデラのフランス亡命生活の初め約10年は、精緻なフランス語を鍛えることと彼自身の小説の再翻訳に追われることになる。

クンデラの作品がフランス語に翻訳された時、東西冷戦の終結間際と言いながら、そこに依然として冷戦構造の枠組みの中でフランス側がチェコを捉えていた視線があるのは事実であろう。クンデラが 「チェコのソルジェニーツィン」と評されていたことが、ある意味、それを端的に示している。つまりクンデラの作品は、その当時フランス側が望む様に彼の作品を訳していたことになる。そしてそのことは、政治的に東西冷戦構造の中で西側体制強化につながると見てもあながち不自然ではないように思える。

ここで一つの疑問が浮かぶ。クンデラがチェコ時代にチェコ語で書かれた小説と、フランス亡命後に彼自身がフランス語に再翻訳した小説、その両者を並べたとき、両翻訳の内容は全く同じであろうか、またどちらが原本なのであろうか。僕の答えは簡単だ。あくまでクンデラ自身が翻訳を行おうが、チェコ語版が原本であり、両者は同じではない。ただ、両者を並べ考える意味はないとは思う。それは両作品が原作者を担保とするからではなく、原本と翻訳本を並べ較べることに意味が無いことを示していると、僕は思う。

さらに重訳についても考えてみる。村上春樹と柴田元幸の対談『翻訳夜話』(文春新書)で、村上氏はテキストが重要と語ったうえで重訳について以下のように語る。
僕の小説がそういうふうに重訳されているということから、書いた本人として思うのは、べつにいいんじゃない、 とまでは言わないけど、もっと大事なものはありますよね。僕は細かい表現レベルのことよりは、もっと大きな物語レベルのものさえ伝わってくれればそれでいいやっていう部分はあります。
(『翻訳夜話』 文春新書)
重訳における原本との誤差が直接翻訳と較べ多いとする根拠は僕にはない。『翻訳夜話』のなかで柴田氏は重訳について、コピーのコピーだからノイズが増える、と言っているが翻訳はコピーではないと思うので、その例えは僕には成り立たない。また言語構造(文法)が全く違う言語間の翻訳が間に入る場合、ノイズが大きくなる様に思えるとも言われていたが、例えば漢文と日本語文の言語構造は全く違うが、ノイズは少ないように思える。日本は漢字文化圏に属しているが故にノイズが少ないとすれば、翻訳時のノイズ混入の多少は言語構造に拠らず、言語間の歴史的関係にあることを示す結果になりはしないか。

翻訳文化でもある日本は、明治以前、翻訳は中国からの様々な文書に訓点を付けることと同義だったと思う。諸外国の文書は中国に渡り漢文に翻訳される、日本はそれを輸入し訓読した。ある面、日本は漢文経由の重訳文化だったのかもしれない。例えば、Wikipedia「仏典 」によれば、古代マガダ語、バリー語、サンスクリット語で書かれ、文字は「悉曇」(しったん)が多く使われたとある。つまり仏典は日本語に翻訳される以前からして重訳を重ねていることになる。

しかし日本において仏典の重訳の問題はなかったように思える。たとえば解釈の違いから、もしくは仏典の選択から日本では諍いがあったが、重訳からの疑義による信仰心の揺らぎは起っていない。

重訳の問題は、畢竟直接翻訳の問題以上とはなりえない、と僕は思う。僕は本記事において、逐語訳、意訳などについて語るつもりはない。それらは原本の意味と内容(書かれた言葉)のどちらを重視するかの重みにより変わり、その判断は原本が何のために書かれているかに拠ると思われるからだ。ただ原則的には原本の 「書き言葉」に現時点での言語をもって、出来うる限り正確に合わせるべきとは思っている。

追記:世界で最も他言語への翻訳が多いのはキリスト教の聖書だと思う。翻訳の歴史を考えるとき聖書抜きでは考えることはできないだろうし、翻訳の問題も聖書から派生したとも言える。でもここではそこまで踏み込むつもりはない。(Wikipedia 「聖書翻訳 」参照)

2008/01/01

十人十色への拙い覚書

十人十色ということは、世界に64億人いるとしたとき64億色あるということになる。それだけではない、人類が誕生からそれぞれがユニークな存在であるのなら、その色は膨大になる。そのように考えた時、僕の思考は止まる。無論、僕がユニークな存在であることは一つの推論である。僕自身が対面し話をした人とは違いが実感できた。確かに僕と彼とは違っていた。

確かに僕と彼女は違っていた。でも彼と彼女が違うのを何故僕は知っているのだろう。
それはあくまでも自分から推測した仮定ではないのだろうか。逆に言えば、彼もしくは彼女を仮想的に自分に置き換えている。でもその置き換えは、そもそも彼と彼女が僕とは違うことから、置き換え不能という点で出発点からして矛盾を抱えているのだ。

十人十色と確信を持って信じている人たちは、「日本人」という一つ共同体は一切信じることはないのだろう。企業内で「人それぞれ」と唱える人は、生活のために信念を一時的にでも変えることが出来ると信じているのであろうか。人がそれぞれに違うことを植物に例えて歌う人たち。植物に例えて歌うのは適切だ。なぜなら植物が育つにはそれなりの環境が必要だから。逆に言えば、環境により特定植物だけを生存可能にすることさえ出来る。

無論、十人十色と言いながら、人はその中にある程度の許容出来る範囲があることを前提にしている。「俺は日本人らしくない」と語る人と、「私は古い日本人なんです」と語る人は、同じ「日本人らしさ」の要素を共有している様に思える点で同一面上に位置している。

企業内で十人十色と称している人も、同じ組織内にイスラム原理主義者を受け入れることが可能とは信じてはいるまい。そして、許容できる範囲を超えてのブレがある時、十人十色と呼ばれる前にその人は病と診断され社会から隔離されることになるのだから。

「十人十色」と語る人はその前提を意識しているのだろうか。多くの場合は自分の願望を満足できない時のあきらめと共に使われる言葉の一つとしてあるのでないだろうか。確かに僕はユニークである。それはハンナ・アーレントが言うように「活動」によって顕れる以前からしてユニークである。そして僕は他者との差異により現れる違い以前にして違う。そして僕は孤独を愛している。僕の行動に、意見に、「人それぞれだから」と答える人の意見は、その中に自分という主客が確固と存在している。そして彼・彼女の主格に僕はその中で従属されている。その従属の中で、僕は彼らの世界の中に組み込まれ、そして「人それぞれ」という言葉の内にある特定のカテゴリの中に組み込まれる。その動きの中に、「十人十色」という言葉は背後に押し込まれる。ただ表層的に、対面的に、言葉としてそれは為される。

まだ「人はわからない」と率直に語られることが、そしてそれを出発点にすることが、おそらく人を承認する初めなのだ、と僕は信じる。