2008/04/08

さくら

東京ではソメイヨシノが散り始め、少し遅れて山桜が満開の時期を迎えた。しかし圧倒的な本数の違いか、ソメイヨシノの散りゆく姿は今年のさくらの終わりを感じさせる。先週末、会社知人の姉が亡くなられたと聞いて通夜に行ってきた。茨城と埼玉の県境にある町。利根川の土手には夕日に照らされて菜の花が眩しい黄色を放っていた。そして通夜の場所の傍らにはソメイヨシノが咲いていた。散りゆく桜。桜には死にゆく者をイメージさせる。無論これは造られたイメージだ。それはわかっている。でもこの国の春にはさくらが多すぎ、僕はどうしようもなくそのイメージに囚われる。

さくらは人の手が入らない限り群生することはない。群生しているということは人が植えたと言うことだ。近代では、さくらが植えられた時代は廃墟と都市開発に重なるという。植民地政策の一つとしてさくらが植えられ、戦争による廃墟の跡にはソメイヨシノが植えられた。さくらの樹の下には死体が埋まっているという梶井基次郎のイメージはあながち間違っているわけではない、と思う。

日本人が桜が好きなのは、歴史的・社会的に構築され捏造されたものに過ぎない。凡庸な意見だが、別に異論はない。でもそこからは次の何かが生まれるとも思えない。ソメイヨシノは植えられ、植えられた人の意志とは次元を異にし、春になれば花を咲かす。そこにあるのは生命の営みであり、人間がソメイヨシノに抱く様々な了見とは無縁の開花でもある。しかしその桜を植え続けているのは人間なのだ。

昨年参照した佐藤俊樹氏『桜が創った「日本」-ソメイヨシノ 起源への旅』によれば、ソメイヨシノを多く植えた理由の一つとして「経済性」があげられると言う。価格が安く、供給元に需要に応えるだけの生産能力があったから、役所にとっては計画が立てやすかったと言うのだ。そしてもう一つ、ソメイヨシノが桜のイメージを誇張した姿だったこともあげている。いわばさくらの理想型、理念化されたさくらの姿は思想的に政治に利用しやすかった。

理念化した桜であるソメイヨシノへの反発も当然にわき上がる。しかし強い反発は植える熱意と大して代わりはしない。桜を元に近代日本の姿を暴いた所で花見の客が興ざめをするわけでもない。人々は日々報じる桜前線に色めき立ち、満開の桜の下で狂騒を繰り広げる。
さくらは一つの様式を我々に示すが、さくらの経験は個々の文脈によって違う。毎春に同じように咲く花は、我々の人生において一つたりとも同じものはない。愛すべき人を失った者が観るさくらは悲しくはかないことだろう。新たな道を歩む人が観るさくらは青空の下で意気揚々と咲いていることだろう。個々の経験は記憶となってさくらに結びつき、やがてさくらは忘れ得ぬ花となる。

一つの様式、一つの理念で語られるさくらは既に過去のものとなっている。それは良いことだろう。その代わり、さくらは個々の思い出作りという活動に動員され消費されることになる。いわば現代のさくらは自由市場に放り込まれた一つの商品でもある。特別ではあるが、単なる日本に在る多くの樹木の一つとしての存在。それもまた良いことなのかもしれない。