作家、エッセイストでロシア語同時通訳者でもあった米原万里さんの講演録集。書籍のタイトルともなっている「愛の法則」以外にも「国際化とグローバリゼーションのあいだ」「理解と誤解のあいだ」「通訳と翻訳の違い」などの同時通訳者としての経験から得た事柄も載っている。他の3編も実質的で面白いとは思うが、ここでは「愛の法則」についてのみ感想を載せる。
ご存じの方も多いかとは思うが、米原万里さんは2006年5月25日に卵巣ガンにて亡くなっている。享年56歳。
彼女にとって男は以下の3つに分類されるのだそうだ。
A ぜひ寝てみたい男
B まあ、寝てもいいかなってタイプ
C 絶対寝たくないタイプ
その上でカテゴリCの男性が90%を占めているのだそうだ。だから何?と思う僕は男性として少し変っているのかもしれない。米原万里さんは、きっと男性側もおなじでしょう?としているが、そんなこと考えたこともなく、つまりは女性と違って、タイプAだろうがタイプCだろうが、幸か不幸か異性側からアクションを受けたこともなく、きっとそれは幸運なんだろう、だから実際のところ自分ではわからない。そういう見方って、きっとこの男性社会の中に生きている女性ならではなんだろうと思うが、いかがなものだろう。
この3つの分類が冒頭にあり話が続くわけだが、さすがに彼女の講演は面白いと言うだけあり、楽しく読める。さらに書かれている薀蓄もそれなりに面白い。
歴史的に見ても、女性は多くの男を競わせて優秀な一人を選ぶという、竹取物語やかえるの王子など、女が主人公の物語では普遍的にそういう法則があるでしょう、という。その理由を彼女は性淘汰による進化論的視点や社会学的なキーワードで読みとく。
中でも面白いと思ったのは、1960年の旧ソ連アルメニアのゲオダキャンという人物の仮説「男はサンプル」の紹介だった。この仮説は米原万里さんによれは以下の論旨となる。
雌は本能的に優秀な子孫を残したいと思っている。雄は出来るだけ多くの自分の子孫を残したいと考える。しかし量を求めるとき雌の数が多い方が有利だし、質を求めるときは雌の数が少ない方がよいことになる。そこから米原万里さんは次のように考える。
『雌(女性)は量を担いながら質を追及する、雄(男性)は量を追求しながら質を担う。』
男性が質を担うとは、女性よりも多種多様なタイプが生まれるということであり、女性が量を担うとは、様々なタイプの男性が持つ遺伝子を存続させるということだ。無論、そのなかで性淘汰されてもいく。その結果、人類は環境変化に対応可能な様々なタイプを保険として誕生させていくことになる。
『個々人はバラバラに好きになったり嫌いになったりするけれども、全体としては人類を維持していく、絶滅させないという種の意志が働いているのではないかと思うことがあります。』
つまり、米原万里さんが考える「愛の法則」とは簡単に言えば、人類全体を維持し存続させるために遺伝子レベルでプログラミングされたものとなる。
これらの話は米原万里さんが中学校時代からの「愛の法則」研究から、数多くの小説及び研究書を読み、彼女がまとめた。彼女の知識は多く、それらがテンポ良く繋がっている。講話として聞けば、きっと面白いに違いない。ただ全体を通して一つの疑問がわいたのも事実だった。無論この疑問は遺伝子レベルでの生物学的論拠から来るレベルではない。その視点からの疑問の提示は米原万里さんの講話に対し失礼というものだ。
「愛の法則」を調べたいという動機も大元は一体何だったのだろう。人間は何故男女に分かれ、双方の概ねは惹かれ合うのか。その根っこには言わずとも、男女間の恋愛の不思議さがあり、その不思議さは自らの体験による心の動き、情動と言っても良いかも知れないものを発見・実感したことから発しているのではないだろうか。
一般化する前にはその言葉を知らなければならない。その言葉「恋愛」を知ると言うことは、その実質と原因と表象する事柄を互いに結びつけると言うことでもある。つまり「愛の法則」探求の大元には米原万里さん自身の次の問いかけが必要となるのだ。
何故、この私は、この彼を好きになったのだろう。どの私でもない、この私が、どの彼でもない、この彼(つまり、あなた)を、何故愛するようになったのだろう。
この問題に、脳科学がどうかとか神経レベルがどうかとか、人類の歴史とか、生物学的だとか、その他諸々の科学と言われる妄想は全く説明できない。いや私以外の人間であれば、他人のことであれば、彼女が彼を愛した理由を想像できるし推測も出来る。でも自分のことについては説明できるわけがない。
果たして米原万里さんはこの謎に納得できる答えが見つかったのであろうか。僕は「愛の法則」を読む限りにおいて、彼女の探求の方向は大きく外れているように思う。ただ、あくまで講演者として見れば、この謎を解く話は面白味に欠けるし、それ以前にこの話は相手(聴衆者)に伝わらないだろう。米原万里さんがそう考え講演内容から外したとしても全然不思議でもない。ただそれでも僕は思ってしまうのだ、彼女はその謎の答えを見つけたのであろうかと。