駒沢公園にはメタセコイアが4本植えられている。いつに植えられたのかは定かではないが、多分公園が出来たときに一緒に植えられたのではないだろうか。そうすると約40年以上は経っていることになる。
少し前まで僕は第一競技場(陸上競技)脇に植えられている樹木は落松だと思っていた。明らかに針葉樹で、秋に紅葉し冬には落葉する樹木と言えば落松しか思い浮かばなかったのである。メタセコイヤ、和名「あけぼの杉」などは名前さえ知らなかった。勿論今となってはメタセコイヤが広く知られわたっている樹木であることは知っている。それでも以前、 例えば戦後間もない時期と今を較べれば、知名度は雲泥の差があるかもしれない。
80万年前に日本列島を最後に絶滅したと思われてきたメタセコイアが、中国に現存しているのがわかったのは、太平洋戦争直後のことだった。それまで多くの化石遺体として発見されてきた木は、米国などで現存しているセコイア属の一種だと思われていた。それを日本植物学者三木茂は別の属であることを化石から証明し、1941年の論文の中で「メタセコイア」と命名した。
そのメタセコイアが1946年に中国で見つかり、中国植物学者から米国植物学者へと標本が送られる。そして1948年に中国現地に米国植物学者が訪ね多くの標本・種子を採取する。その中の一部が1949年に日本(小石川植物園、昭和天皇)に届くのである。
齋藤清明著「メタセコイア-昭和天皇の愛した木」(中央公論社)によれば、日本にメタセコイアの苗木及び種子が届いた時の状況を 「戦後復興のシンボル」と題して次のように語る。
「ところで、「生きた化石 米から苗木 日本で栽培へ」の記事が載った『毎日新聞』大阪本社版1949年(昭和24年)
11月11日付の同じページに、「ノーベル賞受賞 その日の湯川博士」も載っている。(中略)ちょうど1週間前の11月3日、ストックホルム特電で送られてきた「湯川博士にノーベル賞」は、日本中を沸かせたビッグ・ニュースだったが、その続編がまだ紙面を飾っていた。」
「またメタセコイアが載った同じページの下のほうに、
「古橋らの南米行きは見合わせ」というベタ記事もみえる。
(中略) 「フジヤマの飛び魚」とはやされた古橋たちも、当時の日本の誇りだった。 (中略) 夏の「水泳ニッポン」に続いて、秋の
「文化の日」に飛び込んだ湯川博士ノーベル賞受賞、そしてメタセコイアだった。」
「日本人科学者が戦中に命名した化石植物が、
中国で戦後すぐに生きた大木で見つかり、アメリカ人科学者が日本に苗木を届けてくれる。まず天皇に。そして日本各地に植えられる。
メタセコイアもまた、日本の誇りのように思えた。戦後の明るいニュースだった。」
(上記総て 齋藤清明著 「メタセコイア-昭和天皇の愛した木」(中公新書) から引用)
敗戦直後の状況で、水泳における古橋たちの活躍と湯川博士のノーベル賞受賞が、当時の人達にとって誇りに思えるのは僕にも理解できる。でも何故メタセコイアの苗木が日本に届くことが誇りに思えるのか、この本を読んでも、正直言えばよくわからなかった。
確かに明るいニュースであることは間違いない。でも誇りに思えるという、強い情動を持ち得る程とも思えなかったのだ。
昭和天皇に届けられた事だろうか。確かにそれもあるだろう。日本人がメタセコイアを命名したと言うことだろうか。確かにそれは強い動機となるだろう。
でもそれだけではないように僕には思えた。こう捉える事は出来ないだろうか。古橋らの活躍は「肉体」における自信回復、湯川博士のノーベル賞受賞は「頭脳」における自信回復、そしてメタセコイアのニュースは「日本」そのものの「再生」への希望を。
昭和天皇に届けられた事だろうか。確かにそれもあるだろう。日本人がメタセコイアを命名したと言うことだろうか。確かにそれは強い動機となるだろう。
でもそれだけではないように僕には思えた。こう捉える事は出来ないだろうか。古橋らの活躍は「肉体」における自信回復、湯川博士のノーベル賞受賞は「頭脳」における自信回復、そしてメタセコイアのニュースは「日本」そのものの「再生」への希望を。
メタセコイアの記事により、多くの人は、列島で100万年~80万年前まで繁殖していたのを知っていたことだろう。そして、中国を除いて、メタセコイアにとって日本が最後の繁殖地だったことも。おそらく「メタセコイアが日本に届く」ということは、メタセコイアが故郷に戻るような、そんな感覚を持ったのではないだろうか。
そしてその事は、荒廃した日本の復興へ向かう時期に合わさることで、一度絶滅したと思われていた木が現存していた、と言う事実と共に、そこに「日本」もしくは自分たちの将来を重ねたいという願いもあったかもしれない。勿論、メタセコイアが繁殖していた時、「日本」などは存在しない。人も住んでもいない。でも例えば「富士山」に日本のイメージを重ねるように、メタセコイアに日本のイメージを重ねたとしても不思議でもない。
そしてその事は、荒廃した日本の復興へ向かう時期に合わさることで、一度絶滅したと思われていた木が現存していた、と言う事実と共に、そこに「日本」もしくは自分たちの将来を重ねたいという願いもあったかもしれない。勿論、メタセコイアが繁殖していた時、「日本」などは存在しない。人も住んでもいない。でも例えば「富士山」に日本のイメージを重ねるように、メタセコイアに日本のイメージを重ねたとしても不思議でもない。
メタセコイアは、まず小石川植物園、次に皇居に植えられた。昭和天皇はこの木を愛されたらしい。メタセコイアの和名は「あけぼの杉」と言う。古くからあるという意味で「あけぼの」を付けたらしいが、僕にとっては「あけぼの」とは 「始まり」の意味もあるように思う。
昭和天皇は、メタセコイアではなく、和名の「あけぼの杉」での呼称を重んじられた。勿論、昭和天皇の御心を知ることは出来ないが、日本の復興と「あけぼの杉」の成長を重ねた御心は察することが出来る。このとき、日本の歴史の中でも希なほど、天皇と人々の気持ちが近かった。僕にはそう思える。
昭和天皇の巡幸と時期をほぼ同じにして、メタセコイアの栽培ブームが始まる。桜で言えば「ソメイヨシノ」が戦後に多く植えられたように、メタセコイアも各地に植えられていく。
天皇の巡幸と「ソメイヨシノ」及び「メタセコイア」の栽培。それを繋げてみることは考えすぎだろうか。「ソメイヨシノ」が日本の風土を一つのイメージにする為の栽培と較べると、メタセコイアの栽培は一過性のブームでしかなかったかもしれない。
天皇の巡幸と「ソメイヨシノ」及び「メタセコイア」の栽培。それを繋げてみることは考えすぎだろうか。「ソメイヨシノ」が日本の風土を一つのイメージにする為の栽培と較べると、メタセコイアの栽培は一過性のブームでしかなかったかもしれない。
ただ、当時の人達にとっては、人間の手により汚されていない時代の彼方から、突然に現れたメタセコイアを植えることにより、そこに現れる姿は、維新後・戦前の姿でなく、もっと遙か昔の「日本」誕生以前の姿であること、そしてそこから「始める」のだという思いも、
そこにはあったように僕には思えるのだ。それは戦争で荒廃した場所に「ソメイヨシノ」を植えることにより、イメージとしての「日本」を再生する行為とは異質の物だと思う。
しかし結局メタセコイアの栽培ブームは、ほぼ東京オリンピックの少し前あたりから冷めていくことになる。そうそれは「白書」で 「既に戦後は終わった」と宣言がされたのとほぼ同時期でもある。僕が駒沢公園で見たメタセコイアの木は、ブームの終わりに植えられたのである。僕も含めて、人々の記憶から「メタセコイア」は、「戦後の復興の象徴」としてでなく、単に「生きた化石」として残るようになっていく。
多分、戦後間もない時期に人々が思い描く「メタセコイア」のイメージと、現代人が「メタセコイア」に向ける眼差しは、全くと言っていいほど違うものだろう。しかし昭和天皇は違っていた。昭和天皇がご健康な時に出られた最後の歌会始 (昭和62年)で、お題「木」の御製は「あけぼの杉」を歌われている。
「わが国の たちなほし来し 年々に あけぼのすぎの木は のびにけり」
また昭和天皇は吐血後の小康状態の時、侍従に「あけぼの杉」の事を訪ねられたとも書いてあった。一人昭和天皇だけは、メタセコイアへの眼差しは戦後から変わることがなかった。
僕は、昭和天皇の日本の復興への思いの深さを知ると共に、それ以上に感じることは、日本は昭和天皇を置いて別の道を歩き始め、昭和の終わりにおける、その両者の距離の遠さである。
昭和天皇が踏みとどまったのではない、置き去りにされたのだ。そして最期の時は、装置として、メンテナンス報告を受けるかのように、毎日体温などの数値データを人々に提示し続ける存在として。メタセコイアは、天皇と人々の気持ちが近づいた戦後の物語に登場する。
昭和天皇が踏みとどまったのではない、置き去りにされたのだ。そして最期の時は、装置として、メンテナンス報告を受けるかのように、毎日体温などの数値データを人々に提示し続ける存在として。メタセコイアは、天皇と人々の気持ちが近づいた戦後の物語に登場する。
そしてそれは語り続けられることのない物語かもしれない。僕は公園に植えられているメタセコイアの木が好きだ。真っ直ぐに、上に行くほど細く、遠望し見れば綺麗な円錐の姿、幹は無骨で木肌はささくれ立ってはいるが、堂々とした姿をしている。
四季折々に姿を変えるのも楽しい。しかしやはり緑が美しい初夏がよい。樹木の話をすることは人間の話をすることでもある、と僕は思う。メタセコイアの新たな繁殖も、人間の力を借りなければ成り立たなかった。それでも人間の思惑を越えたところに、樹木は存在している。メタセコイアを眺めるたびにそう思う。
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