2007/09/22

エイトに

エイトが亡くなってから3ヶ月が過ぎた。僕はエイトに会ったことはない。ネットの中だけの付き合いだった。付き合いと言っても、頻繁なメールのやりとりをしたというわけでもない。エイトが撮った写真を眺めたり、ブログを読んだり、そしてそれらにコメントを寄せたり、もしくは逆にもらったりした、いわばネットではどこにでもあるような間柄だった。

エイトは頻繁に自分のブログを更新していて、僕はほぼ毎日エイトの記事を読んでいた。率直に日常を語るエイトの文章は魅力的であり、エイト自身の強さと弱さを自然と顕わにしていた。僕はそれらを通じて次第にエイトのことを知るようになっていった。

エイトを初めて知ったのは写真からだった。あるバラの一品種の姿を知りたくて写真サイトであるFlickrを検索したのだ。バラの名前は忘れてしまった。でもエイトの写真は1つの印象として記憶に残っている。それはよくあるような、写真好きが撮ったような写真ではなかった。そこには撮した者の心情は微塵も入っていない様に僕には見受けられたのだ。一歩身を引いたような写真、いわば百科事典に載っているような写真。エイトの写真はそんな印象を僕に与えた。

実を言えばそのことをコメントに書いたことがある。よくよく考えれば失礼とも受け取られるコメントだが、エイトは僕のコメントに喜んでくれた。そしてこの写真サイトを使って植物の百科事典みたいなものを造ることが出来ればと考えている、と返信コメントで語っていた。

別の話だが、僕は約一ヶ月前に会社の後輩の死を知った。彼が入社時に僕と同じ部署に配属され数年間一緒に仕事をした。純朴で義理堅く、気持ちが真っ直ぐな好青年だった。一緒に仕事をした期間は5年くらいかもしれない。それから彼は異動になり、僕自身も異動したりして滅多にはあわなくなった。それでも社内で偶然にすれ違うとお互いに近況などを報告しあった。後輩の死は昨年のことだったらしい。帰宅途中に下車駅で倒れたのだそうだ。その話を聞いた際、無論僕は愕然としたし、彼の笑顔を思い出した。そしてラガーでもあった彼のスポーツマンらしい頑丈そうな体躯を思い出した。でも、悲しみの深さは比べることはできないが、正直に話せばエイトの死を知った時ほどの痛みは感じなかった。

もしかすれば相次いで知人(エイトが知人と言えるのであればだが)の死を聞いた僕は、そういうことに関する感覚が麻痺していたのかも知れない。後輩の死を聞いたときに、その出来事の大きさと、自分自身の薄情とも言える気持ちとの落差に驚き、僕は自分を納得させるために一瞬そう考えたのも事実だ。でも時間が過ぎるごとに、僕の中に占める両者の死の重みはエイトの方がより大きくなっていったのだった。

僕にとって後輩とエイトは全く対照的だと思う。例えば、僕は後輩の顔を知っている、仕事に関して様々なことを話し合った、その意味では僕は彼のことを知っている。彼の結婚式に招待された。子供が生まれたと言うことも知っていた。少し調べれば生年月日や生まれ育った場所も知ることは可能だと思う。


逆にエイトは一度も会ったことがないので、外見的なことは何も知らない。何の仕事をしていたのか、その仕事でどんな活躍をしていたのかなども全く知らない。当然に生年月日とか、どこで生まれ育ったのか、そしてどこに住んでいたのかさえ知らない。それなのにエイトの死に強い痛みを感じたのは何故だろう。1つ言えるのは、現在において、僕からの距離感が両者は違うことはあるかもしれない。僕は後輩は実際に見知っていたが、ネットの友人であるエイトよりも距離が離れていた。エイトとの距離感は僕が造り出した幻想なのかも知れない。

しかしそれを言えば実際に見知っていた後輩も同様だろう。ただ、エイトと後輩の違いは「顔」に還元されるのも間違いない。人は「顔」を知れば全てを知ったような気になるが、実際は「顔」によって何もかもを知ることが出来ない。エイトの場合、「顔」を知ることがなかったことが、より身体的にエイトの文章において実感できる結果となった、と言えないこともない。

つまり僕にとってはヴァーチャルなエイトの存在の方にリアリティを感じていたのである。
エイトのブログ記事は誰宛に書いたかという疑問を抱かせない。エイトは間違いなく誰に宛てても書いてはいない。強いて誰かと言えばそれは自分自身かもしれない。だからエイトのブログ記事は一見すると安定せず自律した個人がそこにいないかのような印象も受ける。でも多くの者たちにとって、ネット上で文章を書くということは、自らを自分の造り出したイメージで縛ることにも繋がっている。

だからエイト自身はその呪縛から逃れていたとも言えないこともない。だからといって、エイトが撮った写真とブログ記事の総和にエイトの全貌が立ち現れるわけでもない。それらは表層に現れるほんの一部だろう。でもそれを言えば、実際にエイトの知人であったとしても同様のことだろう。いくら自分が知りえるエイトの情報を集めてもエイトには近づけない。

それであればエイトとは僕が造りだした幻想でしかないのだろうか。おそらく半分半分だろう。僕はエイトを知っていた。しかし僕はエイトを知らない。そしてその状況にネットとかリアルとかは関係はない。

ある時エイトは僕が撮したベンチの写真にコメントをしてくれた。ベンチは近くのマンション前に設置していたもので、木製の長椅子ではあるが、一人分の席を表すかのように手すりが付いていた。エイトはそのベンチを見て、最近そこで寝ることを防止するのを目的と思える手すり付きのベンチが多いですね、と書いてあった。その視点は紛れもなく僕の視点でもあった。ブログでは、人と接することが苦手でいつも一人でいること、一人でいることが好きでいながらも多くの人と接していたいという気持ちも持っていること、なども書かれていたように思う。そしてそれも僕と同じであった。

エイトは限りなく優しく、強く逞しく、弱く儚く、そして誰もがそうであるように生きる難しさを感じていた。一人でいることを愛しながらも孤独感を怖れた。単独と孤絶は違うとわかっていながらも、単独と孤絶の境界は微妙であることも知っていた。カメラで多くのものを撮った。短いながらもその時々の心情を適切にブログに書いていた。旅行が好きで、運転が好きだった。生活は金銭的に豊かではなかったが、その辛さも逆に些細なことで大きな喜びと感じる繊細さを持って生活していた。繊細さは時としてエイトを苦しめたかも知れない。でもそれも今では知るよしもない。エイトの新たな文章を読みたい。エイトの新たな写真を見たい。でもそれは叶わぬ夢である。

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