WIREDVISIONの記事『「Apple全製品の系統図」からわかること』の中に今までの製品を時系列にまとめた図が掲載されていた。記事において「わかること」とは何か、引用すれば以下のようになる。
私はへとへとになってしまい、あまり頭が回っていない。ただ1つ気づいたことは、Apple社の製品ラインが完全に4つに集約されたのが2001年であり、Apple社はちょうどそのときに、満を持して『iPod』の発売を開始したということだ。結局はあまり大したことはわからない。著者はこの図を作成するために「へとへと」になってしまったからとあるが、思うにそれだけでもあるまい。例えばある一家の家系図を見たとしよう。見せられた側の多くは「ふーん」で終わりだと思う。
でもそこに何か外部的な資料が添付されたとき、別の視点がそこに生まれるように思う。例えば明治維新の時に住居を移したりとか、もしくは家系図に絡む歴史上の人物が見る側の家系に近い存在だったりすれば、その一家の家系図を見る眼も自ずから変わってくることだろう。つまりは製品(プロダクトにしても)の系統図だけを見ても、そこから得るものは少ないと言うことだ。
故に何か別の資料との突き合わせが必要となってくる。この図の縦軸は不明としても、横軸は時間軸であるのは間違いない。それであれば、例えば、「PCの系統図」と対比してみたりとか、「PCとApple製品(特にMac)との販売台数の表」と付き合わせたり、社会的な主な事件でも良い、もしくはその時代の革新的製品も面白いかも知れない、少なくともAppleのCEOの縦点線は必要だと思うし、その時の主要なビジネス戦略も参考になるかも知れない。結局の所、Appleの新たな戦略と、そこから現れる製品は、Appleの外部の影響を受けていると言うことでもある。
ただ逆に「PCの系統図」を果たして造ることが出来るのか、という問題がある。OS系の系統図であれば出来ることだろう。でもその場合は、「Apple全製品の系統図」ではなくそれに対応する「Apple全製品のOS系統図」なるものとの参照になるのであって、今回のような場合には不適かも知れない。
PCの場合、メーカー毎の系統図の作成は可能だろう。例えばSONYの場合、「VAIOの全製品」と「WalkManの全製品」とか。でもAppleにとって「SONYのVAIO全製品の系統図」などどうでも良いはずだ。それはMacのTVコマーシャルを見てもわかる。Appleが相手にしているのはウィンドウズマシンとしてのパソコン全般なのだ。しかし、「PC全製品の系統図」を造ることは難しい。何故なら数は異様に多いはずだし、パソコンを構成するパーツ、マザーボードおよびグラフィックボードなど、の組み合わせは無限とも言えるから。
つまり、「Apple全製品の系統図」の参照となる製品の「系統図」は、Apple以外では作成すること自体が難しい。そしてそのこと自体がAppleの強みでもあり弱みでもあると僕には思えてくる。
提示された「系統図」は苦慮の後が見受けられる、例えば細かな話をすれば、実線矢印と点線矢印の規範の違いがわからない、ローカライズされたMac(DynaMac)及びMacOS互換機の位置づけが見えていない、何故Apple系のマシンから点線矢印とはいえMacPortableに繋がっているのかわからない(僕の感覚ではSE/30からの実線矢印ではないだろうか?)、等の疑問が残る。でも一応はMac同士の繋がりを図式化できるというのは、図を見るまでもなく可能だと思っていた。
Appleの強みはイノベーションにあるわけではない、というかイノベーションに関してはAppleは常に自らが創造するのではなく、それを製品として具象化するのが上手かったと言うことだ。製品毎に物を製作しているというイメージを購入者に抱かせる。「製作」とは、
まず何かの理念があり、それを具象化するためのデザインがあり、そしてそのデザインを現実化するための部材と手順とがある。これはおそらく人間の有史以降変わらぬ流れであったに違いない。理念を「必要」と置き換えても良い。そしてその製作過程が、物を売って儲けるという「金儲け術」から明確に切り分けられたブランドイメージが、確かにAppleにはあると感じることが出来る。
ということは、実線矢印によるマシンの結びつきは単に形(デザイン)が似ているからではないはずである。自ずからそこには実線で結ばれる製作過程における理念の結びつきがあると思う。それはおそらくこの系統図を作成した方の考えが反映しているのは間違いない。その説明が記事の中で現れなかったのが残念と言えば残念でもあった。
弱みというのは、逆にいってこの「系統図」が造ることが出来るということである。それが別面で言えば、ジョブズの手腕といえ、製品が市場に受け入れられている事実で隠されている面でもあるが、一種独善的とも言えるハード・ソフト面の各種デザインに現れている。
この系統図には、一種の、例えば歴史上の偉人達の系統図に繋がるような、選民思考が背後にあるように思えるのである。販売台数の規模から言えば圧倒的にウィンドウズマシンに軍配が上がる。それはひとえに利用者の多くは、コンピュータの理念など必要としていないことの表れなのではないだろうか。道具として、自分である程度の知識があれば拡張できるし、結局の所、ウィンドウズマシンに個性などは存在しないし必要ともされなていない。ただ自分が必要とするアプリが動けばそれで良いのである。
さらにネット上では、OSには関係なく起動するアプリも数多く存在している。
(この記事もいつものことながらGoogleのDocs&Spreaddheetsをつかって書いているくらいだ)
しかしこれらへの方向転換はAppleは間違いなくすすむことはない。(一度試みて失敗している)「系統図」を造るのは良い、でもできればそれがAppleを越えて、多角的に見ることができればもっと良かった。系統図のみでは自閉的で、次の何かが見えることは間違いなくあり得ない。
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