2008/10/28

中内渚 繋がりの絵

会社の同僚に連れられて中内渚の個展に行ってきた。銀座の古いビルの一室、後から別の友人から聞くと築70年だそうだ、八畳間くらいの広さに絵が並べられて掛かっていた。天井には様々な飾り付けが吊り下げられている。中内さんはそれらを指して、メキシコの飾り付風が街で売っていたので買って来たと笑いながら語る。とても笑顔の素敵な女性だ。最初万国旗と思えた飾り付けは、そうではなく骸骨の模様に切り抜いたものだった。中内さんはそれも嬉しそうに話す。「メキシコの飾り付けって骸骨模様が多いんです。」
 
部屋の天井の中心から八方に広がる飾り付けを個展開始前日にほぼ徹夜をして作ったのだそうだ。もう少し飾ってメキシコの雰囲気を出したい、まるで部屋全体が彼女の作品のように、後から思えば彼女が描いたメキシコの市場のように、なって欲しいと思っていたのかも知れない。
 
そう、個展の空間は既に画家のキャンパスとなっていたのだ。僕は彼女の空間に足を踏み入れた。その空間は入るものを拒絶せず暖かく包み込む。強度を持って個性を押しつけるわけではなく、徐々に確実に染みこませる。個展の空間への第一印象はそういう感じだった。

アートとはスタイルだと僕は思う。中内渚のスタイルは古本の頁をキャンバスにしていること。勿論それだけではない。色遣い、線の描き方、絵の構図の取り方、絵の具の種類と色の使い方等々、無限の選択肢の中から画家は瞬時に自分のスタイルに合った仕方を選ぶのだ。当然だが、観客はそれらのスタイルを構成する要素を全て読み取ることは出来ない。それに画家はそんなことを観客に望んでいるわけでもない。画家はただ完成した自分の作品を気に入ってくれることだけを望むのだ。でも僕は、画家の意に反するかもしれないが、少しだけ絵に歩み寄っていこうと思う。

何故古本に絵を描こうと思ったのですか、と僕は聞いてみる。それは彼女にとって今まで何回もされてきた質問なのだろう。画家は凡庸な僕の質問によどみなく答える。
 
「私すごくスランプになった時があって、その時に白い紙に描くことがとても怖くて。白いキャンバスは自由で、私はその自由が怖かったんです。それで古本の余白に描き始めたんです。」
 
その時彼女は一枚の絵を描くために周辺を隠れながら移動していたのだという。一枚の絵に納められた複数の立ち位置。

僕は続けて聞く。それで今では白い紙に描くことはできるのですか。画家はその質問に一瞬戸惑う。僕は補足する。たとえば何も描かれていない白い紙だとしても、自分で文字などを書き加えてフレームを造っても描けるんじゃないかと。
 
「ああ、それだったらしています。例えばあの絵」といって彼女は一枚の絵を指さす。「自分で文字を加えたんです。」

何も描かれていない白いキャンバスが自由を意味するのかは僕にはわからない。でも彼女はそう感じた。一つ言えるのは、何も描かれていない白いキャンバスは画家のスタイルではなかった、ということだ。画家の独創性はそのスタイルにこそ存在する。そして画家はそこに自由な感性の広がりを感じるのではないだろうか。彼女にとって白いキャンバスはそうではなかった。白いキャンバスから離れることで、彼女は新たな出発をし始めることが出来たのだと僕は思う。

画家は何故古本の頁に絵を書くのか。その問いは果てしなく陳腐だ。しかし誰もがその問いを持つことだろう(多くされる問いかけは陳腐なものが多い)。僕も同じように彼女に質問をした。そしてスランプの話を聞き、わかったような気持ちになる。でも実際は少しもわかってはいないのだ。人間である限り理由を求めるものだ。そして質問を受けた者はそれに応えようとする。つまりは人が納得するような答えを見つけ出し、そして聞く方はそれを聞いて安心をする。何故彼女は古本の頁に絵を描き始めたのか。でもそれはどうでも良いことなのだ。画家は古本の頁に絵を描き始めた。そしてそれが彼女のスタイルの一環になった。それで十分だろう。

それでも僕は少し思うのだ。彼女の絵を見ればわかる。彼女の筆の使い方、色の選び方は、古本の赤茶けた頁に実によく似合う。線の描き方、周辺の絵のモチーフは、少しもその古本から外れてはいない。なおかつ中内さんが選ぶ絵の題材も、完成した絵を眺めれば古本の頁に合っている。今回の個展はメキシコの風景だった。それらは市場であり教会であり、物とか人が溢れ賑やかだった。ある絵では野菜だとか果物が山高く積まれ、その中で男性が一人うつむいていた。天井には球体に円錐のような突起物が幾つも出た飾りとか絵が描かれている旗とかが吊り下げられている。またある絵では、市場の絵と同じように雑貨・おもちゃが山高く積まれ、その中で女性が編み物をしている。古本の頁であることを意識させるのは、印刷された文字、スペイン語で書かれているため僕には何が書いているかはわからないが、何か小説のサブタイトルの様な文字列を見るときだ。それでもその文字列さえ絵全体から見れば違和感は殆どない。絵のために文字があり、文字のために絵が添えられているような、そんな感触を受ける。「絵」と「言葉」、おそらく彼女にとってその二つは何ら隔てる物がないのだろう。

賑やかな題材は、多くの物と人が描かれることでさらに楽しげな雰囲気を醸し出す。しかしどの絵も第一印象として受けるのは賑やかさではない。淡い色彩が多いためか、古本の赤茶けた色のせいか、僕には落ち着いた静けさを感じてしまうのだ。しかし多くの物が描かれているため、絵に近づいて細部を見ると幾つもの面白さに出会える。クマのぬいぐるみ、カエルのおもちゃ、編み物をしている女性の横に顔だけ描かれた男性、しかもその男性には「ANTONIO」と名前が添えられているのだ。そして何枚かの絵には中内さんの文章が綴られている。

例えば、魚市場の絵の右下には次の文章が載っている。
『"魚の卵"のことを、キャビアというらしい。だから、ししゃもの卵もキャビア。実際、ここで買った、まさに見た目キャビアも、ししゃもの卵。(ちゃんと黒く色づけされている。)これをお土産にすることになった。でもなんて言って渡したらいいんだろう。"これ、お土産のキャビア"?それとも、"これ、お土産のししゃものキャビア(卵)"どちらの方が親切?』
 
また、雑貨・おもちゃを売っている店を描いた絵には、『通りがかる人が「このタイプの、別の色のあるかしら?」って聞いてきたけど、私店員じゃありません』。教会の絵には中内さん本人が登場している。添えられている言葉は、『パイプオルガンの結婚行進曲を聴きながら』。そして教会の外では花嫁の姿がラフに描かれ、花嫁と見られないと心配したのか「花嫁」と矢印で示されている。

中内さんがスケッチをする時、何冊もの古本をジャンルは選ばすに持って行くそうだ。頁は本から切り離さずに開け、まるで本を読むように、そこにスケッチをするのだと聞いた。傍から見ると、彼女が絵を描いていると気が付く人は少ないかも知れない。おそらく彼女はペンで絵を描き後から色を付けていくのだろう。

スケッチをする時間、対象となる場所、例えば市場・商店・広場・教会などは時間の経過と共にその様相は変化をしていく。画家はそれらの変化を、自分が感じるがままに、なるべく絵に取り込もうとする。時間の経過を、人の動きを、絵に現すのは難しい。難しいながらも画家は、それでも彼女自信が感じる時間の流れそのものを絵に捉えようとする。だから絵の中に、自分に起きた変化とか心境も含めて描くのだろう。彼女の絵に登場する幾つもの顔だけの人物、そして前述の添えられた幾つかの言葉はそれらの現れだと僕は思う。そこから現れるのは、ある瞬間を捉え静止した市場の姿ではない、画家が過ごした市場での時間そのものなのだ。

スケッチをしながら、その場の雰囲気を味わい、そしてその中に心身を投じる。彼女が描く何人もの人は、描かれる側はわからなくても、彼女にとって親しみある人になっているに違いない。創作は単独の活動であるのは変わりはないにしろ、スケッチをする間、彼女は多くの人の繋がりを感じていたと僕は思う。
 
個展のオープニングパーティは同窓会の様相を呈したそうだ。その時は借りている部屋では収まりきれず、階段まで、果てはビルの入り口まで人で溢れる。多少の混乱状態に中内さんは内心ハラハラする。でも「個展に来て」というと集まってくれるのが嬉しい、とも彼女は語る。和気藹々とした楽しさの中心に彼女の絵がある。おそらくそれが彼女にとっては嬉しいのだろう。スケッチをすることで感じる人との繋がり、個展での人の繋がり、そのどれもが画家に新たな創作の力を与える。

しかし不思議な気持ちがする。単独で格闘しながら創作活動をする画家は、絵を描きながら少しも観客の事は考えてはいない。あくまでも自分と向き合い自分の形式にこだわるのだ。それでいながら完成された絵は人の繋がりを求める。孤高の絵など世界に存在しない、と僕は思う。絵は描かれたとたんに観る人を求めるものだ。それがたとえ画家が唯一の観客だとしても。

世界には様々なアートが存在し、且つ創られている。いかなるアートであっても、それは観る者の活動を一旦停止させ、そのアートを媒介にして活動を再開させる力を持っている。「活動」とか「停止」「再開」をどのように受け取っていただいても構わない。僕が言いたいことはこれらの言葉に収斂するわけではない。ただこれらの言葉しか僕は持たない。

中内渚のスケッチは確かに僕の活動を停止させた。しかしその力は強引でもなく、僕の感性に混乱を与え立ち止まらせたと言うわけでもない。どちらかと言えば、僕が自ら停止したと言ったほうが適切かもしれない。でも逆に言えば、おそらくそれが中内渚の絵の力なのだろう。そして僕は彼女の絵を媒介にしてこの文章を書いた。拙さは僕の能力によるところが大きいが、時間を見つけ少しずつ書いた。いわば活動の再開は緩やかであり、自分に圧迫を感じるほどの性急さは微塵もなかった。そしてそれも彼女の絵の力なのかもしれない。

中内渚の絵はスタイルとして発展途上であると僕は思う。完成したアートという言葉自体語彙矛盾に満ちているなかで、発展途上は彼女の可能性が未知であることを示している。彼女の内に秘め、自身にとっても捉えがたい熱情が、さらに表現として彼女のスタイルに現れることを僕は望んでいるのだ。それは彼女の絵を知り、その出会いが幸運であると認めている一人のファンの思いでもある。

中内渚の公式サイト:Nagisa's Sketches & Drawings
中内渚のブログ:国際派アーティストのアイデア帳

2008/10/07

眼底出血が起きてから約3ヶ月が経った

右目に眼底出血が起きてから約3ヶ月が経った。出血は右目の視界の半分を曇らせ、かつ見る物を歪ませた。眼科医で診察を受け、出血の原因は眼からのものではないと言われた。眼の曇りから網膜剥離を想定していたので、医者のその言葉は意外だった。多くは高血圧もしくは糖尿病が原因なのだそうだ。そういえば昨年の定期健診で血圧が高いと言われたことを思い出す。実は最近まで血圧が低い方だと思い込んでいた。かつて血圧が低く保険に入るのに苦労した。血が薄いと言われ赤十字の採血を拒まれたこともある。だから、血圧が高いと言われたとき、自分への思いと医者からの言葉とが一致せず多少混乱したのも事実だ。糖尿病を現す数値は今まで出たことがない、そうであればこの眼底出血は高血圧が原因の一つであるのは間違いない。昨年の定期健診で血圧が高いと言われてから、それまでに時折訪れる身体の不調が高血圧の症状と繋がり、多少ながら自覚していたせいか眼科医が言う原因の幾つかの中で、僕は漠然とそう信じた。

眼からの情報量は約80%だと聞く。右目の下半分の視界が損なわれている僕は、つまりは約20%の情報量が失われていることになる。でも実感としてはそういうものではない。私の見える世界は以前とほぼ変わらぬ世界である。ただ全く同じというわけではないし、右目だけで見れば、曇りと歪みとで近くの人の顔さえ判別不能な状態である。左目からの映像と合わせることで、脳内で補正をかけて以前と変わらぬ像を描いているのだろう。しかし静止視力は以前と比べ著しく落ちた。強いてカメラレンズに例えれば、僕が見る世界は絞りを開放した世界に近い。大げさに言えば、焦点が定まったものは確かに見えるか、その他はぼけて見える、そういう感じである。だからか、この眼で見る世界は以前と比べとても美しい。

僕の眼が眼底出血という「病気」に罹ったと言えるのは、眼底出血前の状態、つまりは欠損前の状況を把握・記憶しているからだ。さらに眼科医から見せられた激しい出血の跡を示す眼底写真。だから僕は医者から処方された薬を毎日飲み、してはいけないと注意されたことを守る。しかし僕はこの眼の状態をどこかで「病気」であるとは考えてはいない。確かに眼底出血の為に、バイクに乗るのは控えているし、仕事でのPC作業は疲れる、次第に読書時間は減っていったし、なによりもカメラのファインダを左目で見ざるを得ず慣れるのに苦労している。でも僕は現在のこの眼で世界を見、そして感じている、そしてそのこと自体に欠損は少しもない、世界に欠損がないように。性能低下はあるが見えるという機能的な事を言っているわけではない。逆に言おう、今回のことで僕は「見ると言うこと」に以前と比べ少し意識するようになった。

カメラでピントが激しくずれた写真を眺めたとき、僕は人間の眼では捉えられない世界が確かにあると思ったことがある。ピントが合っていない写真、ぶれて対象が何重にもながれている写真、歪んで写っているものが判別不能な写真、それらは僕らの世界に確かに存在する「もの」の姿を現していた。その時、僕にとってカメラは人間の眼では見ることができない「もの」の姿を写す道具だった。人間が見える世界は、人間にとっていわば都合のよい世界なのだ。カメラで捉える失敗とされた無数の写真のように、光を捉える時間と静止しない視点、さらに光の波長を読み取る幅により、そこに在る「もの」の姿は人間の現実を簡単に超えてしまう。

左目による脳内の補正は、僕の過去の経験を根拠にしているのだろう。こうあるべきだ、という世界。それとも僕の脳は人間にとって在るべき世界を知っているのだろうか。そしてその世界を僕の右目は拒否しようとしている。時折感じる右目の違和感は、まるで失敗とされた写真と同様に、右目からの世界も受け入れるべきだと僕に訴えているかのようだ。