2006/10/04

映画「8月のクリスマス」 日韓作品の違い

たまたま映画「8月のクリスマス」について日韓双方の作品を続けてみた。元の映画は勿論韓国であり、日本作品がリメイクとなる。総じて言えば、日本のリメイク版は韓国の元映画を忠実にトレースしていて、結果的に両方とも良い映画だとは思う。

ハリウッドによるリメイクがいわばWASP好みに設定及びストーリーが変更される事が多いのと違い、この忠実なトレースは見事としか言いようがない。

逆に言えば、韓国元映画が醸し出す空気が、そのまま日本においても受け入れられると、少なくとも監督はそう考えたと思わずにはいられないし、確かにそれは僕にとっては事実であったのも間違いない。

ただ双方を続けてみて、僕の目からは、それでもやはり元映画の韓国作品の方が上であると思った。上下の問題ではないかも知れない。さらにリメイクは所詮元映画を指向するわけだから、元映画を忠実にトレースすればするほど、元映画の方が面白く感じられる、という世界に自分が入っているのかもしれない。

「8月のクリスマス」において、ポイントは5つあると僕は思う。
一つめは、雨の中、一つのカサで主人公とヒロインが共に帰り、ヒロインが主人公を男性として意識する場面。
二つめは、ヒロインは転勤で主人公の住んでいる町から離れなくてはならず、しかも主人公には逢えない状況の中で、失恋を感じ泣く場面。
三つめは、ヒロインが主人公の店に、感情が高まり、石を投げ店のガラスを割る場面。
四つめは、主人公が小康を得て、しかし確実に死を悟るが、それでもヒロインに逢いたくて、彼女が転勤した先を訪れる場面。
五つめは、ヒロインが主人公の写真屋に飾られている自分の写真を見て微笑む場面。

大ざっぱに言えば、上記一つめと二つめは日韓両作品に違いは少ない。場面によっては日本版の方が丁寧に描かれ、納得する事も多い。しかし、それ以降は韓国作品の方がより僕の情感に訴えるものがあった。

三つめの石を投げる場面では、韓国作品の絶妙な間の取り方に脱帽をする。そしてその間でのヒロインの心の動きが見る者に伝わってくるようにも思える。(日本作品は石を投げる迄の間はほとんどない)

四つめの場面はこの映画でもよく知られている。主人公が喫茶店の窓越しにヒロインを眺める場面で、主人公は彼女を思う気持ちから、窓に見える彼女を指で愛おしそうにたどる。日本作品の場合は、ヒロインの設定上の理由からか、そういう主人公の気持ちを反映する仕草は殆どない。

五つめは、この映画の中で最も重要な場面とも言える。この彼女の微笑みは、韓国作品のそれと日本作品のそれとは意味合いが違う。これについて言えば、その前段にある、主人公が書く彼女宛の手紙の内容と行方が問題となってくる。

はたして主人公が書いた手紙はヒロインに届いたのであろうか。手紙の内容は、その前にヒロインが主人公宛に書いた手紙に呼応することになる。両映画ともヒロインの手紙の内容は一切明らかにされることがない。推し量るのは主人公が書いた手紙で、つまりは、この二通の手紙はコインの表と裏とも言える。

韓国作品の場合、主人公が書いた手紙はヒロインに届けられる事がないかのように僕には思えた。理由は、手紙を住所が書かれている封書に入れてはいない。つまりは後から遺族が見ても誰宛か特定できない。ヒロインの写真は、小箱の中に収めた主人公の形見の中で、横にして入れられているので、写真の重みが遺族に伝えきれず、封書の宛名がヒロインと結びつける事が困難、と思うからである。

日本作品の場合、手紙は宛名が書かれている封書に入れられる。しかも小箱は形見が平積みされていて、その一番上に彼女の写真が置かれているので、遺族から見ると写真の重みが伝わる。よって、主人公の妹は兄の意志として手紙を彼女に送るのである。手紙に書かれていることは、韓国作品のそれと違い、率直に愛を語る内容になっている。しかも自分の死が近いことも十分にヒロインに伝えている。

5つめの場面を結論から言えば、韓国作品の場合、ヒロインは主人公の死を知らない。そして彼女は失恋を乗り越え、しかも写真店に自分の写真が飾られているのを発見し、二人の恋が実らなかったとはいえ、お互いに良い記憶として残っている事がわかり、写真を見て微笑む。その笑顔には屈託がない、しかも以前の少女の様な幼さもなく成人した一人の女性としての微笑みである。

日本作品の場合、ヒロインは主人公の死を知っている(と思われる)。自分が失恋したと思っていたのは、主人公の病気が理由で、実際は主人公は自分のことを愛していたと気が付いている。ゆえに、彼女は一つの愛を得ると同時に、一つの愛を喪失している。しかしそれらを乗り越えた彼女は、写真館に飾られた自分の写真を見て、一つの思い出として微笑む。

しかし、上記の日本作品の設定は、僕にとっては無理がある。病気を知らずとはいえ、彼女は石を店に投げるほど感情が高ぶっていた。その気持ちは主人公の病死と共に昇華することはなく、逆に強い自分へのわだかまりとなって残るのではないだろうか。勿論人それぞれなのだが、日本作品の場合、僕にとってはヒロインの心の動きが都合良すぎると感じるのである。

さらに言えば、日本作品の中で、主人公がヒロイン宛に書いた手紙の内容が濃いのは、四つめの場面が描かれなかったゆえに、手紙で主人公の気持ちを伝える必要があったからと推測する。もし日本作品でも四つ目の場面が描かれていたらと、つい考えてしまう。

僕にとって日本作品の中で、元映画の韓国作品より確実に勝っていたと言えるのは音楽である。最終に流れる山崎まさよしの主題歌は素晴らしかった。

今回はあえて俳優の演技力には言及しなかった。

しかもこのブログの話題、時流にもなにも乗っていないし、マニアックかも知れない(誰が読むのだろう 笑)が、メモとして残した。

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