2007/06/14

頭上の風景



街の景観は徐々に変化する、しかし特にそれを意識することも少ない。それは鏡で見慣れた自分の顔の老化が日々気が付かずに過ごすことに似ている。

ここ10年ばかりの間、近所にはコンドミニアム風のマンションが通りに面して多く建築された。元々は人家であったが、各々のマンションは既に確固たる存在感を違和感なく風景に馴染ませ、かつてそこに誰それが住んでいたことを忘れさせる。
街の景観の変化は、それが巨大な建築物だとしても、建築の過程を毎日見ることで、すぐに馴れて、忙殺された日常の営みの中で埋没されることにより、強く意識することがないのである。

それでも一棟のマンションが現れると言うことは、それに対応したインフラ整備が当然の事ながら必要とするということでもある。そしてその変化は、頭上の電信柱間を繋ぐ各種ケーブルが造り出す複雑怪奇で幾何学的な、空をキャンバスとした模様によって現れる。

写真の電信柱は車道幅の若干の変更に伴い位置を移動した。その結果、配線のケーブルを変更をすることなく対処するために、写真のような器材を使い解消したのである。
無論、僕がかつてみた素朴な電信柱とは、インフラとして担っている世帯数が違うため様相が著しく変わっている。もしかすると、上記の物干し竿を支えるような突起物がなければ、僕はそのケーブル数の変化に気が付かなかったかも知れない。
電信柱に依存する様々なインフラは、社会と技術革新の中で常に変化し続けているというのに。

かつて映画のなかに登場した、無限とも思える荒野の中に延々と続く電信柱の姿に、何故かしら郷愁を覚えたものだった。今も僕のどこかにそれと同じ感覚は持ち続けている。だからこそ、頭上の見慣れた配線によって区切られた空を、僕は時折写真に収めるのかも知れない。

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