2007/06/12

NHK大河ドラマ「風林火山」

今年のNHK大河ドラマ「風林火山」が面白い。昨年の「巧妙が辻」も面白かったが、断然に今年の方が面白い。どこが面白いのか、それを軽く考えてみた。

NHKの大河ドラマは常に時代の空気を掴んでプロデュースされている、と僕は思っている。それを言えば、すべてのTV番組内容はそうではないかと言われそうだが、多くの番組は現代の空気感を掴みきれずにいて、旧態依然のスタイルに固執しているように僕には見えている。無論幾つかの特記すべき番組も存在することは認めてはいるが。

例えば昨年の「巧妙が辻」は安倍総理の「美しい国」と妙に符合する事が多かった。番組最後の方で主人公の一人である山内一豊は新任先の土佐で「美しき国」造りを宣言している。無論「巧妙が辻」に安倍氏が関与している事は現実的にはあり得ない、ただNHKが番組製作の過程の中で、配慮をした可能性は、それが意識的であるかどうかは別にして、僕には大いにあり得るように思えてくるのである。と言っても、その国造りの中で、最初に多くの人命が犠牲となっているのが皮肉と言えないこともない。ここではこれ以上「巧妙が辻」のことは語らない。僕としては色々な意味で一年間楽しめたのは事実であるので、それで良しとする。

さて今年の「風林火山」であるが、まず主人公は甲斐の武田信玄家臣の一人である山本勘助である。隻眼で少々脚が不自由なこの男は、まず異彩を放った容貌で登場する。さらに勘助が信玄に仕えたのは彼が40歳を過ぎてからである。それまでは諸国を武者修行と称して放浪していたと、番組では設定している。

その武者修行で、彼は極めて多くの人脈を造り上げている。いわば、彼の強みはそこにあり、信玄はそこに彼の価値を見出している。例えば、今週(6/10)の放送では、北条早雲が関東管領である上杉憲政との戦が主となっていたが、勘助は北条早雲と知古を得ている。そのよしみで、彼は北条側に付き上杉との戦いに参加する。目的は上杉方に味方している真田幸隆を甲斐に招聘することである。無論、勘助は真田氏とも知り合いである。ちなみに番組上では今川義元とも知り合いである。

番組の内容は、概ね強いビジョンを持ち、そのビジョンを具現化する戦略とシナリオを持つ人材が、激しい競争の中で成功を収めるという、旧態依然のビジネス思考の(それを今でも信奉する人も多いのは知っているが)、世界観の展望も可能ではある。でもそれであれば、他の日本現代イデオロギーをプロパガンダしている多くの番組と変わらない。しかし僕が「風林火山」に見る姿はもう少し別のものだ。

山本勘助はネットワークで言えばハブの一つである。多くの武将を一つのノードとすれば、かれはハブとして、ネットワークの中心に位置している。それは信玄のそれを凌駕している。無論、信玄自身は勘助のハブとしての位置を了解しそれを利用している。ハブとして形成していく強みは、何と言っても勘助のその姿にある。隻眼であること、そして足が不自由なことが、彼を他者からより一層印象づけを強めている。ハブとしての強みは、武将としての弱みが利点ということである。

さらにハブとして多くの紐帯を持つ勘助は、さらに自ら様々な武将の交渉役となることで、ハブとしての存在感を甲斐家臣団の中で特異な存在となっている。そしてその紐帯の多さは、逆に様々な懸案が現れる中で、いわば一つの検索窓口として信玄の目には映る。つまり現代のウェブ世界での位置づけで言えば、グーグルとしての存在に近い。信玄の要望に、その真意を経験則から構築したデータベースで瞬時に理解し、自らのネットワークを駆使して適切な検索結果を披露する。情報的には現在求められている一つの企業人の姿でもあるかもしれない。

僕の目から「風林火山」を見ればそういう世界観が登場する。無論勘助が存在する時代は群雄割拠する戦国時代である。いわば社会ダーウィニズムが大手を振ってまかり通っている時代でもある。それは現代のグローバル化した市場における企業間の戦いにも似ている。その中で、彼が言う「国とは人です」の一言は、「人」の定義が限りなく狭い世界でもある。確かに「国とは人」かもしれない、それは多くの紐帯を持つ勘助ならではの考え方であろう。でも戦とは彼が紐帯を持つ武将との生死をかけることもであり、そこに彼自身が自己矛盾を感じないことが、僕には不思議で致し方ない。

逆に言えば、だからこそ彼の戦略は、戦をする前に戦いの勝敗を決める、つまりはできるだけ戦闘行為を行わない事に傾けるのであるのも頷けるが、それでも、美しい言葉であるがゆえに、僕としては多少の欺瞞を感じる言葉である。さらに、番組上で真田一族を甲斐に招聘することで、彼らの生存を計るが、その理由は真田が優秀で、ある意味エリートであるからでもある。それは、国造りに必要な人材は、無名兵士として死に行く者達ではなく、エリートであり、かつ一つのハブとしての存在であることを意味しているのかもしれない。確かにネットワークは多くのノードが存在しなくてもハブがあれば崩壊することはない。

さらに言えば、彼の「国とは人である」の言葉は、現代のグローバル化した自由市場に対応を迫られた一企業の考えに近いとも言える。そしてそこに必要で求められている人材とは、戦略に長じ(クリエイティブ)で、多くの人材と影響力を持つ(ハブとしての存在を指向する)、であるということになる。それゆえ勘助の行動を描く「風林火山」は、僕にとって極めて現代的な時代劇だと思うのである。無論、楽しみながらも、批判的に見ている部分もあるのではあるが。色々な意味で面白いのでそれも良しとしている。

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