2009/11/29

穏やかならざる心で「木村 伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン展」を見ての感想



金曜日までの仕事が残響として土曜日の僕の中に残り続けていた。それは僕の身体の中で別の何かと共振し、そして反響し合いながら、時として増幅され、時には穏やかな湖面のような波となりながらも、決して休まることがなかった。

それほど気分転換は下手なほうではない。少なくとも自分ではそう思っている。ただ時折こういう状態にもなる。こういう日はおとなしく家でアクション映画でも見ながら時間が過ぎるのを待つしかない。でもどういうわけか僕は恵比寿の東京写真美術館にやってきている。
「木村 伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし」という写真展だ。

写真界における二人の巨人の写真展と言うこともあり、普段よりは鑑賞する人が多い。こうやって二人並べると、活動する地域的な場所の違いがあるにせよ、二人はとてもよく似ているのがわかる。それは二人とも同じカメラとレンズを使い街頭でのスナップ写真を主としていると言うだけでもない。

無論それは写真撮影のスタイルを定めるからとっても重要だ。ただそのスタイルは何をどう写したいので決まるのだ。似ていると言うのはカメラを向ける対象、つまり何を写すかの選択だと僕は思う。

ただ似ているからといって、二人の写真に対する考え方まで同じとは限らない。似ているからこそ、二人の微妙な違いも際立つこともあるのだ。いわば二人はお互いを補完しあわない。二人は競合しあう。

違いが際立つのは、彼らのカラー写真への考え方の違いに現れている。美術展ではその違いを次のように説明していたと思う。木村伊兵衛は写真的現実のなかで色が定まるとし、アンリ・カルティエ=ブレッソンはカラー写真は現実の色を表すのは不可能と考えていた。

写真的現実が一体何を指し示すのか、おそらくそれはリアリズムに近いように思う。写真を写真として際立たせるのであれば、極端な話、色などどうでも良い。突き詰めるとそういうことになるのかもしれない。現実の色がカラーフィルムでは実現出来ないとしたアンリ・カルティエ=ブレッソンにとって、現実の色とは彼の視覚経験での色のことだろう。私が見るこの色を出せるフィルムなどない。

ここで、僕は違いと称したカラー写真への考え方が、二人とも根底では合い通じることに気がつく。つまり色を正確に表すことは出来ない、と言うことだ。ここにきて「東洋と西洋のまなざし」と区分けされた違いが同じとなる。ただ一つ、二人の写真を眺めることで、僕の中に浮かんだ違いは、木村伊兵衛の写真は「静」であり、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真は「動」と言うことだ。

こういうことを考えながらも幾つものうねりが僕の心を襲う。一度は美術館中央の長いすに座り落ち着くのを待った。それらは、誰それが会議で言ったこととか、期限のこととか、やり残した幾つかのこととかが、漠然としたイメージの波として僕の中に現れる。それらのイメージを拒否することは、更なる大きなうねりとなって再び現れることに繋がる。そして思考は入り乱れ収支がつかなくなる。

人が写真を語るとき、技術的側面か、もしくは写っている対象についてかのどちらかの話となる。それらの話はその一枚の写真がわかったような気にさせる。TV番組「美の巨人たち」を観て理解したような錯覚に陥るのと同じ話。絵画などの表現芸術は記号としての言語と同じかもしれない。写真も記号と言えば記号かもしれないが、それは言語とは少し違うように思う。写真を語ることの難しさは、写真の本質を垣間見せている。自分の見るままを言葉に出すのが苦手なように。

木村伊兵衛の写真のなかで特に気に入ったのは、永井荷風を写した写真だった。街中で撮られた写真は文学者永井荷風を写しながらも優れたスナップ写真でもあった。写真を9分割し構図を表せば、永井荷風は右の線上に二マスいかないくらいの大きさで正面を向いて立っている。街はどこかの商店街風で、最初僕は浅草寺の参道の風景を思い出した、遠近法で商店街の入口が見える。しかしその奥から手前への商店街を歩く人は少ない。逆に殆どの人たちは商店街を横切り歩いている。そして永井荷風は横切る人たちの少し前に立っている。彼は黒っぽい背広で帽子をかぶりステッキを握っている。横の流れの中で正面を向いている彼の姿は、時代の流れから離れ自分を貫く、もしくは結果として貫かざるを得ない一人の人間として、写真に表されている。この写真は永井荷風を写しながら、永井荷風を指し示してはいない。日本社会から少し離れざるを得ない一人の近代人の孤独と自尊が現れているように僕には思えた。

アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真は既に何枚も見知っていた。写真史に登場する何枚もの写真は、有名だからこそ、ある固定観念が伴って僕の前に現れた。彼が唱えた「決定的瞬間」とは、写真とは何かについて、彼がどう考えていたのかを端的に表す言葉だろう。彼の多くの写真にはその「決定的瞬間」があった。彼のスナップ写真は現代でも構図として参考になるものばかりだった。しかし、写真を「決定的瞬間」と言い表すほど僕らは単純でもなくなってしまったようにも思う。

なんていうか、二人の巨人の写真に囲まれても僕の心は支離滅裂だった。50年ほど前の写真の多くは、50年前へと続く窓のようなものだったが、僕はそういう感想よりも、なにかこういやに生々しい現実を実感していた。二人の写真に写された人々の多くは、おそらくこの世には既にいない。それでいながら、写真には彼らの笑い声や話し声で満ちていたし、その声を僕は騒々しく感じていたのだった。写真を見ながらも、僕は自分のことで精一杯だったのだ。

かといって二人の写真展が面白くなかったのかと言えばそんなこともない。僕は行きつ戻りつする心のなかで、写真と自分の落ち着きどころを探し彷徨っていたし、その中で、逆にその中だからこそ写真を面白く感じていた様にも思うのだ。

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