2007/06/27

あなたに

突然に僕はあなたのことを思い出しました。

発端は何だったのか、目の前を通り過ぎる恋人たちの姿からだったのか、それとも街でふと耳にした言葉だったのか,それは全くわかりません。街を歩いていて、唐突に、何の予兆も与えられずに、僕はあなたのことを思い出したのです。

忘れていたわけでは決してありません。ただ長い間、日常の中であなたのことを考えずに過ごしてきたのは認めます。そしてその瞬間、フラッシュバックのように、僕は二十歳の学生の時に知り合ったあなたのことを明瞭に思い出したのです。その思いは何日も僕から離れることはありませんでした。あの頃の僕たちを知る人は、僕らが付き合っていたと思うことでしょうか。いや、それよりも僕らのことなど覚えていないかもしれません。でも確かに、あの時あの場所で僕らは出会い、そして多くを語り合いました。

代々木公園を二人で散歩したときのことを覚えていますか?
何故あのとき僕らは代々木公園に行ったのか、その理由も、それまでの経緯も僕は覚えていません。ただ、あなたが木訥と語る自分の事を、僕はただ聞いていただけです。青空の下、僕らと同世代の男女が楽しげに遊んでいる姿を見てあなたは、「何も考えずに遊んでいられる学生がとても羨ましい」と僕に言いましたよね。常磐道沿いの小さなドライブインを営んでいるあなたの実家には、ご両親と高校生の妹と身障者の弟さんがいて、あなたはその店を継ぐために、調理師免許取得の為、東京の専門学校に入ったばかりでした。代々木公園で遊んでいる学生達を見つめるあなたの眼差しの奥にどのような思いが宿っていたのか、その時の僕には知るよしもありません。

その時、僕はあなたの「羨ましい」という一言に、「僕も彼らと同じ学生だよ」と答えたのを覚えています。でもその時、あなたはきっぱりと「あなたは違う」と言ってくれた。その時の、あなたの凛とした美しい横顔を僕は忘れることが出来ません。

それと同時に、僕はあなたの僕への思いを受け止める恐ろしさに胸のうちでは怯えてもいたのです。僕は少しも彼らと変わりはありませんでした。むしろ、あの代々木公園で、「あなたは違う」の一言で、僕はそのことを強く意識したのです。

十代後半のあなたには、頼られ期待する家族がいた。そのことがあなたの重みになっていたのかもしれません。そしてそのことは同時に、片親で育った僕の重みでもありました。

僕の誕生日に、一緒に渋谷でピザでも食べようと誘われたことを思い出します。あのときは僕が待ち合わせの時間を勘違いして、あなたを3時間以上も待たせてしまったのですよね。結果的に遅れていった僕に、あなたは何も言わず、ただ来てくれたことを喜んでくれました。僕はその時、初めてあなたがお化粧をして、おしゃれをした姿を見ました。素面でも十分に美しいと思っていたのに、その時の姿に僕は驚き、そして照れくさかった。無論、食事をしながら沢山のおしゃべりをしましたよね。でも僕はそれらの殆どを忘れてしまいました。

僕は怖かったのです。あなたの真っ直ぐに僕を見つめる眼差しが、そして微塵の飾り気のない率直な語りを。それらはあなたそのものでした。その人間が何者かは、様々な社会的属性でないことは無論のこと、その人の性格や癖の総和でもないことも確かだと僕は思います。あなたの、僕への行為と語り、それらはすべて僕を指向していたし、その指向を僕自身が体験することで、その体験を通じて僕はあなたが何者であるかを意識したのです。

あなたは僕の前にそうやって現れ、そして僕はその存在の重みにつぶされそうでした。
一般論として、人間の存在に軽重はないとは思います。でもその時、僕の存在はあなたの存在と較べると、とても薄っぺらで軽くそして浅かった、そのことを僕は常に意識していました。今を思えば、僕は臆病で卑怯な男だったのです。何故なら、その自分の弱さを隠すため、あなたを遠ざける結果になってしまったのだから。

よくある話と言えばそれまでです。そう、どこにでも転がっている話です。僕はそれからも幾度も同じことを繰り返してきました。でも何故かあなたのことだけは忘れることが出来ないのです。それは代々木公園でのあなたの凛とした美しい横顔を、おそれおののき、それでも見とれてしまったからかもしれません。

頻繁に会い、そして語り合った日々。お金のない二人は常に歩き続けました。でもそれでも手を繋ぐことさえしなかった。でも僕はあなたのことをとても理解していたんですよ。だからこそ、僕は自分の弱さをあなたへの嫌悪に塗り替えたのかもしれません。無論、これも言い訳です。

家の都合で、学業半ばで実家に戻ることになったあなた、何度も連絡をくれましたよね。僕は居留守を使い全く応答しなかった。そしてあなたからの手紙、そこには「僕に会いたい」と、ただそれだけ書いてありました。でも僕はそれさえも答えなく無視しました。

あなたは最後に僕に何を告げたかったのか、それは知ることがなく終わりました。そしてそれは、僕があなたからの言葉への応答も、あるべきはすの応答を、無くしてしまったことにも繋がります。そしてそのことが僕の存在の有り様を物語ってもいます。

おそらく、ここに書いたことをあなたは既に忘れてしまっていことでしょう。そして僕のことさえ忘れているかも知れません。そして今では常磐道沿いのドライブインを必死になって切り盛りしているのかも知れません。傍らには最愛の夫と子供達に囲まれて。

あなたは真っ直ぐに生きてきました、おそらくそれは今でも変わりはないことでしょう。だからこそ、きっとあなたはあなたの幸せを見つけていることでしょう。

僕はと言えば、突然にあなたのことを思い出し、あらためて自分が何者であるかを知り得ました。相も変わらず臆病で卑怯な自分を。この手紙はあなたに対し送っています。でもあなたはこのメールを見ることはないでしょうね。

お互いに心の片隅にも乗らなかった言葉があります。例えば「好き」とか「愛している」などの言葉。「愛」は心の有り様を言うのではなく、コミュニケーションの一つの姿であるとすれば、その行為と体験から感じ得ることなのかもしれません。そしてそれであれば、あなたが僕のことをどう思っていたかは十分にわかっていましたし、今となって気が付けば、僕自身もあなたに対しどう思っていたのかがわかります。でもそれは少なくともあなたにとっては今では無意味な話でしょう。でも僕にとっては、今更ながら、何故か一つの失恋として、僕の中に芽生えているのです。

長々と詰まらぬ話をして誠に申し訳ありません。思い出したあなたのことが頭から離れず、僕はブログに書くという行為ではき出すしかなかったことをお許し下さい。あなたが健やかに幸せな環境の中で暮らされていることを念じつつ、終わりにしたいと思っています。
さようなら。お元気で。

心から Amehare

2007/06/14

頭上の風景



街の景観は徐々に変化する、しかし特にそれを意識することも少ない。それは鏡で見慣れた自分の顔の老化が日々気が付かずに過ごすことに似ている。

ここ10年ばかりの間、近所にはコンドミニアム風のマンションが通りに面して多く建築された。元々は人家であったが、各々のマンションは既に確固たる存在感を違和感なく風景に馴染ませ、かつてそこに誰それが住んでいたことを忘れさせる。
街の景観の変化は、それが巨大な建築物だとしても、建築の過程を毎日見ることで、すぐに馴れて、忙殺された日常の営みの中で埋没されることにより、強く意識することがないのである。

それでも一棟のマンションが現れると言うことは、それに対応したインフラ整備が当然の事ながら必要とするということでもある。そしてその変化は、頭上の電信柱間を繋ぐ各種ケーブルが造り出す複雑怪奇で幾何学的な、空をキャンバスとした模様によって現れる。

写真の電信柱は車道幅の若干の変更に伴い位置を移動した。その結果、配線のケーブルを変更をすることなく対処するために、写真のような器材を使い解消したのである。
無論、僕がかつてみた素朴な電信柱とは、インフラとして担っている世帯数が違うため様相が著しく変わっている。もしかすると、上記の物干し竿を支えるような突起物がなければ、僕はそのケーブル数の変化に気が付かなかったかも知れない。
電信柱に依存する様々なインフラは、社会と技術革新の中で常に変化し続けているというのに。

かつて映画のなかに登場した、無限とも思える荒野の中に延々と続く電信柱の姿に、何故かしら郷愁を覚えたものだった。今も僕のどこかにそれと同じ感覚は持ち続けている。だからこそ、頭上の見慣れた配線によって区切られた空を、僕は時折写真に収めるのかも知れない。

2007/06/12

NHK大河ドラマ「風林火山」

今年のNHK大河ドラマ「風林火山」が面白い。昨年の「巧妙が辻」も面白かったが、断然に今年の方が面白い。どこが面白いのか、それを軽く考えてみた。

NHKの大河ドラマは常に時代の空気を掴んでプロデュースされている、と僕は思っている。それを言えば、すべてのTV番組内容はそうではないかと言われそうだが、多くの番組は現代の空気感を掴みきれずにいて、旧態依然のスタイルに固執しているように僕には見えている。無論幾つかの特記すべき番組も存在することは認めてはいるが。

例えば昨年の「巧妙が辻」は安倍総理の「美しい国」と妙に符合する事が多かった。番組最後の方で主人公の一人である山内一豊は新任先の土佐で「美しき国」造りを宣言している。無論「巧妙が辻」に安倍氏が関与している事は現実的にはあり得ない、ただNHKが番組製作の過程の中で、配慮をした可能性は、それが意識的であるかどうかは別にして、僕には大いにあり得るように思えてくるのである。と言っても、その国造りの中で、最初に多くの人命が犠牲となっているのが皮肉と言えないこともない。ここではこれ以上「巧妙が辻」のことは語らない。僕としては色々な意味で一年間楽しめたのは事実であるので、それで良しとする。

さて今年の「風林火山」であるが、まず主人公は甲斐の武田信玄家臣の一人である山本勘助である。隻眼で少々脚が不自由なこの男は、まず異彩を放った容貌で登場する。さらに勘助が信玄に仕えたのは彼が40歳を過ぎてからである。それまでは諸国を武者修行と称して放浪していたと、番組では設定している。

その武者修行で、彼は極めて多くの人脈を造り上げている。いわば、彼の強みはそこにあり、信玄はそこに彼の価値を見出している。例えば、今週(6/10)の放送では、北条早雲が関東管領である上杉憲政との戦が主となっていたが、勘助は北条早雲と知古を得ている。そのよしみで、彼は北条側に付き上杉との戦いに参加する。目的は上杉方に味方している真田幸隆を甲斐に招聘することである。無論、勘助は真田氏とも知り合いである。ちなみに番組上では今川義元とも知り合いである。

番組の内容は、概ね強いビジョンを持ち、そのビジョンを具現化する戦略とシナリオを持つ人材が、激しい競争の中で成功を収めるという、旧態依然のビジネス思考の(それを今でも信奉する人も多いのは知っているが)、世界観の展望も可能ではある。でもそれであれば、他の日本現代イデオロギーをプロパガンダしている多くの番組と変わらない。しかし僕が「風林火山」に見る姿はもう少し別のものだ。

山本勘助はネットワークで言えばハブの一つである。多くの武将を一つのノードとすれば、かれはハブとして、ネットワークの中心に位置している。それは信玄のそれを凌駕している。無論、信玄自身は勘助のハブとしての位置を了解しそれを利用している。ハブとして形成していく強みは、何と言っても勘助のその姿にある。隻眼であること、そして足が不自由なことが、彼を他者からより一層印象づけを強めている。ハブとしての強みは、武将としての弱みが利点ということである。

さらにハブとして多くの紐帯を持つ勘助は、さらに自ら様々な武将の交渉役となることで、ハブとしての存在感を甲斐家臣団の中で特異な存在となっている。そしてその紐帯の多さは、逆に様々な懸案が現れる中で、いわば一つの検索窓口として信玄の目には映る。つまり現代のウェブ世界での位置づけで言えば、グーグルとしての存在に近い。信玄の要望に、その真意を経験則から構築したデータベースで瞬時に理解し、自らのネットワークを駆使して適切な検索結果を披露する。情報的には現在求められている一つの企業人の姿でもあるかもしれない。

僕の目から「風林火山」を見ればそういう世界観が登場する。無論勘助が存在する時代は群雄割拠する戦国時代である。いわば社会ダーウィニズムが大手を振ってまかり通っている時代でもある。それは現代のグローバル化した市場における企業間の戦いにも似ている。その中で、彼が言う「国とは人です」の一言は、「人」の定義が限りなく狭い世界でもある。確かに「国とは人」かもしれない、それは多くの紐帯を持つ勘助ならではの考え方であろう。でも戦とは彼が紐帯を持つ武将との生死をかけることもであり、そこに彼自身が自己矛盾を感じないことが、僕には不思議で致し方ない。

逆に言えば、だからこそ彼の戦略は、戦をする前に戦いの勝敗を決める、つまりはできるだけ戦闘行為を行わない事に傾けるのであるのも頷けるが、それでも、美しい言葉であるがゆえに、僕としては多少の欺瞞を感じる言葉である。さらに、番組上で真田一族を甲斐に招聘することで、彼らの生存を計るが、その理由は真田が優秀で、ある意味エリートであるからでもある。それは、国造りに必要な人材は、無名兵士として死に行く者達ではなく、エリートであり、かつ一つのハブとしての存在であることを意味しているのかもしれない。確かにネットワークは多くのノードが存在しなくてもハブがあれば崩壊することはない。

さらに言えば、彼の「国とは人である」の言葉は、現代のグローバル化した自由市場に対応を迫られた一企業の考えに近いとも言える。そしてそこに必要で求められている人材とは、戦略に長じ(クリエイティブ)で、多くの人材と影響力を持つ(ハブとしての存在を指向する)、であるということになる。それゆえ勘助の行動を描く「風林火山」は、僕にとって極めて現代的な時代劇だと思うのである。無論、楽しみながらも、批判的に見ている部分もあるのではあるが。色々な意味で面白いのでそれも良しとしている。