2008/02/03

日本学術会議の代理出産の禁止案で思うこと

厚生労働省と法務省の審議機関である日本学術会議の代理出産の禁止案は一つの限界を示している。禁止の理由は、代理出産する女体のへの危険性であり、胎児に問題があるときのトラブルの発生への懸念である。いずれの理由も反論が出ることは必然であるにもかかわらず、具体的にはそれくらいの理由しか得られてないのだ。逆に言えば代理出産への流れが出来上がりつつあるということのように僕には思える。日本学術会議でも十分にそのことは認識されているのかもしれない、それが矛盾する「試行」制度の盛り込みに現れているのだと僕は思う。
代理出産の是非を議論している日本学術会議の生殖補助医療の在り方検討委員会(委員長・鴨下重彦東大名誉教授)は31日、東京都内で公開講演会を開いた。不妊夫婦が妻以外の女性に子供を産んでもらう代理出産を法律で原則禁止する報告書案に対し、参加者や委員からは賛否両論が出た。この日の議論を参考にして検討委は2月にも最終報告書をまとめる。(2008/1/30 日本経済新聞)
結論から言えば、日本の出産母胎による親権付与の背景には血統主義があるのでないだろうか。帰化以外の日本国籍所有者は概ね血統主義から日本「民族」と見なされる。つまりは日本人女性から産まれた子供は確実に「日本人」なのだという、今では根拠が薄い考えがあるように思えるのだ。無茶を承知で直感だけで僕は書いている。でも代理出産可能な国の多くは、調べてはいないので無責任な意見なのは承知でいえば、出生主義を持っている国が多いと思うのである。

それであれば代理に出産する女性は日本人にすればよいという反論も真面目に出てくるかもしれない、でもそういうわけにもいかない。なぜなら日本の血統主義は「家」という概念が密接に絡んでいるからだ。逆に言えば日本が血統主義から出生主義に切り替わるだけで、日本のコンテクストが大きく変わらざるを得ないことがわかる。

日本学術会議の出席者たちは何を守ろうとしているのだろう。代理母の肉体だろうか、それとも出産後に起きる様々な個別問題からだろうか。いやそうではない。守ろうとしているのは彼らの中にある括弧付きの日本なのだ、と僕には思える。だから容易には代理出産を認めるわけにはいかないだろう。

でもその戦略は間違っているとは言わないけど、少し違うように思う。彼らが代理出産を禁止するためには、逆に代理出産を賛成すればよい。そしてその賛成の条件により実際に稼働が難しいように持って行くのだ。何事もそうだが、禁止の主張は全面的な受諾の可能性を秘めているものだ。論議の中で注意しなくてはいけない意見は、全面禁止の主張ではなく、「一定の条件付き容認」を語る者の「条件」なのだと思う。

僕は代理出産は制度的に概ね全面的に認めていくべきだと思っている。最初からワーキングコードを作ることは難しいので、当初はバグだらけのコードであるのは間違いない。バグコードの対処で経験を積めるし、何をフォローすべきかの知識も構築できるだろう。仮に「条件付き容認」しか現実的でないとすれば、「条件」は緩やかにすべきだと思う。

当事者同士の金銭の授受がなくても、間接的に経済に影響を与えることだろう。新たなコードはいかなるものであろうと僕らに影響を与えぬものはない、と思う。代理出産を認める新たなコードが仮に書かれたとすると、そのコードは他の一見何の関係性を持たないコードの矛盾を露わにするものだ。おそらくその先にある何かをどのようにみているかが、日本学術会議と僕との違いにあるように思える。

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