詩「猫」は短い詩だ。宮沢賢治が友人宅で年老いた猫と顔を合わせたところから詩は始まる。賢治はその猫を見て「パチパチ火花を出すアンデルゼンの猫」を思う。
年老いた猫は賢治の方に歩いてくる。そして彼の「猫は大嫌い」という言葉が続く。その年老いた猫が賢治の方に歩いてくる描写がとても美しい。
「実になめらかによるの気圏の底を猫が滑ってやって来る。
(私は猫は大嫌ひです。猫のからだの中を考へると吐き出しさうになります。)」
(宮沢賢治 「猫」より抜粋)
猫は賢治のそばで身繕いを始める。その姿を見た賢治は、何か得体の知れない網のようなものが猫の毛皮を覆うように感じる。その後、年老いた猫は小さく鳴いて暗闇の方に去っていく。また賢治は思う。「どう考へても私は猫は厭ですよ」と。
この詩に登場する猫はまぎれもなく現実界に存在する猫だ。そして「猫が大嫌い」という言葉とは裏腹に、猫を正確に、しかも文学的に描いているように思える。
賢治が年老いた猫の登場から去るまでの間、その猫を凝視していたのがとてもよくわかる。だからか、この詩の短さの中に、賢治の内的な時間の経過が読み取れる。
正直に言えば、僕は、この詩はそれほど優れた作品とは思っていない。ただ賢治のまなざしは的確に現実の猫の存在を捉えていたと僕は思う。
宮沢賢治の童話の中に登場する山猫を含めた猫たち。特に山猫ではなく猫が登場する童話として「猫の事務所」が知られていいる。
ただ「猫の事務所」に登場する猫たちは擬人化されていて、詩「猫」の猫とは全く違う。
擬人化は、直接に語り得ないことを、動植物を擬人化することで、そのものに語らせるための文学的手法だと僕は思う。だから、「猫の事務所」に登場する猫たちは、猫として登場するが、実際は猫ではない。
賢治の「擬人化」を多言語主義もしくは植民地主義を背景として初めて捉えたのが、西成彦「森のゲリラ宮沢賢治」だったと思う。
この詩に登場する猫はまぎれもなく現実界に存在する猫だ。そして「猫が大嫌い」という言葉とは裏腹に、猫を正確に、しかも文学的に描いているように思える。
賢治が年老いた猫の登場から去るまでの間、その猫を凝視していたのがとてもよくわかる。だからか、この詩の短さの中に、賢治の内的な時間の経過が読み取れる。
正直に言えば、僕は、この詩はそれほど優れた作品とは思っていない。ただ賢治のまなざしは的確に現実の猫の存在を捉えていたと僕は思う。
宮沢賢治の童話の中に登場する山猫を含めた猫たち。特に山猫ではなく猫が登場する童話として「猫の事務所」が知られていいる。
ただ「猫の事務所」に登場する猫たちは擬人化されていて、詩「猫」の猫とは全く違う。
擬人化は、直接に語り得ないことを、動植物を擬人化することで、そのものに語らせるための文学的手法だと僕は思う。だから、「猫の事務所」に登場する猫たちは、猫として登場するが、実際は猫ではない。
賢治の「擬人化」を多言語主義もしくは植民地主義を背景として初めて捉えたのが、西成彦「森のゲリラ宮沢賢治」だったと思う。
山猫を含め擬人化された動物たちは、日本語と、そして彼らの言葉と、複数の言葉をしゃべる。何故、彼らは複数の言語を操るようになったのか。何故、山猫は自分たちの文化を恥じなければならなかったのか。
この問いかけは、もう一つの方向もあると僕には思える。何故、複数の文化と複数の言語が単一にならなければならなかったのか。
詩「猫」に登場する猫は、賢治にとって嫌な存在として写る。(しかしそれでいて彼は猫の体の中を考えることが出来るのだ。)その年老いた猫は賢治に擬人化をさせることを許さない。それは1個の存在として賢治に対峙する。だからこそ、逆に賢治はその年老いた猫に一種畏怖に近い感情を持ち、「私は猫は大嫌ひです」となったのではないかと、僕は考える。
それはあくまでも、彼の文学的感性ゆえの言葉、詩作ならばこその言葉であったと僕には思えるのだ。
ところで、詩にある「パチパチ火花を出すアンデルゼンの猫」とは何だろう。アンデルセンの童話は絵本としても童話としても読んだが、この猫だけははっきりと思い出せない。ただ「みにくいアヒルの子」の中で、猫とニワトリの会話において、そんな猫が登場していたような記憶がある。違っただろうか。
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