外苑の銀杏並木が黄葉したという。行ってみたが予想より多くの人が集まっていた。
銀杏の黄葉は青空が似合う。外苑の銀杏は一本一本が見事な大木でもあるから、それが並木となれば見ごたえがある。大勢の人が写真を撮っている。黄色い葉が日差しを受けてキラキラと光る。
僕の横を子供連れの一家が通り過ぎる。お父さんが子供たちに向かって「どうだ、来て良かっただろう」と聞いている。子供たちはそれに答えずはしゃぎまわり、代わりにお母さんが「本当にね」と答えている。
乳母車に子犬を数匹連れた夫婦も見かけた。子犬を落葉した黄色い葉に置いて写真を撮っている。多くの人たちは絵画館を背にして記念撮影をしている。片手でカメラを持ち顔を寄せ合い撮っている恋人たち、若いお父さんがお母さんと子供たちにカメラを向ける、もしくは友達同士でカメラを向け合いシャッターを押すたびに喚声を上げている女の子たち、それぞれが銀杏の黄葉の中で生き生きと笑顔で楽しそうだ。
無論僕と同じように写真が目的で来ている人たちも多い。しゃがみこみ地べたすれすれにカメラを構えている人、並木の一群を構図を考えながら撮る人、思い思いにファインダーを覗き、そして何か新たな視点を求めてカメラを構えなおす。
実を言えば僕は写真を撮る人たちを眺めているのが好きだ。何故だかとてもその姿に惹かれる。僕は銀杏の紅葉の写真を撮りながらも、カメラを構えている人たちにもレンズを向ける。
外苑の銀杏並木でカメラを向ける先は人様々だろう。でも一つだけ共通していることがある。それは親愛なる人たちであれ、美しい光景であれ、カメラを向け写真に残したいと思う何かがそれらにはあると言うことだ。その何かを見つめるとき、人の目は輝きを増す。そして僕はその眼に惹かれるのだろう。
絵画館前の噴水広場には丁度半円まで屋台が建ち並び、焼き鳥やら、おでんやら、たこ焼やら、焼きそばやらが売られている。多くの人たちが同じように半円に並べられているテーブルで食べて談笑している。
外苑という場所柄もあるのかもしれないが、もみじの紅葉と比べて銀杏の黄葉は何かにぎやかだ。万葉の歌は黄葉の歌の方が紅葉よりも多いと聞いたことがある。おそらく今では紅葉といえばもみじの紅がイメージされるが、遥か昔はそうではなかったのかもしれない。
青空と笑い声、そして銀杏の黄葉。押しなべて全体を語るつもりもなく、個々には様々な出来事があることだろう。でもここでは皆思い思いに初冬の黄葉を楽しんでいる。そのひと時がたまらなく美しい。
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