家から柴又帝釈天に行くには幾つかの電車を乗り継ぐ必要がある。まずは半蔵門線で終点の押上まで行く、押上で京成電鉄に乗り換える。そこまでは僕でもわかる。難しかったのはそれ以降だ。
丁度来た電車は青砥(あおと)行きだったのでとりあえず乗り込んだ。青砥で乗り換えると思っていた。でも幾ら待っても柴又方面の電車は来ない。時刻表を見るとどうやら昼間は高砂から出ているらしい。でもその高砂がどこなのかが全くわからない。駅員に聞いてみる。
「柴又に行くにはどうすればいいのですか」
「一度、高砂まで行ってください。そこで金木行きの電車に乗り換えてください」と駅員
「高砂とはどちらですか、あっちですか?こっちですか?」
指で上りと下りを示して聞く。内心まるで「初めてのお使いシリーズ」だと恥ずかしくなる。
駅員は僕の動作に面食らった感じで、少しだけ間が空く。
「あっちです。このホームで待って次の電車に乗ってください。一つ目の駅です」
待っていると確かに電車が来た。でも車両側面には北総鉄道と書かれている。一瞬京成電鉄じゃないのかと迷うが、駅員が間違うはずもなくそのまま乗り込む。あっさりと高砂に着いた。ホームに下りしばらく待つと金木行き電車がホームに入ってくる。調べてみると高砂の次の駅らしい。つまりは迷った青砥から二つ目の駅ということになる。しかしこの間30分以上はかかっている。遠い。
柴又の駅は、何度も寅さんの映画に出てくるのでなじみがある、はずだったが、どうも映画とは少し違うようだ。向かって左側面が工事中だったので全面を見ることが出来ないのもあるかもしれない。それに映画だと駅前は少し広場のようになっていたと思う。実際も広場にはなっているが狭く感じる。これでは浅丘ルリ子演じるリリーの帰りを寅さんが待つ場所が見当たらない。
既に駅前から帝釈天の参道となっている。これも映画とは少し違う。リリーと相合傘で寅さんが歩く距離が短すぎる。これではロマンチックになる前に家にたどり着いてしまう。
しかもだ、リリーが寅さんに会いに行くとき、一度は帝釈天の方から歩いてきたように思う。しかし駅からだと帝釈天に向かうので、彼女は柴又駅からではなく別の駅(例えば新柴又駅)からくることになる。その距離をハイヒールのリリーは歩いたと言うのだろうか。
またまたリリーが餃子を造る為に寅さんと買い物をするシーンがあるが、参道には八百屋も肉屋もなかった。彼らはどこで餃子の材料を買ったのだろう。
それもまして参道の人の多さはどうだろう。ちょっとした原宿の竹下通りに近い。この人の多さは寅さんの映画の世界には全くなかったと思う。無論近くには印刷工場などなく、参道のお店で人が暮らしている感じもしない。
映画の柴又と現実の柴又を比べること自体が誤っているのかもしれないし、休日と平日の違いもあることだろう。それはわかる。でも寅さんの、しかもリリー3部作にこだわっているファンの心情も理解して欲しい。
しかしわかったこともある。寅さんもしくは出演者が江戸川の土手で別れるシーンが時折あるが、別れた際にどこに向かうのかがわからなかった。でも土手を下流に向かって歩くと京成線にぶつかるのだ。20分近くは歩くことになるとは思うが。
そんなことをだらだらと書けば、いかにも僕が熱心な寅さんファンだと誤解をされそうだ。
「好きなんですね」、と聞かれたら素直に認めよう。ただ僕の場合は、浅丘ルリ子演じるリリー3部作(実際には4作品)しか見ていない。少し変則的なファンなのだ。(この日記でリリーしか登場しないのはそういう訳だ 笑)
たまたまテレビで放送していて、それをたまたま観て、こんなにも面白いのかと驚いた。何よりも浅丘ルリ子のリリーが女性として魅力的で可愛く、どちらかといえば彼女に惚れて観始めたといったほうが正確かもしれない。
・男はつらいよ 寅次郎忘れな草 11作目 公開1973年8月4日
・男はつらいよ 寅次郎相合い傘 15作目 公開 1975年8月2日
・男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 25作目 公開1980年8月2日
・男はつらいよ 寅次郎紅の花 48作目 公開1995年12月23日
このうち最終話となった48作目の「紅の花」は別格扱いなので、通常はリリー3部作となっているのだそうだ。確かに48作目は、寅さん役の渥美清さんの内側から来る生命力が感じられない、だからかいつもは寅さんが演じる役回りを甥の満男(吉岡秀隆)が肩代わりをしているようだ。
映画と実際の違いは時代の違いもあるかもしれない。11作目は今から36年前なのだ。そのころであれば、まだ映画と実際は限りなく近かったかもしれない。ただ町並みとか帝釈天は寅さんの映画のイメージがあった。そんなことをあれこれと考えながら僕は柴又の参道を歩いた。
帝釈天で参拝し、帰りに草団子を食べた。店の人は愛想良く対応してくれる。
すっかりとテーマパーク化している柴又に、テーマパークしていることを求めて僕はやってきたという事だ。そしてテーマパークが徹底されていないと嘆き、テーマパーク化されていることにも嘆く。わがまま極まりなく無責任な観光客の一員として僕は柴又を楽しんだ。そしてそれを柴又の参道は受け入れてくれた。
テーマパークと書いたが、それこそ失礼だったのかもしれない。テーマパークの代名詞でもあるディズニーと言えども東京で開園してからまだ30年しか経ってはいない。「男はつらいよ」1作目から今年で40年である。それ以前に帝釈天の参道として賑わいを見せてからは、200年以上は経っている。テーマパークとしても、お客さんを接待する伝統と重みが違うのだ。寅さんであろうと新参者であることに変わりはない。でもとっても強力な新参者であることも間違いないが。
寅さんのリリー3部作の感想を書こうと思ってからだいぶ時間が過ぎた。書こうと思う都度、僕はこの映画を観た。既に何回見たのか忘れるほどだ。でも一向に飽きることがない。寅さん、リリー、さくら、おいちゃん、おばちゃん、その他多くの人たち、柴又の街並み。観るたびに、何かを教わると言うより、知らずに引き込まれ楽しんでいる自分を見つけるのだ。同じ箇所で笑い、同じ箇所で照れ、同じ箇所で感動する。あらかじめ筋がわかっていても関係ない。今回の柴又に行くのを決めたのも寅さんが発端だし、おそらく多くの人が僕と同じだろう。
帰りに江戸川の土手を少し歩いた。矢切の渡しが見えた。実に多くの人達がそれぞれに楽しんでいた。風はあるが雲一つない青空だ。少し歩くと寅さん記念館があるという。ここまで来て行かないことはない。柴又にも当たり前だが多くの人が住んでいた。彼らは寅さんの幻影を求めてこの街に住んでいるわけではない。閑静な住宅地は、まるで僕の思惑を知っているかのように、逆に堂々と暮らしの有様を見せる。おそらく寅さんはこの暮らしの中にこそいるのだと、その時僕は初めて気がついた。
0 件のコメント:
コメントを投稿