総選挙は民主党の圧勝に終わった。その日、僕は午前中に投票に行き、そしてすぐに選挙のことを忘れた。台風が近づいていると言う。窓から外を見上げると、灰色の雲からの柔らかな光が周囲を包み、とても静かな印象を与える。
8月はあっという間に過ぎた。暑さと肌寒さとが交互に繰り返し、やがて秋になる。そんな肌に感じる季節感が今年は少し違う。8月のイメージにそぐわない今年の8月。9月も同様なのだろうか。
2009年8月30日、日曜。僕には前々から予定があった。恵比寿にある東京写真美術館に行くのだ。雨が降る前に出かけ、そして帰りたい。台風と選挙、それが重なる確率はどのくらなのだろうと、少し考える。でもそれは僕にとっては吉兆なのだ。おそらく静かな時間を過ごすことができるだろう。
外に出ると、思いのほか風が強い。風は台風が近づいてくる前触れだろう。おそらく、この気象の中で、今日の一日を一喜一憂する人々が多くいることだろう。彼らの喜びや悲しみや夢や希望や失望やその他諸々の感情から発せられる力は、この風の中でどこに飛ばされていくのだろう。
僕は少し身をかがめ駅へと歩く。
写真展は想像以上に色々なことを感じた。写真家の主とするテーマは記憶にあるらしい。写真から記憶に結びつけるのはどうしてだろう。写真展の中央にある長いすにすわり、鑑賞する人たちの後姿を見ながら考える。発端はおそらくプルーストなのだろう。でも彼の記憶は円環のなかにある。だとすれば、写真を鑑賞する人が得られる記憶もまた自らに回帰するのだろうか。そんな具にもつかぬ事を、ぼんやりと考える。
写真展を出ると雨が降っていた。普段だと人も多いモールの広場は、横からの雨でベンチが濡れ、人もまばらだ。それでも、何人かの人たちが楽しそうに談笑しているのが見える。2階からの展望なので笑い声は聞こえない。突然、弾けるように少女が笑う、聞こえない歓声が僕の耳に届く。
2009年8月30日の1日はそうやって過ぎた。その後僕は恵比寿駅からJRに乗って帰った。家に帰りTVをつけると、既に選挙の体勢は決まっていた。
16年ぶりの政権交代は、僕らの暮らしにどのような変化をもたらすのだろうか。台風が明日には関東に来るとのニュースも入る。窓から夜の闇を見る。雨が一段と激しく降っているのがわかった。
2009/08/27
宮沢賢治と猫
賢治は猫が嫌いだったという説がある。彼の詩「猫」が発端のこの説は、無論取るに足らない話である僕には思える。
詩「猫」は短い詩だ。宮沢賢治が友人宅で年老いた猫と顔を合わせたところから詩は始まる。賢治はその猫を見て「パチパチ火花を出すアンデルゼンの猫」を思う。
年老いた猫は賢治の方に歩いてくる。そして彼の「猫は大嫌い」という言葉が続く。その年老いた猫が賢治の方に歩いてくる描写がとても美しい。
山猫を含め擬人化された動物たちは、日本語と、そして彼らの言葉と、複数の言葉をしゃべる。何故、彼らは複数の言語を操るようになったのか。何故、山猫は自分たちの文化を恥じなければならなかったのか。
この問いかけは、もう一つの方向もあると僕には思える。何故、複数の文化と複数の言語が単一にならなければならなかったのか。
詩「猫」に登場する猫は、賢治にとって嫌な存在として写る。(しかしそれでいて彼は猫の体の中を考えることが出来るのだ。)その年老いた猫は賢治に擬人化をさせることを許さない。それは1個の存在として賢治に対峙する。だからこそ、逆に賢治はその年老いた猫に一種畏怖に近い感情を持ち、「私は猫は大嫌ひです」となったのではないかと、僕は考える。
それはあくまでも、彼の文学的感性ゆえの言葉、詩作ならばこその言葉であったと僕には思えるのだ。
ところで、詩にある「パチパチ火花を出すアンデルゼンの猫」とは何だろう。アンデルセンの童話は絵本としても童話としても読んだが、この猫だけははっきりと思い出せない。ただ「みにくいアヒルの子」の中で、猫とニワトリの会話において、そんな猫が登場していたような記憶がある。違っただろうか。
詩「猫」は短い詩だ。宮沢賢治が友人宅で年老いた猫と顔を合わせたところから詩は始まる。賢治はその猫を見て「パチパチ火花を出すアンデルゼンの猫」を思う。
年老いた猫は賢治の方に歩いてくる。そして彼の「猫は大嫌い」という言葉が続く。その年老いた猫が賢治の方に歩いてくる描写がとても美しい。
「実になめらかによるの気圏の底を猫が滑ってやって来る。
(私は猫は大嫌ひです。猫のからだの中を考へると吐き出しさうになります。)」
(宮沢賢治 「猫」より抜粋)
猫は賢治のそばで身繕いを始める。その姿を見た賢治は、何か得体の知れない網のようなものが猫の毛皮を覆うように感じる。その後、年老いた猫は小さく鳴いて暗闇の方に去っていく。また賢治は思う。「どう考へても私は猫は厭ですよ」と。
この詩に登場する猫はまぎれもなく現実界に存在する猫だ。そして「猫が大嫌い」という言葉とは裏腹に、猫を正確に、しかも文学的に描いているように思える。
賢治が年老いた猫の登場から去るまでの間、その猫を凝視していたのがとてもよくわかる。だからか、この詩の短さの中に、賢治の内的な時間の経過が読み取れる。
正直に言えば、僕は、この詩はそれほど優れた作品とは思っていない。ただ賢治のまなざしは的確に現実の猫の存在を捉えていたと僕は思う。
宮沢賢治の童話の中に登場する山猫を含めた猫たち。特に山猫ではなく猫が登場する童話として「猫の事務所」が知られていいる。
ただ「猫の事務所」に登場する猫たちは擬人化されていて、詩「猫」の猫とは全く違う。
擬人化は、直接に語り得ないことを、動植物を擬人化することで、そのものに語らせるための文学的手法だと僕は思う。だから、「猫の事務所」に登場する猫たちは、猫として登場するが、実際は猫ではない。
賢治の「擬人化」を多言語主義もしくは植民地主義を背景として初めて捉えたのが、西成彦「森のゲリラ宮沢賢治」だったと思う。
この詩に登場する猫はまぎれもなく現実界に存在する猫だ。そして「猫が大嫌い」という言葉とは裏腹に、猫を正確に、しかも文学的に描いているように思える。
賢治が年老いた猫の登場から去るまでの間、その猫を凝視していたのがとてもよくわかる。だからか、この詩の短さの中に、賢治の内的な時間の経過が読み取れる。
正直に言えば、僕は、この詩はそれほど優れた作品とは思っていない。ただ賢治のまなざしは的確に現実の猫の存在を捉えていたと僕は思う。
宮沢賢治の童話の中に登場する山猫を含めた猫たち。特に山猫ではなく猫が登場する童話として「猫の事務所」が知られていいる。
ただ「猫の事務所」に登場する猫たちは擬人化されていて、詩「猫」の猫とは全く違う。
擬人化は、直接に語り得ないことを、動植物を擬人化することで、そのものに語らせるための文学的手法だと僕は思う。だから、「猫の事務所」に登場する猫たちは、猫として登場するが、実際は猫ではない。
賢治の「擬人化」を多言語主義もしくは植民地主義を背景として初めて捉えたのが、西成彦「森のゲリラ宮沢賢治」だったと思う。
山猫を含め擬人化された動物たちは、日本語と、そして彼らの言葉と、複数の言葉をしゃべる。何故、彼らは複数の言語を操るようになったのか。何故、山猫は自分たちの文化を恥じなければならなかったのか。
この問いかけは、もう一つの方向もあると僕には思える。何故、複数の文化と複数の言語が単一にならなければならなかったのか。
詩「猫」に登場する猫は、賢治にとって嫌な存在として写る。(しかしそれでいて彼は猫の体の中を考えることが出来るのだ。)その年老いた猫は賢治に擬人化をさせることを許さない。それは1個の存在として賢治に対峙する。だからこそ、逆に賢治はその年老いた猫に一種畏怖に近い感情を持ち、「私は猫は大嫌ひです」となったのではないかと、僕は考える。
それはあくまでも、彼の文学的感性ゆえの言葉、詩作ならばこその言葉であったと僕には思えるのだ。
ところで、詩にある「パチパチ火花を出すアンデルゼンの猫」とは何だろう。アンデルセンの童話は絵本としても童話としても読んだが、この猫だけははっきりと思い出せない。ただ「みにくいアヒルの子」の中で、猫とニワトリの会話において、そんな猫が登場していたような記憶がある。違っただろうか。
2009/08/25
感想 映画「剣岳 点の記」
久しぶりの映画館。この映画に出不精の僕が足を向けたのは、山を中心とした映画だからだ。しかも原作者が新田次郎であればなおさらだ。
観に行く映画の候補は幾つかあった。家人は、それであれば全部見に行けば良い、と言うが、不器用な僕としてはそうはいかない。一つの映画を観ると、良い映画であればあるほど、僕の中で消費する時間がかかるのだ。大抵は、見終わった後に混乱が生じ、頭の中で整理し、自分の思いをそこに付け加える、そして気持ちがあれば文章を書く。ここまでのサイクルは早くて1ヶ月はかかってしまう。映画とは僕にとって一つの問題でもあるのだ。
場合により、性急に解決しなければならない映画もあるのだが、映画「劔岳 点の記」は差し迫った問題ではなかった。
もちろん、良い映画であることに間違いはないのだが。
この映画の監督はカメラ出身とのことだ。だからか山々の描写がとても美しい。
四季の移り変わり、一日における変化、青空と樹木の緑、白い岩肌、そして紅葉。赤く染まる夕焼け、夕闇迫る灰色の彼方に黒く浮かび上がる山々。その壮大な山々の中を、連なる蟻のように列を成し登る人々。
後から映画のサイトを眺めるとCGは使ってないのだそうだ。だから良いとは、現在の技術力を持ってすれば一概には言えないが、この映画においては良い結果になったといえると思う。山の描写だけでもこの映画を観る価値はあるように僕には思える。
ところで、この映画のコピーとして幾つかの言葉が並べられている。
「誰かが行かねば、道はできない」、もしくは「人がどう評価しようとも、何かをしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事です。悔いなくやり遂げることが大切だと思います」などだ。
実は新田次郎の原作を僕は読んではいない。でも想像するに上記の言葉は小説の中の重要な一文なのだろう。
しかしだからといって映画のメッセージと小説で語りたいことが合致するとは限らない。小説と映画は違った表現方法なのだから、同じになるという方が難しいように僕には思える。
この映画のメッセージは、小説を読んでいない僕が言うのは不適なのはわかるが、小説のそれとは違うのではないだろうか。それは上記の映画のコピーが台詞として語られる場面の不自然さにある。不自然と僕が感じるのは、その言葉が大事であれば、発せられる必然性が丁寧に描かれるはずなのに、少しばかり唐突に語られていたからだ。
映画のメッセージは、カメラワーク、脚本、演出、演技、音楽、道具立て、そして編集などによって、映画全体から発せられるものだと思う。台詞は言葉として、そのメッセージを要約することもあるが、だからといってそれが生かされるかどうかは別問題なのだ。
この映画にとって要はやはりカメラワークにあると僕は思う。
例えば、カメラワークは山を舞台にするとき(山の内)と、山から離れて人の営み(山の外)を舞台にするときとでは違っている。
山の内では、山々の自然の壮大さと美しさ、そして対比しての人間の小ささが出ている。望遠を生かした撮影が所々に現れる。
山の外では、屋内を舞台にした撮影が多く、役者の近くに寄ったカメラワークが主体となっている。
山を舞台にした映画なのだから、それはそれで当然と言えばそうかもしれない。しかしその対比は顕著であった。
それにカメラ出身の監督もカメラが要であることを意識していたのではないだろうか。だからこそCGを使わず、俳優たちを実際に体験さえ、その映像を撮り続けたのではないかと思える。
またそのカメラワークと相まって、脚本・演出の面でも、山の内と山の外では違っていた。山の内では人間は謙虚であり、目的に対し献身的で、仲間として互いに敬愛の情で結ばれていた。対する山の外では、人の虚栄心、名誉欲、競争心、などが全面にでていた。
自然に「大」を付けるようになったのはいつ頃だろう。日本語の「自然」という言葉には様々な意味がある。どれも程度の違いがあるにせよ、人工ではないと言うことだ。
ただ、人工については、語る側の信念がそこに強く挿入されてもいる。例えば、人が人やものに対して「自然だ」とか「自然ではない」とかの物言いがそれにあたる。
その意味で、ある意味「自然」「人工」という言葉はイデオロギーの一種になっているかもしれない。自然の前に「大」を付けたのは、それらイデオロギー化された「自然」と、人間が踏み込むことが困難な環境としての自然とを分ける意図があるのだろう。無論、この映画での「自然」は「大自然」のことである。
その大自然に対峙する人間は謙虚になる、とは一つの文化コードでもある。人間は人工のなかでしか生きられない、とはアレントの言葉だった。だから大自然の中に入り込む場合、人工物である生活一式を全て携えなければならない。
この考え方はいかにも欧米的でもある。しかし、この映画の測量隊も日本山岳会の双方とも、近代登山の黎明期の中で、この思想に則った登山を行っているのだ。大自然への謙虚さとは、自然と人工、自然と人間との、距離感にある。そしてその距離感は、近代登山と共に始まったように思える。
この文化コードが映画の中でも現れていた。測量隊の中に、若く実力があるが横柄で自信家で、サポートする強力たちにぞんざいな口をきく男がいた。映画の観客たちは、謙虚さの中で一人だけ異質なその男性が、いずれ壮大な自然の中で変わってゆくのだろうと期待する。そして期待通りに彼は徐々に謙虚になっていく。
それに対応する人物が映画の中で「行者様」と呼ばれた修験者だと思う。修験者にとれば、自然との間に距離はない。彼にとってみると、初登頂という概念自体がないと僕は思う。
劔岳への初登頂を、測量隊と日本山岳会の両者が競い合っていた。測量隊は三角点を建て、測量することが目的で、初登頂が目的ではない。でも測量隊の軍本部では日本山岳会に負けるなと命令し、マスコミ、日本の人々は両者の競い合いに注目していた。
結果的に測量隊が日本山岳会よりも先に劔岳に登るのだが、実際は測量隊よりも先に山の修験者が登頂を果たしていた。
測量隊と日本山岳会以外の人たち、軍本部・マスコミ・人々にとって劔岳の初登頂の騒ぎは無意味だったと感じる。しかし測量隊と日本山岳会にとってはそうではなかった。
測量隊が地図を作成することに目的があるように、日本山岳会は山頂への道(ルート)を造ることが目的だったのではないだろうか。初登頂はその目的の副次的なものでしかない。お互いが切磋琢磨し、山という共通の環境の中で、それぞれの目的に献身的に動く。その姿勢は双方とも共有するところだ、その過程でお互いを認め合い、そこから尊敬と共に、ある種の絆が産まれる。
映画の終わりに、測量隊と山岳会の人たちは、劔岳と向かい合う山の頂に立ち、お互いに手旗信号でエールを交換する。そしてお互いに目的のために努力をした仲間であることを意識する。そして映画は終わる。
スタッフ紹介のテロップが流れるその先頭には「仲間たち」と書かれている。ただ当然のことながら「仲間」には、軍本部の上司たち、マスコミ、周囲の人たちは含まれていない。「仲間」に「みんな仲間」などという線引きはありはしない。
僕はこの映画のメッセージの要は「絆」だと思う。その理由は今まで書いてきたとおりだ。「仲間」とは「絆」を具現化したものだと僕は思う。そして、映画のメッセージは原作のそれとは違っているように僕は思う。
仮にその違いが著しいのであれば、僕の見方が誤っている可能性と共に、この映画の問題の可能性もあるだろう。僕はこの映画が原作に重きを置く結果、映画に詰め込みすぎた印象を持った。
もう少し的を絞れば、もう少し編集において場面を減らせば、より的確にメッセージが伝えられたのではないか、と思う。
ただ、映画というものは、仮に前記の通りに的を絞り場面の削除などを行えば、逆に映画として成立しない可能性もある。
この映画はこの映画で完成されている。そうも思う。
まだこの映画で書きたいことは色々とある。例えば、現在国土地理院所蔵の記録「点の記」から見た映画の印象、俳優の演技のこと、行者のこと、それぞれの役の位置づけで不明な点がいくつかあること、などだ。それらについては別途書くかもしれない。
観に行く映画の候補は幾つかあった。家人は、それであれば全部見に行けば良い、と言うが、不器用な僕としてはそうはいかない。一つの映画を観ると、良い映画であればあるほど、僕の中で消費する時間がかかるのだ。大抵は、見終わった後に混乱が生じ、頭の中で整理し、自分の思いをそこに付け加える、そして気持ちがあれば文章を書く。ここまでのサイクルは早くて1ヶ月はかかってしまう。映画とは僕にとって一つの問題でもあるのだ。
場合により、性急に解決しなければならない映画もあるのだが、映画「劔岳 点の記」は差し迫った問題ではなかった。
もちろん、良い映画であることに間違いはないのだが。
この映画の監督はカメラ出身とのことだ。だからか山々の描写がとても美しい。
四季の移り変わり、一日における変化、青空と樹木の緑、白い岩肌、そして紅葉。赤く染まる夕焼け、夕闇迫る灰色の彼方に黒く浮かび上がる山々。その壮大な山々の中を、連なる蟻のように列を成し登る人々。
後から映画のサイトを眺めるとCGは使ってないのだそうだ。だから良いとは、現在の技術力を持ってすれば一概には言えないが、この映画においては良い結果になったといえると思う。山の描写だけでもこの映画を観る価値はあるように僕には思える。
ところで、この映画のコピーとして幾つかの言葉が並べられている。
「誰かが行かねば、道はできない」、もしくは「人がどう評価しようとも、何かをしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事です。悔いなくやり遂げることが大切だと思います」などだ。
実は新田次郎の原作を僕は読んではいない。でも想像するに上記の言葉は小説の中の重要な一文なのだろう。
しかしだからといって映画のメッセージと小説で語りたいことが合致するとは限らない。小説と映画は違った表現方法なのだから、同じになるという方が難しいように僕には思える。
この映画のメッセージは、小説を読んでいない僕が言うのは不適なのはわかるが、小説のそれとは違うのではないだろうか。それは上記の映画のコピーが台詞として語られる場面の不自然さにある。不自然と僕が感じるのは、その言葉が大事であれば、発せられる必然性が丁寧に描かれるはずなのに、少しばかり唐突に語られていたからだ。
映画のメッセージは、カメラワーク、脚本、演出、演技、音楽、道具立て、そして編集などによって、映画全体から発せられるものだと思う。台詞は言葉として、そのメッセージを要約することもあるが、だからといってそれが生かされるかどうかは別問題なのだ。
この映画にとって要はやはりカメラワークにあると僕は思う。
例えば、カメラワークは山を舞台にするとき(山の内)と、山から離れて人の営み(山の外)を舞台にするときとでは違っている。
山の内では、山々の自然の壮大さと美しさ、そして対比しての人間の小ささが出ている。望遠を生かした撮影が所々に現れる。
山の外では、屋内を舞台にした撮影が多く、役者の近くに寄ったカメラワークが主体となっている。
山を舞台にした映画なのだから、それはそれで当然と言えばそうかもしれない。しかしその対比は顕著であった。
それにカメラ出身の監督もカメラが要であることを意識していたのではないだろうか。だからこそCGを使わず、俳優たちを実際に体験さえ、その映像を撮り続けたのではないかと思える。
またそのカメラワークと相まって、脚本・演出の面でも、山の内と山の外では違っていた。山の内では人間は謙虚であり、目的に対し献身的で、仲間として互いに敬愛の情で結ばれていた。対する山の外では、人の虚栄心、名誉欲、競争心、などが全面にでていた。
自然に「大」を付けるようになったのはいつ頃だろう。日本語の「自然」という言葉には様々な意味がある。どれも程度の違いがあるにせよ、人工ではないと言うことだ。
ただ、人工については、語る側の信念がそこに強く挿入されてもいる。例えば、人が人やものに対して「自然だ」とか「自然ではない」とかの物言いがそれにあたる。
その意味で、ある意味「自然」「人工」という言葉はイデオロギーの一種になっているかもしれない。自然の前に「大」を付けたのは、それらイデオロギー化された「自然」と、人間が踏み込むことが困難な環境としての自然とを分ける意図があるのだろう。無論、この映画での「自然」は「大自然」のことである。
その大自然に対峙する人間は謙虚になる、とは一つの文化コードでもある。人間は人工のなかでしか生きられない、とはアレントの言葉だった。だから大自然の中に入り込む場合、人工物である生活一式を全て携えなければならない。
この考え方はいかにも欧米的でもある。しかし、この映画の測量隊も日本山岳会の双方とも、近代登山の黎明期の中で、この思想に則った登山を行っているのだ。大自然への謙虚さとは、自然と人工、自然と人間との、距離感にある。そしてその距離感は、近代登山と共に始まったように思える。
この文化コードが映画の中でも現れていた。測量隊の中に、若く実力があるが横柄で自信家で、サポートする強力たちにぞんざいな口をきく男がいた。映画の観客たちは、謙虚さの中で一人だけ異質なその男性が、いずれ壮大な自然の中で変わってゆくのだろうと期待する。そして期待通りに彼は徐々に謙虚になっていく。
それに対応する人物が映画の中で「行者様」と呼ばれた修験者だと思う。修験者にとれば、自然との間に距離はない。彼にとってみると、初登頂という概念自体がないと僕は思う。
劔岳への初登頂を、測量隊と日本山岳会の両者が競い合っていた。測量隊は三角点を建て、測量することが目的で、初登頂が目的ではない。でも測量隊の軍本部では日本山岳会に負けるなと命令し、マスコミ、日本の人々は両者の競い合いに注目していた。
結果的に測量隊が日本山岳会よりも先に劔岳に登るのだが、実際は測量隊よりも先に山の修験者が登頂を果たしていた。
測量隊と日本山岳会以外の人たち、軍本部・マスコミ・人々にとって劔岳の初登頂の騒ぎは無意味だったと感じる。しかし測量隊と日本山岳会にとってはそうではなかった。
測量隊が地図を作成することに目的があるように、日本山岳会は山頂への道(ルート)を造ることが目的だったのではないだろうか。初登頂はその目的の副次的なものでしかない。お互いが切磋琢磨し、山という共通の環境の中で、それぞれの目的に献身的に動く。その姿勢は双方とも共有するところだ、その過程でお互いを認め合い、そこから尊敬と共に、ある種の絆が産まれる。
映画の終わりに、測量隊と山岳会の人たちは、劔岳と向かい合う山の頂に立ち、お互いに手旗信号でエールを交換する。そしてお互いに目的のために努力をした仲間であることを意識する。そして映画は終わる。
スタッフ紹介のテロップが流れるその先頭には「仲間たち」と書かれている。ただ当然のことながら「仲間」には、軍本部の上司たち、マスコミ、周囲の人たちは含まれていない。「仲間」に「みんな仲間」などという線引きはありはしない。
僕はこの映画のメッセージの要は「絆」だと思う。その理由は今まで書いてきたとおりだ。「仲間」とは「絆」を具現化したものだと僕は思う。そして、映画のメッセージは原作のそれとは違っているように僕は思う。
仮にその違いが著しいのであれば、僕の見方が誤っている可能性と共に、この映画の問題の可能性もあるだろう。僕はこの映画が原作に重きを置く結果、映画に詰め込みすぎた印象を持った。
もう少し的を絞れば、もう少し編集において場面を減らせば、より的確にメッセージが伝えられたのではないか、と思う。
ただ、映画というものは、仮に前記の通りに的を絞り場面の削除などを行えば、逆に映画として成立しない可能性もある。
この映画はこの映画で完成されている。そうも思う。
まだこの映画で書きたいことは色々とある。例えば、現在国土地理院所蔵の記録「点の記」から見た映画の印象、俳優の演技のこと、行者のこと、それぞれの役の位置づけで不明な点がいくつかあること、などだ。それらについては別途書くかもしれない。
2009/08/23
「地球」という言葉
映画「地球が静止する日」を観て面白い場面があった。
宇宙人の男(キアヌ・リーブス)は地球外生物学者ヘレンに「地球を救いに来た」と告げる。それをヘレンは「人類を救いに来た」と誤解する場面だ。
ヘレンにとっては、そのように誤解するのは致し方ない。宇宙人に地球の言葉を解することの方が難しいと思うのだ
学術もしくは特殊な専門用語などを除き、殆どの言葉には人間が内包されている、と僕は思う。もちろんそれは「地球」も例外ではないと思う。
さらに「地球」という言葉には、人間以外の地球上のあらゆる生命とか環境も含まれていると考えて間違いないように思う。
だから、「地球のため」もしくは「地球を救う」とは、「人間のため」「人間を救う」も内包されていると僕は思う。
ヘレンが誤解したのもやむを得ない話なのだ。
漫画「寄生獣」のミギーは次のように語る。
「わたしは恥ずかしげもなく「地球のために」という人間がきらいだ・・・・なぜなら地球ははじめから泣きも笑いもしないからな」
人間以外の生物に語らせることで、「地球」という言葉から人間を除外するすることが出来た。それは「地球が静止する日」の宇宙人と同じだ。
ミギーには人間の言葉の意味を技術的にしか知ることが出来ない。つまりは一般的言語としての記号でしかない。
ミギーが「りんご」と言った際、「リンゴ」が指し示す、あの熟すと主に赤い実となる果物のことしかない、と僕は思う。
でも「リンゴ」と日本語で語る場合、僕らに受ける「リンゴ」が指し示すものは、「あの熟すと主に赤い実となる果物」だけではないはずだ。もしかすると果物屋での値段を気にするかもしれない。作っている方のことや、産地のことを気にする人もいるだろう。なによりもまず、好きとか嫌いとか、美味しいとか不味いとか、酸っぱいとか甘いとか、そういうことを思い浮かべるだろう。でも根底にあるのは、「リンゴ」は人間が造り人間が食べるものであるということだ。ミギーが解する言語とは、そこが根本的に違う、と僕は思う。
でも実際に、何故かミギーのように「地球」を語る人は多いのも事実だ。
しかしそれはその語り自体に矛盾があるように思う。人間の言葉から人間を排除すること自体、それは不可能だと思うのだ
追記:「地球が静止する日」(2008年)は1951年のリメイクであることは知られている。1951年の日本語タイトルは、「地球の静止する日」で一字だけ違う。
宇宙人の男(キアヌ・リーブス)は地球外生物学者ヘレンに「地球を救いに来た」と告げる。それをヘレンは「人類を救いに来た」と誤解する場面だ。
ヘレンにとっては、そのように誤解するのは致し方ない。宇宙人に地球の言葉を解することの方が難しいと思うのだ
学術もしくは特殊な専門用語などを除き、殆どの言葉には人間が内包されている、と僕は思う。もちろんそれは「地球」も例外ではないと思う。
さらに「地球」という言葉には、人間以外の地球上のあらゆる生命とか環境も含まれていると考えて間違いないように思う。
だから、「地球のため」もしくは「地球を救う」とは、「人間のため」「人間を救う」も内包されていると僕は思う。
ヘレンが誤解したのもやむを得ない話なのだ。
漫画「寄生獣」のミギーは次のように語る。
「わたしは恥ずかしげもなく「地球のために」という人間がきらいだ・・・・なぜなら地球ははじめから泣きも笑いもしないからな」
人間以外の生物に語らせることで、「地球」という言葉から人間を除外するすることが出来た。それは「地球が静止する日」の宇宙人と同じだ。
ミギーには人間の言葉の意味を技術的にしか知ることが出来ない。つまりは一般的言語としての記号でしかない。
ミギーが「りんご」と言った際、「リンゴ」が指し示す、あの熟すと主に赤い実となる果物のことしかない、と僕は思う。
でも「リンゴ」と日本語で語る場合、僕らに受ける「リンゴ」が指し示すものは、「あの熟すと主に赤い実となる果物」だけではないはずだ。もしかすると果物屋での値段を気にするかもしれない。作っている方のことや、産地のことを気にする人もいるだろう。なによりもまず、好きとか嫌いとか、美味しいとか不味いとか、酸っぱいとか甘いとか、そういうことを思い浮かべるだろう。でも根底にあるのは、「リンゴ」は人間が造り人間が食べるものであるということだ。ミギーが解する言語とは、そこが根本的に違う、と僕は思う。
でも実際に、何故かミギーのように「地球」を語る人は多いのも事実だ。
しかしそれはその語り自体に矛盾があるように思う。人間の言葉から人間を排除すること自体、それは不可能だと思うのだ
追記:「地球が静止する日」(2008年)は1951年のリメイクであることは知られている。1951年の日本語タイトルは、「地球の静止する日」で一字だけ違う。
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