「自殺未遂をした日系カナダ人のケン(マット・スマイリー)は、死亡した父の兄の住む滋賀県信楽へと降り立つ。彼は叔父で陶芸家の琢磨(藤竜也)にも心を開こうとせず、初めは女性に奔放な琢磨に嫌悪感を抱いていた。しかし、琢磨の作品を見つめ、窯焚の10日間をともに過ごすうちに、その人間的な魅力に心を開いていく。(Yahoo!映画より) 」
映画「窯焚-KAMATAKI-」の公式サイトには映画の予備知識として「窯焚」の説明が載っていた。
「劇中使用される穴窯(あながま)は日本最古の窯として広く使用された窯のひとつである。(中略)この工程上、作品は生地(素焼きをしていない作品)のまま窯に詰められる。窯焚き中、燃えた薪から生じた灰が炎によって窯中に行き渡る。そして温度が高温になり炎の色が赤色から白色に変じる頃、生地が溶け、作品に粘り気ができ、それに灰が付着し溶けて自然釉となる。このような状態になるには、かなりの温度ーおよそ1300度以上ーを保つことが必要になるため、通常穴窯での窯焚は8~10日間もの日数を費やし、その期間は日夜約7~8分ごとに薪をいれる。」性的暗喩が散りばめられたこの映画で「窯」が何を象徴しているのかをイメージするのは容易い。ただそれだけでもない。そして主人公であるケン(マット・スマイリー)が自殺未遂者として登場するにも理由がある。ケンの叔父である琢磨(藤竜也)は映画の中程で彼に向かって語る。
「健康な者は飛び降りようなどとは考えない、健康じゃない者はSEXしたいとは思わない」琢磨の言葉には、人間の三つの状態、「健康」「健康でない状態:病気」「死」が描かれている。病気「飛び降りると言うこと」によって死につながり、「SEX」は健康な状態を表している。琢磨はこの言葉を気の利いた冗句の様にケンに向かって語る。しかし琢磨の行動自体は、特に女性に対する積極性は、この言葉を裏付けているように描かれる。
無論僕にとっては容認しがたい言葉だ。健康な者と病人の境界が明瞭だとは思わないし、病気の状態でのSEXも日常にありふれていると思うからだ。おそらくケンにとっても、違う意味で同様だったのだろう。彼は琢磨に反発する。琢磨の言葉はケンの心を揺さぶるし、別面ではそれが目的の言葉だったのかもしれない。つまりは無茶な言葉であることは琢磨も承知の話だったと僕には思えるのだ。
映画の最後に琢磨はケンに、もう自殺は考えないだろう、という趣旨の言葉をかける。それを聞いてケンはうなずく。この映画はケンを通して、病気からの恢復を描いていると言っても良いかもしれない。逆に言えばそれまでの間、と言うことは映画本編の殆ど、彼は病気であったことを示している。つまりはこの映画は恢復を題材にするがゆえに、病気の状態(病人)を描いているともいえる。
ここで素朴な疑問がわいてくる。ケンは一体いつから病人になったのであろうか。彼が自殺未遂を試みたその瞬間だろうか。それとも父親が亡くなった瞬間だろうか。ケンは父親の死の前からだと語っている。しかしその時期は彼にもわからない。病気は徐々に彼を浸食していったに違いない。そしてその始まりはとても曖昧でぼやけているのだろう。
では逆に病気が治ったと誰がわかるのであろうか。病気の始まりが曖昧で徐々に進みゆくように、病気からの恢復も同様なのではないだろうか。確かに発熱状態から平熱に戻ったとき人は恢復を意識する。それに対して僕は異論を言うつもりはない。でも状況として熱が平熱に戻ったとして、それで病気が治ったと誰がいえるのであろうか。私の肉体を構成する細胞の一部が、内臓の機能が、血管を流れる様々なものたちが、病気によって損なわれ、病気の浸食に対して抵抗を続けているかもしれない。
ケンは確かに自殺は考えないと琢磨の言葉に頷いた。でも健康な状態に戻ったとは言ってはいない。健康と病気は明瞭に分け難く、そしてその中で病気でもある自分の生を受け入れたのではないだろうか。ケンにとって恢復とは、病気から健康へと肉体の状態が単純な推移を意味するものではなく、病気も生の一つの姿であること、つまりはその中で生きるという気持ちを持つことであると、考えたように僕には思える。
自殺は死への自由な選択の結果の元で行われるわけではない。選択とは可能性のことであり、自殺が不可能性であることから、自殺を考える場合それが唯一の解決と思えるのである。だから自殺は何もかもを否定する。自由を否定し、個人を否定し、愛する者たちを否定し、健康と病気を否定し、希望と絶望を否定し、生を否定し、そして死さえも否定する。
ケンの自殺未遂が病気の現れだとしても、しかし他の道を歩む病気の生き方もあるのだ。おそらくケンはそういう道を見つけたのではないだろうか。
穴窯では釉薬は使わない、高温で長時間焚き続けることで灰による自然釉となるのである。監督は穴窯の技法と恢復を重ねている。ケンは病院に通うことなく、琢磨の親密圏の中で刺激を受け、徐々に自分自身を形作っていく。自分を取り戻すとは僕は語らない。取り戻す為には、前の状態が静止されていて記憶されていなければならない。でも人は静止することなどなく流れてゆく。親密圏の中の刺激とは、琢磨との語らいであり、信楽焼の魅力であり、窯焚であり、女性たちとのSEXである。
この映画でのSEX描写は都合4回ある。それらは琢磨とケンの交互に繰り返す。面白いことにこの4回の描写は連続した流れとも受け取れるし、それぞれの描写は対をなしているとも受け取れる。
1回目の描写は琢磨とバーのママであるが、その描写はポルノのように生々しく描かれる。2回目はケンと琢磨の弟子であり留学生のリタ(リーソル・ウィルカーソン)で、若い二人がお互いを求める姿に激しさはあるが、琢磨とバーのママとの絡みのように肉体が全面に出てはいない。
リタとのSEXは窯焚の期間にある。それまでケンは女性に対して、特に性に関して嫌悪感を持っているかのようであった。琢磨とバーのママとの関係を知り、ケンは琢磨をモラルを口実に罵倒する。しかしそのケンはその後飲酒運転で警察に捕まる。ケンの琢磨への怒りは、目の前に差し出された動物的で圧倒的な生への戸惑いと逃避から発せられたのだろう。直後の酩酊状態での運転がそれを表している様に僕には思える。
そのケンがリタに女性に対する欲望を感じる。窯焚の燃えさかる炎をみつめ、二人は交じり合う。生きる情熱を確認するかのような描写が2回目となる。
3回目は琢磨と、彼の亡き師匠の妻である刈谷先生(吉行和子)との描写である。踏み入れてはならない部屋があり、好奇心に駆られたケンはその部屋へと入る。その中でケンは琢磨と刈谷先生との関係を覗き見てしまう。その行為は1回目のバーのママに通じるが、ケンは二人の行為に嫌悪感は示さない。それはまるで何かの儀式のような印象を受けるのだ。
4回目の描写へと移る前に、急遽琢磨は窯焚を行うとケンに告げる。それは予定ではない突然の窯焚であった。突然の窯焚の最中に琢磨は突然に病気を患う。不安となり琢磨の元へと行くケン。しかし琢磨は病気だと姿さえ見せない。
琢磨の病気に関しては、いろいろな事が想像できる。そもそも突然の窯焚は何を目的として行われたのか。おそらくケンに捧げるためのものだったに違いない。つまり突然の窯焚における、不意の琢磨の不在は、ケンの成長を促すために、琢磨が意図的に仕組んだと考えることも出来る。そうかもしれない。ただ、琢磨の病気が計画的であろうがなかろうが、それは映画にとって些末なことでしかない。
この琢磨の不在は、ケンにとっては過去にさかのぼる事でもあったに違いない。ケンが病になったきっかけは父親の死去だった。それはケンにとって、多感な時期における父の不在でもある。窯焚の最中の琢磨の不在がそれと重なる。僕は、琢磨の不在は、父親の不在に対応する、「死」を現しているように思えて仕方がない。
窯焚を「誕生」「創造」の象徴とするならば、やはり「死」のイメージがそこになくてはならないのだ。そしてケンは「誕生」と「死」の狭間の中で、混沌とする「生」を生きなければならない。僕は琢磨の突然の不在こそ、この映画のメッセージそのものの様に思える。
4回目の描写は、ケンと刈谷先生の関係となる。刈谷先生はこの映画では謎の人物として現れる。彼女は「生」のイメージが強いこの映画の中で、逆に「生」を感じさせない。それが対比となり、彼女の存在感を際立たせるが、それでも台詞が少なく影が薄い存在であることには変わりはない。その存在は、琢磨の対極にあるようにさえ思える。
ケンと刈谷先生の描写は、「癒し」のイメージだと僕は思う。それはケンに「自殺」をする事を止めさせる力を持っている。ケンとの行為の中で刈谷先生は静かな涙をこぼす。あたかもケンの苦しみを受け入れたかのように。それはこの映画の、幸福とは言えないまでも、静かなエンディングでもある。
日本では、この映画はR18指定だった。ただ、この映画にとって4回のSEX描写は不可欠だと思える。それはケンの恢復の過程を示していると僕は思うからだ。
無論、この映画で、僕が馴染めないメッセージを感じる箇所もある。そしてその馴染めにくさが、この映画の見え方を大きく変える場合もあるだろう。だとしても、この映画がもつ様々な隠語が指し示すものが、「誕生」「性」「生」「死」と思われることから、「恢復」がテーマと思うことに、それほどの誤りはないように思えてくる。
追記:この映画の概略を下記に示す。
製作年:2005年(日本での公開は2008/2/23)
製作国:カナダ=日本
配給:ティ・ジョイ
監督・脚本・編集:クロード・ガニオン
第29回モントリオール世界映画祭
最優秀監督賞。
国際批評家連盟賞
観客大賞
エキュメニック賞
エアカナダ賞
第56回ベルリン国際映画祭のキンダー部門において審査員特別賞
さらに補足:
この映画は2005年にカナダ・米国で公開され、日本での公開はそれから3年後の2008年、そのときに映画館で観て、その感想がこの文章、書き上げるのに1年半かかったというわけです。笑
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