2009/09/01

稲越功一の写真「心の眼」

本年2009年2月25日に亡くなられた稲越功一氏の写真展が恵比寿にある東京写真美術館であったので行ってきた。本写真展は生前稲越氏が自ら構成を慎重に準備を進めてきた。亡くなられた時、写真展をどうするか話し合われたそうで、稲越氏の奥様を含めほぼ全員が開催の意向を示したと聞いている。また、その時に本写真展は没後の初めての写真展ではなく、稲越功一最後の写真展として開催するとも決まったそうだ。

稲越功一氏は雑誌カタログなどの書籍をデザイン的に美しく、かつ読みやすくするための、エディトリアルの写真家として活躍されてきた。つまりはその活躍の場の多くを商業的な場で行ってきたことになる。それでも、プライベートに自分が好きな写真も撮り続けてきた。今回の写真展はそのプライベートな写真、特にモノクロームの写真を中心に集めている。

僕が写真展に行った際に、鑑賞する仕方はいつも決まっている。まずは少し早めに全体を鑑賞する。次に写真展会場に大抵部屋のほぼ中央にある長椅子にすわり、そこから全体を見回す。そして写真展の雰囲気というか空気感を感じ取るように心がける。写真展は大抵は薄明で静かなので、椅子に座りながら、ぼんやりと考えることには最適なのだ。それから、また最初から今度は少し丁寧に鑑賞する。そしてまた長椅子に座りぼんやりする。そういうことを3サイクルくらいやっている。そうするとなんだかこの写真展会場と一体感みたいなものを感じるときがある。

だからといって写真展の何か真実が見えてくるというわけじゃない。そんな大それた事は少しも考えない。おそらく僕は、美術館、写真館、の会場独特のひんやりとした空気感が好きなのだ。作品にスポットライトが浴び、そこに人が立ち鑑賞している、そういう姿をぼんやりと眺めているのが好きなのだ。

稲越功一氏の作品はどれも良かったし面白かった。中央の椅子に座り、モノクロームの写真が飾られている壁を見る。作品の一つ一つにはタイトルはないことに気がつく。これは稲越氏のプライベートな写真へのこだわりなのだろう。タイトルがないことで、写真そのものへの回帰を促しているように思えてくる。

写真は記号論でみたとき、表象が無く指向性のみの特殊な記号だという言説に、僕は一般論として賛同する。つまり、僕らが愛する人が写っている写真を見るとき、その写真を見ているのではなく、実際はその写真が指し示す愛する人を見ているのだ、ということだ。それであれば、この写真に写っている愛する人は何なのかということになる。ロランバルトはそれを「それはかつてあった」と呼んだ。

稲越功一氏の写真集に「meet again」(1973年)があり、今回の写真展にも作品が飾られていた。その作品群はどれも一見したところ焦点があっていない、しかも写っている対象の多くは人の部位となっている。例えば、腕時計を触る手、ポケットに入れている手、ボール、などだ。写真家にとって、カメラを向ける先の何に焦点をあてるのかは、何を写真で表現するかの要となる。逆に言えば、稲越功一氏の焦点がぼやけているかのような写真群は、表現自体を焦点をぼかすスタイルをとることで、なおかつ人の部位のみ載せることで、写真が指し示す対象を曖昧にさせ、その写真自体に指向性が留まる効果を与えているのではないかと思う。

ただ「meet again」の写真群はそれだけでもない。あらためて見ると、写真のそれぞれに、写真を引き裂く亀裂が撮し込まれている。その亀裂の幅は太いものもあれば、線のように細いものもある。また色も黒だったり白だったりする。おそらく現像時に稲越氏が意図的に挿入させたものだろう。

もしかすれば、焦点が定まっていないと思ったのは誤りだったのかもしれない。ふとそんな気がしてくる。仮に、「meet again」の写真一枚一枚が、何らかの写真の一部の拡大とした場合、極限まで拡大すれば、あたかも焦点がぼけているように見えることだろう。そしてこれ以上拡大すれば写真として成立しない点、つまり写真としてぎりぎりの写真、それらがこれらの写真なのではないだろうか。

写真として成立するぎりぎりの写真、写真を分断するかのような亀裂、それらのスタイルは、見る者を戸惑わせる。焦点が定まらぬ写真は観客の焦点に影響を与えるのだ。そして観客自身が、自らの中の記憶の断片に焦点をあてなくてはならなくなる。写真の対象として、どこにでもあるもの、どこにでもある風景、が選ばれているため、その傾向は強まることだろう。観客の中でその写真は再構築される。それは写真の本質への反抗のようにさえ思えてくる。

「meet again」の次の写真集である「記憶都市 東京」(1987年)も印象に残る。その写真集に載る写真は全て建物となっている。そして人は写っていない。建物の多くは木造で、建てられてから相当の年数が経っていると思われる風情がある。それらの建物に人が住んでいるかはわからないが、当然に人が住んでいた時期もあったのは間違いない。記憶都市と古い木造建築の繋がりを想像するのは容易いし、それは正しいとも思える。しかし僕がこれらの写真群をみて考えさせられたのは、写真の対象物ではない。

それらの写真の共通するスタイルは、焦点が明瞭であること、全体的にグローがかり薄いもやのような幕がおりていること、モノクロームでコントラストが強いこと、などだ。また対象となっている木造建築も、確かに古いが、だからといって特別な建築物ではない。かつてどこにでもあり、見慣れているようなそんな建物なのだ。それらの写真は、見る者がかつてその建物を知っていたかのような錯覚を持たせると思う。

2009年の今となってはどうかはわからないが、写真集が出版された1987年は、かつて知っていたと今より思わせることだろう。つまり「記憶都市 東京」も前作である「meet again」と写真家の表現の方向性は同じだと僕は思うのだ。

稲越功一氏の写真とは、写真の記号としての指向性を曖昧にすることではなく、逆に指向性を強めること、それは写真を見る者が自らの記憶の一片に向かわせること、のように僕は思う。だからこそ、あえて写真家は写真の一枚一枚にタイトルをつけてはいない。その写真の指向性を具体的に写真家が設けることは避けなければならないからだ。

しかし、それにしても稲越功一氏のモノクローム写真は美しい。全て銀塩写真だという。デジタルとの差異を述べるつもりはない。問題はそう言うことではないと僕は思うからだ。稲越氏はプライベートでエディトリアルの現場では撮すことが出来ない写真を撮ってきた。しかし、その技術の殆どはエディトリアルの現場で培われたものだ。特に現像の技術が素晴らしいと思う。「meet again」「記憶都市 東京」を含む全ての写真にそれは当てはまる。

僕はもう少しこの写真展の中に留まりたかった。モノクロームの写真に囲まれた静かな空間で、もう少し自由な想像の世界に浸っていたかった。でも閉館時間が迫っていた。外は台風が近づいている。またこの場に来るかもしれないと僕は思った。この写真展は10月12日まで続く。こういう場合、僕の予感は外れることがない。

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