僕が最初に購入したデジタルカメラはAppleのQuickTakeだった。35万画素のカメラは双眼鏡のような形をしており大きかった。さらに内蔵メモリに画像を蓄える方式だったのでメモリの拡張も出来ずカメラ本体とパソコンをつなげての伝送は使い勝手が悪かった。それでも画像がそのままパソコンに出力できるのは画期的なことだった。次に購入したのは富士フイルム製のデジカメだった。小型で外部メモリカードに画像を蓄えることが出来る仕様だった。画素数は同じく35万画素。先だって掃除をしていたらこの外部メモリが出てきた。と言っても既に規格として無くなってしまった仕様だったので中身を見ることはできなかったが。いずれも1994年から5年までの間のことだ。
その当時のデジタルカメラの画像はフィルムからの写真を目指していた様に思える。製品の紹介もフィルム写真と較べていた。無論フィルム写真とは質の面で較べようもなかった。フィルム写真を超えるようなデジタルカメラができることなんて想像も出来なかった。
その時に使いながら感じたのは、デジタルカメラの画像の品質がフィルム写真を目指すことへの違和感だった。無論先行し基準でもあったフィルムを技術的に目指すことはある面正しいのかも知れない。ではとその時に思ったのはフィルムは一体何を目指していたのだろうかということだった。フィルムが目指しているのが人間が見ているままであれば、デジタルも当然にそれを目指すべきだとその時の僕は思った。逆に言えばデジタルはフィルムを意識する必要は全くないということだった。しかしデジタルカメラはしばらくはフィルムを意識し続けた。デジタルがフィルムを意識しなくなったのは最近のことのように思える。そしてその気分が一般の写真家達まで浸透していき、「写真とは」と写真についてあらためて考える様になっていったのだと僕は思っている。
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