作家、エッセイストでロシア語同時通訳者でもあった米原万里さんの講演録集。書籍のタイトルともなっている「愛の法則」以外にも「国際化とグローバリゼーションのあいだ」「理解と誤解のあいだ」「通訳と翻訳の違い」などの同時通訳者としての経験から得た事柄も載っている。他の3編も実質的で面白いとは思うが、ここでは「愛の法則」についてのみ感想を載せる。
ご存じの方も多いかとは思うが、米原万里さんは2006年5月25日に卵巣ガンにて亡くなっている。享年56歳。
彼女にとって男は以下の3つに分類されるのだそうだ。
A ぜひ寝てみたい男
B まあ、寝てもいいかなってタイプ
C 絶対寝たくないタイプ
その上でカテゴリCの男性が90%を占めているのだそうだ。だから何?と思う僕は男性として少し変っているのかもしれない。米原万里さんは、きっと男性側もおなじでしょう?としているが、そんなこと考えたこともなく、つまりは女性と違って、タイプAだろうがタイプCだろうが、幸か不幸か異性側からアクションを受けたこともなく、きっとそれは幸運なんだろう、だから実際のところ自分ではわからない。そういう見方って、きっとこの男性社会の中に生きている女性ならではなんだろうと思うが、いかがなものだろう。
この3つの分類が冒頭にあり話が続くわけだが、さすがに彼女の講演は面白いと言うだけあり、楽しく読める。さらに書かれている薀蓄もそれなりに面白い。
歴史的に見ても、女性は多くの男を競わせて優秀な一人を選ぶという、竹取物語やかえるの王子など、女が主人公の物語では普遍的にそういう法則があるでしょう、という。その理由を彼女は性淘汰による進化論的視点や社会学的なキーワードで読みとく。
中でも面白いと思ったのは、1960年の旧ソ連アルメニアのゲオダキャンという人物の仮説「男はサンプル」の紹介だった。この仮説は米原万里さんによれは以下の論旨となる。
雌は本能的に優秀な子孫を残したいと思っている。雄は出来るだけ多くの自分の子孫を残したいと考える。しかし量を求めるとき雌の数が多い方が有利だし、質を求めるときは雌の数が少ない方がよいことになる。そこから米原万里さんは次のように考える。
『雌(女性)は量を担いながら質を追及する、雄(男性)は量を追求しながら質を担う。』
男性が質を担うとは、女性よりも多種多様なタイプが生まれるということであり、女性が量を担うとは、様々なタイプの男性が持つ遺伝子を存続させるということだ。無論、そのなかで性淘汰されてもいく。その結果、人類は環境変化に対応可能な様々なタイプを保険として誕生させていくことになる。
『個々人はバラバラに好きになったり嫌いになったりするけれども、全体としては人類を維持していく、絶滅させないという種の意志が働いているのではないかと思うことがあります。』
つまり、米原万里さんが考える「愛の法則」とは簡単に言えば、人類全体を維持し存続させるために遺伝子レベルでプログラミングされたものとなる。
これらの話は米原万里さんが中学校時代からの「愛の法則」研究から、数多くの小説及び研究書を読み、彼女がまとめた。彼女の知識は多く、それらがテンポ良く繋がっている。講話として聞けば、きっと面白いに違いない。ただ全体を通して一つの疑問がわいたのも事実だった。無論この疑問は遺伝子レベルでの生物学的論拠から来るレベルではない。その視点からの疑問の提示は米原万里さんの講話に対し失礼というものだ。
「愛の法則」を調べたいという動機も大元は一体何だったのだろう。人間は何故男女に分かれ、双方の概ねは惹かれ合うのか。その根っこには言わずとも、男女間の恋愛の不思議さがあり、その不思議さは自らの体験による心の動き、情動と言っても良いかも知れないものを発見・実感したことから発しているのではないだろうか。
一般化する前にはその言葉を知らなければならない。その言葉「恋愛」を知ると言うことは、その実質と原因と表象する事柄を互いに結びつけると言うことでもある。つまり「愛の法則」探求の大元には米原万里さん自身の次の問いかけが必要となるのだ。
何故、この私は、この彼を好きになったのだろう。どの私でもない、この私が、どの彼でもない、この彼(つまり、あなた)を、何故愛するようになったのだろう。
この問題に、脳科学がどうかとか神経レベルがどうかとか、人類の歴史とか、生物学的だとか、その他諸々の科学と言われる妄想は全く説明できない。いや私以外の人間であれば、他人のことであれば、彼女が彼を愛した理由を想像できるし推測も出来る。でも自分のことについては説明できるわけがない。
果たして米原万里さんはこの謎に納得できる答えが見つかったのであろうか。僕は「愛の法則」を読む限りにおいて、彼女の探求の方向は大きく外れているように思う。ただ、あくまで講演者として見れば、この謎を解く話は面白味に欠けるし、それ以前にこの話は相手(聴衆者)に伝わらないだろう。米原万里さんがそう考え講演内容から外したとしても全然不思議でもない。ただそれでも僕は思ってしまうのだ、彼女はその謎の答えを見つけたのであろうかと。
2010/01/12
2009/12/09
男と女、無性と有性
例えば、質問としてよくあるのが、「今度生まれ変われるとしたら、男と女どちらが良い?」
おそらく生まれ変わっても、女性は女性に、男性は男性にと答えるケースが多いように思う。
一度会社の同僚の女性に質問してみたことがある、その答えが面白く印象に残った。
「うーん、一度女性を経験したから、今度は男性でいいかな。あはは」
生れ変りが実際にあれば、前世の記憶を引き継げれば良いかもしれないが、残念なことにそれは誰にもわからない。(例と思われるのも僅かしかない)
ある生物は食料が得やすく生き延びる機会が増大すると無性生殖となり、逆に環境が厳しくなれば有性生殖へと切り替えることで種の存続を図るという。つまり、人間に男女の区別があるのは、多様な遺伝子を組み込むことで、進化の速度を促し、環境の変化への対応が有利に進めることが出来るからだと言える。
(参考『雌と雄のある世界』 (集英社新書) 三井 恵津子 著)
現代の医学では男性女性のそれぞれの性は手術により転換をすることが可能となっている。
ただ法整備は整ってはいない。しかも人間は人間としての種が出来て以来、男性女性と性が分れ、それを前提とした精神と社会を構築しているため、転換は時として不幸な結果を招く。
例えば一定の割合で産まれている両性具有者が、産まれた時点で本人の意思に関係なく性が確定される場合とか。性同一性障害により性転換を行ったが周囲の性偏見により苦しめられたりとか。
さらに男性を定めるY染色体は劣化の一途をたどっているため、いずれ男性は人間の性から無くなるのも確実だと言われている。そのうち女性だけで、様々な技術を使い生殖を行っていくことになるのだろう。ただ、そこに至る前に、おそらく性への概念は今とは全く違ったものになっているように思う。 例えば、女性から男性に、もしくはその逆も、装置もしくは薬剤で簡単に転換できる様になっているかもしれない。その時代は、人間の常識・倫理・道徳などは全く様変わりしていることだろう。結婚の制度も意味を失うため消失しているはずだ。性だけではなく自分の姿も簡単に変えられるようになっているかもしれない。ただその時、その生物は人間と言えるのかは、僕には何ともわからない。
もしかすれば現代は既に性が揺らぐ時代へと突入しているのかもしれない。ふとそんなことを考える。男性も女性も、互いに違う性があることを前提にしていることが如何に多いことか。だからいずれ社会的にもしくは心理的に、それを乗り越える人間の新たなデザインが必要となるのでは、と僕は思っている。万能細胞の技術革新もおそらく、難病が治るとか、失われた肢体が復元するとか、そう言った再生医療への可能性だけではないように思えるのだ。今はあくまで感覚的なものでしかないが。
こういうことを言えば、それらはクイア・スタディにて理論的に構築もしくは実践中ではとの声も上がることだろう。確かにクイア理論は新たな人間へのデザインの萌芽となるかもしれない。僕はクイア理論について殆ど無知でもあるので積極的に展開することが難しいが、ただこの理論はもともと非異性愛者からの切実な思いから発しているため、異性愛者からの切実さに欠ける点がある様に思う。そしてそこが根本的な問題でもある様に思えるのだ。
さらに言えば、僕は性のない世界という現時点では荒唐無稽なところから発している。人間の進化と技術的な進歩から、あながち荒唐無稽でもなく、逆にその方向から生殖への思考を進めるのも良いのではないかと言う発想からだが、その前に性もしくは生殖に係わる解決すべき問題群が巨大であるのも感覚として知っているつもりだ。
何かまとまりのない文章になってしまった。もう少し語れるようになるために勉強しなくてはと最近特にそう思う。
おそらく生まれ変わっても、女性は女性に、男性は男性にと答えるケースが多いように思う。
一度会社の同僚の女性に質問してみたことがある、その答えが面白く印象に残った。
「うーん、一度女性を経験したから、今度は男性でいいかな。あはは」
生れ変りが実際にあれば、前世の記憶を引き継げれば良いかもしれないが、残念なことにそれは誰にもわからない。(例と思われるのも僅かしかない)
ある生物は食料が得やすく生き延びる機会が増大すると無性生殖となり、逆に環境が厳しくなれば有性生殖へと切り替えることで種の存続を図るという。つまり、人間に男女の区別があるのは、多様な遺伝子を組み込むことで、進化の速度を促し、環境の変化への対応が有利に進めることが出来るからだと言える。
(参考『雌と雄のある世界』 (集英社新書) 三井 恵津子 著)
現代の医学では男性女性のそれぞれの性は手術により転換をすることが可能となっている。
ただ法整備は整ってはいない。しかも人間は人間としての種が出来て以来、男性女性と性が分れ、それを前提とした精神と社会を構築しているため、転換は時として不幸な結果を招く。
例えば一定の割合で産まれている両性具有者が、産まれた時点で本人の意思に関係なく性が確定される場合とか。性同一性障害により性転換を行ったが周囲の性偏見により苦しめられたりとか。
さらに男性を定めるY染色体は劣化の一途をたどっているため、いずれ男性は人間の性から無くなるのも確実だと言われている。そのうち女性だけで、様々な技術を使い生殖を行っていくことになるのだろう。ただ、そこに至る前に、おそらく性への概念は今とは全く違ったものになっているように思う。 例えば、女性から男性に、もしくはその逆も、装置もしくは薬剤で簡単に転換できる様になっているかもしれない。その時代は、人間の常識・倫理・道徳などは全く様変わりしていることだろう。結婚の制度も意味を失うため消失しているはずだ。性だけではなく自分の姿も簡単に変えられるようになっているかもしれない。ただその時、その生物は人間と言えるのかは、僕には何ともわからない。
もしかすれば現代は既に性が揺らぐ時代へと突入しているのかもしれない。ふとそんなことを考える。男性も女性も、互いに違う性があることを前提にしていることが如何に多いことか。だからいずれ社会的にもしくは心理的に、それを乗り越える人間の新たなデザインが必要となるのでは、と僕は思っている。万能細胞の技術革新もおそらく、難病が治るとか、失われた肢体が復元するとか、そう言った再生医療への可能性だけではないように思えるのだ。今はあくまで感覚的なものでしかないが。
こういうことを言えば、それらはクイア・スタディにて理論的に構築もしくは実践中ではとの声も上がることだろう。確かにクイア理論は新たな人間へのデザインの萌芽となるかもしれない。僕はクイア理論について殆ど無知でもあるので積極的に展開することが難しいが、ただこの理論はもともと非異性愛者からの切実な思いから発しているため、異性愛者からの切実さに欠ける点がある様に思う。そしてそこが根本的な問題でもある様に思えるのだ。
さらに言えば、僕は性のない世界という現時点では荒唐無稽なところから発している。人間の進化と技術的な進歩から、あながち荒唐無稽でもなく、逆にその方向から生殖への思考を進めるのも良いのではないかと言う発想からだが、その前に性もしくは生殖に係わる解決すべき問題群が巨大であるのも感覚として知っているつもりだ。
何かまとまりのない文章になってしまった。もう少し語れるようになるために勉強しなくてはと最近特にそう思う。
柴又へ
家から柴又帝釈天に行くには幾つかの電車を乗り継ぐ必要がある。まずは半蔵門線で終点の押上まで行く、押上で京成電鉄に乗り換える。そこまでは僕でもわかる。難しかったのはそれ以降だ。
丁度来た電車は青砥(あおと)行きだったのでとりあえず乗り込んだ。青砥で乗り換えると思っていた。でも幾ら待っても柴又方面の電車は来ない。時刻表を見るとどうやら昼間は高砂から出ているらしい。でもその高砂がどこなのかが全くわからない。駅員に聞いてみる。
「柴又に行くにはどうすればいいのですか」
「一度、高砂まで行ってください。そこで金木行きの電車に乗り換えてください」と駅員
「高砂とはどちらですか、あっちですか?こっちですか?」
指で上りと下りを示して聞く。内心まるで「初めてのお使いシリーズ」だと恥ずかしくなる。
駅員は僕の動作に面食らった感じで、少しだけ間が空く。
「あっちです。このホームで待って次の電車に乗ってください。一つ目の駅です」
待っていると確かに電車が来た。でも車両側面には北総鉄道と書かれている。一瞬京成電鉄じゃないのかと迷うが、駅員が間違うはずもなくそのまま乗り込む。あっさりと高砂に着いた。ホームに下りしばらく待つと金木行き電車がホームに入ってくる。調べてみると高砂の次の駅らしい。つまりは迷った青砥から二つ目の駅ということになる。しかしこの間30分以上はかかっている。遠い。
柴又の駅は、何度も寅さんの映画に出てくるのでなじみがある、はずだったが、どうも映画とは少し違うようだ。向かって左側面が工事中だったので全面を見ることが出来ないのもあるかもしれない。それに映画だと駅前は少し広場のようになっていたと思う。実際も広場にはなっているが狭く感じる。これでは浅丘ルリ子演じるリリーの帰りを寅さんが待つ場所が見当たらない。
既に駅前から帝釈天の参道となっている。これも映画とは少し違う。リリーと相合傘で寅さんが歩く距離が短すぎる。これではロマンチックになる前に家にたどり着いてしまう。
しかもだ、リリーが寅さんに会いに行くとき、一度は帝釈天の方から歩いてきたように思う。しかし駅からだと帝釈天に向かうので、彼女は柴又駅からではなく別の駅(例えば新柴又駅)からくることになる。その距離をハイヒールのリリーは歩いたと言うのだろうか。
またまたリリーが餃子を造る為に寅さんと買い物をするシーンがあるが、参道には八百屋も肉屋もなかった。彼らはどこで餃子の材料を買ったのだろう。
それもまして参道の人の多さはどうだろう。ちょっとした原宿の竹下通りに近い。この人の多さは寅さんの映画の世界には全くなかったと思う。無論近くには印刷工場などなく、参道のお店で人が暮らしている感じもしない。
映画の柴又と現実の柴又を比べること自体が誤っているのかもしれないし、休日と平日の違いもあることだろう。それはわかる。でも寅さんの、しかもリリー3部作にこだわっているファンの心情も理解して欲しい。
しかしわかったこともある。寅さんもしくは出演者が江戸川の土手で別れるシーンが時折あるが、別れた際にどこに向かうのかがわからなかった。でも土手を下流に向かって歩くと京成線にぶつかるのだ。20分近くは歩くことになるとは思うが。
そんなことをだらだらと書けば、いかにも僕が熱心な寅さんファンだと誤解をされそうだ。
「好きなんですね」、と聞かれたら素直に認めよう。ただ僕の場合は、浅丘ルリ子演じるリリー3部作(実際には4作品)しか見ていない。少し変則的なファンなのだ。(この日記でリリーしか登場しないのはそういう訳だ 笑)
たまたまテレビで放送していて、それをたまたま観て、こんなにも面白いのかと驚いた。何よりも浅丘ルリ子のリリーが女性として魅力的で可愛く、どちらかといえば彼女に惚れて観始めたといったほうが正確かもしれない。
・男はつらいよ 寅次郎忘れな草 11作目 公開1973年8月4日
・男はつらいよ 寅次郎相合い傘 15作目 公開 1975年8月2日
・男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 25作目 公開1980年8月2日
・男はつらいよ 寅次郎紅の花 48作目 公開1995年12月23日
このうち最終話となった48作目の「紅の花」は別格扱いなので、通常はリリー3部作となっているのだそうだ。確かに48作目は、寅さん役の渥美清さんの内側から来る生命力が感じられない、だからかいつもは寅さんが演じる役回りを甥の満男(吉岡秀隆)が肩代わりをしているようだ。
映画と実際の違いは時代の違いもあるかもしれない。11作目は今から36年前なのだ。そのころであれば、まだ映画と実際は限りなく近かったかもしれない。ただ町並みとか帝釈天は寅さんの映画のイメージがあった。そんなことをあれこれと考えながら僕は柴又の参道を歩いた。
帝釈天で参拝し、帰りに草団子を食べた。店の人は愛想良く対応してくれる。
すっかりとテーマパーク化している柴又に、テーマパークしていることを求めて僕はやってきたという事だ。そしてテーマパークが徹底されていないと嘆き、テーマパーク化されていることにも嘆く。わがまま極まりなく無責任な観光客の一員として僕は柴又を楽しんだ。そしてそれを柴又の参道は受け入れてくれた。
テーマパークと書いたが、それこそ失礼だったのかもしれない。テーマパークの代名詞でもあるディズニーと言えども東京で開園してからまだ30年しか経ってはいない。「男はつらいよ」1作目から今年で40年である。それ以前に帝釈天の参道として賑わいを見せてからは、200年以上は経っている。テーマパークとしても、お客さんを接待する伝統と重みが違うのだ。寅さんであろうと新参者であることに変わりはない。でもとっても強力な新参者であることも間違いないが。
寅さんのリリー3部作の感想を書こうと思ってからだいぶ時間が過ぎた。書こうと思う都度、僕はこの映画を観た。既に何回見たのか忘れるほどだ。でも一向に飽きることがない。寅さん、リリー、さくら、おいちゃん、おばちゃん、その他多くの人たち、柴又の街並み。観るたびに、何かを教わると言うより、知らずに引き込まれ楽しんでいる自分を見つけるのだ。同じ箇所で笑い、同じ箇所で照れ、同じ箇所で感動する。あらかじめ筋がわかっていても関係ない。今回の柴又に行くのを決めたのも寅さんが発端だし、おそらく多くの人が僕と同じだろう。
帰りに江戸川の土手を少し歩いた。矢切の渡しが見えた。実に多くの人達がそれぞれに楽しんでいた。風はあるが雲一つない青空だ。少し歩くと寅さん記念館があるという。ここまで来て行かないことはない。柴又にも当たり前だが多くの人が住んでいた。彼らは寅さんの幻影を求めてこの街に住んでいるわけではない。閑静な住宅地は、まるで僕の思惑を知っているかのように、逆に堂々と暮らしの有様を見せる。おそらく寅さんはこの暮らしの中にこそいるのだと、その時僕は初めて気がついた。
丁度来た電車は青砥(あおと)行きだったのでとりあえず乗り込んだ。青砥で乗り換えると思っていた。でも幾ら待っても柴又方面の電車は来ない。時刻表を見るとどうやら昼間は高砂から出ているらしい。でもその高砂がどこなのかが全くわからない。駅員に聞いてみる。
「柴又に行くにはどうすればいいのですか」
「一度、高砂まで行ってください。そこで金木行きの電車に乗り換えてください」と駅員
「高砂とはどちらですか、あっちですか?こっちですか?」
指で上りと下りを示して聞く。内心まるで「初めてのお使いシリーズ」だと恥ずかしくなる。
駅員は僕の動作に面食らった感じで、少しだけ間が空く。
「あっちです。このホームで待って次の電車に乗ってください。一つ目の駅です」
待っていると確かに電車が来た。でも車両側面には北総鉄道と書かれている。一瞬京成電鉄じゃないのかと迷うが、駅員が間違うはずもなくそのまま乗り込む。あっさりと高砂に着いた。ホームに下りしばらく待つと金木行き電車がホームに入ってくる。調べてみると高砂の次の駅らしい。つまりは迷った青砥から二つ目の駅ということになる。しかしこの間30分以上はかかっている。遠い。
柴又の駅は、何度も寅さんの映画に出てくるのでなじみがある、はずだったが、どうも映画とは少し違うようだ。向かって左側面が工事中だったので全面を見ることが出来ないのもあるかもしれない。それに映画だと駅前は少し広場のようになっていたと思う。実際も広場にはなっているが狭く感じる。これでは浅丘ルリ子演じるリリーの帰りを寅さんが待つ場所が見当たらない。
既に駅前から帝釈天の参道となっている。これも映画とは少し違う。リリーと相合傘で寅さんが歩く距離が短すぎる。これではロマンチックになる前に家にたどり着いてしまう。
しかもだ、リリーが寅さんに会いに行くとき、一度は帝釈天の方から歩いてきたように思う。しかし駅からだと帝釈天に向かうので、彼女は柴又駅からではなく別の駅(例えば新柴又駅)からくることになる。その距離をハイヒールのリリーは歩いたと言うのだろうか。
またまたリリーが餃子を造る為に寅さんと買い物をするシーンがあるが、参道には八百屋も肉屋もなかった。彼らはどこで餃子の材料を買ったのだろう。
それもまして参道の人の多さはどうだろう。ちょっとした原宿の竹下通りに近い。この人の多さは寅さんの映画の世界には全くなかったと思う。無論近くには印刷工場などなく、参道のお店で人が暮らしている感じもしない。
映画の柴又と現実の柴又を比べること自体が誤っているのかもしれないし、休日と平日の違いもあることだろう。それはわかる。でも寅さんの、しかもリリー3部作にこだわっているファンの心情も理解して欲しい。
しかしわかったこともある。寅さんもしくは出演者が江戸川の土手で別れるシーンが時折あるが、別れた際にどこに向かうのかがわからなかった。でも土手を下流に向かって歩くと京成線にぶつかるのだ。20分近くは歩くことになるとは思うが。
そんなことをだらだらと書けば、いかにも僕が熱心な寅さんファンだと誤解をされそうだ。
「好きなんですね」、と聞かれたら素直に認めよう。ただ僕の場合は、浅丘ルリ子演じるリリー3部作(実際には4作品)しか見ていない。少し変則的なファンなのだ。(この日記でリリーしか登場しないのはそういう訳だ 笑)
たまたまテレビで放送していて、それをたまたま観て、こんなにも面白いのかと驚いた。何よりも浅丘ルリ子のリリーが女性として魅力的で可愛く、どちらかといえば彼女に惚れて観始めたといったほうが正確かもしれない。
・男はつらいよ 寅次郎忘れな草 11作目 公開1973年8月4日
・男はつらいよ 寅次郎相合い傘 15作目 公開 1975年8月2日
・男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 25作目 公開1980年8月2日
・男はつらいよ 寅次郎紅の花 48作目 公開1995年12月23日
このうち最終話となった48作目の「紅の花」は別格扱いなので、通常はリリー3部作となっているのだそうだ。確かに48作目は、寅さん役の渥美清さんの内側から来る生命力が感じられない、だからかいつもは寅さんが演じる役回りを甥の満男(吉岡秀隆)が肩代わりをしているようだ。
映画と実際の違いは時代の違いもあるかもしれない。11作目は今から36年前なのだ。そのころであれば、まだ映画と実際は限りなく近かったかもしれない。ただ町並みとか帝釈天は寅さんの映画のイメージがあった。そんなことをあれこれと考えながら僕は柴又の参道を歩いた。
帝釈天で参拝し、帰りに草団子を食べた。店の人は愛想良く対応してくれる。
すっかりとテーマパーク化している柴又に、テーマパークしていることを求めて僕はやってきたという事だ。そしてテーマパークが徹底されていないと嘆き、テーマパーク化されていることにも嘆く。わがまま極まりなく無責任な観光客の一員として僕は柴又を楽しんだ。そしてそれを柴又の参道は受け入れてくれた。
テーマパークと書いたが、それこそ失礼だったのかもしれない。テーマパークの代名詞でもあるディズニーと言えども東京で開園してからまだ30年しか経ってはいない。「男はつらいよ」1作目から今年で40年である。それ以前に帝釈天の参道として賑わいを見せてからは、200年以上は経っている。テーマパークとしても、お客さんを接待する伝統と重みが違うのだ。寅さんであろうと新参者であることに変わりはない。でもとっても強力な新参者であることも間違いないが。
寅さんのリリー3部作の感想を書こうと思ってからだいぶ時間が過ぎた。書こうと思う都度、僕はこの映画を観た。既に何回見たのか忘れるほどだ。でも一向に飽きることがない。寅さん、リリー、さくら、おいちゃん、おばちゃん、その他多くの人たち、柴又の街並み。観るたびに、何かを教わると言うより、知らずに引き込まれ楽しんでいる自分を見つけるのだ。同じ箇所で笑い、同じ箇所で照れ、同じ箇所で感動する。あらかじめ筋がわかっていても関係ない。今回の柴又に行くのを決めたのも寅さんが発端だし、おそらく多くの人が僕と同じだろう。
帰りに江戸川の土手を少し歩いた。矢切の渡しが見えた。実に多くの人達がそれぞれに楽しんでいた。風はあるが雲一つない青空だ。少し歩くと寅さん記念館があるという。ここまで来て行かないことはない。柴又にも当たり前だが多くの人が住んでいた。彼らは寅さんの幻影を求めてこの街に住んでいるわけではない。閑静な住宅地は、まるで僕の思惑を知っているかのように、逆に堂々と暮らしの有様を見せる。おそらく寅さんはこの暮らしの中にこそいるのだと、その時僕は初めて気がついた。
2009/12/08
ポパイ
調べてみるとポパイの原作者であるエルジー・クライスラー・シーガーの誕生日なのだそうだ。ポパイにも原作者がいたんだ、という当たり前のことが最初の印象。そりゃぁいるだろうと即座にアホな疑問を打ち消したけど、それが率直な感覚だった。だからエルジー・クライスラー・シーガーも今回初めて知った。でもこのGoogleのロゴはポパイの雰囲気を良く出している。網掛けの色使いからくるポップな感覚は今でも十分に通用しそうだ。
ポパイと言えばほうれん草、ほうれん草会社がこの漫画のスポンサーであると真しやかなうわさが流れたことがあった。しかし、ほうれん草会社のイメージが全く浮かばなかったし、ほうれん草の缶詰だって売っているものを見つけたこともなかった。
ポパイは今の漫画と較べれば品質面で劣るように思うが、それでも観てしまえば最後まで見てしまう面白さがあった。何よりも難しいことなどどこにもない大らかさ、オリーブとブルータスとの絡みの単純さ、結末がわかる安心感が、そこにはあったように思う。しかし戦前から日本に紹介されていたとは全く知らなかった。(それを考えれば十分に品質は高いとも思える)
しかもWikipediaによれば、ポパイは最初脇役だったのだそうだ。当初の主人公の名前はハム・グレイヴィ、ハムの恋人は勿論オリーブ。それが脇役であるポパイの人気が上がり、ついにはオリーブを奪い、ハムを主役から追い落とした。実はこのことに僕はとっても興味がわく。といって掘り下げるつもりもないが。
ポパイは雑誌の名前にも使われた。ご存知の通りのマガジンハウスの雑誌である。創刊が今から30年以上前だというから、すごい雑誌と言えるかもしれない。雑誌ポパイでは、そのターゲット層が10代後半から20代ということもあり、男性のことを「~少年」と呼んでいたように記憶している。今では少年はそれほど使われなくなり、変りに「女子」と対抗しての「男子」が使われるようになった。でも僕はこの「~少年」という言い方の方が好きだ。
「男子」が男性一般的な使われ方をするのに対し、「少年」には明らかな年齢の区分がそこにはある。だから使われ方としては、大人に対して少年とは言わずに、「少年のような」という言い方をする。どうも「男子」と繋がるのは「トイレ」とすぐに発想してしまう、この身の発想の貧弱さがそこにあるのも事実だが・・・
雑誌ポパイが世の中に受け入れられた理由として、よく言われるようにポップカルチャーの隆盛にある。そしてそれは深化を続け「かわいい」から派生した携帯文化で現在に至る。その経緯で外面もしくは年齢よりは、より内面の状態を前面に出した文化でもあるように僕には思える。その文化はIT技術を背景にしたヴァーチャルと自分の内面を重ねることで、自分を一種のアバター化してもいる。
ポップカルチャーの流行の一端を担った雑誌の名前がポパイであることは偶然ではないと僕は思う。ポパイの漫画の中に既にその芽が見出せるような、Googleのロゴを見てそんなことも思った。
ちなみに原作者のエルジー・クライスラー・シーガー(1894/12/8-1938/10/13)さんが誕生してから今日が115年目となる。
図補足:上が2009/12/8のGoogleロゴ、下がポパイの前の主人公で、オリーブの元彼。
2009/12/07
白い原野
僕の中には一つの懐かしいと感じる風景がある。原風景と言えば聞こえはいいが、その風景がそれに該当するのかはわからない。それは荒涼たる白い原野だ。白い原野とは津軽の地吹雪が吹き荒れる雪に覆われた場所であり、その吹雪に耐えて家が静かに建っている光景となる。通常は地吹雪からの被害を防ぐために風に面して壁を造るのだが、僕のその光景に建つ家はその様なものが一切ない。ただただ冬の強風で舞い上がり叩きつける雪に耐えている。
無論、東京産まれの東京育ちの僕にその様な場所で生活をしたという経験はない。ただ3歳から5歳くらいまで家の都合で東北は青森に暮らしたことがあった。青森市内でも決まった午後のある時間になると地吹雪に近い状態にはなり、身をかがめて歩く街の人々の印象は強く残っているが、だからといって白い原野の光景と同じではない。
その光景に強く惹かれるのに気がついたのは学生の頃だった。その頃に読んだ東北詩人高木恭造の詩集「まるめろ」にその光景が写された写真が載っていたのである。初めてその写真を見たとき、それは書店だった、強い衝撃と言う程でもなかったが、ただその写真から目を離すことが出来なかった。詩集を購入し、詩を読みながらも、それ以上に僕はその写真を眺め続けた。
眺め続け、僕の中に浮かぶ何かを言葉に出すのは難しい。でも僕はその何かを知っていた。知らないわけがない、だからこそ僕はその光景に眼が奪われたのだ。知っている何かは、子供時代の記憶と結びつく。その情景を言葉に紡ぐことはできる。ただ、それらを紡いだところで、その何かが現れるわけではない。その頃からの僕の一つの願い。その写真と同じような光景を、実際にその場にいて撮影してみたい。写真から僕はその何かに気がついたのだから、きっと同じような写真が撮れる事だろう。
今思えば、写真から何かを感じ得ていたことって意外に多い。そのどれもが人が撮った写真からだ。自分が撮った写真から浮かぶことは少ない。自分が撮る写真は、ただそこにあるものを見るような、そんな感じに近い。
無論、東京産まれの東京育ちの僕にその様な場所で生活をしたという経験はない。ただ3歳から5歳くらいまで家の都合で東北は青森に暮らしたことがあった。青森市内でも決まった午後のある時間になると地吹雪に近い状態にはなり、身をかがめて歩く街の人々の印象は強く残っているが、だからといって白い原野の光景と同じではない。
その光景に強く惹かれるのに気がついたのは学生の頃だった。その頃に読んだ東北詩人高木恭造の詩集「まるめろ」にその光景が写された写真が載っていたのである。初めてその写真を見たとき、それは書店だった、強い衝撃と言う程でもなかったが、ただその写真から目を離すことが出来なかった。詩集を購入し、詩を読みながらも、それ以上に僕はその写真を眺め続けた。
眺め続け、僕の中に浮かぶ何かを言葉に出すのは難しい。でも僕はその何かを知っていた。知らないわけがない、だからこそ僕はその光景に眼が奪われたのだ。知っている何かは、子供時代の記憶と結びつく。その情景を言葉に紡ぐことはできる。ただ、それらを紡いだところで、その何かが現れるわけではない。その頃からの僕の一つの願い。その写真と同じような光景を、実際にその場にいて撮影してみたい。写真から僕はその何かに気がついたのだから、きっと同じような写真が撮れる事だろう。
今思えば、写真から何かを感じ得ていたことって意外に多い。そのどれもが人が撮った写真からだ。自分が撮った写真から浮かぶことは少ない。自分が撮る写真は、ただそこにあるものを見るような、そんな感じに近い。
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