チャールズ・リンドバーグの墓がハワイ諸島のマウイ島にあると聞いた。ブーゲンビリアの生け垣に囲まれた崖っぷちに建つ小さな教会。その裏の日当たりのいい、太平洋が見渡せる素晴らしい庭。そして彼の墓碑に彫られた言葉。
「もしも、私の背中に羽が生える、そんな朝が来たら、光の中を海へ向かって飛んで行って、海の一部として、そこで静かに眠りたい」聖書の詩編の一節からとられた言葉は、キリスト教徒にとって最大限の讃辞だとも聞いたことがある。上記の言葉は聖書から抜き取った言葉でなく意訳であるが、こちらの方がリンドバーグの墓碑らしく僕は好きだ。
病気治療の為に米国本土の病院に入院していた彼は、いよいよ最期の時を迎えるに際し、家に戻りたいと家族に告げた。リンドバーグの家は避暑地を含め幾つかあった。でも彼にとってホームとはマウイの家のことであった。マウイに帰宅する旅は、紛れもなく瀕死の彼にとって、最期の冒険飛行旅行であった。彼の妻である作家のアンは後にこう語っている。
「マウイへの最期の旅は、彼の単独大西洋横断飛行といくつもの共通点があるけど、その中で一番は、どちらも生きて到達できない可能性があったということ」マウイに着いた彼は自分の死について家族と話し合う。具体的には墓の場所から、葬儀の内容、細かな箇所では墓の深さまで。概ねはリンドバーグ自身が一つ一つを確認し決めていったらしい。マウイの教会には彼の墓の隣にアンの場所も用意されていた。
1974年8月26日にリンドバーグは亡くなる。亡くなった時家族は、妻であるアンとリンドバーグの二人だけにして病室から離れた。そこでアンが何を思い語ったのかは僕には計り知れない。アンはリンドバーグが亡くなってから年々にオアフを訪ねる事が少なくなり、後に全く行かなくなった。リンドバーグは一人、オアフの教会に眠っている。
アンとリンドバーグは、その長い結婚生活の中で様々な出来事に遭った。息子の誘拐、ドイツでの研究とゲーリングから受けた勲章、米国が欧州戦争に参加することへの否定とそこからくる彼への非難。またリンドバーグの浮気も幾つかの伝記本で示唆している。アンもそれに気が付いていたかもしれない。最近ではドイツでリンドバーグの隠し子騒動が起きている。アンもサンテグジュペリとの恋の噂もある。
それらは二人にとって重たい出来事だったと思うが、二人を離れさせるほどの力を持っていなかった。アンは、リンドバーグは、お互いを必要としていた。それ以外に僕は言葉を持たない。
僕がリンドバーグを思い感じるのは、彼の人生を通じて知る、人が生きる重みである。多かれ少なかれ、僕等もリンドバーグと同じ様に様々な出来事の中で人生を歩んでいる、と僕は思う。一度はリンドバーグの墓を訪ねたいと思い続けているが、未だ機会を得ていない。僕は東京の住宅地で日々の暮らしを行っている。
上記写真は、マウイのリンドバーグの家と彼の墓
全てサイトhttp://www.charleslindbergh.com/から
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