2006/07/10

喫煙から健康と病気のことを少しだけ考える

tabacco


僕は喫煙者です、と一抹の抵抗をもって言ってみる。少し前までは、 自分が喫煙者であることをわざわざ語る必要もなかった。でも今では、何故煙草を吸うの、という質問を受けるほどの有様である。 一抹の抵抗とは、自分が喫煙者であることを幾ばくか人に知られたくないという気持ちがあるからだ。

人に知られたくない気持ちとは、喫煙行為が百害あって一利なしとの社会全般の刷り込みが、この僕にも届いている事の証左でもある。さらに表に出れば喫煙場所は少なく、在ったとしてもそこは狭い穴倉のような場所だったりもする。そこで背を丸め、お互いを意識しながら、かといってそのそぶりも見せずに煙草を吸う様は、客観的に見れば見苦しい事だろう。

煙草の箱には、煙草がニコチン依存症の恐れがあることと、脳卒中の危険性が統計上高いと書かれている。また一部では、これもどこから持ってきたデータかは知らぬが肺ガンに罹るリスクも高いと聞く。また喫煙者よりもその周辺にいる人が受ける影響の方が高いとも聞く。だから現状の喫煙者への社会の対応は不当とは全く思わない。喫煙者は常に周囲に配慮を心がけなければならない、そう思う。

喫煙者の物言いで代表的なのは愚行権の行使かもしれない。それは一種のへりくだった喫煙者の態度でもある。喫煙が愚行であるとの認識は実は喫煙者には薄い。ただ社会が造りあげた喫煙の弊害に、表面上同調することが賢い選択だと思うが故の 「愚行権」という言葉なのだと思う。

正直に言えば、ほとんどの人は、自分にとって不利益な行為を選択する事は少ないのではないだろうか。つまりは喫煙といえども喫煙者にとっては本音ベースでは愚行ではないのである。逆に喫煙者である僕の問いかけは、何故社会はこれほど健康に対し偏執的になってしまったのか、ということである。

思うに、今ほど人が健康を気にし、他人に対し自分が健康であることを強調する時代もないように思う。まるで健康に気を遣わなければ、さらには健康でなければ人とは言えないような、そんな気さえしてくる。スーザン・ソンタグがいみじくも語っているように、病気は
「市民の義務のひとつである」、と僕も思う。

現在の健康に対する考えは、ひとつには病気に対する否定的な見方による。さらに病気とは自分が気をつければ罹らない、在る意味管理可能な領域であるとする考え方も見え隠れするのである。知人でも病気になり入院するとそれを隠そうとする。余計な心配をさせたくはないとの配慮もあると思うが、それ以上に病気になったことを他人に知られたくないという気持ちの方が強いのではないだろうか。

「病は気から」という物言いが今でも通用している。少しの病であれば気力で打ち克つ、学校でも仕事の場でも、時としてそのような物言いが横行している。病をおして仕事を完遂した者は周囲から評価され、病気で重要な会議を欠席した者はそのポストから追われる。確かに人の心の持ちようが、身体の免疫力に影響があると言われているし、僕もある程度はそれを信じてはいる。

でも「病は気から」の物言いには、病気の原因を病人本人に帰してしまう考えが内在している。病気になったのは病人自身が気のゆるみから、そこに病気が入り込んだというわけである。そして病人は自らを責めることになる。病気の姿を人に見せることは、ようするにそういう弱い自分をさらけ出すこと、それは自分が病気になったことが証明している、だからこそ人は病気になっても人に伝えることをしない、僕はそういうふうに考えている。

従兄弟が亡くなる前に僕に話したことがまさしくそれだった。彼は僕にこう言った。

「まず歯が悪くなった。よく噛まずに食事をとった。そして腸が悪くなった。何もかもが繋がっているんだよ。今の俺はまな板の鯉だよ。何でも医者の言うことを聞いている。」

彼の言い分は正しく聞こえる。それに僕は従兄弟が何故自分が病気になったのかを、自分なりに納得する強い気持ちもわかる。原因を自分に求めて考えなければ、彼は自分の境遇に納得できなかったのではないか。だからこそ僕は黙って従兄弟の言い分を聞いていた。でも病気はたまたま罹り、そして巡り合わせが悪く最悪の結果になった。すべてはたまたまの巡り合わせの問題であったと、僕は思っている。

「今はまな板の鯉だよ」と言った従兄弟の言葉の裏には、悪いのは自分だからといった気持ちが隠されていると思う。今の時代は「健康」であることが人間の条件の最大の一つである。その上で、「健康」の定義について考えなければならないという、一種のパラドックスの中にいるのも実態だと僕は思う。「健康」であること、それは具体的に言えば若さを保つこと、安易に結びつく「健康」と「若さ」の関係に、現代が「若さ」を一つの基準に設けていることが、様々な問題の一因でもある様にも思える。

でも実際は「健康」も「病気」も人間の一つの状態でしかなく、条件という事からはほど遠い。喫煙の話から健康について少しだけ考えてみた。今後も引き続き病気について考えていきたいと思っている。

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