2006/07/16

写真と遺影

従兄弟の遺影をじっと見つめていると、彼の娘さんが僕の側に来てささやく。

「良い写真でしょ」

僕は黙って頷く。一人で写っている写真が見あたらなくて、孫のお宮参りの記念写真を引き伸ばしたのだそうだ。どうりで少しはにかんだ嬉しそうな表情をしている。その時の従兄弟のことを想像し少しだけ微笑む。

遺影として生前の写真を飾るようになったのはいつの頃からだろうか。写真の普及と共にそれは広まったにせよ、そこには身体の中で特に顔を重視する眼差しと、写真が持つ何かが結びついたと僕には思える。
「いまはまさに郷愁の時代であり、写真はすすんで郷愁をかきたてる。写真術は挽歌の芸術、たそがれの芸術なのである。写真に撮られたものはたいがい、写真に撮られたということで哀愁を帯びる。醜悪な被写体もグロテストなものも、写真家の注意で威厳を与えられたために感動を呼ぶものになる。美しい被写体も年とり、朽ちて、いまは存在しないがために、哀愁の対象となるのである。写真はすべて死を連想させるものである。写真を撮ることは他人の(あるいは物の)死の運命、はかなさや無常に参入するということである。まさにこの瞬間を薄切りにして凍らせることによって、
すべての写真は時間の容赦ない溶解を証言しているのである。」

(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 から引用)

写真に撮られたものはすべて今は存在しないものであるが故に哀愁を帯びる、というソンタグの言葉が特に具体性を持つのは遺影が最たると思う。逆に言えば、人物のポートレイトというのはどこかで遺影に繋がっているのかもしれない。

無論ソンタグは亡き人の写真を特定して述べているわけではない。でも僕が従兄弟の遺影をみて感じたことは、もう時を刻むことがない彼と、写真に撮された彼が、同質であるような、そんな奇妙な感覚であった。

人は遺影を見て、今は亡き人の面影を偲ぶと同時に、 凍結された写真の時間から喪失感を感じるのだと思う。遺影を見る人が、亡き人と関係が近ければ近いほど、 自身の記憶を呼び起こすことにもなり、浮かび上がった喪失感を感傷へと変質させていく。それは喪失によってぽっかりと空いた穴を埋めるというのでなく、逆に穴を日常の状態に置いたままにする、ということのように思える。

遺影として使われる写真は、多くの場合、初めは斎場に飾られることを目的にして撮影されたものではないだろう。例えばそれは様々なイベントの一つの記念であったり、旅行などの記録であったり、に違いない。でも一度遺影として使われると、その写真の意味と、向けられる眼差しは変わることになる。

遺影は家のどこかに常時飾られ、訪れた人は、撮された人物を見知っているか否かに係わらず、興味深く眺めることだろう。それは遺影に写った人がかつては確かに存在したという証でもあるが故に、凍結された写真の時間と今実際に眺めている時間の大きな隔たりを見いだすことでもある。

かつて彼はここにいた。そして今はもういない。

人が重大で悲惨な病気だと感じるとき、患者の容姿の、特に顔の変貌の強さに驚くときだと僕は思う。かつてのふくよかな生気に満ちた顔が、青白く、頬が痩せこけ、目は落ち込み、別人の様相を呈しているのを見たとき、人は声を失い、患者が抱え込んでいる病いが重大であることを意識する。

また愛する者に死が訪れるとき、その死が苦痛も恐怖もない、「安らかな死」 であることを祈る。実際はその死が安らかであるか否かを他者は知ることが出来ない。でも「死に顔」がまるで「眠っている」 かのような顔であれば、人は悲しみの中で僅かな救いをそこに見いだすのだと僕は思う。

近代で身体にどれほど考察を加えようと、未だに顔は別格となっている。主に遺影として現れる姿は、顔が全体のほとんどを占める。遺影とは顔の写真ということであり、それは顔がその人の総てを現しているという認識でもある。

遺影に使われる写真は元気だった頃の写真を使う。誰も死に瀕した状態の姿を遺影にはしない。穏やかな表情、もしくは楽しげに笑っている表情、どれもが良い表情をしている。しかし送葬の式場に集まる中で、それぞれの時間の中で過ごす人達の中で、遺影に撮された人の時間だけが既に刻むことはないのである。それを遺影という以前に、写真そのものが、それを見る人達に意識させるのだと僕は思う。

遺影が広まったのは写真技術の普及と共にだが、これはある意味自然なことだった、と僕は思う。今では、遺影に写真以外の技術を使うことも可能ではあるが、しかし写真以上に繋がりと喪失を感じさせるとも思えないのである。

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